ジャンヌ・ラ・ピュセルのための覚え書

暁光の章

四話 ロレーヌの乙女・二

翌朝、ピエールが目を覚ますと、それよりも早くオリヴィエたちは起きだしていて、井戸のまわりで顔を洗っていた。
かれらはピエールが姿をあらわすと、じつに爽やかに言った。
「おはよう、いい朝だ」
たしかに、その日はとてもよい朝だった。
西がわから、宝石のようにうつくしい太陽が薔薇色に雲を染め上げて昇ってくる。
風はおだやかで、柏の木立と草原とを、しずかに揺らしていた。

オリヴィエは、冷気をわずかに含んだ風を、白髪混じりの髭をうごめかせつつ、気持ち良さそうに胸いっぱいに吸い込むと、ひとりごとのように言った。
「いい村だ。こんなにおだやかな気分になれたのは、ほんとうに久しぶりだ。できることなら、ずっとここに住みたいくらいだな」
「ひとつ聞いていいだろうか。あんた、ほかの兵士とちょっとちがうね」
ピエールが言うと、オリヴィエは、まださほど年でもなかろうに、深い皺を刻んだ顔に笑みを浮かべた顔を向けてきた。
「わかるかね。俺はむかし、坊主だったのさ。親父は貴族で、私生児だった俺は、ガキの頃から修道院に預けられて生きてきた。修道院ってのは、あんたはしらねぇだろうが、つまらねぇところでな。とうとう我慢ができなくなって、飛び出して、でも行くところもねぇんで傭兵になって、で、アルマニャック派に雇われたってわけだ」
「あんたたちは、王太子の兵隊じゃないのか?」
「似たようなものだろ。あんまり聞かないほうがいい」
それは警告であった。察しのいいところをみせて、ピエールは話題をかえた。
「母さんが飯を用意しているから、食べてから出て行くといいよ。あと、パンも少しだけだが分けてあげられるってさ」
「そいつは助かる。ジャネットはもう起きたかい」
「ああ、母さんの手伝いをしているよ。なにか気になることでも」

それはオリヴィエを牽制するための質問であったが、同時に好奇心からはじまる質問でもあった。
ジャネットは、兵士たちから見て、連れて行きたくなるような娘なのか、どうか。
昨夜の様子では、オリヴィエたちとジャネットは、旧来の親友のようであった。
ジャネットは、どちらかというと内気な娘であったから、見ず知らずの、それも傷ついた兵士に、これほど親しげにできることが、ピエールには不思議だったのだ。

「気になるというか、変わった子だな、あの子は」
「どういうふうに変わっていると思うんだい」
「田舎娘にしちゃあ、どこぞの姫君と名乗っても、おかしくないような雰囲気、なんというか威厳だな、そういった、生まれつきのものがあるように感じるし、なんていうのかね、妙に忘れがたいというか、こっちのことを全部知って欲しくなってくる。
けれど、ふしぎとあの子のことを、兄貴のあんたに言っていいのかわからねぇが、女として知りたいとは思えない。
あの子に魅力がないってわけじゃない。むしろ逆なんだが、なんというか、あの子を前にすると、邪な気持ちが、どこかに吹っ飛んじまう」
「それじゃあ、あの子を娼婦の代わりに連れて行こうとか、そういうことは思ったりしない?」
ピエールの言葉に、オリヴィエは声を立てて笑った。
「ない。なんというか、そんなことを考えるやつがいたら、そう、罰当たりってなもんだ」
「罰当たりかい」

オリヴィエのことばに、ピエールは戸惑いつつも、納得した。
ジャネットはうつくしいうえに気立てのよい娘であったのに、村の若者は、ふしぎとジャネットを、求愛の対象からはずして見る傾向があった。
かれらもまた、オリヴィエと同じように、ジャネットを求愛してはならない相手と、なぜだか見做しているのかもしれない。
それは、おぼろげな感覚によるものかもしれないので、聞いてもわからないかもしれないが。

オリヴィエたちは、朝食を一家とともに食べると、ダルク家の男たちのこなす、力仕事をすこしだけ手伝って、それからオーヴィエットの家に泊まっていた仲間と合流して、ことばどおり、おとなしく村から出て行った。

ジャネットは、かれらの姿がみえなくなるまで、ずっと手を振って見送った。
オリヴィエたちもまた、ジャネットとの別れを惜しんでか、何度も何度も振りかえっては、手を振って、ジャネットに応じた。

どんどん小さくなる彼らの姿を見つめつつ、長兄のジャックマンが、ぼそりとつぶやいた。
「ヴォークルール経由でロレーヌ公国か。あいつら、長生きできるかな」
父のジャックに、もっとも似ている、朴訥で口数のすくないジャックマンであるが、しかしたまにこぼすことばには、みながびっくりするほど、鋭い観察がふくまれている。
そのときもそうで、意味の深いことばに、ピエールはたずねた。
「どういう意味だい」
「ロレーヌ公国といったら、ブルゴーニュ派でもアルマニャック派でもない、中立を謳っている独立国だ。
ロレーヌ公は、イギリス嫌いだという噂だが、これまで積極的にアルマニャック派と通じていなかった。
なのに、あいつらときたら、堂々と、俺たちは王太子の傭兵だ、ヴォークルール経由でロレーヌ公国に行くんだ、なんて口を滑らせちまうんだからな」
「つまり、あいつら、隠密だってこと?」
「たぶんな。マリーから聞いたんだが、ロレーヌ公は、自分の娘の婿に、ルネ・ダンジューさまを迎えるおつもりらしい」

マリーとは、この地をおさめる領主ブレルモン侯の城に奉公に出ている、ジャックマンの許婚である。

「ルネ・ダンジュー? たしか、ヨランド・ダラゴンさまのご子息だったよね」
「つまりは、王太子の義理の兄と、姻戚になるつもりということだ」
予想されることに、ピエールはぶるりと身をふるわせた。
「それじゃあ、ロレーヌ公国は、アルマニャック派につくと宣言するようなものじゃないか。ここも戦場になるかもしれないってことかい」
濃い黒ひげが特長のジャックマンは、重々しくうなずいた。

ジャックマンは、ピエールとは十歳以上年がはなれている。
父ジャックとイザベル・ロメには、ジャックマンとピエールのあいだに、何人かの女の子、つまりはピエールにとっての姉が産まれていたが、みな、早くに死んでいた。
そのため、子煩悩なジャックは、やっと元気に生まれた女の子に、聖ヨハネ(ジャン)、つまりは『ジャンヌ』と名を授け、天に感謝するとともに、とくべつに可愛がっているのである。

ピエールのことばに、ジャックマンは重々しくうなずいた。
「そういうことだな。領主さまは、ロレーヌ公にしたがうおつもりらしいし、そうなれば、ブルゴーニュ派の連中は、ここを襲ってくる可能性もある。
なにがあってもすぐに動けるように、荷物をまとめておいたほうがいいかもしれないな。ピエール、おまえから、ジャンやジャネットに言っておけ。父さんと母さんには、俺から言う」
「わかったよ」

オリヴィエたちを見送るジャネットと、そしてオリヴィエたちが向かっていったロレーヌ公国の方角を見つめつつ、ピエールは、ますます胸騒ぎを強くするのであった。



その後、ジャネットは、すこしばかり家族と、ドンレミの村人を、おどろかせることをしてのけた。
すなわち、村から五里ほど離れたところに位置する、おなじように王太子派であるヴォークルールの街へ、叔父のデュラン・ラクサールをお供にして、街をおさめていたロベール・ド・ボードリクールという騎士に、会いにいったのである。

叔父といってもこのデュラン、ジャネットの祖父にあたる夫婦の末っ子にあたり、兄であるジャック、つまりはジャネットにとっての父とは、親子ほどに年が離れており、次兄のピエールと、ほとんど年が変わらないほどなのである。
デュランはお人よしを絵に描いたようなおとなしい男で、気立てがよいのであるが、いつも、そこをつけいられ、よく、要領のいい村の若者に面倒をおしつけられていた。
それでも、村でも有力者であり、だれもが勤勉で敬虔、絵に描いたようなキリスト者の一家であるダルク家の後押しもあり、ようやく恋人をくどきおとして、かわいい妻と結婚したばかりだったのである。
ジャネットとデュランがいなくなったとき、身重であった妻は、半狂乱になって村中に夫をさがしてきたが、その夫はというと、消えた日の夕暮れに、ヴォークルールのほうから、顔を半分だけ腫らして、しょんぼりとジャネットと帰ってきたのであった。
てっきり不倫の末の駆け落ちではないかと、色めき立っていた村人たちは、ふたりのちいさな旅の顛末を聞きたがったが、もとより嘘がつくことができないジャネットの話は、かれらが想像していたことよりも、おどろくべきものであった。

ジャネットがいうには、自分は、ロレーヌの乙女の手助けをしたいという、ただその一念で、ヴォークルールに行ったというのである。
ジャネットの熱意にほだされたデュランが、やはりかれも敬虔な男で、かつ、とおくブールジュにいる王太子の境遇に心をいためているひとりであったから、危険な旅路を一緒に行くことを承諾したのだった。

もちろん、王太子のためだけではない。デュランは、この従妹が大好きであった。
なぜなら、とかく面倒がおしつけられやすいお人よしのデュランに同情し、ジャネットはいつも率先して、彼を助けていたからであった。
それでいて、恩着せがましいことを言ったりすることもなく、いつも笑顔で、あなたはみんなの嫌がることをきちんとするのだから、えらいわ、などと言って誉めるのである。
好きにならないほうがどうかしているが、しかしデュランもまた、この従妹のなかに、女性をみたことはなかった。

さて、ジャネットの考えたことは単純であった。
ロレーヌの乙女というからには、乙女はロレーヌにいるだろう。
聞けば、ヴォークルールの隊長であるロベルト・ド・ボードリクールは、かねてよりロレーヌ公国と親交のある騎士であるという。
ロレーヌ公の婿となる予定のルネ・ダンジューとも親しくしており、むしろ、ヨランド・ダラゴンの愛息ルネ・ダンジューは、ボードリクールに命じて、ヴォークルールを、ロレーヌ公国の前線ともいえる、ブルターニュ派との境においていたのである。

そういった政治状況を、どこまでジャネットが把握していたかはわからない。
ジャネットはデュラン・ラクサールともに、ロレーヌの乙女がもしいるか、あるいはいるらしいという噂をボードリクールが聞いているのなら、一緒に戦わせてほしいので、ぜひぜひ引き合わせてほしいと訴えた。

ベール・ド・ボードリクールは、さして非凡でも残酷でもない、ごくごくふつうの常識をもった騎士であった。
悪しき女によって滅ぼされるフランスが、ロレーヌの乙女によって救われるであろうという、かの有名な騎士王の伝説に登場する、魔術師メルランの予言のことも知っていたし、文字を読めないような農民ですら、その噂を口々にするようなっている最近の状況も知っていた。
それがきっかけとでもいうわけでもないが、この噂が流れ出して以来、見神者を名乗る男、預言者、占師といった、いかにもいかがわしい連中が、つぎつぎと、ボードリクールの前にあらわれているのも事実であった。
ボードリクールは、ほかのエセ賢者たちとちがって、ふつうの農夫の娘が身にまとうような赤い服を着た、白い百合の花弁のようにきよらかな顔をした少女に、いままでのニセモノたちはちがうなにかを感じたが、かなしいことに、彼は前線に立って兵士を指揮する男であり、もともと現実主義者であった。

ジャネットを見たボードリクールは、たしかに、ただの野良娘と捨て置くには、物欲的な意味ではなく、なにか惜しい気にさせる娘だと思ったが、しかし、
「それいじょう頭のおかしなことをぬかすと、平手打ちを食らわしてやるぞ」
と、紳士的なことばをなげつけることにした。
それでもジャネットは脅しにひるむことなく、おなじことを繰り返したので、若いボードリクールも癇癪を起こし、平手打ちをくらわせることにしたのである。
そして、実際にジャネットが受けるはずだった『親不孝にも家出した罰』としての平手打ちは、身代わりを申し出たデュランが受けた、というわけである。

ボードリクールは、ほかの粗野なばかりの騎士とちがって、心根のやさしい、真正直な男であったから、この戯言を真に受けて、ことさら、さわぎを大きくするものがいないようにしなければという配慮によって、デュランを打ったのであるが、少女はこの仕打ちにたいへん憤慨し、不満顔のまま、
「あなたはまちがっています。あたしはまた、あなたとお会いすることになるでしょう」
と、面倒なことばを残して、なんとも人のよさそうな、そして、いかにも騙されやすそうな従兄とやらといっしょに、怒りと失望を、背中にたっぷりただよわせた娘が去っていくのを見送ることとなった。


フランスの騎士たちが、つねに『怒れる娘』である、そんな彼女の背中を多く目にすることになるのは、まだ先のことである。


1428年5月のことであった。

それで忘れてしまえばよかったのだが、ボードリクールは、こんな愚かな娘があらわれたと、仲間の騎士に吹聴してまわった。
その騎士、そして傭兵のなかには、旧友であるオリヴィエもいたわけであるが、オリヴィエたちはそれを聞くと、ロレーヌ公国へ向かうとちゅうであるからといって、じつは遠回りもよいところなのだが、ジャネットとデュランが無事にドンレミ村に戻れるまで、つきそってくれた。
老傭兵ジャネットは、もしまっとうに貴族の子として生まれていたなら、得ていたかもしれない理想の娘のすがたを、ジャネットのなかに、見つけていたのかもしれなかった。



さわさわと柔らかく草木のゆれる、おだやかな日であった。
空の向こうには真っ白な綿花のように、けがれのない雲が行過ぎていく。
その下を、これは泥でよごれた羊たちが、ジャネットの言うとおりに、ゆっくりと放牧地で、それぞれ気ままに過ごしていた。
ピエールは、飼い葉をあつめる仕事をしながらも、柵に腰かけて、少女らしく、足をぶらぶらとおよがせているジャネットのほうを気にしていた。
ピエールは、ジャネットが従兄のデュランと家出(本人は冒険だと訴えていたが)したあと、ジャックに思い切り殴られて、なにがあってもぜったいにジャネットから離れるなと厳命をうけていた。

もちろん、ジャネットのほうは、一日じゅう、食事なしであった。
ピエールが打たれたことを知って激しく泣いて、妹のカトリーヌがエプロンにこっそり隠してもってきたパンの欠片も、口にしなかったほどである。

ピエールが思うに、あの迷い込んできた傭兵たち、オリヴィエたちが、ジャネットによからぬ影響を与えたことはまちがいない。
かれらがドンレミから旅立ってから、二週間が経っていた。

春の二週間はめまぐるしい。
沈黙をまもっていた草原のあちこちで草木が芽吹きはじめ、たんぽぽが、あの黄色い花を綿帽子に変化させる。
末の妹のカトリーヌは、あたらしくうまれた子羊に夢中で、その世話ばかりに集中している。
長兄ジャックマンは、父母と一緒に、牛をつかって畑をたがやしている。
三番目の兄のジャンだけが、さぼりがちで、ジャネットと一緒に羊番をしていると見せかけて、どこで見つけてきたものか、木の枝でもって、剣の練習なんぞをしているのであった。
「ジャン兄さんは、傭兵にでもなるつもりなの」
と、ジャネットは、羊たちを見守りながら、ジャンにたずねた。
すると、おどけた性格のジャンは、屈託なく笑いながら答えた。
「だって、こんなところで、ずっとうだつの上がらない農夫をしているよりも、ずっといいじゃないか。俺は村の外がどんなものか知らないし、傭兵になったら、あちこちにいける。うまくすれば……なんってったけ、あのガスコーニュ人」
「ラ・イール。エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョルよ」
「そうそう、ラ・イール。おまえは、ほんとうに記憶力がいいなあ。ともかく、俺はそのラ・イールとかいう男みたいに、大手柄をたてたなら、傭兵なのに、将軍になれるかもしれないんだぞ」
「傭兵だなんて、なにをする人か知っているの。罪のないひとたちを襲って、家を燃やしたり、家畜をうばったり、人を殺すひとたちのことじゃないの。
そんなものになるなんて、わたしはいや。兄さんがそんなものになったら、あたしきっと、がっかりして寝込んでしまうと思うわ」
「傭兵にだって、いろいろいるだろう。俺が剣を持ってみたら、このあいだのオリヴィエの親父さんは、なかなか筋がいいっていっていた。もしかしたら、俺は農夫なんかより、騎士になるほうが向いているのかもしれない」
と、ジャンは、そばかすの取れきっていない顔を、得意そうに笑わせて、ぶん、と宙を枝で切った。
それを、子羊が怖がると言って、カトリーヌが迷惑そうな顔を向ける。

「そんなに剣がもちたければ、傭兵なんかにならないで、ロレーヌの乙女と一緒にたたかえばいいのよ」
ジャネットの無邪気なことばに、ピエールは、またも不穏なものを感じ取っていたが、剣の代わりの枝をふるっていたジャンは、からかうように妹にいった。
「おまえも、あの親父さんたちに、ずいぶん毒されているなあ。家出までしちまうんだもの。
気の毒にデュラン、親父に、うちに出入りに禁止になっちまったじゃないか。俺は、おまえがあいつといなくなったとき、てっきり駆け落ちしたのだとおもったぜ」
すると、ジャンの軽口に、ジャネットは、過剰なほどいらだって答えた。
「駆け落ちなんかしやしないわ! なんだってそう、みんなして、わからないことがあると、不純な方向にむすびつけて、ものごとをかんがえようとするのかしら。
あたしに文字がかけたならよかった。そうしたら、ちゃんとした理由を手紙にかいて、みんなに教えてあげられたのに!」
「教えてもらったところで、わけがわからないよ、ジャネット。ロレーヌの乙女なんて、聞いたこともない。いったい、それはどこにいる、だれなんだい。
十六にもなるくせして、ジャネットは子どもみたいだ。オーヴィエットの話を聞いたかい。もう崇拝者がいるってさ。どうしておまえには、だれひとり崇拝者があらわれないのだろうね」

しかし、からかわれても平然として、ジャネットは足をぶらぶらとさせたまま、言った。
「あたし、崇拝者なんかにちっとも興味ないわ。それより、ロレーヌの乙女だわよ。ロレーヌの乙女は、ほんとうにあらわれるのよ。わたし、知っているもの。
ロレーヌの乙女はね、もうじきみんなの前にあらわれて、シノンにいらっしゃるお気の毒な王太子様をランスにつれていって、戴冠式をあげさせるの。あたし、きっとその子と一緒にランスに行くことになるわ」
「ランスはイギリスにとられてしまっているんだよ、ジャネット」
と、飼い葉を分けながらピエールが口をはさむと、ジャネットは、あっさりと答えた。
「だから、ロレーヌの乙女が、イギリスを追っ払ってランスを取り戻すのよ。この村は、ランスの大聖堂にいらっしゃった聖レミの名をもつ村でしょう。その村に生まれたわたしだもの、とくべつなご加護があるかもしれないわよ。
ねえ、ピエール兄さんだったら、ロレーヌの乙女がもしあらわれたら、どうする? あたしと一緒に、その子のところへ行ってくれない?」
赤いスカートをまとったジャンヌは、屈託なくわらいながら言った。
ピエールは、この妹の、なんとも純朴な笑顔によわい。
「馬鹿なことをいっているんじゃないよ。ロレーヌの乙女なんて、伝説だよ。ランの泉の妖精くらいに、人前に姿を現さないだろうと思うね。
おまえもいいかげんにおし。そんなことを言って、また勝手に家をでたら、いくら父さんだって、おまえを勘当するだろう」

勘当、と聞いて、ジャネットの顔は曇った。
父のジャックがジャネットを可愛がっているのと同様に、ジャネットもまた、この父親をたいへん敬愛していたのである。

「だから、もしいたら、の話よ。だって、オリヴィエさんたちは言っていたじゃない。ピエール兄さんは、田舎の農夫にしちゃあ、貴族の坊ちゃんみたいな顔をしているって。きっと、鎧をみにつけたなら、とても立派な騎士に見えると思うわ」
「そうだよ、オリヴィエの親父さんは、俺より兄ちゃんのほうが気に入ったみたいだった」
と、くさった顔をして、ジャンが言った。
しかしピエールは、それには乗らずに、答える。
「オリヴィエの親父さんは、俺たちのだれかを騎士として連れて行きたいなんて、ひと言も言っていなかった。
騎士は、王様から位を授けられたものだけがなるんだ。こんな辺鄙な田舎町にいる俺たちに、どうやって王様は、位を授けてくれるっていうんだい」
「あたしたちがここにいるので、王様が気づかないと言うのなら、あたしたちが王様のところに行けばいいのだわ」

ジャネットが真剣そのものの面持ちで言うと、ジャンは、ちがいない、と声をたてて笑ったが、ピエールは笑うことができなかった。
またも、父のみたという兵士にジャネットが連れて行かれてしまう夢のことが思い出されたのである。

「おまえたち、すずめみたいに、さっきからしゃべってばかりだが、だいたいの仕事は終わったのだろうな」
と、渋い顔をして長兄のジャックマンがあらわれたので、ピエールとしては、ほっとした。

父のジャックは、老いのためによるものか、このところ小さい子どもたちを叱るにしても、迫力が足りない。
老いたぶん、村の知恵袋として重宝されつつあったが、家庭内において、厳しい父としての役割は、代わりにこの長兄のジャックマンが果たしているのである。
見るからに無愛想で、いかめしいジャックマンは、若かったころの父ジャックにそっくりだというが、ピエールはジャックマンとは年が離れているため、それはわからない。
五人いる兄弟のうち、ジャックに似たのはジャックマンと、ジャンと、末娘のカトリーヌで、母のイザベルに似たのは、ピエールとジャネットのふたりであった。

母のイザベルは、村のなかでは熱心なカトリック教徒であり、ローマへ巡礼をしたこともあるほどである。
気立てがたいへんよく、気品にみちたうつくしい顔と、厚い信仰心は、そのままピエールやジャネットに受継がれていた。
もしも、ドンレミ村をおさめるブレルモン侯が残酷な領主であったなら、イザベルは領主に目をつけられて、鬱屈した青春時代をおくらねばならなかったかもしれない。
しかし、さいわいにも、ブレルモン侯は民にやさしい、よい領主であった。

「だいたい終わったわ。みんな今日もいい子で、ちゃんと草を食べてくれたのよ」
ジャネットがいうと、ジャックマンはうなずいたが、子羊とあそんでばかりいたカトリーヌと、枝で持って剣の練習ばかりしていたジャンのほうには、きびしい目をむけた。
「おまえたちは遊んでばかりいたようだな。罰として、午後の水汲みはジャン、おまえがジャネットの代わりにやるんだ。カトリーヌは、豚小屋のそうじをすること」
「豚小屋のそうじなら、きのうだってやったわ。今日はねえさんの当番じゃないの」
舌足らずにカトリーヌが反駁するのを、ジャックマンは重々しく否定した。
「罰だといっただろう。カトリーヌ、おまえがその年には、ジャネットはもう、父さんと一緒に畑にでて畑を耕していた。
おまえはジャンと一緒で、なまけ癖がついてしまっていかん。いいか、ジャネット、おまえもだ。カトリーヌが泣くからといって、手伝ったら駄目だからな」
ジャックマンがいうのを、ジャネットは、すでに泣きそうになっているカトリーヌをちらりと見て、こたえた。
「カトリーヌはまだちいさいのよ、ジャックマン兄さん。すこしだけなら手伝ってもいいでしょう?」
「だめだ。それじゃあ、罰にならない。おまえは、午後からは、母さんにあたらしい刺繍をおそわって、それから教会にでも行っておいで」
それは、ジャネットを家に置くことで、ジャンやカトリーヌがジャネットを頼りにしてふたたびさぼることを防止するための、ジャックマンの知恵であったが、教会と聞くと、ジャネットの目が、あきらかに輝きはじめた。
「そうね、行ってくるわ」
と、うなずいたあと、ふと、奇妙そうに顔をしかめて、村の教会のほうを向いた。
「ねえ、なんだか妙に静かじゃない? そろそろ、お昼の鐘が鳴らされていい頃だと思うのだけれど」

ジャネットの言うことはもっともで、ジャックマンはじめ、ピエールもジャンも、とびぬけて見える、尖塔をそなえる村の教会のほうを向いた。
そして、かれらが村に視線をあつめるが合図だったように、教会の鐘が、いつもに増して、激しく打ち鳴らされた。
それはまさに、若い娘の金切り声のような悲鳴にも似たものだった。

その場の全員が息を詰めた。
「兵隊が攻めてきたんだ!」
戦慄とともにジャンがおびえて叫ぶと、ジャックマンは、まっさきに我にかえり、弟妹たちに指示をとばした。
「ジャネットとカトリーヌは、すぐに家畜をまとめて、母さんと一緒に荷造りをてつだえ! ピエールとジャンは、俺について来い! 家畜を『島』につれていく。
そのあと、父さんとヌーフシャトーへ逃げるぞ、急げ!」

ジャックマンのいう『島』とは、村にながれる小川にかこまれている島のことである。
そこに家畜をにがすことで、性急な傭兵たちの掠奪をのがれることができるのだ。

ともかく、一刻も早くしなければならなかった。
村は、ぐるりと周囲をイギリス・ブルゴーニュ派にかこまれており、ロレーヌにちかい町のなかではヴォークルールに並んでめずらしい王太子(アルマニャック)派の村であったから、それまでにも、何度か襲撃の対象になっていた。
そうして、そのたびに、逃げおくれた村人の悲惨すぎる末路や、盗まれ、殺されていった家畜の悲惨な最期、そしてかれらが去った後の、悪夢そのままの光景を目の当たりにしなければならなかったのである。

「ジャックマン兄さんの勘は、あたったね!」
家畜を島に移動させながらピエールが言うと、ジャックマンは、風のはるか彼方にいるブルゴーニュ派、そして味方であるはずの、ロレーヌ公に向けて、憎憎しげにつぶやいた。
「なにがイギリスだ。ちっぽけな島国からやってきたやつらのくせに、人の村を荒らして、去っていきやがるのだから。
ロレーヌ公だって、それと知っていて、アルマニャック派と結ぼうとしている。すこしは、俺たちの迷惑を考えてくれればいいものを」
ピエールは、ぐずる羊たちの足を進ませながらも、言った。
「兄さん、そんなことを聞かれたら大変だよ。いくら兄さんがブレルモン侯のお気に入りだからって、そんなことを聞かれたら、きっとただじゃすまない」
「獣は密告したりしないだろう」
「俺だってしないよ。けれど、兄さんも、ジャネットもそうだけれど、正直すぎるんだよ。俺だって、わけのわからない争いに巻き込まれて腹が立つよ。けれど、みんな黙ってやり過ごしているんだ。兄さんだって、そうしておくれよ」
ピエールのことばに、ジャックマンは不満そうに鼻を鳴らしたが、その後は、なにも口にしなかった。

六につづく
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