七夕フェスタ リクエスト企画 第五弾 結城さまからのリクエスト

寒蝉の恋

リニューアル版 十ニ回目

銀兎のそばには、いつの間にか趙雲が立っており、同情の色を浮かべるでもなく、気難しい顔をして、銀兎を見下ろしている。
「襲撃者の人数はわかるか。なぜおまえを襲ったのだと思う?」
先に掛ける言葉もあろうにと、陳到がいささか気まずく思っていると、案の定、銀兎は愛らしい顔を、小鬼のようにぎゅっと険しくして、噛み付くように言った。
「知らないよ! 真っ暗だったのだもの! なにさ、トーヘンボク! ほかに言うこともないのかい!」
銀兎の剣幕に、無情ではあるが、劉備たち一行が通るための道を作るため、遺体や馬車を片づけている兵卒たちが、おどろいて目を向けてくる。
彼らにも、銀兎は噛み付いた。
「見世物じゃないよ! なにが面白いのさ! 莫迦! おまえたち、みんな莫迦だ!」
「まあまあ、落ち着け。仮にも細作であろうに、その態度は見苦しいぞ」
劉備ではないが、こんなに元気な娘だったのか。
最初に抱いた可憐な印象との差を、自分を騙しながら懸命に胸のうちで訂正しつつ、陳到が言うと、銀兎は、眉根をぎゅっとしかめて、顔を上げた。
「あんたも失礼な人! あたしは細作なんかじゃないよ」
わたしは、その細作『なんか』だったのだがなあ、と少し悲しく思いつつ、陳到はさらに尋ねた。
「ちがうのか? しかし、あの身のこなしといい、武器の扱いといい、只者ではあるまい」
「あたしの身が軽いのは、舞の稽古を頑張ったおかげだし、武器の扱いは、出し物のために覚えて慣れていたからだよ。細作なんぞじゃない。みんなだってそうだったし、兄ちゃんだって、そうだ。兄ちゃんは、もとは、袁家にお仕えする、武人だった」
と、兄のことを思い出したのか、銀兎は、大きな黒い瞳をぱっちり開いたまま、拭うこともなく、ぼろぼろと涙をこぼした。
陳到は、袁譚に斬りかかったときの、座長の身のこなしを思い出していた。
たしかに、座長の堂のいった剣の構え方は、単なる旅芸人が、芝居のごとく見よう見まねで剣を振るった様子ではなかった。
「すると、おまえも、名のある家の娘であったということか」
「どうだかね」
と言って、銀兎は、泣きながらも鼻をすすった。
「それよりも、なんとか思い出してくれ。襲撃者に特長はなかっただろうか」
趙雲が尋ねると、銀兎は、悪鬼を追い払う道士のような剣幕で、噛み付かんばかりの勢いで、言った。
「それよりも、ってなにさ! あんたは、あたしなんか本当にどうでもいいのだね! あんた、たしかに見てくれはとても立派だけれど、いまわかったよ。心根が冷えきった、いやな男だ! たったいま、あたしはあんたが大嫌いになったよ!」
「それはすまないな」
可愛さあまってなんとやら。ほとんど八つ当たりかもしれないが、怒りのこもった銀兎の辛辣な言葉に対しても、どうでもよさそうに、趙雲は、あっさりと言った。

たしかに銀兎の言葉は正しいな、と陳到はちらりと思った。
やれやれと、趙雲は嘆息するが、傷ついてはいないようだ。
いままでも似たようなことがあったのか、わずかでも、苦々しさを見せずに、淡々としているところからして、趙雲は、こういう言葉を、女から投げつけられることに慣れているようでもある。
それはうらやましいことなのか、それとも同情すべきことなのか、もてない陳到には複雑な問いである。

そんなことを考えていると、趙雲が陳到に言った。
「これはおまえの出番だな。聞きだしてくれ」
そうして、人にこういう役目を、近くの適当な人間に投げるのも、慣れているようである。
こちらこそ、やれやれであった。
陳到はむしろ、趙雲よりも、銀兎の側に心を寄せて、いつになくやさしい気持ちになって、たずねた。
「銀兎、気をなだめて聞いてくれ。襲撃者のことがわかれば、我らも助かるし、生き残ったおまえも助かる。おまえの話でいけば、襲撃者たちは、おまえを狙っていたのだ。おまえの兄も、おまえが狙われていることを知っていた。なぜだと思う?」
「そんなの…あたしが、袁家の助平猿の頭を、踏みつけてやったからじゃないか」
「それだけのことで、人を動かすとは」
「思えないっていうの? 名門だとか言われている人たちの頭の中なんて、自分がどれだけ一番目立つか、賞賛されるかって、それだけじゃないのさ。だから、頭なんか踏みつける女が生きていること自体が許せないのだよ。
舞姫ってのは、ただ踊りを踊っているだけじゃない。身をまもるために、きちんと宴席に出ているヤツのなかで、だれが安全そうか、それとも危ないヤツなのか、ちゃんと確認している。馬や、むさくるしい男たちばっかり相手にしているあんたたちより、よっぽどヒトを見る目ができているけれどね」
銀兎が鼻を鳴らして言うと、趙雲と陳到は顔を見合わせた。

銀兎の言葉も、たしかに一理ある。
この大局のなかで、ちいさい動機に見えるかもしれないが、常人では想像もつかないほど、面子と誇りにこだわる名家の人間ならば、十分すぎる動機のような気もするのである。
もちろん、袁譚の人となりを知っている陳到は、ありうることだと思った。
馬車の中で休んでいる、紅霞にも意見を聞くべきだろう。
このなかで、いちばん袁譚を理解している女だ。

「なるほど、よくわかった。で、襲撃者は何人くらいだった? 馬だったか?」
「馬…じゃなかった気がする。あたしが聞いたのは、人の足音だったよ。子供みたいな」
「子供?」
鸚鵡返しにすると、銀兎は、こくりと頷いた。
「そう。あたしは、舞は得意だからね、たまに、小さい子たちに教えたりもするのだけれど、連中の足音は、妙に軽かったんだ。小さい子のようだった」
子供と聞けば、自然に思い浮かぶのは、紅霞を追い落とした妖童たちのことである。
しかし、子供が大人を襲って、このような修羅の有様を出現させるなど、想像するだけで、異様なことである。
銀兎たちは武装していなかったとはいえ、子供が大人の集団を、こうも簡単に滅することができるのか?
「大人はいなかっただろうか。わたしや、ここにいる趙子龍のような」
「ずっと顔を伏せていたから、わからない」
と、答えたあと、銀兎は、ふと思い出したらしく、顔の前で、ぽんと手を打った。
言葉遣いや態度はかわっても、銀兎の根っこの部分、善良さと愛嬌は変わらないことに、陳到は安堵した。
「そうだ、足音は聞き分けられなかったけど、声はしたね。大人の男の声だったよ。聞いたことのない声だった。なにかを探していたみたいだったけれど、途中で、あんたたちの足音が迫ってきたので、逃げていったのだ」
「あんたたちというと、糜正方殿のご一行のことか。ふむ、それでは、連中が去ってから、まだ間もない、ということか」
「さっき南へ先に言った、糜正方とかいう、感じのいい人も同じことを言っていたね。鉢合わせをしないといい、とかなんとか。
あたしだって、助かったはいいけれど、連中のいる方角に、まちがって逃げてしまったらなんにもならないと思って、連中がどこへ行くか、耳を懸命に済ませていたのだけれど、どうも、山のほうに逃げて行ったみたいだよ」

山、と聞いて、趙雲は、斜面の上空、白い岩肌をむき出しにする崖を見た。
「上方に陣取り、我らを急襲するつもりであろうか。探ってきたほうがよさそうだな」
と、自ら武器を手に馬にまたがろうとするのを、陳到はあわてて止めた。
「お待ちを。自ら行かれずとも、だれか人をやればよいでしょうに」
「だれか、とは言うが、俺の部下はおまえだけだ。それにおまえは、その娘や紅霞を守らねばなるまい」
「それもおかしな話でございますな。兵卒はたくさんいるのですから、全体のことなのですし、だれか選んで役目を務めさせればよろしい」
陳到が言うと、趙雲は、困ったような顔をしながら、その槍の柄で、とんとんと肩を叩いた。
「俺もそう思うのだがな、おまえはまだ知らぬだろうが、この狭い陣内においても、縄張り争いというものがあるのだ。つまり、俺のような新入りが、勝手によその男の部下を使うと、面倒なことになる」
「馬鹿馬鹿しい。そのようなちいさな諍いを起こしている場合でもないでしょうに」
「おまえがそう言って、みなを説得してくれ。劉玄徳の陣は、居心地がいい反面、人との調整がむずかしいのさ。なにせ、文も武も、すべての権限が主公に集中しているので、細かいところを決められる人間がいない。
そのために、勝手に出来上がった不文律というものが、我が物顔でのさばっていて、そいつが、結構、足元を掬ってくれるのだ」
これまでにも、そういった障害に苦労してきたらしく、趙雲は、突き放したように言い捨てる。
劉備の配下になって数ヶ月しか経っていないというのに、すでに劉備の軍の弱点を見抜いているのは天晴れであるが、それ以上のことはできないでいるらしい。
「主公の手がいっぱいならば、義弟である関将軍に、細かいところを決めていただくというのは、いけないのですか」
「位置的には関羽どのが適任なのだろうが、あのひとは、性格上、意外と細かいことを決めるのに向いていない。となると糜正方殿だが、あの方は性根が優しすぎてダメだ。ほかの文官も同じ。となると、だれもいない」
「困ったものですな」
「みんなそう言っておる。さて、判ってもらったところで、俺は行ってくる。おまえは、主公をお迎えし、事情を説明してくれ」
「あたしはどうなるのさ!」
銀兎の声に、血を含む土を踏みしめて、山に向かおうとしていた趙雲は、振り返った。
「好きなところへ行け、と言いたいところであるが、命を狙われている者を放っておくわけにはいかぬ。陳叔至とともに、我が君を待って、途中まで我らと来るがいい」
「途中までって、どこまで? あんたたち、荊州に向かっているのだろう? あたしは、そんな辛気臭い田舎に行きたくないよ! 
あんたたちは知らないだろうけどね、あたしたち旅芸人にとっちゃ、荊州の劉表っていったら、頭がカチコチで、ろくでもない堅物だって、有名なんだよ。まわりに侍っている連中もみーんな、似たようなものでさ。
一度、行ったことがあるけれど、もう二度と行くもんか、って思ったんだ。華美はいけないとかなんとか言っちゃってさ、つまらない古謡ばっかり舞わせられるし、あたしたちのことは、卑しい芸子だとかいって、ほとんど家畜扱いしやがる。そのうえとんでもなくケチなんだ」
「劉州牧が、ケチかどうかはともかく、途中は途中だ! どこで俺たちと別れるか、それは好きに決めるがいい。あとは、叔至と相談してくれ」
趙雲は言うと、馬に乗って、山へ偵察に向かった。

あとに残された銀兎は、やっぱり嫌なヤツだと、ぶちぶちと文句を言っていたが、すこし気が鎮まったせいもあってか、その眼には、さきほど見せたような激しい怒りはもうなかった。



ほどなく、後方より劉備が追いついてきたので、陳到は趙雲の指示どおり、銀兎たちのことを説明した。
劉備たちは、まったく知らない間柄ではなかった銀兎たちの、不慮の死を悼み、先に到着していた兵卒たちと一緒に、その埋葬を手伝ってやると、銀兎をあらためて逃走の一行に加えることを許した。
崖の上方に回って、敵の有無を見てきた趙雲もじきに戻ってきて、問題はなかったと報告して終わった。

銀兎の仲間たちが大気に散らせた血のにおいが、まだうっすらと残るなか、一行は、後方よりやがてやってくるであろう、袁軍の気配を気にしつつ、先を急いだ。
銀兎は、しぶしぶと、陳到に従った。
同行をゆるされても、うれしそうにすることもなく、荊州に行きたくないと、ぶつぶつ文句を言いつづけている。
最初、陳到は、銀兎を、舞を踊っているよりは、家庭をまもって慎ましく過ごすとの似合う、可憐な娘だと思い込んでいた。
それだけに、いまの状況に、陳到は戸惑ってはいたが、ふしぎと、素顔をみせた、いまの元気のよすぎる銀兎のほうが、緊張したり、虚勢を張ったりすることもなく、ふつうに口を利くことができた。
「ねえ、叔至さん、あんたも、なんだか、なし崩し的に劉左将軍と一緒に逃げているクチだろう? 荊州なんて行っちまったら、いいことなんてないよ。あたしと一緒に、官渡に行こうよ」
「官渡? 曹操のところか?」
銀兎は、まだ涙の後がくっきりと残る顔で、陳到の腕に身を摺り寄せて、頷いた。
銀兎は匂い袋でも携帯しているのか、気持ちのよい香りが鼻腔をくすぐった。
「そうだよ。曹操のところはいいよ。空気が、なんていうのだろう、自由でね、思うままに踊れるんだ。とても気持ちがいいよ。ね、一緒に行こうよ」
「呆れたものだな。いままでおまえは、どこにいた。いま曹操の命運は、袁家の大軍をまえに、風前の灯だぞ。その眼で状況は見ているだろうに」
「ふん、なにさ、その顔。世間知らずの芸子が、たわけたことを言い出したと思っているのだね。たしかに、あたしはろくに文字も読めないけれど、勘はとても働くんだ。この戦は、曹操のほうが勝つよ」
「なぜそう思う」
「なぜって、だから勘だよ。それに、袁家の若様の頭、あたしが踏んづけちゃったしね」
愉快そうに言う銀兎の柔らかな気配を腕におぼえながら歩いていると、出発を待つ、紅霞を乗せた馬車が、目に入った。
切り傷の痛みに悩まされながら、つらい道中を耐えている女のことを思い出し、陳到は、無邪気すぎる娘に、すこし意地悪な気持ちになって、問うた。
「仇討ちはもうよいのか。兄上の志はどうする」
「それは問題ないよ。あたしが篭城する曹操のところへ行って、勝利祈願の踊りをおどってやるのさ。すると、みんなが奮起して、袁紹に曹操が勝つ。
わかる? あたしのお陰で曹操が袁紹を滅ぼしてくれるのなら、それは仇討ちをしたのと同じことじゃないのさ」
「筋は通っているがな」
呆れることばかりであるが、この娘の元気のよさならば、言葉どおりのことを実行し、さらには、結果も言葉どおりになりそうな気がして、陳到は思わず笑ってしまう。
もしも、この身ひとつであれば、銀兎の誘いを受けただろう。
「残念だなあ。おまえをいま、官渡に連れて行ってやるわけにはいかんのだ」
「なぜ? あんたとなら、一緒に行ったら楽しそうなのに」
なんの思惑も腹になく、屈託なく首をかしげる娘に、まるで妹に抱くような優しい気持ちをおぼえつつ、陳到は馬車を示した。
「理由は、この馬車の中の者のためだ」
「へえ? ね、これにあたしも乗っていいんでしょう? 歩きなんてまっぴらだもの。いい馬車だね、あんた、新入りなのに、認められているんだね」
と、銀兎は馬車の中を覗き見て、それから、中に横たわる女の姿におどろいて、陳到のほうを見た。
「だれか寝ている」
「そうだ。若君の身代わりに、おまえの兄に斬られた女だ」
その言葉に、銀兎の顔は強ばり、蒼ざめたと同時に、一気に朱に染まった。
「いやだ、この馬車には乗りたくない」
「わたしとしても、おまえをこの馬車を乗せるのには不安があるが、ほかの馬車は満杯でなのだ。命が狙われている者を、堂々と陽の元で、歩かせるわけはいかん。互いに積もるところはあるだろうが」
「あるよ! 仕返しされたら、どうしてくれるのさ! 爪で、こう、バリッ、って!」
顔を険しくしつつ、爪で顔を引っかく仕草をする銀兎に、この娘も、なかなか厳しい社会の中で暮らしてきているなと、頭をぽりぽりとかきながら、陳到は思った。
「仕返しできるほどになってくれたら、わたしとしても嬉しいのだが、あいにくと、起き上がることもできぬ状態だ」
とたん、銀兎の態度は大人しくなって、馬車の中をちらっと見つつ、すまなさそうに言った。
「重傷なの? 兄ちゃんは、死んでしまったかもしれないって言ってた」
「急所は外れているが、この道中だ。なかなか傷も癒えぬ。それに男のわたしが看病するよりは、女のおまえがするほうが、紅霞も気を遣わないで済むであろうし、どうであろう。これもなにかの縁とおもって、頼まれてはくれぬだろうか」
陳到が言うと、銀兎は、しばし考え込む素振りをみせたあと、こくりと頷いた。
「わかった、いいよ。兄ちゃんの不始末は、妹のあたしがつけるよ」
「そうか、すまぬな。助かる。おまえたちは、わたしと趙子龍殿とで守るから、安心してくれ。それと、紅霞はいま眠っているようだが、もしも目が覚めて、おまえを爪でバリッ、とする気配があったなら、すぐに呼んでくれ。わたしは、おまえのすぐ隣にいる」
「趙子龍はともかく、あんたのことは頼りにしているよ」
そう言うと、銀兎は、にっこりと、白い歯を見せて笑った。


劉備や関羽への報告をすませ、趙雲が陳到のもとへ戻ってきた。
「あの娘はどうしている」
開口一番、趙雲は尋ねてきた。銀兎に同情をして、身の上を心配しているというよりは、銀兎を狙う者たちの気配を気にして、尋ねているというふうである。
容姿端麗、文武両道、まだ若いが、世知に長け、聡明。
これだけ美質が揃いるというのに、側で眺めていると、どこかいびつさを感じてしまうのは、おそらくこの青年武将の心を包む、冷たくぶ厚い殻に原因があるのだろう。
南への行軍がふたたびはじまり、馬車の脇で、趙雲と轡を並べる陳到であるが、ふと興味をおぼえて尋ねた。
「子龍殿は、常山真定のご出身でしたな。そちらでは、名の知れた家門だったのでしょう」
趙雲は、陳到の問いに、真っ直ぐ前を見たまま、言った。
「なぜそんなことを問う」
「ふと気になりまして。これから上司としてお仕えする方のことは、やはりよく知っておかないと」
昨日までは同等に渡り合っていたのが、今日は上下関係。なにやら不思議なものである。
「おまえ、口が上手いな」
「元細作でございますからねえ」

趙雲のことは、紅霞がだいたい調べていた。
常山真定の出で、義勇軍を率いて一度は袁紹の配下となったものの、待遇の不満からか、すぐに公孫瓚のもとへ向かい、そこで白馬義従の一員として活躍。その後、兄の葬儀を理由に公孫瓚のもとを去り、その後数年を、各地を放浪して過ごしたあと、劉備のもとに参じ、今日に至る。
男らしい凛々しい横顔をちらりと盗み見つつ、天下に名を馳せた白馬義従の、白い装束に白馬という、煌びやかな一団のなかでも、この男は、とくに目立っていただろうなと陳到は想像した。
目立つところに置きたくなる顔をしている。
ただ美麗なのではなく、気品や知性、思慮深さも表に出てるいる。
自分はこれだけの男を従わせているのだと、見せびらかしたくなる雰囲気があるのだ。

しかし、よいことではなかろうと、陳到はやっかみを抜きにして思う。
この男は、美麗な器のようなものだ。
よくいえば、癖がない。
悪くいえば、人に与える印象が薄い。
なぜ印象が薄くなるかといえば、この男自身の意趣、あるいは哲学といったものが、ほとんどまったく表に出ておらず、数々の美質と結びついていないからだ。
それが、趙子龍という男の欠点だ。
これだけアクのつよい集団のなかで、癖がない、ということはむしろ個性ですらあるが、しかし、アクのつよい人間のほうが、より目立ち、勲功に恵まれることが多い。
自身が目立たぬ凡百の風貌ということで、いままでいろいろと辛い目にあっているだけに、陳到は、立派な外貌の下にある、趙雲の意外な弱点を見抜いた。

細作として、さまざまな人間と触れ合ってきたが、こういった、内側に心を閉じ込めて、鈍ささえ感じさせる人間というのは、世に対する執着もない代わりに、自分自身についても執着が薄い。

自分自身というのは、この場合、家というものを含めてである。
名が雲で字が『子龍』。
雲は古来より、龍の化身であると考えられてきた。
雲と龍で、きれいに意味を合わせていること、そして字の『子』は、貴門の子弟につけられる字である。
このことから、出自はよい男だということがわかる。
ならば、貧窮に苦しんでいたということもあるまい。
身分が高いものほど、己の家を大事にする。
立派な家名は、世を渡るうえでかかせない看板でもあり、本人を箔付けしてくれる大事なものだからだ。
戦場に出た武将が、名のある家の者ほど、おのれの出身地を高らかに告げるのも、このためである。
それに、貴門というものは、だいたい保守的で、孝行をなにより尊ぶ。
この男は逆なのだ。
なぜに家に執着がないのか。
家に執着がないということは、大切にする価値がないと思っている。つまりは、家という物のなかにあって、あまりよい目に合ってこなかった、ということではないのか。
陳到の知る、似たような人間も、たいがいが、複雑な子供時代をすごしていた。

細作の癖が抜けぬのか、それとも、もとからあった探究心の強さゆえか、気になりはじめたら止まらない。
さて、己の経験で蓄えてきた知識は、この男にも当てはまるかなと思いつつ、陳到は尋ねた。
「子龍殿のご両親は、いまだご健在なのでございますか」
「父は死んだが、母は健勝だ」
「それでは、荊州に落ち着かれましたら、呼び寄せてお世話をしてさしあげるとよろしいでしょう」
通常ならば、親への孝行はなにより優先される。
しかし、趙雲は、間髪いれず、答えた。
「いいや。母があの家を動きたがるとは思えぬ」
「どなたか、ご兄弟がお世話をなさっているのですか」
「おそらく兄のだれかが面倒を見ているのだろうが、それは当然であろうよ。女怪をなだめられるのは、我が母だけであるからな」
「は? 女怪?」
わけがわからず陳到が尋ね返すと、はじめて趙雲は、首を陳到のほうに向けて、言った。
「俺は、何人いるかよくわからぬ兄弟の…八かな。いや、十であったかもしれぬ…ともかく末子であった」
「はあ」
「父は老齢で、俺が公孫瓚のもとに仕えたばかりのときに死に、家は、俺の父親代わりでもあった長兄が継いだのだ」
「公孫瓚のところから辞されたのは、兄上がお亡くなりになったのが理由だったと聞きましたが、その兄君ですか」
「いいや、長兄は、いまも常山真定で家を切り盛りしておる。死んだのは、たぶん三番目の兄だ」
兄弟の順番に「たぶん」という文字が付くのも新鮮だな、と陳到は思いつつ、さらに尋ねた。
「この長兄には、気のきつい母上がおる。俺の義母にあたる方なのだが、あの家では、唯一、俺の母だけが、この方とうまく付き合えるのだ。母がいなくなったなら、あの古いばかりが自慢の家は、とたんに混乱し、たちまち崩壊してしまうだろうよ。
なにせ、長兄の後継をめぐって、いまからほかの兄どもが争っている状態だからな。家が混乱すれば、それを理由に、長兄を早く隠居に追い込むことができる。そうすれば、自分たちに家を継ぐ機会があると勘違いしているのだ。
半分とはいえ、同じ血を引く兄たちではあるが、気の毒に、連中に、家を守り立てる才覚など、これっぽっちもないのさ」
と、趙雲は、皮肉っぽく唇をゆがませた。

その表情からは、家に対する愛着や尊敬は、まるで感じられず、むしろあるのは、軽蔑の念ばかりであった。
どうやら、陳到の知識…心の動きに乏しい者は、複雑な問題を抱えている家で成長している…は、当たっていたようである。
気の毒には思うが、しかし、孝心がなにより尊ばれる世にあって、ずいぶん無用心に、不孝であることをはっきり口にだすものだと…いや、逆に返せば、それほど家というものを嫌っているということもあるだろうが…危うく思いつつ、陳到はさらに尋ねた。
「常山真定というところは、どのような土地なのでございますか」
「一度、訪ねてみればよかろう」
切り替えされたな、と陳到は残念に思い、沈黙したが、しばらくして趙雲のほうが口を開いた。
「普通の土地だ。黄巾賊に襲われたこともあれば、飢饉に見舞われたこともある」
「土地の義勇軍を指揮して、公孫瓚の配下になられたのでしたな」
「それはちがう。俺が公孫瓚のもとへ連れて行ったのは、義勇軍のなかでも一部だけであった。
なんといっても、袁家は三世五公の家柄。袁紹のもとにいれば、まちがいがないと言い出したヤツがいて、意見が真っ二つに割れてしまったのだ。
俺と一緒に公孫瓚のもとへ行った者たちは、去るときも一緒だったので、いまは常山真定に帰っているが、袁家に留まった者は、その後、どうなったのかわからなかった。
鄴でも、主公の兵を募りながら、行方を探ったのだがな、とうとうわからずじまいだ。生きて、どこか別の土地で無事に暮らしていてくれればよいのだが。
俺たち義勇軍を迎えた袁紹の将兵という連中は、人の皮を被った獣であったから、心配でならぬ。連中がそこにいたからこそ、我慢していれば、いつかなんとかなろう、などという楽観した言葉には、俺は頷けずに、公孫瓚のもとへ向かったのだがな」
「そのようなことがあったのですか」




「そのようなことがあったのか」
長い話のなか、炉辺にて、膝を抱えて耳を傾けていた孔明がいうと、弱くなりつつあった火勢を調整していた陳到は、うれしそうに、顔をあげた。
「はい。それから女房を乗せた馬車をわたしは守りつつ、ただひたすら荊州へと」
「いや、子龍のことだ」
孔明が言うと、陳到は残念そうに顔をしかめた。
「ああ、そちらでございましたか」
「村の代表として、義勇軍を率いて、袁紹のもとへ赴いたことと、そこで半死半生の目に遭わされたという話は聞いたことがあったのだがな」
そのときの、趙雲の苦々しげな様子を、孔明は思い出していた。
辛い目にあったのだろうとは思っていたが、その背景には、仲間のこともあったのだ。
「大所帯になりますと、末端まで規律が行き届かない場合がございます。とくに袁紹軍というものは、将兵に規律を守らせるという点では、甘いところがございました。
身を置いていたあいだは、この甘さが、袁家の余裕なのだと思っておりましたが、戦に甘さなど無用なもの。やはり、袁家は、滅びるべくして滅んだのでございましょう」
「わたしはその頃、まだ子供であったから、各地から義勇軍が集められたときの話は、よく知らないのだが、だいぶ混乱があったのだな。味方である義勇軍の兵を酷くあつかって、おのれの憂さを晴らそうとでもしたのか。いやな話だ。こういう話がいちばん好かぬ」
不機嫌そうに孔明が言うと、陳到は、謎めいた微笑をうかべて炉をかき混ぜている。
「軍師は、ちょうど将軍とは正反対でございますな」
「そうであろうな」
年齢から容姿からその得意とするところまで、これほどきれいに違うのも珍しいし、これだけ違っているのに、ぴたりと気が合うのも珍しいと、孔明は思っていた。
すると、陳到は、顔を上げて言う。
「いえ、似ておられます」
「どちらだね」
「これは、叔至の言葉が足りませんでしたな。軍師と将軍とでは、人に与える印象が正反対なのです。将軍は、懐が深そうに見えるのですが、その実、淡白で過度な期待なぞは、あっさり跳ねつけるところがございます。
軍師は、孤高の人のように見えて、実際には、人のために本気で怒ることのできるほど、情の深い方だ」
「情が深いだろうか?」
鸚鵡返しにしながらも、思い出すのは、仲の険悪な兄のことや、まともな家庭を築けなかった己の結婚生活のことである。
情が深いというのが本当ならば、己の私生活が、ろくなものではないのは何故なのだろう。
嫌なことを思い出したと、苦い気持ちになると同時に、ふと、気づく。
「兄といえば、子龍は末子で、上には何人も兄がいたのだろう。それなのに、なぜ義勇軍を率いたのは、末子の子龍だったのだ。まだ十五くらいだったはずだが」
「さて、そこは詳しく聞きませんでしたが、ほとんど家出同然だった、というようなことを、将軍が漏らしていたことがございます」
「家出か…ならば、常山真定に戻ったとしても、居づらいところがあったのだろうな。だから放浪し、その末に、主公と再会したのか。しかし、すぐに主公のもとへ向かわなかったのは、いったいなぜなのであろうか」 
「そのあたりについては、わたくしも何度か尋ねてみたことがございますが、将軍は、ぴたりと口を閉ざしてしまわれまして、まったくなにもわかりませぬ」
「ふむ、子龍に空白の年月があるわけだな」
とは口にするものの、孔明は積極的に、趙雲の過去を探ろうとは思わなかった。

だれにも、触れられたくない過去はある。
趙雲が、そのように口を閉ざしているというのであれば、あえて触れるべきではないだろう。
そんなことを考えながら、孔明は、ふたたび陳到の話に耳を傾けた。

十三回目につづく
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