ジャンヌ・ラ・ピュセルのための覚え書
暁光の章
四話 ロレーヌの乙女・三
ドンレミ村の村人たちは、ブルゴーニュ派の兵士たちの襲撃にそなえて、迅速にうごきだした。
まずは、家畜をあつめて、村の小川の中瀬にある『島』に移動させる。
そして、人々は家財道具のいっさいを荷車につめて、ブレルモン侯がつくっていた、村人たちが襲撃から逃れるための砦である、ヌーフシャトーへと急ぐのである。
ヌーフシャトーには、ブレルモン侯が貯蓄しておいた水や食糧などが十分にあり、ひとびとは、砦の櫓から、自分たちの村がどんな状態になっているかを、遠目ではあるが、みることができた。
村人たちの表情は、一様に暗く、重い。
ブルゴーニュ派の兵士たちによる攻撃は、これがはじめてではない。
何度目かの襲撃では、逃げおくれた一家が、兵士たちにとらわれて、無惨な死を遂げた。
それはただ、『殺された』のひと言では、表現できるようなものではなかった。
村に帰還したひとびとは、燃えた自身の家や、掠奪され、あるいは殺され、食糧にするためにほふられた家畜のなかにまぎれて、ありとあらゆる残虐な行為がくわえられた、かつて隣人であった『それ』を見て、悲しみでも憎しみでもなく、悪魔と言うものの存在を、はじめて目の当たりにしたように思った。
人を、人としてあつかわない、尊厳を完全に無視した行為。
それほどに、短時間のあいだにくわえられたであろう、想像を絶するほどのありとあらゆる暴力の痕跡は、たったひとりの人間の身の上に、すべて刻まれていた。
それほどに、襲ってくる傭兵の行為というものは、すさまじいものがあったのだ。
みな、あの凄惨な光景を忘れていない。
そのために、襲撃をしらせる鐘が鳴ったあとは、みんなして、迅速にヌーフシャトーに向かった。
おそらくは、ブルゴーニュ派の兵士たちが村にたどりついたとしても、そこにあるのは貴重品のなにもない、からっぽの村だけである。
それでも、かれらが暴力の痕跡を残していくことだけは、はっきりとしていた。
ドンレミの村長は、ブレルモン侯に感謝するとともに、司祭や、村でも二番手の実力者であるジャック・ダルクといっしょに、あつまった村の一戸一戸をみてまわり、欠けている者がいないかをたしかめた。
病人がいるものは、近隣がたすけあって、担いで村を出た。
産褥が近いものもそうであるし、常日頃はつまはじきにされているようなものでさえ、村人は救いの手をさしのべて、ヌーフシャトーの中に入った。
ヌーフシャトーは、ブルゴーニュ派の攻撃にもよくしのげる頑丈な城で、いざとなれば迎撃出来るように武器もそろえてあったし、ブレルモン侯に忠実な騎士たちも、わずかながら、いた。
村長とジャック・ダルクは、若者たちをあつめて、騎士たちを助けるための自衛軍を組織していたのであるが、ふと見れば、愛娘のジャネットの様子がどこかおかしい。
一旦は避難をし、ほっとひといきをついている人々のあいだを、きょろきょろと見回しているのである。
ジャックはたずねた。
「ジャネットや、どうしたのだね。オーヴィエットなら、向こうの塔のほうにいたし、マンジェットのほうも、寝たきりのばあさんに難儀をしたようだが、全員、ちゃんとヌーフシャトーにたどりついたようだよ。どうしてそんなふうに、蒼い顔をしているのだね」
ジャックは、かわいくてかわいくて仕方のない愛娘のまえに立つと、その、しおれた花のように曇った顔を、両手で挟み込む。
すると、ジャネットは、顔をゆがめて答えた。
「父さん、おかしいの。カトリーヌはどこ? ジャン兄さんもいないの。途中まで、たしかに一緒だったのよ。ヌーフシャトーが近づいてきて、そろそろね、って話をしたのはおぼえているのに」
ジャネットのことばに、父としてジャックは、ぎくりと心を固くした。
「厠じゃないのかい」
不安な気持ちを吹き飛ばすために、わざと軽くジャックが言うと、ジャネットは首を振った。
「ちがうわ。カトリーヌったら、ずっと泣いていたの。可愛がっていた子羊をつれていけないからって。ジャックマン兄さんが、カトリーヌの世話をジャン兄さんに頼んでいたでしょう。もしかしたら、カトリーヌったら、島に羊を取りにもどったんじゃないかしら。それで、ジャン兄さんが、追いかけにいったんじゃないかしら」
ジャネットのことばに、ジャックマンは血の気が引くのをおぼえた。
カトリーヌは、十三になる娘であるが、末の子ということもあり、ジャネットよりもなお、甘やかして育てたフシがある。
もちろん、ジャックはカトリーヌのこともかわいがっていたが、兵士についていってしまうジャネットの夢を頻繁にみるせいもあり、最近は、ジャネット優先で、どちらかといえば手のかからないカトリーヌの世話を、いちばんカトリーヌがなついている、ジャンにまかせていたところがあった。
「イザベル、おまえ、カトリーヌは本当にどこにもいないのか」
と、ジャックは、妻のイザベルにたずねると、村でいちばん敬虔な女性と評判のイザベルは、近所の、病で寝込んでいた老婆の世話を手伝っていたが、蒼い顔をあげて、首を振った。
「いいえ、ここに入ってから見てないわ。わたし、てっきりジャネットと一緒にいる者と思っていたのよ」
そうして、立ち上がって、スカートの裾をつまみ、避難民でごったがえす、ヌーフシャトーを見まわす。
「みんなで、ほかも探してみましょう。ジャックマンにもそう言って。ジャネット、おまえもしっかりおし。カトリーヌなら、どこか友達と一緒にいるかもしれない」
「あたしがしっかり見ていなかったのが、いけなかったんだわ」
ジャネットが泣き出しそうになったので、隣にいたピエールが言った。
「ジャネットは、俺と一緒に荷車を引いていたんだ。カトリーヌのことは、ジャンが世話をみていたんだよ。二人がいないとなると、どこかではぐれたのかもしれない」
そのことばに、ジャックが反駁した。
「はぐれたって? たった一本道だろう」
となれば、考えられることはひとつ。
ジャネットのいうとおり、カトリーヌは、子羊のために村へ戻り、それを追って、ジャンも、村へもどって行ったのだ。
「ジャック兄さん、ジャンとカトリーヌがいないって?」
と、息を切らしてやってきたのは、ジャネット家出事件以来、ダルク家に出入り禁止となっている、デュラン・ラクサールであった。
ジャックとしては、ジャネットが家出をしたときの衝撃を、いまも忘れていないので、どこか呑気にすらみえる、あらわれた末弟の姿に、一瞬、怒りにとらわれた表情になったが、すぐに、いまが非常事態であることを思い出し、自制した。
「そうだ。おまえ、二人を見ていなかったか」
「はっきり二人かどうかわからないけれど、だれかが、村に戻ろうとしているのは見えたよ。小さな女の子と、ジャンくらいの男だった。
連れ戻そうとしたんだけれど、女房の具合もわるかったから…ほら、いつ産まれてもおかしくない状況だろう」
デュランの妻は、臨月をむかえており、ことばどおり、ほんとうに、いつ赤ん坊がお腹から出てきてもおかしくない状況であった。
「おまえは、まったく、俺の家に、ろくな話をもってこない!」
末弟のデュランに八つ当たりをするジャックであるが、それを聞いて、ますますジャネットの顔が青くなった。
「やっぱり、ふたりとも、村に戻ったんだわ!」
ふと見れば、襲撃が近くなってきたのを見て、ヌーフシャトーの跳ね橋が、ゆっくりと上げられているのが見えた。
ブレルモン侯の話によれば、今回の攻撃は、ブルゴーニュ公が、あたらしくこの地の代官となったアントワーヌ・ド・ヴェルジーに、大がかりな攻撃を命令したという。
それはつまり、ジャックマンが予想したとおり、王太子側との絆を深めようとしているロレーヌ公国への、ブルゴーニュ公フィリップの牽制なのである。
つまり、王太子側、つまりはアルマニャック派に与するのであれば、どうなるか、見せしめの意味もこめての攻撃なのだ。
この攻撃が、熾烈をきわめるものになるであろうことは、農夫のせがれですら、容易に予想することができた。
ぎりぎりと音を立てて、徐々に上げられていく跳ね橋を、絶望的な気持ちでみつめていたジャックであるが、ふと、目のまえの娘が、跳ね橋に向かって走り出した。
「ジャネット、どこへ行く! まちなさい!」
「カトリーヌとジャン兄さんを救うのよ! 父さんたちはここで待っていて!」
待っていてといわれて、はいそうですかと納得できるはずもない。
あわてて追いかけようとする老父をおさえ、ピエールは、デュランと目配せをすると、ジャックマンに、
「兄さん、あとは頼むよ、かならずみんなを連れ戻してくるから!」
と、叫ぶと、ジャネットが飛び出していったように、自分もまたヌーシャトーの外へ飛び出していった。
村には、まだ煙があがっていなかった。
傭兵たちは、ともかく破壊という破壊をしつくす。
家畜を奪い、人が残っていれば、たとえそれが何者であろうと、ただいたぶるためだけに捕らえて、思いつく限りの残酷さで殺し、家は破壊をしつくし、さいごには火をかけた。
捕らえられたのが女であったら、これは悲惨の極みである。
それは年齢に関係ない。
数年前に村が襲われたさいは、警鐘を聞き漏らした一家が、まるごと傭兵によって惨殺されたのであるが、そのときは、子ども年よりといった年齢よりも、ともかく『女』であればよかったらしく、思わずみなが吐き気をもよおすほどの悲惨な恥辱を身にうけ、彼女たちはみな、息絶えていた。
こんな光景を見なければならないというのであれば、いっそ生まれないほうがよかったと、神に呪詛を吐くものすらいたほどに。
「ジャネット! ジャネット!」
かもしかのような俊足を見せて走る妹を、同年の叔父であるデュランと懸命に追いかけながら、ピエールは走った。
村には、まだ火の手は上がっていないようである。
しかし、不穏な空気、なにごとか、よからぬ空気、つまり殺気は、見慣れたはずの村のほうから、はっきりと感じ取れた。
そんななかに、ジャネットのような娘が飛び込んでいったら、どんな目に遭わされるかは、火を見るよりもあきらかだ。
ピエールは、ともかくジャネットを押さえつけ、デュランと一緒にヌーフシャトーに帰し、それからひとりで、村にいるであろう、カトリーヌとジャンを探すつもりであった。
カトリーヌもジャンも、大切な妹、そして弟である。
しかしピエールにとっては、ジャネットは、さらに特別な妹であった。
格別に気立てがよくうつくしい、自慢の妹である。
ピエールにとっては、ジャネットは、自分の妹であると同時に、ピエールの分身でもあった。
足がもどかしいほどに動かない。
いや、ジャネットがおそろしく早いのである。
まるでヘルメスの靴でも履いているようである。
デュランもピエールも、ダルク家の人間は頑強で俊足なのが自慢であったが、このときのジャネットの足の速さは、度を越していた。
「待つんだ、ジャネット! 待てったら!」
ピエールは叫ぶのであるが、ジャネットは振り向きもせずに、ひたすら、おそらくはカトリーヌが向かったであろう、自邸の納屋に走っていく。
納屋には、『島』に運べずにあきらめた子羊たちがいるのである。
カトリーヌは、これらを守るために、納屋にこもっている可能性があった。
そしてジャンは、そんなカトリーヌを取り戻すべく、戻ったのだ。
このままでは、兄弟がみんな死んでしまうのではないか。
そんなぞっとする空想が、ピエールの脳裏に浮かんだ。
いくら懸命に追いかけても、ジャネットにはまったく追いつかない。
まるで遣り水を追いかけているようではないか。
これまで、かけっこをして、ジャネットに負けたことなど、一度もなかったのに。
やがて、道をゆくにつれ、不吉な黒煙が村を中心に立ちのぼりはじめた。
傭兵たちの掠奪と破壊が、本格的にはじまったのである。
ダルク家が間近に見えてきたとき、ピエールは、納屋の扉が開け放たれていることに、ぞっとした。
もしや、すでに傭兵たちが入り込んでいるのではないか?
ジャネットはというと、まるでためらいもなく、武器ひとつないというのに、納屋のなかに飛び込んでいった。
すでに息も切れ始めていたが、けんめいに自分をはげまして、あわてて足を早め、やがて、ピエールとデュランが納屋に入ると、中には、人間たちが大勢あつまっている異様さにうろたえ、ひっきりなしに鳴きつづける子羊と、頑固な顔をして、藁の中でうずくまり、ひざをかかえて動こうとしないカトリーヌがいた。
ほっとしたことに、怪我はない様子である。
カトリーヌの前には、それを説得しようとしている、どこか呑気にすら見えるジャンと、怒りに燃えているジャネットの姿があった。
「カトリーヌ、子羊たちのことはあきらめなさいったら! このままじゃ、みんな死んでしまうのよ! あんたがここに残ることで、兄さんたちや、叔父さんまで巻き込んでしまうのよ!」
姉のことばにも、カトリーヌは、父のジャックゆずりの頑固さをみせて、首を振った。
「いや! だって、あたしがここに残らなかったら、だれがこの子たちを守るの? この子たちが死んじゃうのなら、あたしだってここに残る!」
「あんたも死ぬのよ、カトリーヌ! ひどい目に遭わされるわよ!」
「いやったら、いや!」
「さっきから、こんな調子なんだよ」
と、弁解するように、おろおろとジャンが言う。
ピエールは非難の意味をこめて、弟をにらみつけた。
「だったら、抱えて来ればよかっただろう!」
「そうしたよ! そうしたさ! そうしたら、殴る、蹴る、抓る、引っかく、悪魔のような暴れっぷりだったんだぜ! ほかにどうしろっていうんだよ!」
そうしてジャンが抗議すると、戸口で外を見張っていたデュランが、引っくり返った声で叫んだ。
「くそっ! やつらがこっちにくる!」
その場の全員が息を呑んだが、もっとも年長であるピエールは、すぐさま戸口に移動すると、こちらに、小癪なほどゆったりと歩をすすめてくる甲冑の兵士たちをみとめた。
その手にしている武器は、不気味に赤黒く汚れているが、それが、見知っただれかを斬った跡でなければいいと、ピエールは思った。
「どうする?」
デュランの問いに、ピエールは納屋を振りかえる。
納屋には、子羊と、藁と、それからちょうど草刈鎌や、ホーレーキ(鍬のような手農具)がある。
ピエールはためらわず、それらを手にすると、デュランとジャンにそれぞれ分けて、ジャネットとカトリーヌを、藁の中に隠した。
ホーレーキを渡されたジャンは、すっかりうろたえて、たずねてくる。
「どうするのさ、兄貴!」
「こうなったら、戦うしかないだろう! いいか、なにがあってもカトリーヌとジャネットは助けるんだ! おまえたち、俺たちがどうなったって、悲鳴をあげるんじゃないぞ、いいね!」
ジャネットはピエールの言葉にこくりとうなずくと、おびえるカトリーヌをかかえて、布団でもかぶるようにして、藁の中にかくれた。
さらに衣の色でそれとわからぬよう、デュランが、ふたりのうえから、さらに藁をかけてやる。
「戦うったって、戦い方なんて知らないよ!」
なおも抗議をし、涙さえ浮かべるジャンに、ピエールは言った。
「ラ・イールのような傭兵になりたいって言っていたじゃないか! いい機会だ、ジャネットたちを守りきってみせろよ!」
それは、ピエール自身が、自分に言いきかせる言葉でもあった。
遠くから、カンカンと、鐘がはげしく打ち鳴らされる音が聞こえてきたが、それがなんなのか、ピエールには、わからなかった。
三人の、武器をかまえた、勇敢な若き農夫たちのにおいをかぎつけたわけでもあるまいが、やがて傭兵たちは、生臭い、吐き気のするような匂いを背負ってやってきた。
かれらの発しているにおい。
それは戦いの匂い、金属の匂い、血のにおい、人の精のにおい、さまざまなにおいがまざった、ひどく原始的な匂いであった。
ピエールは、一瞬だけ、子羊たちのうしろで隠れるジャネットたちを見た。
なにがあっても助けなければ。
そう思えば、すこしでも勇気が出るかと思ったのだ。
妹たちの手前、弟のジャンを叱ってはいても、じぶんも、やはり恐ろしかった。
甲冑越しに見えるかれらの顔は、みな同じに見える。
死の匂いをさせて近づいてくる、醜悪な獣。
おなじ人間だとは思いたくない。
しかし小癪なことに、かれらはみんな人間で、知っている言葉を語り、おなじように人間から生まれ、そして家族のある者すらいるにちがいない。
「なんだ、女はいねぇのか。羊と、それから若いのが三人」
つまらなさそうにいう、傭兵は二人組。
数では勝っている。
戸口から見えた彼らの数はもっと多かったが、おそらく大部分が、ダルク家の屋敷のほうに向かったのであろう。
傭兵は、ホーレーキをかまえるピエールに、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
そうして、肩に持っていた重そうな斧を、無造作にピエールに打ちつけてきた。
なんの合図もない、気軽なあいさつのような攻撃のはじまりであった。
その動きにあわせるように、もうひとりの傭兵が、手にぶら提げていた剣でもって、ジャンに打ちかかってくる。
ジャンはというと、これは腰が引けてしまっているのが、かえってさいわいし、腹をかっさばくはずであった刃を、ホーレーキの柄でかばうこととなった。
デュランはすっかり横でおびえていて、草刈鎌を片手に、どうすることもできないでいる。
まともといえばまともなのはピエールであったが、しかし単に、ホーレーキの先端と、斧の先端が組み合っているだけの状態である。
もともと、人の体を割るための道具としての斧と、土をえぐるための道具である。
強度がちがう。
ピエールは必死になって両手に力をこめたが、しかし、兵士のほうの力が上で、そのうえ、ホーレーキの柄が、力比べに耐えられず、みしみしと嫌な音をたてはじめていた。
それでも、いちかばちかと、ピエールが渾身の力を籠めて、ぐっとホーレーキを押し出すと、兵士は一瞬、ひるんだように一歩、後退する。
やった、と思った瞬間に、無情にも、ぱきり、とホーレーキの刃の部分、ちょうど斧と組み合っていた部分が、折れてしまった。
藁の上にそれが音もなく落ちる。
こうなると、歯かけのホーレーキなど、ただの棒である。
うろたえるピエールに、兵士は残忍な笑みを、にやりと浮かべてきた。
おまえは、もうおしまいだ。
その顔は、そんなふうに告げていた。
それでもなお、戦意を失うことなく、ピエールが、先端の折れたホーレーキをかまえ、兵士との間合いをとる。
兵士との戦いなど、これが始めてであったが、利かん気のつよい牛を鎮めるために戦ったことはあった。
その要領で、兵士との距離をじりじりととりながら移動する。
ちょうど、兵士が、子羊たち、つまりはジャネットたちが隠れる藁を背にしたときである。
思いもかけないことが起こった。
藁の中にかくれていたジャネットが、ぱっと飛び出すと、ピエールばかりに気をとられていた兵士の腰にさがっていた剣を、背後から抜き去って、そのまま、斧を持つ手を打ち据えたのである。
唐突な攻撃に、兵士はピエールを狙う斧を下げたが、しかし、落すまではいかなかった。
そうして、ジャネットは、まるでかばうように、ピエールのまえに立ち、両手で剣をかまえた。
「女だ!」
喜色のこもった声を兵士があげると、たくみに攻撃をかわし、あるいはデュランの鎌を跳ね除けていたもうひとりの兵士も、好色そうな顔を、ジャネットに向ける。
しかし、ジャネットは、敢然とそれらを受け止め、熟練の兵士のように、きびしいまなざしをむけて、剣をかざした。
鎧こそ身に纏わず、赤いスカートのふつうの農婦であったけれど、その凛々しい表情だけは、まるで女騎士のように美しいものであった。
ジャネットは、おびえることなく、彼らを見据えると、おどろいたことに言った。
「下がりなさい! そしてこの村から立ち去りなさい! さもなくば、あなたがたは死ぬでしょう!」
「脅し文句にしたって、もうちょっと気の利いた文句があるってもんだぜ」
と、冷たく笑いながら、兵士たちは卑下た笑いを交しあった。
「かわいい娘じゃねぇか。お頭のところにもってったら、褒美がもらえるな」
「最初は俺だ」
「ようし、じゃあ、最初にこの娘から剣を奪えたほうが、最初だ。ほかのやつらは、てきとうに斬っとけ!」
いいざま、ジャネットの登場に、むしろかれらは気を奮い立たせたらしく、斧と剣を手に襲い掛かってくる。
この事態に、ピエールやジャン、そしてデュランもジャネットを守るべく、もはや武器の有無も気にせず、彼らに横から飛び掛って言ったが、簡単に跳ね除けられてしまった。
ガン、ゴン、と音がした。
それは、ピエールが予想した、生身の肉が断たれた音ではなかった。
傭兵たちは、たとえジャネットの体が、一部欠けてしまったとしても、女として使える部分が残っていたなら、死にかけていようがなんだろうが、平然と奪っていっただろう。
しかし、おどろいたことには、ジャネットは手にした剣で、斧を跳ね除け、つづいて、剣をも打ち払っていた。
それも、ふつうの騎士のような速さでもって。
斧によって与えられる攻撃は、殴打が中心である。
これをまともに受け止めては、剣は使い物にならなくなる。
そのため、ジャネットはまず、斧を避け、兵士のうち、油断して隙だらけであった男の、胸甲と腹のちょうど中間部分を打ったのだ。
そうして、最初の男を交わしてから、つづいて、剣で打ちかかってきた男の剣を受け止め、これを跳ね返した。
おなじ傭兵のものである。
剣の強度は、ほぼ同等。
いや、どうやら兵士のほうが、先になにかを切ってきたらしく、刃がにぶい。
ジャネットのもつ剣は、血で汚れておらず、おどろいたことに、ジャネットはスカートを気にしながらも、最初の衝撃から醒めて、剣戟を繰り出してくる男の攻撃を、ほんものの騎士のように、つぎつぎと打ち返した。
せまい納屋のなかで、ジャネットと兵士の剣戟の音がひびく。
その動きは、あまりに早く、ピエールは、男に飛びかかろうとするのであるが、なかなかその動きを見切ることができない。
と、ぐらりと、ジャネットの体がゆらめいた。
見れば、最初に打ち倒された斧の男が、ジャネットの足首を掴んで、倒れさせようとしたのである。
ぐらりと揺らめいたジャネットに、兵士は脳天を裂くべく、頭上より剣を打ち下ろすのであるが、ジャネットは気丈にもそれを、剣を真横にすることで受け止めた。
見ているピエールには、ジャネットの両腕に走った衝撃が、感じられるようにさえ思えた。
だが、もうつづかない。
尻餅をつき、片足を男につかまれた状態のジャネットの状態では、つぎの攻撃には備えることができなかった。
それはジャネットもわかったのだろう。
彼女は、それでもなお、目を伏せることなく、天に高く呼びかけるようにして、気丈に叫んだ。
「神さま! どうかわたしにお徴をお示しください!」
それは、敬虔な者が、命が失われるであろうその瞬間に叫んでもおかしくない、ごくふつうのことばであった。
いったい、どれだけのフランス人が、おなじことばを叫んで、そして死をむかえただろうか。
最愛の妹の死を予感したピエールであったが、そのとき、彼女の言葉にこたえるかのように、納屋の扉が大きく開け放たれた。
ピエールは、天使の飛来を幻想したほどに、その登場は突然であった。
戸口にあらわれたのは、くろがねの騎士であった。
騎士は、いままさにジャネットを殺そうとするその男を、背後より、たった一撃で、容赦なく斬り捨てた。
そうして、ジャネットの足首を掴んでいる男の首に、その剣先を突き立てる。
登場はとうとつで、そして救出もとうとつであった。
ジャネットは剣を持ったまま、ぼう然と、くろがねの騎士をみあげた。
くろがねの騎士は、ぽかんとしているジャネットに、その片手を差し伸べてくる。
と、そのとき、どすりと、鈍い音がくろがねの騎士の背後でした。
見れば、くろがねの騎士の背中に、深々と、矢が付きたてられていたのである。
ダルク家の屋敷を襲っていた連中が、仲間の死に気づいて、矢を射掛けてきたのであった。
二矢、三矢、と、矢がつぎつぎと打ちかけられてくる。
ピエールとジャンらは物陰にかくれてやり過ごしたが、くろがねの騎士は、ちょうど的にされてしまった形で、つぎつぎとその背中に矢を受ける。
それでも、目のまえにいるジャネットに矢が当たらないように、自身は微動だにせず、ぐっと激痛を堪えているのは、はっきりと見てとれた。
歯っかけのホーレーキを片手に、矢を射掛ける連中に飛び込んでやろうかとピエールが思ったとき、地面を力強く駆けてくる音がした。
黒馬で編成された、騎兵団であった。
かれらは傭兵たちを馬上より追い立てると、片手の盾で、それを避けつつ、手にした槍で、つぎつぎと弓兵たちを地面に打ち倒していく。
そうして、ダルク家とその周辺には、騎兵と、くろがねの騎士、そしてピエールたち、そして、物言わぬ、冷たくなったブルゴーニュ派の傭兵たちだけとなった。
死の静寂のあと、ジャネットだけが、矢の刺さった背中を横にして倒れる、くろがねの騎士の兜をはずした。
はずした兜からあらわれたのは、おどろいたことに、天使でもなんでもなく、白髪まじりのひげをもつ、老兵オリヴィエの顔であった。
「オリヴィエさん!」
ジャネットは涙を流すことも忘れ、オリヴィエの背中に刺さった矢と、オリヴィエの顔を交互に見た。
どうしたらよいのか、もうわからなかったのである。
だれの目から見ても、オリヴィエが助からないのは、あきらかであった。
「オリヴィエさん、しっかりして!」
言いながら、ジャネットは、その身に差し伸べられた手の甲をすばやくはずすと、生身の手を、両手でつつんだ。
オリヴィエの白髪まじりの口ひげが、ゆっくりとジャネットに向かってひらかれる。
ことばを語ろうとするオリヴィエに、ジャネットは首を左右に振って、声を出してはいけない、力をこめてはいけないと示唆するのであるが、オリヴィエは、言わずにはいられなかったのだろう。
ジャネットをまっすぐ、やさしくみつめて、言う。
「あんたが、村にもどるときに、言ったこと、おぼえているか」
オリヴィエは、かすれた声で、ジャネットに話しかける。
ジャネットは、大きく、何度もうなずいたが、ピエールはそのとき、なぜかデュランが、顔色をわるくしたのに気がついた。
「あんたは、生きなくちゃいけない……予言は、成されなければならんのだ……」
そうして、オリヴィエは、頬に落ちるジャネットの涙を、その手で弱弱しくぬぐった。
「俺が、守った」
オリヴィエは、そして笑ったようである。
ピエールには、そういうふうにしか見えなかった。
それはただの自己満足によるものではなく、ひどく幸福そうで、悲愴さの欠片も無い、やすらかなものであった。
そうしてオリヴィエは、さいごにつぶやいた。
「ロレーヌの乙女」
オリヴィエはそういうと、そのまま事切れた。
ジャネットは、はげしく泣きながら、オリヴィエの目を閉じさせてやり、その額と、目と、頬に、はげしく口付けをくりかえした。
それは、まるで恋人を亡くした娘のように見えた。
ピエールは、泣きつづけるジャネットを励ますように肩を撫でてやったあと、納屋の外にでて、自分たちを助けにあらわれた、騎兵団のその旗を見た。
それは、ブレルモン侯の騎士団のものではなく、ドンレミ村からほどちかい、ヴォークルールの町をまもる騎士団のものであった。
そして、ピエールは、騎士団のなかでも、もっとも立派な鎧を身につけた若い男が、信じられぬものをみるような顔をして、納屋の様子を凝視しているのに気づいた。
あとになってピエールは知るのであるが、その若い騎士の名は、ロベール・ド・ボードリクールという名をもっていた。