ジャンヌ・ラ・ピュセルのための覚え書
暁光の章
四話 ロレーヌの乙女・一
やわらかな草のうえを、子鹿のように駆ける青年がいる。
青年と言っても、まだまだ少年のもつ、どくとくの柔和さののこる面差しをした、赤毛のようにもみえる濃い金髪を揺らしている、田舎村には稀な、気品ある器量のもちぬしである。
青年は息を切らし、ひたすら柏の森にむかっていた。
青年の妹が、森で友達と遊んでいたからである。
木立をゆらす風の音しか、耳にとどかない、しずかなところであった。
なだらかな草原に点在する柵は、羊たちを放牧するときにつかうものである。
森と水の国と、おおくの詩人に謳われ、またインスピレーションをあたえてきた、うつくしいロレーヌの草深い田舎の村は、パリをめぐる血なまぐさい争いとは、さいわいにも、ほとんど無縁に過ごせていた。
しかし、それでもまったく無縁でいられたわけではない。
青年は、必死になって走っていた。
あちこちに目を配り、視界のどこかに、見慣れた妹の姿がないかをたしかめた。
いまのところ目に見えるのは、鳥や、木や、雲など、いつもそこにあるものばかりである。
隣村の男が言うことがほんとうなら、そろそろ妹ばかりではなく、見つけたくないもの、兵たちの姿が見えてくるころであった。
オーヴィエットの兄の話では、娘たちはみんなで連れ立って、妖精の樹にあそびにいったということであった。
妖精の樹とは、村人にふるくから親しまれている大木で、枝の張り具合は見事に神秘的で、樹そのものが妖精のような威厳があった。
生い茂る葉が垂れ下がる様子は、まるで百合の花のようであり、そこには妖精や仙女があつまるという、うつくしい伝説があった。
実際に、妖精の樹には、騎士と妖精の恋のものがたりも伝えられていて、ドンレミの恋人たちにとっても、重要な場所になっている。
樹のほとりにある泉は、ランの泉とよばれていて、熱病に効くといわれていることから、とくに大切にされていた。
村の青年少女は、妖精の樹のほとりへピクニックに行くことを、いちばんの娯楽に考えていた。
青年の妹も、ほかの青年少女と変わらずに、昨日から、ピクニックの支度をたのしそうにしていたほどだ。
ともかく、急がねばならなかった。
妹のこともそうだし、一緒に出かけている、近所のマンジェットや、オーヴィエットのことも気がかりであった。
兵士たちに娘たちが、不幸にも出会ってしまわないうちに、はやく妹たちを見つけてやらねばならない。
最悪の場合、兵士たちと戦うことになるかもしれない。
青年は武器をなにも持っていなかったが、百戦錬磨の兵士にも負けず劣らず、勇敢な心をもっていた。
息がきれかけたころ、ふと、妖精の樹につづく森の小道を、こちらに向かってかけてくる少女の姿が目に入った。
もしや。
昼もなお暗い道をかけてくる少女の足は、はだしであった。
青年は最悪の想像をはたらかせ、やってくる娘が、妹であることを期待した。
しかし、太陽のひかりが少女の顔を照らし出したとき、青年は落胆する。
「マンジェット、はだしでどうしたんだ。妹やほかの子たちは?」
「まだ奥よ。どうしよう、ピエール、あたし、大人たちを呼んでこようと思って」
「なにがあった? 兵士たちがもう来たのか?」
ピエールの問いに、恐怖のために混乱しているマンジェットは、何度もうなずいた。
「兵士たちがいるの。奥に。みんな傷ついていて、妖精の樹のところにいるの」
めまいすらおぼえて、ピエールは急きこんでたずねた。
「ジャネットは? あの子は兵士たちのところにいるのか?」
「そうなの。あたしが新しい靴なんて履いてきたのがいけないんだわ。逃げようとしたら、つまづいてしまって、オーヴィエットも逃げようとしたんだけれど、ジャネットが、あたしがここに残るからって、そうしたら、オーヴィエットも、ジャネットがここに残るなら、あたしも一緒に残るとか言い出して、あたし、あたしも残ろうとしたんだけれど、ジャネットが、大人を呼んできてっていうから、ごめんなさい、ピエール」
マンジェットの言葉をまとめると、ピエールの妹ジャネットは、妖精の樹にピクニックにでかけたのであるが、そこで不幸にも兵士たちに遭遇し、いま、マンジェットひとりを逃がして、オーヴィエットとふたりきりで、兵士たちと対決しているということになる。
ダルク家の共通の性分であるが、ピエールもまた、そこで逃げ出そうとは考えなかった。
兵士たちがこちらに向かってきているという、その報せを届けるのが間に合わなかったというのなら、それを現実として受け止めて、次の行動にうつらねばならない。
すなわち、妹とオーヴィエットを助けるのだ。
「マンジェット、奥にいる兵士たちは何人くらいだった?」
「五人だったと思うわ。みんな怪我をしていたみたい」
それならば、すこしは勝機があるかもしれないと、ピエールは自分を奮い立たせた。
「兄さんと父さんたちに、このことを伝えてくれ。村の人にも、早く」
「あんたはどうするの?」
「ジャネットとオーヴィエットを助けなくちゃいけない。五人しか兵士がいないのなら、なんとかなるかもしれないだろう」
「でもあんた、武器なんて持ってないじゃない」
「なけりゃ、連中から奪うさ」
そうしてマンジェットを村にいそがせると、ピエールは、慎重に妖精の樹のあるところまで足を進めていった。
覚悟を決めてしまえば、ふしぎと恐怖はやわらいだ。
なにより大事な妹のためである。
ダルク家にいるジャックマン、ピエール、ジャン、そしてジャネットと、末っ子のカトリーヌ。
この五人の子どもたちのなかでも、父のジャックは、いちばんジャネットを可愛がった。
そのためかは知らないが、父親は、ジャネットが兵士たちについて、戦場に行ってしまう夢を何度も見ていた。
その夢があまりに頻繁で鮮明であったがために、父親は、ジャネットが兵士たちにさらわれるか誘惑されるかして、娼婦として村を出て行ってしまうことをたいへん恐れていた。
これがふつうの家の話であれば、ジャックの心配性は、笑われて終わりになる話であっただろう。
けれど、それを父からため息まじりに聞かされたとき、ピエールら三人は、笑うことができなかった。
ジャネットが娼婦になる、などというような忌まわしい想像は、はたらかなかったけれど、ジャネットには、すこしだけ、ほかの娘たちとちがうところがあった。
見た目や言動や振る舞いが、ほんとうにすこしだけ、ほかの娘と微妙にずれているのである。
その繊細な差は、寝食をともにしている、血のつながっている家族であるから気づいていることであった。
だから、ジャックが、ジャネットがいなくなってしまうことを恐れる気持ちは、よくわかった。
そしてジャックが、まるですでに現実におこったことを後悔しているかのように頭をかきむしりながら、
「あの子がそんなことになる前に、わたしが溺れさせて殺してやりたい。おまえたちができないというのなら、わたしがこの手でやってやる」
と言い出したときには、さすがにおどろいて、上の兄のジャックマンと、父をなだめた。
ジャックはジャネットを可愛がるあまり、そんな過激なことを言うのである。
母のイザベルも、この夢の話を笑いごととは受け止めず、
「父さんは思い詰めやすいひとだから、おまえたちがジャネットを見張っていておくれ。万が一にも、あの子にそんな運命が降りかからないようにしなければね」
と、言った。
ジャネットは、村娘にしては、土臭さのない、気品のあるうつくしい顔立ちをしていた。
飢えた兵士たちが、そんなジャネットを見つけたら、どんなことを考えるか、それは容易に想像がつく。
父の夢が、正夢にはなりませんように。
胸のうちで、神に祈りをささげつつ、ピエールはそっと妖精の樹に近づいていった。
水音と、話し声が聞こえてくる。
緊張しながら耳をすませると、兵士たちがまとっている甲冑が、ひっきりなしに動く音と、水音と、そしてジャネットの声が聞こえてきた。
兵士たちに捕まってしまったのだろうか。
しかし、そのわりには、声の調子に緊迫感がない。
そっとしげみの影から、慎重に妖精の樹の周辺をのぞきこむ。
そしてその光景を見たとき、ピエールはあまりのことに唖然としてしまった。
妖精の樹のほとりにある、ランの泉のまえで、兵士たちがくつろいでいた。
その姿はまさに満身創痍といったふうで、傷だらけで泥だらけ、甲冑には生々しい戦いの跡がのこっており、応急処置として結んだ布には、にじんだ血が黒く変色していた。
つかれきった男たちは、泉のほとりにすわり、奇妙におだやかに世間話などをしながら、おなじくほとりにいる少女の手当てを受けているのであった。
手当てといっても、少女には薬草の知識などないから、よごれた身体をていねいに拭いて、傷にあらためて、きれいな布を当ててやることだけである。
それでも、少女の手当てを受ける兵士の顔は、まるで羊のようにおとなしく、恭順そのものであった。
少女と一緒に場にのこったオーヴィエットはというと、それでも恐ろしいためか、兵士たちとはすこしはなれたところで、ひざをかかえて、身の置き所がなさそうにしている。
ピエールはすっかり呆れかえっていた。
いったい、なにがどうなっているのかが、理解できない。
わかることは、妹のジャネットは、この兵士たちと遭遇したが、傷ついているのを見て、手当てを買って出たらしい、ということである。
危険はないだろうということがわかり、ピエールはしげみから姿をあらわした。
最初に気づいたのは、妖精の樹に身をすりよせるようにして座っていたオーヴィエットで、つづいてジャネットであった。
兄だから贔屓目に見てしまうのかもしれないが、ジャネットはやはり美しい娘であった。
母親ゆずりの金髪もそうであるが、なにより目の輝きが、ほかのだれよりも勝っている。
健康的なバラ色の頬と、賢そうな目鼻立ちは、人目を惹くに十分なものだ。
いまは、ほかの娘たちとおなじように、粗末な赤い服を身につけているけれど、これに貴婦人の着るようなドレスを着せても、おそらく見おとりしないであろう。
「兄さん、ちょうどよかったわ。いまマンジェットと会わなかった?」
と、ピエールやマンジェットの心配も知らずに、ジャネットはのんきな調子で明るくたずねてきた。
「会ったよ。いま、大人たちを呼びに行っている」
「はだして行ったから、足を傷つけていないといいけれど」
そういうジャネットの足元には、おそらくマンジェットが履いていたと思われる、あたらしい木靴がそのまま置いてあった。
ピエールは、自分の出現により、わずかに表情にけわしいものが宿った兵士たちのほうを気にしつつ、たずねた。
「この人たちは、どうしたんだい」
「俺たちは、道に迷ってここに来たんだ」
と、ジャネットから手当てを受けていた男が、むっつりと答えた。
「ここはドンレミ村だろう。俺たちは、ヴォークルールにいるボードリクールという騎士に会って、それからロレーヌ公国へ向かう途中だったんだが、街道でイギリスの連中に見つかっちまって、散り散りになったのさ。本隊がどうなったのかはわからねぇが、腹も減って動けねぇ」
つまり自分たちは、王太子側の兵士だ、腹が減って動けないから安心しろ、ということらしい。
とりあえず、かれらがブルゴーニュ派ではないことに、ピエールはほっとした。
ドンレミ村は、ロレーヌ公国にほどちかい土地のなかでも、ブルゴーニュ派にぐるりと囲まれた、王太子を支援する村である。
王太子を支持する理由はさまざまにあるが、そのひとつが、村の名である『ドンレミ』という名前に由来する
ドンレミは、二人のフランス出身の聖人の名前をあわせたものである。
聖ドニは、三世紀の実在の人物とされる。当時、フランスはガリアと呼ばれており、この地を支配しているのはローマ帝国であった。
ローマ帝国の支配下では、キリスト教を信仰することは禁じられていたために、聖ドニ(ディオニティウス)は捕らえられ、さまざまな拷問を受けたあと、ついにパリのモンマルトルにて斬首に処せられた。
しかしそのあとに、奇妙なものがたりがつづく。
斬首にされてもなお、聖ドニは自分の首を持ったままあるきつづけ、パリより3000歩いったところで、とうとう力尽きて倒れた。
倒れた地には、のちにフランス王の代々の棺を安置する、聖ドニ教会が建てられた。
聖ドニは、フランス王家にとっては特別な聖人であり、その守護するところは『不死身』だという。
いまでもフランスの兵士たちは、勝ち鬨の声をあげるときに、この聖人の名を讃えて、こう叫ぶ。
「モンジョワ、サン・ドニ!」
と。
そしてもう一方の聖人は聖レミ。
こちらは聖ドニよりあとの時代にあらわれる司教で、フランク王国の初代国王であるクローヴィスに洗礼を受けさせたことで有名だ。
代々のフランス国王が聖レミの遺体の安置されているランスにおいて、その聖油をうけて戴冠式をおこなう慣例になっているのは、この聖レミのはなしからはじまっているのである。
聖ドニ、聖レミ、どちらもフランス王家にかかわりの深い聖人である。
ドンレミ村は、その聖人の名を二つも冠している村であり、フランス王そのものとは遠く離れてはいるし、直轄地でもないので『フランス』ですらなかったけれど、しかし厚い忠誠心を持っている村でもあったのだ。
「この泉が、熱病に効くってのは、本当かい」
兵士のなかでも、ピエールとさほど歳の変わらない青年が、泉の水を、手ですくって、不思議なものを見るようにしている。
そのさまが面白くて、ピエールは思わず笑みをうかべると、答えた。
「ああ、効くよ。むかし俺が熱を出したとき、妹が、たったひとりでこの泉にまで来て、水を汲んでくれたことがあって、その水を飲んだら、つぎの朝にはすっかり良くなっていたからね」
「そりゃあ、いいね。すこし熱があって困っていたんだ」
「地面に直接、寝転がっていたから、冷えちまったんだ」
年配の兵士がいうのを、ジャネットは悲しそうな顔をして、言った。
「かわいそう。ずっと野宿ばかりしていたの」
「仕方ないさ。なにせこのあたりは、どこもかしこもブルゴーニュ派だからな。うかつに宿になんて泊まってみろ。密告されて、次の日には捕まえられて、みせしめに、腹をえぐられちまうかもしれねぇ。ともかく、ここに流れ着いたのは幸運だったな。おい」
と、男は、ピエールを向いて言った。
「さっきの娘っ子は、村に俺たちのことを報せに行ったんだろう」
「そうだよ。俺が戻らなくちゃ、大人たちを連れてくると思う」
「おまえたちには何の恨みもねぇ。手当てまでしてもらったし、暴れたりしないから安心してくれと伝えてくれや。
手当てしてもらったついでといっちゃあ、なんだが、食事をすこし分けてくれるとありがたいんだがな。なに、ここには泉もあるし、今日はここで野宿して、明日には村を出て行くさ」
とたん、ジャネットがつよく言った。
「だめよ!」
その調子があまりにつよかったので、ピエールは、ひやりとした。
ジャネットはというと、真剣そのものの顔をして、おどろきの表情を見せている兵士たちをはげますように、力強く言った。
「だって、熱があるのでしょう? こんなに怪我をしているのでしょう? また野宿なんかしたら、ロレーヌ公国にたどり着くまえに死んでしまうわ。
貴方がたは、せっかく王太子さまのために働いているのですもの。野宿なんて、いけないわ」
それを聞いてピエールは嫌な予感をおぼえた。
同時に、妖精の樹のふもとで推移を見守っていた、オーヴィエットと目が合う。
純朴そのもののジャネットの親友もまた、ピエールとおなじ予感を抱いたようである。
そんな二人をよそに、ジャネットは、きっぱりと言った。
「みんな、わたしの家に来るといいわ。あまり広くはないけれど、貴方たちがおとなしくしてくれるというのなら、父さんも母さんも、きっといいよって言ってくれると思うの」
「ジャネット、父さんは嫌がるよ」
夢のこともあったので、ピエールが言うと、頑固なところをみせて、ジャネットは言った。
「どうしてなの? 父さんだって、いつも王太子さまはお気の毒だって、言っているじゃない。この人たちを助けるということは、王太子さまをお助けすることではないの?」
「いやあ、どうだろう」
と、言ったのは、ほかならぬ兵士たちであった。
かれらは、本隊とはぐれたあとに、これほど熱心に親切をほどこしてくれる人物に遭ったのははじめてだったらしく、感謝するより前に、戸惑っているのが見てとれた。
「あんた、ジャネットって言うのかい。ここまでしてくれてありがとうよ。けれど、あんたの父さんがイヤだっていっているものを、無理に頼むわけにはいかねぇよ。
あんたが、俺たちのことで父さんにぶたれたりしたら、俺たちもいい気はしないからな」
「あら、父さんはあたしをぶったりしないわよ。ちゃんと話せば、きっといいよって言ってくれるわ。これは正しいことですもの。だから、気を遣わなくっていいのよ。安心していてね。きっとあなたたちはあたしの家に泊まることになるから」
湖の畔でやりとりを聞いていた、べつの兵士が口をはさんできた。
「変わった子だなあ。ジャネットか。俺の村にもジャネットって呼ばれている子がいたけれど、やっぱりあんたみたいに可愛い子だったよ。ジャンヌだからジャネットかい」
兵士に言われると、ジャネットはうれしそうに顔をほころばせた。
「そうよ。みんなはジャネットって呼ぶけれど、ジャンヌなの」
すっかり打ち解けているジャネットと五人の兵士は、ジャネットに引率されるかたちで湖をはなれると、ドンレミ村の集落があるところへ向かって、あるきはじめた。
そこにやましい空気は、まるでなく、むしろ清清しいほどであったが、しかしピエールは、父の見た夢のことをどうしても思い出してしまって、ジャネットから目を離すことができなかった。
金色の髪を額の真ん中で二つにわけて、白いロレーヌ地方の農婦のかぶる帽子の下から、三つ編みの先端がはみ出している。
赤い服の裾は、ジャネットが友達のようになってしまった兵士たちの、その話し相手がかわるたびに、話し手の顔を見ようと移動するので、花のように揺れた。
すこしあとから、ピエールとオーヴィエットが、連れ立ってついていく格好である。
ふたりとも、示し合わせたわけでもないが、やはりおなじ気持ちを抱いて、ジャネットを見つめている。
口を切ったのは、オーヴィエットのほうであった。
このブルネットの、善良でやさしげな、それでいて芯のつよそうなはっきりとした眉をもつ娘は、困ったような顔をして、ジャネットを見つめたまま言う。
「ねえ、ピエール、ジャネットって、すこし変わっているわよね。あんた、そう思わない?」
「うん、思う」
応じたあと、しばし沈黙が流れた。
このケルトの時代からつづく神秘的な風俗と、キリスト教とがみごとに混ざり合っている、迷信深い田舎のなかにあって、変わっているということは、よいことではない。
ピエールはジャネットよりも五つ以上も年上である。
そしてまた、オーヴィエットも年の割にしっかりした娘であったから、この話題が、ダルク家、あるいはその身内のなかだけでしなければならないものだということを、きちんと理解していた。
「あたし、ほかの人にはこんな話はしないわよ。ジャネットは大好きだもの。大好きだけど、ときどき、こわくなるの」
「なぜさ」
「だって、ジャネットって、こわいくらいにいつも正しいのよ。さっきだってそう。あたしたちが泉の畔であそんでいたら、あの人たちがあらわれたのよ。普通だったら、逃げるとか、泣き喚くとかするじゃない。現に、あたしもマンジェットも気絶しそうだったわ。
けど、ジャネットったら、向こうがなにも言わないうちから、自分から近づいていって、水ならここにあるから、疲れているのでしょう、こっちへいらっしゃい、なんて言って、ぜんぜん怖がってなかったの。
あたし、甲冑を着た兵士なんて、みんなおなじにみえるけれど、ブルゴーニュ派とアルマニャック派の区別のつけ方って、なにかあるのかしら」
「そんなもの、聞いたことがないよ」
「じゃあ、どうしてジャネットには、あの人たちが敵じゃないってわかったの? マンジェットはぼんやりした子だから気づいてないみたいだけど、あたしは違うわ。ピエール、あんたたちも、なにか気づいているんじゃない?」
「どうしてそう思うの」
「だって、最近、ジャックマンさんとあんたとジャンとで、交換でジャネットを見張っているみたいなんだもの。ジャネットはなにも言わないけど、でも、最近、すこしそわそわしている気がするわ」
「そわそわって?」
「わからないわよ。あんたったら、さっきから質問ばっかり。なにか隠しているんじゃないの?」
「隠しちゃいないよ。ジャネットのことでこんなふうに話せるのは、兄さんたちのほかには、きみだけさ。だから質問が多くなるんだよ」
「あら、それだけなの?」
オーヴィエットはそう言って、ちらりと上目遣いにピエールを見た。
ピエール自身は気づいていなかったが、妹のジャネットと、ピエールはよく似ていた。
濃い金色の髪もそうだが、健康そうな肌つやはともかく、賢そうな目鼻立ちの通った顔立ちなどは、田舎の農夫のせがれにしてはめずらしい器量のよさである。
ピエールは、自分の横顔にそそがれる視線に気づき、顔をオーヴィエットのほうに向けた。
とたん、オーヴィエットは、さっと顔を元に戻す。
その頬は薔薇色に上気していたのだが、まるで奥手なピエールは、さっぱり気づかない。
「あたしの家の前にね、妖精の樹の枝が飾られていたの。どう思う?」
年頃の娘がいる家の玄関に、妖精の樹の枝を飾るのは、求婚を意味している。
ドンレミ村の若者は、そうやって恋愛を成就させてきた。
「へえ、オーヴィエットに崇拝者が出来たのか。それは良かったね。相手はだれだい」
「気になるの」
「それは当然じゃないか。だって、君は、ジャネットとおなじように俺の妹のようなものだからね」
「妹なの。そうなの」
オーヴィエットの口調には、あきらかに失望が含まれていた。
ピエールは、妹のほうに気をとられており、オーヴィエットの様子には注意をはらわない。
オーヴィエットは泣きそうな顔になったが、すぐに気持ちを鎮め、勇気をふるいたたせてたずねた。
「あんたは? だれかに枝を渡そうとか思わないの? あたしはね、せっかくだけれど、枝をくれた人のことは断ろうと思うの。
あんたはどうなの? だれか心に決めたひとがいるんじゃないの?」
するとピエールは、やはりジャネットの姿を目で追いながら、答えた。
「いないなあ。ジャネットのことが気になるからね、ジャネットに崇拝者があらわれたら、俺も考えるかもしれないな」
「かもしれない、なのね。そういえば、ジャックマンさんも婚約したきり、なかなか結婚しないわね」
「兄さんもおなじなんだよ。ジャネットが気になるんだ。
ところでオーヴィエット、さっきの、ジャネットが変わっているっていう話、みんなには言わないでおくれよ。泉の畔でのこともそうだけれど、あの子は変わっているなんて噂がたったら、厄介だからね」
「わかっているわ。黙っているわよ。ほら、マンジェットが来たわ。まあ、あの子ったら、だれかに襲われたみたいに泥だらけじゃないのよ。
きっと、途中で何度も転んだのでしょうね。あたしたちを見て泣いているわ」
「父さんたちも来たようだね」
言いながら、ピエールは、大丈夫だということを示すために、父やそのほかの村人たちにむかって、大きく手を振ってみせた。
その後の展開は早かった。
ジャネットは、五人の兵士たちが、王太子から派遣された兵士であることを説明し、かれらが傷つき、つかれきっており、なかには熱を出している者もいるということを熱心に村人につたえた。
王太子派の村としては、これを冷たくあしらうわけにはいかない。
ジャネットは、かれらを自分の家に泊めたいと言ったが、これはやはり、父のジャックに止められた。
そして村の名士たちがあつまって話し合い、兵士たちのうち、三人をダルク家に、二人をオーヴィエットの家に泊めることとなった。
ばらばらにされれば、兵士たちがなにか企んでいたとしても、大したことはできまいという読みからきたものである。
ダルク家は、ドンレミ村のなかでも、比較的余裕のある家で、はたらかなくてすむほどではなかったが、一家が生活するうえで、困るようなことは一度もなく、むしろ逆に、まずしい者に施しを与えられるくらいの余裕をもっていた。
ジャネットは、兵士たちの来訪をよろこんで、自分の寝台をかれらのために明け渡すほどであった。
熱心にかれらの世話をして、かれらを看病し、そしてかれらから、外の世界のことを聞きたがった。
家のなかでは、ピエールもそうであるが、ジャックもジャックマンもジャンもカトリーヌでさえも、兵士たちが過度にジャネットと親しくならないように目を光らせた。
ピエールなどは、ずっとジャネットと兵士たちのやりとりを傍らで聞いていたが、やはりオーヴィエットが言ったとおり、ジャネットは変わっていると思わずにはいられなかった。
ジャネットはイギリスが包囲した、オルレアンの情勢について、とくに熱心に聞き出そうとした。
ふつうの村娘は、そんなことは聞きたがらない。
もしもオーヴィエットやマンジェットだったら、イギリスがどうとかいう話よりも、外で流行っているものや、王室にまつわる醜聞などを聞きたがるであろう。
現に、末娘のカトリーヌは、姉さんとお客さんの話はつまらない、といって、さっさと母親と一緒に眠ってしまった。
「モン・サン・ミシェルは俺たちの勝ちだったが、イギリスの連中はとにかく手段をえらばねぇからな。王家をひとつにすれば、戦は終わる、なんて綺麗事をぬかしていやがるが、ここが自分たちの国じゃねぇっていうふうに思っているからこそ、好き勝手なことをしやがるんだろうさ」
「モンタルジも解放しただろ。オルレアンのバタール(私生児)と、我らがラ・イールが組んで勝ったんだ」
兵士が言うのを、ジャネットは真剣な面持ちで聞いている。
「オルレアン公シャルルさまは、アザンクール戦いのときに、捕虜になったままだったわね」
ジャネットのことばに、兵士たちは、意外そうな顔をした。
「よく知っているな。そのとおりさ。当主が捕虜になっているので、弟のジャン殿、俺たちはバタールと呼んでいるが、その方が頑張ってイギリスと戦っておられるのさ」
「ラ・イールって? おかしな名前ね。本名じゃないのでしょう?」
「ラ・イールってのはあだ名さ。『怒り狂う男』なんてすごいあだ名だろ」
「会ったことあるの?」
ジャネットがたずねると、兵士たちはぶるりと身を震わせた。
「冗談だろう。味方だっていうのはわかっているが、なるべくなら会いたくない種類の男だぜ。
いまは王太子お抱えの将軍みたいになっているけど、実のところは盗賊とほとんど変わらねぇ、傭兵の頭だからな。短気なうえに残酷で、悪魔みたいなやつだって聞いたことがある」
「でも、王太子さまのために働いているのよね?」
「だからって、そいつらがいいヤツだなんて思っちゃだめさ。あんたは知らないだろうが、ラ・イールのほかに、ラ・サントライユってのもいて、とにかく評判悪いんだ。
あんたみたいな子をみたら、たちまち物陰に引っ張っていって、押し倒すような連中さ」
ピエールは、そこで咳払いをして、それ以上、かれらのことばが過激になるのを牽制した。
「コツコツ真面目に暮らしているやつらの上前を跳ねるようなやつらが将軍だなんて言って威張り散らしていて、おれたちはブルゴーニュ派だ、アルマニャック派だ、とか言いながら真っ二つにわかれて殺しあわなくちゃいけない。どうして神さまは、なにもしてくださらないのだろうな」
「神さまは、いつまでもこんな状態をお見過ごしになるはずがないわ」
「そりゃあ、そうだ。うん、アンタのいうことは、ただしい」
「フランスは、ひとりの悪しき女によって滅びるが、しかしロレーヌからあらわれる、ひとりの乙女によって救われる」
唐突につぶやいたのは、兵士たちのなかでも、頭目として動いている、年配の男であった。
兵士仲間からは、オリヴィエの親父と呼ばれていた。
ドンレミ村の村人たちの面差しと、ダルク家に寄宿している兵士たちの面差しとは、そう差のないものであったが、しかしオリヴィエだけは、すこしだけ貴族的な雰囲気を漂わせていた。
無精ひげにおおわれた顔には、どこか知性によってもたらされる豊かさがあらわれている。
「それはなあに?」
ジャネットがたずねると、オリヴィエは、自分のことばがおかしかったらしく、苦笑いをしながら答えた。
「なあに、昔話に出てくる言葉さ。あんたは知っているかどうかしらないが、ケルトの騎士王に仕えた魔法使いメルラン(マーリン)が、そんな予言をしたんだと。
フランスはひとりの悪女によって滅びるが、しかしロレーヌからあらわれる、ひとりの乙女によって救われる、とな」
そのことばに、ほかの二人の兵士たちも、奇妙に納得してうなずきあう。
「フランスを滅ぼすって女は、それじゃあ、王妃のことだな。えらいいい女だっていう話だが、見境なく男を乗りかえる、とんでもないあばずれだって聞いたぜ。
なにせ、自分の子を、じつは私生児ですって発表しちまうような女だからな。そういうのをなんていうんだ、ええと」
「毒婦」
「そうそう、それ。けれど、ちょっぴり、そういう女に騙されてもいいかなって思うときが」
ピエールは、ここでまたも咳払いをしなくてはならなかった。
「フランスを滅ぼすのが王妃だとしてと、それじゃあ、ロレーヌから乙女が出てきて予言が成就するかもしれねぇってことか。
ああ、そういやあ、そんな噂があるって聞いたことがあるぜ。ロレーヌの乙女があらわれてフランスを救ってくれるとかなんとか。
どんな乙女なのかね。聖ウルスラみたいに、娘っ子一万一千人を乗せた大船団を引き連れて、イングランドに乗り込むんだろうか」
「さてね。聖ウルスラは、けっきょく、野蛮人の陰謀に引っかかって死んじまったが、ロレーヌの乙女はどうするのかね。見当もつかねえや」
軽口をたたきあう兵士たちであるが、傍で聞いていたピエールは、オリヴィエたちの話に、目をかがかせている妹の様子が気になった。
ジャネットは、むかしから、聖人にまつわるさまざまな伝説を聞くことが好きな娘であった。
ブルターニュ生まれの姫君であった、聖ウルスラの、勇ましくも悲しい話も知っている。
ジャネットが心をおどらせているのは、どうやら聖ウルスラの物語にではなく、オリヴィエの語ったロレーヌの乙女の話であるようだ。
「オリヴィエさん、ロレーヌの乙女って、いつあらわれるの?」
「さあね。メルランはそこまで親切に予言してくれなかったから、俺にもわからねぇが、しかし、フランスを滅ぼす女があらわれたわけだから、そろそろ出てきてもいい頃じゃないかなあと思うぜ」
「そうなの。そうしたら、わたし、ウルスラさまについていった乙女たちと同じように、ロレーヌの乙女に従うつもりよ。
剣を取れといわれたら、剣を取るわ。そうしてイギリス兵を、イングランドに追い返してやるの」
目を輝かせて語るジャネットの様子は、十六歳という年齢には見合わないほど純真で、その場にいた兵士たちだけではなく、ピエールも、思わず笑ってしまうものであった。
その夜、ジャネットは自分の寝台をオリヴィエたちにゆずってしまったので、おき火の残る暖炉のまえで、ピエールと、すぐ上の兄のジャンとの三人で、ならんでねむった。
ジャネットはオリヴィエの話に興奮したらしく、うしろで、ぐうぐうと鼾をかいているジャンをよそに、ピエールに語った。
「ピエール兄さん、ロレーヌの乙女って、どんな子かしらね。会ったことがないけれど、あたし、生涯の親友を見つけたくらいの気持ちよ。
もしその子が王太子さまのために戦うというのなら、あたしはどんな手伝いでもするわ。会ったことがない子にこんなふうに思うのは、奇妙かもしれないけれど、あたしはきっと、その子と、とっても仲良しになれると思うの。
だって、その子とあたしにしか出来ないような特別なお話を、あたしたちはできるんだもの」
「そうだね、友達になれるといいね。さあ、明日も早いのだから、もうおやすみ」
ピエールにうながされて、ジャネットは口を閉ざし、目を瞑って、そして眠りにおちた。
たわいもない噂話に興奮する妹の寝顔を見つめながら、ピエールは、なぜか父が夢におぼえたという胸騒ぎとおなじものをおぼえていた。