飛鏡、天に輝く

四十三

「あんたには、謝らなくちゃならん」
と、酔っ払いは、ひとしきりケタケタと笑ったあとに、不意に真面目な顔をして言った。
が、その顔は、孔明がいる場所とは、まるで見当違いの方向をむいている。
魯粛が見つめているのは、玄関口に植えてある、河から吹く風に身体をくねらせた松である。
松になにを告白しようとしているのか、この男は?

「すまんとしか言いようがない。ほんとうにすまん。が、俺もできるかぎりのことはやったのだ」
「なにをだ」
孔明がたずねると、正面から声がしなかったので、不思議そうに魯粛はきょろきょろとして、孔明のほうを一度はちゃんと見たのであるが、しかしまた松のほうを向いた。
どうやら魯粛には松が孔明で、孔明が松に見えているようだ。
この松とわたしとで、どういう共通性があるのだろうと、孔明は考えたが、細い、という以外になにも類似性を見出すことはできなかった。
酔っ払いの視界はふしぎである。

「しかし、あんたもいけない。なんだってよりによって、水夫たちを納得させるにしても、『自分は瑯琊の出身だから道術の心得がある』など、とわけのわからんホラを吹いたのだ。ふつうの人間のくせに」
孔明はなにを責められているのか、わからない。
酔っ払いの説教はつづく。
「船の舳先の護符。あれを消させるための方便だった、と俺がいくら説明しても、どういうわけか水夫連中は、いや、そうではない、あの人は仙人の類だ、と言い出している。
講談師が、子供らになんて話して聞かせていると思う。鳥林で霧が発生したのは、あんたの仙術の効果だ、なんて言っているのだぜ。
あんたがそんなに偉大な仙人だか道士だかなのだとしたら、とっくの昔に曹操はどっかで足止めを食ってるだろうよ」
「まあ、そうだ。わたしはふつうの人間だ」
「そうだ、あんたは、ごくごくふつうのほら吹きだ」
と、魯粛は非難するようにして指を差した。松を。
「ほら吹きなうえに生意気で、自分勝手で、思いやりもなければ、協調性もない。
都督を怒らせるわ、客分のくせしてよその家で兄弟げんかはおっぱじめるわ、俺の苦手な頑固じいさんとは仲良しだわ、いいところがない!」

ずいぶんな言われようである。
孔明はムッとしながらも、魯粛と、非難される松を見つめた。
「とはいえ、ほら吹きのあんたを柴桑につれてきたのは俺なのだから、俺に責任はある。
だから謝る。すまん。でもって、頼むから俺に祟ってくれるな」
「わたしはまだ生きているし、いまのところおまえを祟る予定もないが、そこの罪のない松は気を悪くして、どう考えているかわからないぞ」
「松?」

魯粛はふしぎそうに目の前の孔明(だと思っている松)をじっと見て、それから松(だと思っている孔明)を見たが、やはりまた、松を見た。
どうやら、松に、なにか、魯粛の考えるところの、孔明らしさがあふれているようである。
「あんたも酔っているらしいな。朝からみっともないだとか、そういうことは、俺は言わない。寛大だからだ。都督とちがうからな」
その言い方に、孔明はぴんと来るものがあった。
「都督となにかあったのか。だからそこまで飲んでいるのか」
「あったもなにも、あの人は、どんどん悪くなっていく。以前と比べれば別人のようだ。これはまわりの人間がみんなそう感じていることだろうよ。
あれほど誇り高く輝いていた周公瑾は、病に蝕まれて、こんなにも崩れてしまっていると。
気の毒に。あんまり気の毒すぎるので、俺はあんたにすまないとは思うが、やっぱりあんたの味方にもなりきれないのだ」
「どういう意味だ」
「言ったろう。いや、言わなかったか? わからなくなってきたぞ。
つまりだ、都督は怪我をして、いま寝込んでいる。でもって、あんたをまたまた引っ張り出して、自分の冥途の道連れにしてやろうと考えている。
風を吹かせなければ、あんたの首は飛ぶのさ。あんたのことを憎んでいるってのに、死んでまで一緒にいたいなんて、複雑な心境というやつだな。
俺なら、あんたみたいなのと冥途で一緒に歩きたくないぜ。道すがら、ずうっと嫌味を言われそうだからな」

酔っ払いの妄言を取り払ったことばの中に、たしかに身に迫りつつある危機を感じ、孔明は、ぞくりと悪寒をおぼえた。
「都督が怪我をした? 風を吹かせるだの、なんのことだ? 
しっかり答えろ。まだ酔いからさめぬというのなら、おまえの大好きなその松に縛り付けて、あたまから井戸の水をかぶせるぞ!」

孔明の脅し言葉が利いたのか、それとも、たまたま酔いが醒めつつあったのか、そのあたりはわからないが、ようやく魯粛は、まともに事情を説明しはじめた。
しかしそれでも行きつ戻りつの不毛な会話がつづいたので、ざっとまとめると、以下のとおりである。

周瑜は孔明が最初に鳥林へ行ったのとおなじように、自分もまた少数の船団を引き連れて、夜霧にまぎれて船出をした。
霧は、鳥林に行くまで晴れることはなかった。
途中までは、たしかに順調であったのである。

が、周瑜の運のなさは、鳥林に到着したころから目立ち始める。

夜宴のさなかにあらわれた、無粋な偵察船が、じつは鏃をあつめるために、孔明がわざとそれとわかるようにして工作をした偵察船だった、という話は、すでに鳥林にも広まっていた。
笑い話としてである。
曹操は冗談好きの男であったが、この冗談にはどうしても笑えなかった。
江東の思い上がった田舎者が、夜宴で油断をしていると思い込んだか、夜襲をかけてきた。
これを矢を射掛けて追い払えと命じたのは、じつは曹操である。
その夜、曹操は宴のさなかに、とてもよい詩をつくることができたので、上機嫌だった。
そのために酒をしこたま飲み、軍略の天才が、その才能をまるで活かせなかったのである。
あとになって、その船が、じつは矢での攻撃を受けることを想定して武装していた船で、しかもその策が、劉備(あの、人の陣地に寄宿するのが趣味の筵売りの傭兵くずれ)の軍師だという諸葛孔明なる珍妙な名前の若者によって練られたものだと聞いたときのくやしさといったらなかった。
そんな無名のやつに、まんまと鏃を奪われた。

しかもあとがいけない。
なにかおかしいなと思いながら上陸してみたら、今度はずいぶんと背格好の立派な(曹操は自分の不恰好さが好きでなかったから、その逆だというだけで、じゅうぶんに腹立ちの理由となる)男があらわれて、おまえの陣地は疫病にさらされているぞと警告してきた。
なんのことやらと思って調べてみたらば、はたしてそのとおりであった!

その後、男は鮮やかに用件だけすませると、目の前から姿を消したが、名乗らなかったものの、どうもそいつも劉備(人に媚を売るのが得意な、兵法書もろくに読んだことのない田舎者)の配下だったような気配がある。
つまりは、一晩のうちに、二度も、劉備(立派なのは義兄弟だけ)にしてやられた。

曹操にとって、これほど恥ずかしいことはなかった。
劉姓というだけが取り柄で、本来ならば田舎で母親孝行をしながら筵を売って生計をたてていたであろう男。
曹操は劉備がきらいだ。差し向かいになると、なぜか嫌悪感が消えて、ついつい親切にしたくなってしまう変な魅力があるところもきらいだ。
そして、自分が宦官の祖父をもつというだけで、幼少から差別をされ、さまざまに努力し功績をのこしても、いまだに蔑みの声がなくならないのに対して、努力はしているだろうが功績がまったく残せていない劉備のほうが、劉姓だからというので人気がある、ところが、大嫌いだ。

曹操は二度と失敗してなるものかと誓った。
だから、もうその夜以降は、酔狂に夜宴で舟遊びをすることはしなくなった(昼は別)。
逆に、霧の出た日は用心をして、いつもより倍の船を警戒に出すようになっていた。
そこへまさに飛んで火にいる夏の虫となったのが、周瑜の船であったのだ。

曹操の家臣たちは、曹操の怒りをよく知っていたから、二度目の失敗はできなかった。
それに、かれらにしても、また同じようにのこのことあらわれた江東の船団に怒りがある。
いつまでも同じ手が通用すると思うなよとばかりに、船はいっせいに攻撃を仕掛けた。
今度は、船に直接乗り込んで、白兵戦をする構えである。

ただの偵察で行ったつもりだった周瑜の船団は、これはたまったものではない。
偵察どころか、霧のせいでほとんどなにも見ることができず、曹操の船団に追われるようにして、北へ向かって吹く風に助けられ、ほうほうの体で鳥林を離れた。

が、その攻撃をかわすさいに、陣頭指揮をとっていた周瑜の肩を、運悪く矢が射抜いた。
それでも江東の船団が混乱せず、一艘も捕らわれることなく帰還できたのは、日ごろの調練のたまものである。

そして、北の風を受けて柴桑へ戻りながら、周瑜と魯粛は、重大なことに気づいた。
風である。

周瑜も魯粛も、開戦が決まってからすぐに、おおかたの作戦を決めていた。
水上戦で勝敗を決する。
まずはそこが第一前提だ。
つづいて、気にしなければいけないことは、水上戦から陸上戦に移行させてはならない、戦を長引かせてはいけない、ということだ。

陸上戦になれば、曹操の虎の子・青州兵が出てくる。
かれらの本領を発揮されたら、逆に陸上戦においては、これまで大きな成果を上げられていない江東の軍は、まだ曹操には余力があるのかと怖じ、浮き足立つ可能性がある。
それを防ぐためには、陸上戦に持ち込ませないために、水上戦で大打撃を与える必要があるのだ。

大打撃、つまりは水上戦にて敵の兵力を大幅に削ることであるが、それほどの打撃を加えられる攻撃法となると限られる。
火である。
水上にて接近し、曹操の船に火をかける。
もともと水上戦に慣れていない曹操の兵は、おのれの船に火が移ったら、それだけで大混乱に陥るだろう。
さらにそこへ、黄祖戦でしたように、船に乗り移って白兵戦に入り、戦意を殺ぐ。

これしかない、という思いが、周瑜にも魯粛にもあった。
たがいに、黄祖戦において見せた、江東の臣たちの活躍の記憶も、まだあざやかに脳裏に残っている。
もちろん、実際に戦った男たちにしても、同じように自信を持っているはずだ。
と、これまでは昨日までの話である。


鳥林に魯粛を伴って向かった周瑜は、船室に用意された寝台のうえで激痛に耐えながら、歯ぎしりをしていた。
痛みに負けそうになるおのれを殺すためではなく、いまのいままで、初歩的なことに気づかないでいたおのれを、忌々しく思ったからである。

秋から冬へと移行するこの時期、風はもっぱら北から南へと吹く。
曹操の船団は、西の鳥林から、東の陸口へ長江を横断し、上陸するはずだ。
となると、江東の船団は、長江を横断する船団を、北から邪魔をする形で攻撃することとなる。
火をかける場合、南東へ吹く風がなければ、火は味方に燃え移ってしまうのだ。

そうなれば、もはや戦どころではない。
数では劣っている江東の船団には、次はない。混乱し、敗退してしまえば、やはり数で勝る曹操軍が有利となる。
かれらには豊富な物資と人員があるから、次があるのだ。
機会はただ一度きり。
しかし、肝心の風が吹かないかぎりは、この作戦はつかえない。

さて、火がだめだ、となると船上での白兵戦を選択しなければならない。
この場合、曹操の船団に接近し、兵卒を敵船へ送り込んでの戦いとなるわけだが、そうなると、損害が多大になるであろうことは、容易に想像がついた。

戦はこれきりではない。
周瑜は天下二分の計を構想に戦っている男だ。
曹操が去った後の荊州のことも、もちろん考えている。
曹操が完全撤退するはずがなかろうから、荊州に残存する曹操軍と、今度は陸上で戦うことになるはずだ。
そのときのためにも、なるべく兵の犠牲はすくないほうがいいのである。

周瑜は激痛に耐えながら、ほかの選択肢を考えたが、しかしなにも浮かばなかった。
やはり、火を使うのが、もっとも効果的なのである。
これ以外に最良の作戦はないように思えた。
だが、風。
風が必要なのだ。

「周都督は、いまはどちらにおられるのだ」
井戸からくみ上げた清水を、杯になみなみとついで、孔明が魯粛に差し出すと、いまだ玄関脇のお気に入りの松の前で、壁を背に、ぺたりと座り込んでいる魯粛は、受け取るや、すぐに杯を飲み干してみせた。
「うまい。臓腑にしみる」
「それはよかった。で、都督はどちらに」
「兵舎で奥方の看病を受けておられる。おそらく今頃は、孫将軍も見舞いにかけつけているはずだ。
いま調練場は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。兵卒たちも動揺しておる。おそらく今日は、調練どころではあるまいな。
もしもこれが曹操に漏れて、今日、襲撃をされたなら、こちらは完全に負ける」

すこしだけ酔いが醒めたのか、落ち着いた調子で語る魯粛だが、その内容に、孔明はぞくりと身をふるわせた。
なんだかんだと、やはり江東は、周瑜ありき、なのである。
周瑜ひとりが傷を負ったというだけなのに、江東の動揺ははげしい。

「そこまでわかっているのであれば、おまえが都督の代わりにみなを導かねばならぬ立場であることも、わかっているはずだぞ。
だのに、妓楼で酔いつぶれていたわけか」
批難をまじえて孔明がいうと、魯粛は、笑い声か、うめき声か、すぐには判断のつかない声をたてた。
「俺がなんとかしようとしたところで、風の向きを変えられるわけじゃなし。都督は、うわごとのように風、風、といっている」

周瑜が火計にこだわるのは、たしかにもっともだと、孔明も思った。
江東が勝利するためには、水上戦で蹴りをつけることは必須なのだ。
曹操の軍に江東の土を踏ませないようにするための火。
だが、その火は、南東へと吹きつける風がなければ使えない。

と、孔明は、さきほどからひたすら謝罪をくりかえす魯粛のことばを思い出した。
なにやら責めてもいなかったか?
「さきほど、妙なことを口走っていなかったか。仙術がどうとか。わたしがほらを吹いたのがいけないだとか」
孔明がたずねると、酔いが醒めつつある魯粛は、不快そうに片方の頭を、その大きな指でまさぐるようにして撫でながら、答えた。
「それだ。嫌なことを思い出しちまった」
「その嫌なことを忘れたいがために、酒をあおっていたのか」
「そうだ、悪いか」

開き直りを見せた巨漢の酔っ払いは、杯を手に、大きく息を吐いた。
「あんた、卵を食べるか」
唐突なことばに、孔明は奇妙に思いながらも、うなずいた。
「食べるな」
「では、卵の黄身を感情、白身を理性と思ってくれ。ふつうは、感情を理性がまるく包んで、これが崩れないように抑えている。ふつうは、だ。
ところが都督のいまの様子は、この黄身と白身が、ぐしゃぐしゃに混ざったような状態になっているのさ。どこまでが理性で、どこまでが感情か、自分でわからなくなっている。
火計がだめだとなると、たとえ水上戦でいったんは勝っても、間隔をあけずにまた曹操の軍が東進してきたら、もうこちらには兵力がわずかしかない状態になる。
つまりは、江東は、曹操のものになるのさ。
都督はいま、病魔と激痛と曹操に苦しめられている。それと、絶望とな」
「絶望とは、また、身もふたもない」
孔明があきれて言うと、しかし、魯粛は非難がましく孔明を、大きな眼でねめつけた。
「そうは言うが、では、あんたは絶望しないのか。江東が倒れれば、江夏にも影響がある。
それとも、あんたは、俺たちが曹操と最後の攻防を繰り広げているあいだ、江夏の人間は、それを横目に、もっと安全な土地へ逃げ込めばいいと思っているのか……まあ、そこは責めないぜ。
だが、江夏の人間は逃げられるかもしれないが、あんたは駄目だ。あまりに都督の恨みを買いすぎたからな」

意味ありげな魯粛のことばに、孔明は眉をひそめた。
「どういうことだ」
「都督は、あんただけは許さないと思っているのさ。その理由が、あんたの若さと健やかさと才能に嫉妬しているからなのか、それとも、あんたを江夏に帰せば、あとあと江東によくない影響が出ると計算してのことか、俺にはわからん。
おそらく、その両方なのだろうが、都督がどちらをより強く考えているのかはわからない」
「理由はどうあれ、わたしを江東から出さぬ、というわけか」
「同じ滅びるにしても、都督はあんたを巻き添えにしなければ気がすまないらしい。
あんたのことを、江東の民や水夫どもがどう話しているかを聞いて、これは利用できると思ったのか、あんたの仙術の力で、南東への風を吹かせようと言い出しているのだ」

孔明は、魯粛の口から飛び出したそのことばに、唖然として、相槌すら打てなかった。
魯粛のほうといえば、やはり非難がましく、孔明のほうを見やる。

「ほらを吹くにも、ことばを選ぶべきだったな。よりによって、使えもしない仙術を使える、などというからいけない。
というか、ほんとうに使えるのか」
「使えるわけがないだろう」

あまりのめちゃくちゃな話の筋に、孔明自身も度肝を抜かれていたため、思わず素直に返事をしていた。
魯粛は、孔明がごまかさなかったので、納得してうなずいた。
「そうだ、あんたはちょっと頭がよくて、人の目を引きやすい、中身にかぎっては、どこにでもいるような人間のひとりさ。
けれど運がいいのか悪いのか、天があんたを表舞台に呼んでしまった。
おそらく、俺があんたを江東に呼び寄せなくったって、あんたはきっと、ここにいただろう」
と、魯粛はそこまで言って、また大きく息を吐き、首を左右に振った。
「いや、いまのは言い訳だ。やはり、俺があんたをここに呼んだのさ。いまさら後悔して、そこから逃げようとしても駄目だな。
あんたのことを、都督は気に入るかと思っていたが、俺の人を見る目は、まだまだ甘いらしい」
「期待に応えられずに、悪かったとは思うが」
「俺が悪い」
「いや、だれが悪いにしろ、そこをいまは論議している場合ではない。都督は本気で、わたしに仙術が使えるなどと思ってはいないだろうな」
「いいや、あの人だって、わかっている。あんたが神秘家めかした理論家だってことはな。
あんたを窮地に追い込み、堂々と殺すことができる理由があれば、なんだって利用するつもりなのさ」
「だから、そこが無茶苦茶ではないか。都督は怪我を負っているので、余計に錯乱しているかもしれない。
まさか、ほかの人間がそれを了承するはずなかろうが」
「いいや、残念だが、あんたは、この土地が江東、周公瑾が支配している土地だということを忘れていないか。都督が右といえば、実際には左でも、右となる。ここはそういう場所なのだ。
都督の側近はもちろん、都督に従うだろう。たとえあんたの才能を認めていたとしても、やっぱり江東の人間だから、あんたには従えないのさ。
周公瑾を敵に回すということは、江東のほとんどの人間を敵に回す、ということだからな」
「わたしにあからさまに無理難題を吹っかけて殺せば、周公瑾の名声に傷がつくぞ」
「本人に言え。もっと言っておくが、あんたを助ける人間はいないぜ。民だって薄情なものだ。都督の意地悪を、あんたがどう切り抜けるか、わくわくして見ている。
あんたは江東の民にとっては、どう死のうが、暮らしにまったく影響のないよそ者なのだ。娯楽を与えてくれる、都合のいい人間にすぎない。
あんたが失敗したら、気の毒にと同情したり、大口を叩いた詐欺師、などと莫迦にして、鬱憤を晴らせばいいだけだし、成功したら、さすが臥龍といわれただけあると褒め上げて、あんたを応援した自分を誇ればいい。
あんたは見世物なのさ。見世物になっているものが、どれだけむごく扱われようと、観客は助けることはないだろう。それと同じことだ。
あんたは一人で戦わなくちゃいけない。助けは期待してくれるな」

無情なことばを受けて、孔明は生唾を飲んで、それから言った。
「それは、おまえにもわたしを助けることはできない、という意味だな」
だが魯粛はそれには答えず、言った。
「わかっているなら確認しないでくれ。俺はひとりで生きているわけじゃない。家族がいるのだ。
それと、俺がここに来て言ったことは、都督には内緒だ。じき、使者が来て、あんたを呼びにくるだろう。あんたは都督のことばを、まるで初めて聞くかのように振舞わなくちゃいけない。
わずかな時間しかないが、それまで、あんたはこれからどうするか、考えておけよ」

魯粛は、大きくため息をつき、それから、うなだれるようにして、つづけた。
「ほんとうは、もっと早くにここに来るつもりだった。だが、俺を尾行していた都督の細作をまくのに時間がかかってしまった。
俺はもうここから離れるが、いま言ったことは、頼むから守ってくれ」

44へつづく
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