ジャンヌ・ラ・ピュセルのための覚え書
暁光の章
六話 ジャネットという少女
ここで視点をジャネットという少女に置くことにしよう。
ジャネットは、ごくごく平凡な少女であった。敬虔な両親と、優しい兄たちに囲まれ、それなりに裕福な家庭に育ち、フランス中を荒らす戦乱とは無縁のまま育った。
その彼女が、平凡な少女でなくなるのは、十三歳からである。
暑い盛りの季節であった。
その日、ジャネットは断食をおこなっていた。
冬に行われる四旬祭(レント)の大斎が一日三回の食事のうち、二回は少量にとどめ、一回を通常通りにとる断食であるが、これとはちがい、この断食は小斎といわれ、鳥や獣の肉をいっさい口にすることができない(ちなみに、大斎、つまり断食の期間が終わると『謝肉祭』がおこなわれる。祭りの由来は読んで字の如しであるが、これは教会の祭礼とはかかわりがないものである)。
逆にいえば、小麦や水などは口にしてよいのだが、まだ十三歳の食べ盛りの少女である。しかも、その日、ジャネットは空腹と暑さのために、力が入らないでいた。
最初は家の日陰でぐったりとしていた。
いつもは大好きな羊の世話をする気も起きなかった。
そして、早く断食が終わればよいとばかり思っていた。
だが、じっとしていると、退屈なこともあって、むしろ逆に空腹が意識されて、ますます苦しい。
それこそが、断食の目的なのであったが、十三歳の少女には、むつかしい教会の教義はわからない。
彼女は空想の好きな少女であったから、荒野で四十日間の断食をしたというイエス様も、こんなふうに苦しかったのかしら、と想像した。
荒野である。
こうして、目に付くところに井戸もない、戸をたたけば食べ物を分けてくれる家もない荒野である。
草だってちゃんと生えているのかしら。
それに、夜は怖い狼がいっぱいいるのじゃないかしら。
焚き火はできたのかしら。
夜はおそろしくなかったかしら。
昼間はどうやって日光から身を避けていたのかしら。
そんなことを考えていると、ふと、頭の中がぽんとはじけたような白い光に包まれた。
最初、なにが起こったのかわからなかった。
彼女は呆然とし、あたりの光景になにか変わりがないかを確かめた。
父の家がある。
父の家の井戸があり、そして垣根があり、ドン・レミ村のいつものおだやかな緑の光景がそこにある。
だが、光はジャネットの中に留まっていた。
すべてのものの輪郭が、光のせいでぼやけて見えた。
光は教会から来ているようであった。
なぜ間違いないかと言い切れるのかといえば、その光がそう告げてくるからである。
そしてはっきりと、ジャネットにたいへん判りやすい声で、彼女に言った。
『フランスの国王を救いにお行き』
ジャネットは、声の意味をつかみかね、しばし唖然として、なにも答えられなかった。
のちに彼女は、それをただ『声』と呼ぶことになるが、いまは、それがなんなのかさえ、わからない。
だれかが、からかって呼びかけているのだろうかと周囲を探ってみるが、だれの姿もないのだった。
『声』はジャネットに繰り返した。
『フランスの国王を救いにお行き』
返事を返すことなどできはしない。
ジャネットが呆然としているうちに、光と声は、ジャネットの内部に多大なる余韻を残して消えた。
ジャネットはたしかに感受性のつよい少女であったが、けっして妄想狂でもなければ、狂信者でもなかった。
かの女は死ぬその瞬間まで、客観性と冷静さを保ちつづけるのだが、このときもそうで、神の声が聞こえたのだとは、すぐには信じなかった。
まずは、自分の錯覚ではないかと思い、そして、そうではなかったなら、なぜこんな声が聞こえてしまうのだろうとおびえた。
当然、精神医学など、まだかけらもない中世の時代であるから、この声のいたずらは、アンチクライスト、すなわち、その名を口にするのもいまわしい悪魔のしわざではないかとジャネットは考えた。
ジャネットはぞっとして、声のことは誰にも言わなかった。
両親や兄妹たちに言ったところで、ろくなことにならないことは、十三歳の少女はすでに理解していた。
小斎が終わると、まるで『声』の原因が胃袋にあるとでも思い込んでいるかのように、兄たちがびっくりするほど、がつがつとよく食べた。
『神様、わたしはもう断食をいやがりません。ですから、もしあれが悪魔のしわざなら、悪魔からわたしを守ってください』
ジャネットは眠る前にそう祈って、夜に怖い夢を見ることがないようにと願いながら、妹のカトリーヌと一緒にねむった。
しかし、『声』はそれだけでは終わらなかった。
ジャネットが一人でいるとき、庭に、あるいは畑にて、日の差すあいだに、『声』は狙い済ましたようにやってきては、ジャネットに一方的に告げるのであった。
『神はフランスのありさまを嘆いてらっしゃいます』
『ジャネット、フランス国王を救いにお行き』
ロレーヌの小村の農家の娘が耳にするには、あまりに壮大な内容であった。
声を耳にするたびに、ジャネットは、やはりだれかが近くでいたずらをしているのではないかと疑い、人影を探すのであるが、しかしそこにあるのはただ、美しい真白い光と、耳にやさしい声だけなのである。
『疑ってはなりません、おびえてはなりません、信じなさい、ジャネット』
と、『声』は、彼女に自分を信頼するようにと、何度もやさしく呼びかけてきた。
当初、『声』と彼女のあいだには、対話がまるで成立しなかった。
ジャネットはおびえてあたりを見回したり、聞こえないふりをしたり、あるいは呆然とするばかりであったし、『声』のほうは『声』のほうで、フランスの現状がどうなっているか、神はそれをどう思っているのか、そしてジャネットにどうしてほしいかを切々と一方的に訴えてくるばかりなのである。
たとえば、
「どうしてわたしに言葉をかけてくださるのですか」
の問いには、
『フランス国王を救いにお行き』
しかかえってこないし、
「どうしたら王様をお助けできるのでしょうか」
の問いには、
『きちんと教会に通いなさい』
という具合で、通じているような、通じていないようなである。
それでも、ジャネットは度胸のある娘であったから、この内的体験を冷静に観察し、どうやら光は、いつもドンレミ村の教会から来るということを掴んだ。
声はだれのものなのか、というと、こればかりは姿がないのでわからない。
そのため、ジャネットは『声』に尋ねてみることにした。
「あなたはどなたですか」
その一瞬、光が、ただの茫洋とした塊から、人の似姿に変化した。
それが答えであった。
彼女は、光の内側に、一瞬だけ、この世のものとも思われぬ美しい姿をした人の似姿と、そして親愛なる聖女たちの姿をはっきりと見た。
かれら、あるいは彼女らは、このとき、自分がだれであるか答えなかったのだ。
だが、ジャネットのほうが、声が女性であったことから、あれこれと、想像を膨らませた。
一瞬だけ見えた聖女たちの姿は、とても見目麗しいうえに知的で、それでいて慈愛にみちた眼差しをしていた。
うち、一人が少女といってもいい年頃の聖女であったことから、ジャネットは考えた。
「きっとあの方は、聖女カタリナさまだわ。車輪は持っていなかったけれど、きっとそうだわ。だって、とても賢そうなお顔をなさっていたもの」
聖女カタリナとは、アレキサンドリアの貴族の娘で、高い教養をほこりながら、当時はまだ信仰をゆるされていなかったキリスト教に傾倒し、ローマ皇帝の怒りをかって、車輪に四肢を縛り付けられ、高い丘から突き落とされるという方法で残忍にも処刑された聖女のことである。
そしてもう一人、かたわらにいた聖女は、ジャネットには男装しているかのように見えた。
僧侶の姿をしているが、しかし尼僧ではなく、僧侶である。
「聖女マルグリットさまではないかしら」
と、ジャネットはこのとき思った。
ジャネットは文字もかけない無学な少女であった。
聖人たちの尊い行いのかずかずは、教会での説教や両親のおとぎばなしにも似た『お話』としてしか聞いていない。
聖女マルグリットは複数いて、その伝説が、ジャネットの頭の中に混同して存在していた。
ひとりのマルグリットの話は、有名なアンティオキアのマルグリットで、ドラゴンの腹に飲み込まれても生きていたといわれる聖女である。しかし、のちにこれもローマ皇帝の怒りに触れて処刑されている。
もうひとりのマルグリットの伝説は、さらに御伽噺めいている。
やはり元は貴族の娘であったのだが、しつこい求婚を拒んで修道院に男装して逃げ込み、そこで評判の僧侶となって人々を救うことになる。
しかし、悪魔がマルグリットを苦しめるべく、ある娘に悪心を吹き込んだ。
悪魔にたぶらかされた娘は、わたしはこの僧侶に乱暴されて妊娠をしたと告発する。
もちろん、できるはずがない。冤罪である。
しかしマルグリットにはそれを証明できる手立てがなかった。
僧院から追放されたマルグリットは、僧院の前に何年も立ち続け、乞食同然の暮らしをしながらも、みずからの潔白を切々と訴え続けた。
のち、彼女は昇天するのだが、そのときになって僧侶ではなくて女で、しかも処女であったことが明らかとなるのである。
「きっとそうだわ。ドラゴンのお腹から十字を切って出ていらしたという、聖女マルグリットさま!
男装なすってローマ皇帝の求婚から逃げ出したのだったわ。ローマ皇帝もドラゴンみたいに吹っ飛ばしてしまえばよかったのに、お優しかったからきっとできなかったのね。
そうそう、ひどい罪をなすりつけられて、身の潔白を訴えてお亡くなりになったのだったわ。お辛かったでしょうに、なんてお優しそうなお顔をしてらしたのでしょう!」
かれらは名乗らなかったが、ジャネットのほうで、名前をつけてしまった。
聖女カタリナ、聖女マルグリット、そして、その中央にいた人の似姿は、いかめしい甲冑を纏っていたように、彼女には思われた。
「なんてことかしら、わたしったら、大天使ミカエルさまを見てしまったのだわ」
『声』が大天使ミカエルからのものだとすると、フランス国王を救えという壮大な内容が、ジャネットには理解できる。
ミカエルはドラゴン、すなわち悪魔の親玉であるサタン退治で有名な天使である。
それほど猛々しい存在であるから、フランス国王を救えと、こともなげに告げてくるのだ。
ジャネットにとっては気の毒なことに、ここでかれらの名を『声』そのものから聞きださなかったために、のちのち、『声』の信憑性が疑われることになってしまった。
というのも、聖女マルグリットも聖女カタリナも、いまでは実在が疑われている存在である。
大天使ミカエルに至っては、そういうものがいるらしい、としか認識のしようがない。
とはいえ、ジャネットが、はっきりと、ふしぎな、そして正体のわからぬ聖女たち、そして天使たちの『声』を聞き、その姿を見たことは事実である。
この一件以来、もう彼女は、悪魔のしわざなのかもしれない、などと疑うことはしなかった。
だが、また戸惑いを消せはしなかった。
「うちには兄さんが三人もいて、みなそれぞれ立派なのに、どうしてフランス国王を救えだなんて声が、妹で、しかもただの村娘のわたしに聞こえてきたのかしら」
あくまでジャネットは冷静なのである。
十三歳にして、彼女はこれだけの観察力と客観性をすでに身につけていた。
けっして、狂信的に頭から神の声を盲信したわけではなかったのである。
『声』は、だいたい週に二、三回という、かなり高い頻度で、とくに彼女がひとりで外に出ているときにあらわれた(声が芝居だったという説を唱える人がいるが、もしそうであった場合、同じドン・レミ村に常駐でもしていないかぎり、こなせない芝居だったということがわかる。
しかも、彼女の日常をつぶさに観察し、一人になったころあいを見計らって声をかける必要があるのだ。
だれがそんな手間ひまのかかる芝居を好んでするだろうか?)。
当初はまったく会話の成立しなかった『声』とジャネットであったが、次第に会話らしいものが成り立つようになってきた。
あいかわらず『声』はフランスの現状を嘆いていたが、ジャネットは素直にその嘆きに耳を傾けた。
そして、どうしてこんな状況が出来上がってしまったのか、神はなにを望んでおられるのかを学んだ。
ただ、ジャネットはここでも、それを盲信しなかった。
稀にアルマニャック派の兵士たちがやってくると、かれらの世話をしながら、外の様子が『声』の言うとおりであるかどうかを確かめた。
『声』の情報の精度は高いものだった。
まず、内容が矛盾しているところは一つもなかった。
そのため、ジャネットは『声』を信頼するようになっていく。『声』の言うとおりにすると、まちがいがないのである。
『声』はジャネットに命令するものではなく、いつも優しい助言程度に留まっていた。
ジャネットには、それがときどき独り言にすら聞こえたし、あまりに曖昧で、不親切に聞こえるときさえあった。
『声』は、ジャネットが、『声』に頼りすぎることを喜ばないようであった。
自分の頭で、考え、自分の結果に満足するように仕向けるのである。
そして、『声』は結果を判定しない。
みずからの正体をジャネットには明言しなかったのと同じである。
そして、『声』は、盲信することを喜ばない。
『声』からの具体的な指示はなかったので、ジャネットは、なぜそんなことを言われるのかを、つねに考える必要があった。
だから、ジャネットは実生活のなかでゲームをしているような状況におかれた。
ゲームに勝てば、『声』は喜び、ゲームに負ければ、『声』は嘆いた。
それは片田舎の農家で平凡で単調な生活をおくる娘にとっては、なかなか愉快で刺激的なことであった。
『声』の正体がいったいなんであったのか、『声』が語らない以上は、ただそういうものがあった、というふうにしかとらえることができない。
ジャネットをとおしてしか、われわれも『声』の正体を探ることはできないのだ
ただ、ジャネットはまちがいなく『声』を聞き、その『声』に従ったことは、動かない事実である。
そして『声』の言うとおりにすると、間違えることがなかった。
たとえば、デュラン叔父さんのところへ遊びに行こうとしたときに、『声』が
『今日はやめておいで』
と告げる。理由は言わない。
ジャネットが、それじゃあ、やめておこうかしらと中止したあとになって、ちょうどデュラン叔父の家に向かう道で狼が出たという話が出る、という具合。
こうしたさまざまな経験をへて、彼女は『声』を信頼することにした。
彼女が『声』に従順になっていくと同時に、『声』のほうも、彼女に対する要求を高めていった。
教会へ欠かさずいくこと、親の手伝いをちゃんとすること、毎日、規則正しい生活をすること、行いを正しくし、みだらな行為には与しないこと。
そうしたなかで、彼女は『声』に処女誓願をする。
在俗のままで、その身を生涯、聖霊に捧げるという誓いである。
誓いは受け入れられ、彼女はますます『声』への信頼と尊敬を高めていった。
そんなふうであったから、教会へ通うことが楽しみなことになった。
いまやいちばんの親友といってもいい『声』をよく知ることのできる場所であったからだ。
教会の鐘が遅れるだけで、鐘つきの男に文句を言いに行ったくらいである。
ただ、同じ年頃の少女たちから、
「あんたは教会に行くのが好きなのね」
とからかわれることを恥じる、平凡な一面も持っていた。
彼女は決して、自分が選ばれた人間なのだと奢ってはいなかったのである。
だから、特別な人間になりたがっているのではないか、平凡の枠からはみ出ているのではないかと指摘されることをいやがった。
ロレーヌの乙女の伝説は、ひろく広まっていたから、ジャネットはこう考えていた。
「きっとわたしと同じように『声』を聞ける子がロレーヌのどこかにいるのだわ。わたしは、その子といっしょに、国王さまをお助けするために旅に出るようになるのでしょう。
ロレーヌの乙女は、いったいどんな女の子なのかしら。仲良くなれるといいけれど」
そんなふうにジャネットの月日はたち、そして『声』は絶えることなく、彼女の耳に届きつづけた。
彼女は、どの村人にも特段に代わった素振りを見せない、ふつうの愛らしい村娘でありつづけた。
ただし、『声』の内容が変わっていった。
当初は、
『フランスの国王を救いにお行き』
という漠然とした内容が、次第に具体的になって、
『ヴォークルールのボードリクール隊長に会いに行きなさい』
となっていった。
その声が聞こえたとき、いよいよわたしの旅立つ頃がきたのだと、ジャネットは確信した。
ほかの娘たちが縁談の話で盛り上がるときも、ジャネットだけは輪から外れて、どうやってヴォークルールに行くべきか、なにを言うべきかを考え、悩んでいた。
『声』は、この場合でも、ボードリクールになにを言えばよいのか、具体的な指示はしない。ジャネットは自らの頭で考えなくてはならなかったのだ。
だが、彼女は怖じない。
『いかに、なんと弁明しようか、なにを言おうかと心配するな、言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださる』からである。
まず、彼女はボードリクールのところへと行ったが、最初はうまくいかなかった。
『声』は失敗しようが成功しようが、そのときには、どうすればよかったのかなどの助言は与えてくれない。
これもまた、ジャネットは自分で考えなければならないのだ。
ジャネットは自分で先を見つける必要があった。
先へ進むべきか、それとも留まるべきか。
やがて二度目の訪問については、『声』は、つぎはまちがいない、とはっきりと明言した。
だから彼女は勇んでヴォークルールに行ったのであるが、しかし結果は前回と同じように芳しくなかった。
わたしはなにかを失敗してしまったのかしら?
失意のうちに、ジャネットはヴォークルールを出て、独自でシノンへ行くことを考えた。そうしてサン・ニコラ・デュ・ポール村へ向かう道を途中まで行ったとき、『声』はヴォークルールに留まっていなさい、と言った。
まさに、カトリーヌらを助けたあとのことである。
そこでジャネットはカトリーヌたちの家の女中働きをしながら、ひたすら時を待った。
『声』はそのあいだも絶えることなく聞こえてきたが、内容といったら、
『教会に行って、みずから良いと思う行いをなさい』
というもので、どこのだれに働きかけるべきかという答えはなにもないものであった。
そのためジャネットは、トロワ家に滞在しているあいだにも、よきキリスト者としての務めは欠かさなかった。
焦れる気持ちはあったけれど、『声』は彼女をこれまで裏切ったことはなかった。
だからこそ、彼女も耐えていた。
統合失調症という病がある。
現在では100人に1人が患う可能性のある、さしてめずらしくない病であることが解明されているが、当時、この病に対する理解は皆無といっていいほどであった。
この病の特徴としては幻視、幻聴といったものが挙げられるのだが、さて、ジャネットの見たものは、こうした心の病によるものであったのだろうか。
今日、ジャンヌ・ダルクと呼ばれている少女のたどった人生は、たいがいの者に知られている。
彼女はこの『声』を信じて生き、そして残酷な死を迎えた。
彼女は、みずからの幻によって苦しめられ、追い詰められて死んだ、頑なな病人だったのだろうか。
彼女の残した輝きは、後世の人々がかくあれと願って飾りつけた、にせものなのだろうか。
ただ、彼女の事蹟をたどっていくと、そこに不安定な病の兆候を感じ取ることは、まずない。
むしろ、おのれの意志を頑なまでに貫いた、おどろくほど胆力のある少女の、意外なほど素朴な素顔が見出せる。
これから先の物語でも、『声』の正体は明らかになることはない。
わからないからである。
ただわかっていることは、無学な一介の農民の娘が、自身にだけ聞こえた『声』をひたすら信頼し、そして『声』によって歴史の表舞台に颯爽とあらわれ、そして『声』に殉じて死んだ、ということだけである。
彼女は、この『声』のことを、時が来るまで、教会にすら相談しなかった。
文字すら書けなかった少女であるが、彼女は、だれに強制されたわけでもなく、そしてだれの意見に惑わされることもなく、自らの頭で考え、勇気をもって行動し、そして成功を掴み取った。
この『強い』少女の事蹟を追いながら、物語は展開していくことになるだろう。