ジャンヌ・ラ・ピュセルのための覚え書

胎動の章

二話 無畏公の死


パリは落ちた。
ブルゴーニュ派による、パリの掠奪は、その後、なんと二ヶ月間、止むことがなかった。
ブルゴーニュ公は、傭兵の手なづけかたをよく知っていたといえる。
思う存分、掠奪させ、好きなように振る舞わせ、満足させてやればやるほどに、かれらはブルゴーニュ公をよい主人と見なし、命令に従うようになる。
傭兵たちは義によってたちあがったわけでも、理想を持って各地を放浪しているのでもない。
大貴族に大金でもって雇われ、契約がきれれば、腹を満たすために、ついさっきまで自分たちを雇っていた貴族の領地も平気でおそったし、物資が足りなくなれば、なんのためらいもなく、目についた村や町をおそった。
そこには、いかなる慈悲もなかった。目を覆わんばかりの光景が、いたるところで繰り広げられた。
傭兵たちは、ただ奪うだけではない。異常なまでの苛虐心を満たすため、無力な者たちをさんざんになぶってから命を奪った。
手足をもぎとられ、あるいは木にくくりつけられ、まるで人形のようにあつかわれて命を落とした者の身体が、無造作に井戸に投げ込まれ、辛うじて難を逃れた者たちのその後の生活をも、すべて滅茶苦茶されるのが常であった。
欲望の赴くままに動くかれらは、フランス中を跳梁跋扈し、国をさらなる混乱と荒廃に追いやっていったのである。
暗鬱な空気は、いつまでも晴れることなく、むなしく歳月ばかりが流れていく。
パリの人々は、自分たちを暴虐のなかに見捨てた王太子を恨んだ。


王太子は、タンギー・デュ・シャテルに助けられたのち、一度は逃亡に成功したアルマニャック派をまとめ、パリの奪還に向けて動くが、これがまたパリの混乱を深くしたために、王太子は首都のひとびとから、ますます恨まれることとなる。
パリ奪還は、むなしい試みにおわり、成功しなかった。
王太子は、仕方なく、ヨランド・ダラゴンらとともに、ロレーヌ川の南に位置する、ブールジュという田舎町に移動する。
王太子はブールジュにて暫定的な政府を開くのであるが、アルマニャック伯もオルレアン公シャルルも、父王も、すべてブルゴーニュ派に捕らえられた状態で、しかも王太子自身が若すぎるということもあり、緑深いブールジュの田舎町に、活気が生まれることはなかった。

孤独な王太子を横目に、野心家のブルゴーニュ公ジャンは動く。
まずは結婚だ。
一組目は、自分の息子のフィリップと、王太子の姉妹であるミシェール。
二組目は、イギリス国王ヘンリー五世の弟のベッドフォード公とブルゴーニュ公の娘アンヌ。
三組目、これがもっとも重要なのであるが、イギリス国王ヘンリー五世と、やはり王太子の姉妹であるカトリーヌ。
ブルゴーニュ公は、この三つの結婚により、イギリスとフランス双方の王室を固く結び付けようと考えた。
もちろん、この三つの結婚の背後には、かならず自分の影響を及ぼさなくてはならない。
ブルゴーニュ公には、絶対の自信があった。
その自信を裏打ちしてくれるのは、影のように寄り添ってくれる……かれの妻ではなく……狂王シャルルの妻イザボーである。

母とブルゴーニュ公の画策による、妹たちの、この勝手な婚姻に、王太子はもちろん、その側近も怒り狂った。
しかし、いまのかれらには、なんの力もない。
ただ、フランスの南部より、状況を、指をくわえて見ているだけしかできないでいた。
とはいえ、いかに無力であろうと、王太子は、あくまで王太子。
ブルゴーニュ公のイギリスへの急接近を、危ぶんで見ている者もすくなくないなか、ブルゴーニュ公は、ひとつの手段を講じる。
ブルゴーニュ公は、膠着気味であった状況を打開しようと、ブルゴーニュ派およびアルマニャック派のあいだで、関係修復のための話し合いをおこなおうと提案した。
1419年9月10日のことである。
話し合いは、セーヌ川の支流であるヨンヌ川の武装橋上でおこなわれた。
もちろん、双方とも、護衛兵をともなっての話し合いである。
王太子側の護衛兵のなかには、パリの陥落の夜、王太子を逃したタンギー・デュ・シャテルも含まれていた。



シャテルは、幕屋からあらわれた王太子の出で立ちをみたときに、思わず眉をしかめた。
王太子は孔雀のような、なりをしていた。ぴかぴかの白銀の甲冑に、金糸をちりばめられた、王家の紋章の刺繍されたマント。
しかし王太子自身はというと、そのきらびやかな衣裳のなかにすっかり埋もれてしまっていた。
さらにわるいことには本人が、その出で立ちにあきらかに納得していない様子であったがために、よけいに浮きあがって見えた。
王太子は、シャテルと目が合うなり、怒りすら含まれた口調で、たずねてきた。
「余はどのように見える」
孔雀のようだ、と答えかけたシャテルであるが、あわてて頭の中で撤回した。
孔雀とは、虚栄の象徴である。うっかりそんなことを言ったら、王太子は臍をまげ、そのまま橋をもどってしまう可能性すらあった。

王太子は、この会見に乗り気ではないのだ。
自分の父を捕らえ、母を情婦にしている男との会談を、だれがよろこんで受けるだろうか。
しかし王太子がこの場に臨まねばならなかったのは、義母であるヨランドのつよい奨めがあったからだ。

「お似合いでございます」
シャテルはあたりさわりのないことを言ったが、王太子が向けてくるまなざしは、嘘つきを見る軽蔑のまなざしであった。
「おまえも義母上とおなじことを言う。正直に申してみよ。余は、おまえがなにを言おうと怒らぬぞ」
愚直なまでに正直なシャテルは、王太子のことばに従って、こたえた。
「孔雀のように見えまする」
答えてから、王太子が臍をまげるかと、ひやりとしたシャテルであるが、しかし王太子は逆に唇をゆがめて笑った。
「やはりそなたは正直者だな。ほかの者は、獅子のように雄雄しいだの、騎士の中の騎士だのと言ったが、みな嘘つきだ。余が、そんなことも見抜けぬ愚か者だと侮ってのことか」
皮肉なもの言いは、王太子のわるい癖である。
まだ若いということや、世にも複雑すぎる環境のなかにいるために、すっかりひねくれてしまっているのだ。
本心よりも、二倍も三倍もつよい言葉をもちいて心情を吐露する王太子を、心ない側近たちは、器量がちいさいと陰口をたたく。
王太子はそのことも知っていたから、ますます疑い深い性質になっているのだった。
「侮っているのではありませぬ。みな、殿下のお心を慮ってそう言うのです」
「ブルゴーニュ公は、余を見て笑うであろうよ。義母上のお心遣いはわかる。しかし、これは逆効果だ」
王太子は聡明なところを見せて、そんなことをつぶやいた。

ヨランドは、若年で脆弱な風采の王太子を、すこしでもブルゴーニュ公に対抗しうるものと見せるために、王太子に盛装をさせたのだ。
しかし、それは裏目にでてしまい、あちこちにへこみや傷すらある古い甲冑を身につけたブルゴーニュ公のほうが、威厳と風格を漂わせていた。
なにもしらない者をこの橋のうえにつれてきて、どちらが王かと問うたなら、おそらくは百人が百人とも、ブルゴーニュ公を指したであろう。
もともと、ブルゴーニュ公は、その姿勢のよさと颯爽とした雰囲気とで知られた人物である。
いまや、アルマニャック派は壊滅寸前の状態で、王冠はすぐ目の前だ。
自信に満ち溢れたさまは、まさに王のものとしてふさわしい。
一方の王太子は、派手な衣裳のなかに埋没した、陰気な顔の少年にすぎない。
それほどに、ふたりのあいだには差があった。

シャテルは王太子に同情しながらも、ブルゴーニュ公の鼻につくほどの上機嫌さに、なにやら不穏なものを感じ取っていた。
たしかに敵のほうが優位とはいえ、フランスじゅうの兵の数でいったなら、王太子側のほうが優勢だ。
だからこそ、ブルゴーニュ公は話し合いをもとめてきたのだ。
しかし、ブルゴーニュ公には緊迫感はない。勝利を確信しているからだろう。
その傲慢さが、悲劇を生む。


当初より、橋の上での話し合いは、緊迫した空気のなかで行われた。
王太子からすれば、目の前にあらわれたブルゴーニュ公という男は、狂ってなにも判断ができなくなっている父王を虜にした男、頼りになる従兄・オルレアン公シャルルの義父アルマニャック伯を捕虜にした男、そしてなにより、母であるイザボーを奪い、兄弟姉妹たちを自分の子供のように好きに扱う男、自分の人生をめちゃくちゃにしている張本人である。
そんな男に、愛想をふりまけというのが無理な話である。
王太子はそのとき、16歳。
対するブルゴーニュ公は48歳。

傍から見ているシャテルには、王太子がけんめいに苛立ちを堪えているのが、手に取るようにわかった。
この無口で、暗い表情をした少年王子は、この話し合いに、まるで期待をしていない。
少年ながらも、王家の血なまぐさい争いを目の当たりにしてきた王子には、ブルゴーニュ公という人物が、いかに信用ならないか、よくわかっていたのである。
今回の講和は、ヨランドら側近たちにつよく勧められて、やむなく出かけてきたものだ。
着心地のわるい衣裳のこともふくめて、王太子の心のなかは、不満だらけなのである。
ブルゴーニュ公のことばを受け流す王太子の面差しからは、かつてのあどけなさは消えている。
あまりに早く行き過ぎる一年のあいだ、王太子の面差しからは、少年らしい溌剌さもなくなっていた。

話し合いは、まるで進まなかった。
ブルゴーニュ公には、三組の婚姻によって、自分の力を存分に見せつけられたという自信があったのだ。
おそらく、王太子は意気消沈しており、すこしの脅しと甘言を弄して説得すれば、すぐに折れるものとタカをくくっていたのだ。
しかし、まだ十六歳の少年であるとはいえ、深く暗い、沈みがちの双眸は、やはり誇り高い王子のものである。
ヨランドの教育の成果もあり、シャルルは、ブルゴーニュ公の巧みな誘いには、いっさい乗らず、沈黙で答えた。
シャルルの、鈍いともいえる反応に、次第にブルゴーニュ公の言動に、苛立ちが含まれるようになっていった。

王太子にしてみれば、ブルゴーニュ公は仇中の仇だ。
王太子は、いわば、崖っぷちに立たされている。
ほかならぬブルゴーニュ公の策謀によって、父、主だった家臣、そして家族を奪われてしまった王太子は、孤独である。
しかも居城はブールジュという田舎。
なんの影響力もなくなっている状態で、あれやこれやと言われても、出せる答えは、二つにひとつしかないのだ。
すなわち、ブルゴーニュ公の前に膝を折るか、折らないか。
もちろん、当のブルゴーニュ公も、それはしっかりお見通しで、なかなか思い通りにならない頑固王太子に対して、いらだちを抑えながらも、駄々っ子をなだめるようなそぶりで対応する。
傲慢と強引を絵に描いたようなブルゴーニュ公のその態度は、王太子が膝を折りやすくするための態度だということは、だれの目にもあきらかであった。

ブルゴーニュ公の、たったひとつのまちがいは、王太子の中にある、意外にもつよい王子としての誇りであった。
ブルゴーニュ公は、脆弱な王太子は、自分が姿を見せれば、あとは簡単に言いなりにすることができるだろうと踏んでいた。
おそらく、はるか昔に見た、痩せっぽちで陰気な子どもの印象が脳裏にあったのだろう。
それに、王太子の母にしてブルゴーニュ公の情婦であるイザボーも、流されやすい、浅墓な女であった。その息子も同じようなものだろうと、タカをくくっていたのだ。

たしかに、王太子の生母はイザボーかもしれない。
だが、育ての親は、この一年、アルマニャック派および南フランスをがっちりとまとめてきた、ヨランド・ダラゴンその人なのである。
ヨランド・ダラゴンは誇り高い賢婦であり、その気性は、養い子である王太子にも、しっかり受け継がれていた。
頼るべき父は狂っており、母親は愛人のもとに身を寄せている。
兄弟たちは愛人たちの言いなりで、大きな味方となってくれていた家臣や従兄は捕らわれの身。
そんな中での、王太子の心の拠りどころは、もはや王太子自身しかいなかった。
ヨランドはそれを見抜き、だれが裏切ろうと、自分だけは自分を裏切ってはならないと、王太子に教えたのである。
なぜなら、王太子であるからである。未来のフランス王だからである。
王太子という肩書きこそ、王太子の心の拠り所であった。
そのため、あくまで家臣にすぎないブルゴーニュ公の言いなりには、頑としてなろうとしなかった。

時間が経つにつれ、ブルゴーニュ公側に、焦燥がつよくなりはじめた。
ブルゴーニュ公からすれば、うまく誘導し、王太子より、王位継承権の破棄の申し出を引き出したかった。
いや、最低でも、南フランスを中心とした都市への働きかけを止めることを、約束させたかったのである。
しかし、王太子は、シャテルも感動するほど立派に、ブルゴーニュ公の巧みなさそいを、沈黙と、『余はそれをよしとしない』の言葉とで、ことごとく跳ね除けた。
時間だけが経った。

やがて、ブルゴーニュ公の欠点が、ほかならぬブルゴーニュ公自身の足元をすくうこととなる。
ブルゴーニュ公は、短慮な男である。
短いあいだにかける集中力はすさまじいものがあるが、じつは、ねばり強い交渉ごとには、まるで向いていない性格であった。
そのため、当初は丁寧であった口調が、徐々に、剣呑なものになり、やがてそれは、叱責するような、はげしい口調に変化していった。


あやういな。
そう思いながら、シャテルは交渉の推移を見守っていた。
一年間、王太子のそばで働いてきたシャテルは、すっかり、この少年に同情しきっていた。
かたくなで、内気で陰鬱な性格をしているが、それは環境が悪すぎるためだ。
ただの陰気な少年というわけではない。王にふさわしい美点もちゃんとそなえている。
すなおで信心深く、婦人をうやまい、文人肌で、暴力をこのまない。
いまの荒れ果てたフランスには、血気盛んな王よりも、慎重で、思慮深い王のほうがのぞましいと、シャテルは考えている。
王の血を引いているからという理由だけではなく、王太子には王にふさわしい器量があると思っていた。
政治に走りすぎるブルゴーニュ公を、シャテルは騎士として嫌っていた。
だんだんと、王太子にたいし、命令口調になりつつあるブルゴーニュ公の顔を、じっと見つめる。

ブルゴーニュ公の狙いは、王太子の妹とイギリス国王ヘンリー五世を結びつけることで、二人のあいだに生まれる王子に強い影響力を与えることで、影からフランス王を支配することである。
さすがに、いろいろと失敗を重ねすぎた自分が、図々しくフランス王に名乗りをあげられないことは、じゅうぶんに理解しているらしい。
謙虚さといおうか、それとも王族ゆえの遠慮なのであろうか。
しかし、王冠がほしいという目的に、ブレはない。
ブルゴーニュ公にとっては、おのれの野望を果たすために、あくまで王太子は邪魔である。
とはいえ、殺してしまったら、オルレアン公(シャルルの叔父にあたる)を暗殺したときのように、世間のつよい非難を浴びることになり、これはうまくない。
だから、王太子や、その側近たちが、みずから膝を折って、自分のもとに降ってきてほしいと考えているのだ。
そのあたりは、やはり図々しいといえよう。
とうぜん、王太子は、そんな提案に頷けるはずがない。

一方的に叱責するブルゴーニュ公と、陰鬱な調子で受けながす王太子。
やがてブルゴーニュ公の口調は、度を越して熱いものに変化していった。
さすがに王太子も我慢が限界を超えてきたのか、いつもは大人しいのに、まるで人がちがったように、ブルゴーニュ公のことばを、次から次へと切り換えしていく。
すると、最初は、手ごたえあり、というふうに、余裕の表情で言葉を受け止めていたブルゴーニュ公であるが、なにかのはずみで、かっ、と頭に血をのぼらせ、はげしく怒鳴りはじめた。

それがきっかけであった。
やがて、双方とも感情が爆発するときがきた。
シャテルがおぼえているのは、ブルゴーニュ公が父王に触れたときである。
パリに置き去りにしてしまった父王について、後悔をおぼえていた王太子にとっては、もっとも触れられたくない話であった。
王妃の不貞が原因で狂気にいたった国王は、もう使い物にならないので…と、いう内容のことをブルゴーニュ公が口にした。
王太子は怒りのあまり、ぶるりと大きく震えると、身に帯びた剣に手をかけた。
それを見るや、反射的に、ブルゴーニュ公も剣の柄に手をかける。
さらに、かれらに倣って、たがいの護衛兵が、帯びていた剣の柄に、手をかけた。

がちゃり、と鉄の音が、びっくりするほど周囲に響き渡った。

ほかの者と同様に、反射的に、身構えたシャテルであるが、感心したことに、ここで王太子は、柄には手をかけたものの、鞘から刀身を引き抜くまえに、おおきな鉄の音におどろいたらしく、あわてて柄から手をはなした。
感情に走ることなく、自分をおさえ、すぐに理性をとりもどしたのである。
そして、さらに立派なことには、王太子を守らんと、同じく剣を抜こうとかまえていた護衛兵たちに、
「冷静になれ、剣を抜いてはならぬぞ」
と、気高く命令したことだ。
護衛兵、つまりシャテルたちは、思いもかけない王太子の立派なふるまいに打たれて、自分たちも冷静さをとりもどし、命じられるまま、剣の柄から手をはなした。

しかし、シャテルは、王太子の命令を守りながらも、王太子の前方で、いまだ剣の柄に手をかけている、ブルゴーニュ公の動きを気にしていた。
城壁をぐるりと一周してきたかのように、頬を上気させ、呼吸も荒い。
すっかり馬鹿にしていた王太子が、意のままにならぬことがお気に召さなかったのか、理性を失っている様子だ。
まさかとは思うが、この男、王太子を、この場で殺そうと考えているのではないか。
ぞっとする想像を描きつつ、シャテルが注意深くうかがっていると、ブルゴーニュ公は、護衛兵たちをなだめるため、ちょうど背中を向けている格好になった王太子を、凝視している。
その胸に去来するのは、どんな種類の感情なのか。
シャルルの無防備な背中を見つめつつ、ブルゴーニュ公が、剣の柄をにぎりなおすのが見えた。
一瞬だけ、ほんの少しだけ、剣が鞘からぬかれる。
ためらってはいられない。
シャテルはすぐさま動いた。

みずから剣を抜き、おなじく王太子に向かって剣を抜こうとしていたブルゴーニュ公の脳天めがけて、容赦なくその剣を振りおろした。
頭蓋骨を割る音が、にぶく響く。
シャテルの目の前で、鋼鉄の甲冑に身を包んだブルゴーニュ公が、奇妙にゆっくりと、崩れ落ちていくのが見えた。
柄に手をかけたままの姿勢である。
その額からは、あざやかに赤い血が噴き出していた。

「なんということを!」
抗議の声をあげたのは、ブルゴーニュ公の側近ではなく、王太子のほうであった。
振りかえれば、驚愕の表情を浮かべ、責めるような眼差しを向けている、王太子の顔がある。
ほかの護衛兵が、シャテルをかばうべく、ブルゴーニュ公の手の動きをごらんください、と進言した。
きつくシャテルをにらみつけていたシャルルであるが、茫然自失の呈でころがるブルゴーニュ公の手が、たしかに、柄を掴んだままなのをたしかめると、狼狽した表情をうかべ、くちびるを引き結んだ。
ブルゴーニュ公を助けるため、橋の反対側から、侍従たちが走って飛んできた。
やがてブルゴーニュ公は、傷の痛みにうめきつつ、侍従たちや護衛の騎士たちに担がれるようにして、橋の向こうがわに消えていった。

その姿を、じっと見つめていた王太子であるが、ブルゴーニュ公の姿がちいさくなると、陰鬱につぶやいた。
「これで、交渉は決裂する」
シャテルは、王太子の命令をまつべく、じっとそばに控えていた。
王太子は、シャテルも、ほかの騎士たちの姿も忘れてしまったかのように、じっとブルゴーニュ公の姿を目で追うことをやめない。
かたわらでみていたシャテルには、王太子は、ブルゴーニュ公を見つめてはいるけれど、実際には、どこか遠くを見据えているように見えた。
その瞳は、やはり、暗く重い色をしている。
シャテルをかばった同僚の騎士が、王太子をうながすべく進言した。
「殿下、すぐにブールジュへお帰りくださいませ。まさかとは思いますが、いまのことで、公爵が、われらに追撃を差し向けてくるかもしれませぬ」
「そうかもしれぬ」
言うと、王太子は、暗い瞳を伏せて、低く言った。
「しかし、帰ったところでどうなるというのだ。ブルゴーニュ公が、わたしを殺そうとするのならば、それはそれでよかったとすら思う。もしもこの命が奪われたとしたら、世間は二度と、あの男を許そうとしないであろう。
あの男には、このフランスの、一片の土たりとも与えたくない。もしも、生きていてそれが叶わず、死ぬことでそれが叶うのであれば、命なぞ、惜しくはなかったのに」
その自虐的にすぎることばに、シャテルをはじめ、騎士たちはたがいに当惑の表情で顔を見合わせた。
「恐ろしいことをおっしゃる。王太子さまがご健在であるからこそ、世人は王家を指示しているのでございます。王太子さまがお亡くなりになれば、ブルゴーニュ公の専横は、ますますひどくなることでしょう。
フランスの民のためにも、王太子さまは生き残らねばなりませぬ。死んでしまったなら、王太子さまの御名は、みなから忘れられてしまうことでしょう」
沈黙を守っていたシャテルが、励ますように言うと、シャルルは、ため息のようにつぶやいた。
「いまとて、みな、わたしのことを忘れているではないか」
「忘れているのではなく、忘れさせられているのです。王太子さまは、堂々と、王太子としてお振る舞いになっていればよいのです。
冬の厚い雲が晴れたあとの春の日に、われらがふたたび太陽を見つけるように、みなが王太子さまの存在を見つけるでしょう。そのときまで、毅然としておられればよいではありませんか」
「冬、冬か。まさに冬であるな」
王太子がつぶやく言葉は、これからおとずれる、長い冬を憂うものであった。
これからの数年間は、王太子にとって、人生における長い冬の季節となる。

そうして王太子は、帰還をうながす騎士や侍従たちとともに、踵を返して、自分たちの陣地、ブールジュへとむかって引き返していった。


その後、ほどなくして、シャテルのつけた傷により、ブルゴーニュ公ジャンが命を落としたと知らせが入ってきた。
あたらしくブルゴーニュ公となった、ジャンの息子フィリップは、これを、王太子による暗殺だと、世に訴えた。
王太子側は、すぐさま反論して、これは正当防衛なのだと訴えたが、イギリスを後ろ盾としたブルゴーニュ派の勢いはやはり大きく、世論は王太子に不利な方向に動いていった。
父を見捨て、ひとりで逃げのびた王子。おなじ血をわけた王族を暗殺した、神をも恐れぬ王子。
そんな王子に、フランスの王冠を与えてよいものなのだろうか。



陰鬱な冬がやってきた。
ブールジュの寂しい冬には、笑い声が起こることもない。
ただひたすらに冷たく暗く、悲しい冬が過ぎていった。
ブルゴーニュ公ジャンの死後、王太子の表情は、以前にも増して、暗く、人を寄せつけないものになっていった。
心を開いている相手は、義母のヨランドと、妻というよりは、妹にも似た存在である、マリーだけである。
王太子は朝になると、城の祈祷所にひとりで籠もり、熱心に祈りを捧げるようになっていた。
その内容は、だれも知ることはなかったが、熱心な祈祷がはじまったのが、ブルゴーニュ公ジャンの死後であることから、ジャンの死につよい責任を感じていることは、だれの目にもあきらかであった。
ジャンの息子フィリップは、父の死をはげしく怒り、その抗議の意味も含め、喪服を脱ごうとしないという。
その報せもまた、繊細な王子の心を痛めつける材料となっていた。
このときより、王太子に、自身に王としての器が備わっているのかという、根深いところにきざす疑問に悩まされることとなる。
王太子には、自信がないのだ。
たしかにヨランドは、実の母以上に惜しみない愛情を王太子に注いだが、しかしそれは、普通の子どもを育てるのとはちがい、盲目的な、やすらぎをもたらす類いの愛情ではなかった。
彼女は、自分が育てている少年が、いずれはフランス王になる少年であることを、よく承知していた。
だから、ヨランドの養育の仕方は、優秀な女教師が、教え子をたいせつに育てるのに似ていた。
ヨランドが、あまりに賢婦であったことも、王太子の自信を失わせていた。
ブールジュを仕切るヨランドの采配は、いつの場合でも、たいがい正しく、よい結果をもたらした。ゆえに、家臣たちも、王太子よりは、ヨランドに、よりつよい信頼を抱いている。
ヨランドは、そこででしゃばるような振る舞いもしなかったから、やはり評判はよいままで、隙がない。
それゆえに、王太子の前には、まずブルゴーニュ派よりも、ヨランドという壁が立ちふさがっていたといっていい。


シャテルは、ますます内側に籠もっていく王太子の姿を、危機感を持って見つめていた。
口数はますます少なくなり、浮かべる表情も暗いものばかり。よいことが何もない王太子のために、気のきいた者が道化をつれてきたり、狩りに連れ出してみたりと、いろいろと楽しませようとするのであるが、王太子は儀礼的に笑うばかりで、実際には、すこしもよろこんでいないことはあきらかであった。

それでも、王太子は、たまにシャテルにこんなことをたずねる。
「ブルゴーニュ公は、ほんとうに余を殺そうとしていたのだろうか。たしかにおまえが打ち倒したとき、公の手は剣の柄を握っていたけれど、あれは、おまえの攻撃をかわそうと、咄嗟に剣に手をかけたのではないのか」
シャテルは、それをきっぱりと否定した。
「いいえ、殿下。公は、あのとき、たしかに殿下を殺そうとしておりました。わたくしは、公が卑怯にも、殿下の背後より剣を抜こうとしていたために、先んじて公を討ったのでございます」
「みな、おまえの肩を持って、タンギー・ドゥ・シャテル殿のおっしゃることにはまちがいない、と口をそろえる。しかしシャテルよ、そなたはみなから好かれておるゆえ、みなは、余がおまえに害をなすことをおそれ、みなで余をたばかっているのではないだろうな」
シャテルは、パリが陥落したさいに、王太子を助けるためだけに働き、そのほかのすべてを失っていた。
シャテルの妻も、イギリス軍がパリに突入した際に、火災に巻き込まれ、命を落としていた。
パリにあがる炎を王太子は見つめていたが、まさに、その紅蓮の炎のなかで、シャテルの妻は息絶えてしまっていたのだ。
なくすものは、もはや命だけである。命を失うことはおそろしくはない。心を失うことが恐ろしい。
だからこそ、騎士の誇りでもって、シャテルは王太子をまっすぐに見据えると、いった。
「剣にかけて、わたしは、嘘を申しあげてはおりませぬ」
王太子は、はじめて顔をあわせたときと同じように、やはり表情のよめない瞳でもって、じっとシャテルを見つめていた。
「おまえは、余を、どうしようもなく疑い深い男だと思っているだろうな」
その問いに、シャテルは本心から首を振った。
「いいえ、殿下。殿下はいま、つらい時を過ごしておられる。ですから、気が塞いでおられるのです。時がたてば、やがて殿下にも真の春が訪れましょう。
殿下がわたしをお疑いになるのは当然でございます。殿下は、あのおり、ご立派にもわれらに剣を抜くなとおっしゃった。
しかし、わたくしはそれを無視して公を討ったのですから。わたしを疑うことをすら、責めてはなりませぬ。殿下はなにゆえ、そうもご自分を責められますのか」
シャテルが言うと、おどろいたことに、それまでまるで表情の動かなかった王太子の、その白皙の顔に、一粒の涙が、すっと頬をこぼれていった。
シャテルが言葉をなくしていると、王太子は声を震わせるでもなく、涙をつくろうでもなく、淡々とつぶやいた。
「わたしが責めているのは、わたし自身ではなく、わたしに与えられた運命を責めているのだ。そして、この運命に打ち克つ力を持っていないわたしという人間に、このような運命をあたえた神のお心を測りかねている。
わたしは毎朝、神に祈っている。しかし、神は一度たりともわたしに答えてはくださらぬ。わたしは王としての器に足る人間なのだろうか。そうではないのに、この座にあるとしたら、それはとても恐ろしいことであろう。
義母上は、わたしは王になるべき男だというのが、わたしはわたしが信じられぬのだ。
もしも王であるならば、わたしは父をお助けできたであろうし、ブルゴーニュ公をあのように死なせることはなかったはずだ。そして、みなもわたしを責めたりすまい。
王の子であるというだけで、わたしが王になるべきだと、みなはいうのか。王とは、王になるにふさわしい人物こそがなるものであろうに」

シャテルは、この王太子の中にある王というものの理想が、あまりに高いことに、おどろいた。
王太子のいう王とは、それこそはるか昔に円卓の騎士たちをしたがえ、ブリテンを回復し、ローマとすら戦った伝説の王アーサーのように強く、気高く、輝かしいものなのだ。
シャテルは、それを少年の夢想だと呆れはしなかった。
むしろ、希望をそこに見い出した。
これほどに高い理想を持っているのであれば、あとは自信、そしてきっかけさえあれば、この少年はその唇から語られるような王になることができるのではないか。
その自信を与えてやれるのは、勝利か。
いや、勝利ではあるまい。勝利を得るにしても、自信がそこになければ、そもそもの勝利は得られまい。
では、なんであろうか。


シャテルは王太子のもとを離れ、おのれの持ち場に帰ろうとしたが、そこを、ヨランド・ダラゴンに呼び止められた。
オリーブ色の肌をした黒髪のうつくしい未亡人を、シャテルは騎士としてだけではなく、すぐれた指導者として尊敬し、崇めていた。
実権を握った女にありがちな、ぎすぎすとした雰囲気はヨランドにはない。
深い慈悲をたたえた黒い瞳と、光沢のあるオリーブ色の肌は、いつか南フランスで見た、黒いマドンナ像を思わせた。
「シャテル殿、そなたに頼まねばならぬことがあります」
と、ヨランドは切り出してきた。
そして、背後にひかえている侍女たちに、下がるようにと目で指示をする。
内密の話らしい。
わずかばかりのときめきを覚えつつ、シャテルはヨランドの頼みとは、なんであろうと想像した。
王太子ばかりではなく、ヨランドもまた、パリから自分たちを逃がしてくれたシャテルを信用しきっていたのである。
しかし、その日のヨランドの表情は曇っていた。

「このようなことをそなたに頼まねばならぬことは、気が引けるのだが、単刀直入に言おう。そなた、ブールジュを出ておくれ」
唐突な申し出に、シャテルはおどろいた。
たとえヨランドの頼みだとはいえ、それは聞けないことである。
すぐにシャテルの脳裏にあったのは、さきほど見た、王太子の姿であった。
あの孤独な少年をひとりにするわけにはいかないと、シャテルは思った。
ただの少年ではない。自分が命がけで二度も救った少年なのである。
思いいれは、おそらくヨランドと同じくらいつよいものに変わっていた。
馬の事故で死んでしまった息子のことも、どこかで重なっていたかもしれない。

それが、頑固な表情にあらわれたのか、ヨランドは、悲しそうな顔をしてつづけた。
「そなたの忠心を疑っているわけではない。王太子が、そなたを信用していることもわかっておる。わかっていて、わらわは命じておるのじゃ。
王太子が苦しんでおられることは、わらわもよく知っておる。それはそなたも見たであろう。だからこそなのじゃ」
「どういう意味でございますか」
「シャテル殿、王太子は、そなたの顔を見るたびに、ブルゴーニュ公のことを思い出し、罪の意識に悩まされておる。そなたが、王太子を守るために剣を抜いたことを責めてはおらぬ。むしろ、わらわはそなたの忠勤に感謝しておるのじゃ。
しかし、だからこそあえて言う。そなたは王太子のもとを離れねばならぬ。わかってくれるな」
シャテルは沈黙した。

ヨランドの言葉は、たしかに当たっている。
王太子を悩ませているブルゴーニュ公の死。
これをもたらしたのは、ほかならぬ自分だ。
王太子がシャテルを恨んでいないのはたしかだが、王太子の悩みがいつまでも晴れない一因は、たしかにシャテルがそばにいることでもあるのだ。

沈黙するシャテルに、ヨランドは、思いのほか優しいくちぶりで、諭すようにつづけた。
「追放するのではない。わらわには、王太子より六つ年下の息子がおる。そなたの騎士としての働きを見込んで、これに仕えてほしいのじゃ」
思いもかけない要請に、シャテルは口を開いた。
「六つといいますと、いま十一歳でございましょう」
「そう。あれには父がいないゆえ、そなたのように経験深い立派な騎士に、騎士とはなんたるかを、教えてやってほしい。王太子に対する、そなたの態度を見て、決めたのじゃ。
ルネは、わが子ながら聡明でよい騎士になる素質をもっておる。あの子と接しておれば、そなた自身も気が晴れようぞ」
シャテルはおどろいて反駁しようとしたが、しかしヨランドはそれを言わせず、意志の強そうな黒い双眸をまっすぐに向けてきた。
「王太子が罪の意識に悩まされている以上に、そなたもまた、王太子を苦しめているということで悩んでおろう。そなたはわれらにとっても失いたくない味方である。このままでは王太子も苦しみ続けるであろうし、それはそなたにも同じこと。
われらは、この冬をなんとしても乗り越えねばならぬ。やがて春はかならず訪れるであろう。そのときに、シャテル殿、そなたにも王太子のもとにいてほしいのじゃ」
シャテルは、あらためて、ヨランドの眼力と配慮に感服した。
ヨランドは、王太子ばかりではなく、シャテルも、ともに自滅してしまうことを恐れているのだ。
その心を素直に受けるべく、シャテルは深々と頭を垂れた。
「わたしごときに、なんともったいないご配慮でしょうか。仰せのとおりにいたしましょう。そして、春が訪れたあかつきには、わたくしは、かならず殿下のもとに馳せ参じます」
ヨランドは、安堵とともに、深くうなずいた。
「ぜひそうしておくれ。シャテル殿が聡明な方でよかった。わらわは、王太子に近すぎるそなたを排除しようと考えているのではない。王太子の苦しみが和らいだなら、かならず元気にもどってきておくれ」
「かならずや。では、さっそく出発の準備に入ります」
そうして立ち去りかけたシャテルであるが、ふと思いつき、ヨランドを振りかえった。
「殿下には、かならずや選別の剣があらわれて、御身を選ぶことでしょうとお伝え下さいませ」
ヨランドは、威厳あふれる相貌に、怪訝そうな表情をうかべた。
「伝えるのかかまわぬが、選別の剣とはなんじゃ。あのケルトの騎士王の伝説にある、カリブールのことか」
「左様。その剣を引き抜くことができたなら、王の証と謳われた剣でございます。殿下が真の王である証に、剣はきっとその前に姿をあらわしましょう。すくなくとも、わたしはそう信じておりますと」
「わかった、伝えよう」
ヨランドがうなずくのを見届けてから、シャテルは背を向けて歩き出した。

そこからはじまる数年は、すでに老境に入ろうとしているシャテルにとって、一時の休息として与えられるものになるのであるが、もちろん、神ならぬ身であるシャテルは、そんなことを知る由もなかった。

三につづく
更新履歴へ
オリジナルMAPへ