飛鏡、天に輝く

十四

翌日より、すぐさま江東は動き出した。
周瑜を中心に、軍は再編成をされ、それぞれ主だった将軍たちが、細かい指示を受けたが、その采配に関しても、孫権の意向がつよく反映されたものとなった。
黄祖との戦いで功績があった者に対して、より多くの兵が与えられ、周瑜の指示のもと、曹操に備えるようにと下知がおりた。

張昭の口利きにより、孔明たちは魯粛の屋敷から出て、柴桑の、張昭の親戚筋にあたるという人物が建てた庵にて寝起きすることとなった。
川辺の、ちいさな漁村のそばにある、こじんまりとした場所であるが、周瑜らが調練場としている岸辺からも、孫権が滞在する屋敷からも、ほぼ同じ距離で行ける。
軟禁状態すらありうると警戒していた趙雲も、紹介された屋敷が、案外に見晴らしがよく、いざとなれば舟を漕ぎ出して、いつでも逃げることができる場所にあるというので、納得したようである。

孫権は、孔明をすっかり気に入って、朝、顔を出すと、すぐにそばに来るようにと手招いた。
昨日、机に覆いかぶさるようにして、うつろな顔をしていた青年と、同じ人物とは思われないほどの変わりようであった。
酒につよいのか、宴では、相当に呑んでいたはずなのだが、表情は溌剌として、明るい。
極端な面もある人物だなと、孔明は冷静に考えながらも、いわれるまま、孫権のとなりに座った。

家臣たちは、さっそく戦の準備にとりかかっていた。
そのなかには、二日酔いをこらえて動いている顔も、ちらほらとある。
孔明は無意識のうちに、兄の顔を捜したが、しかし、見つけることはかなわなかった。
おそらく、任地にもう帰ってしまったのだろうと思う。
それでよいのだと安堵する一方で、やはり、じわりと湧きあがってくる、毒にも似た苛立ちが、腹のなかに沸き起こり、臓腑を焼いた。

そんな孔明の心中も知らず、孫権は上機嫌で、おのれの抱える、主だった家臣たちをひとりひとり、丁寧に紹介していった。
周瑜と双璧をなす、江東の重鎮、程普。
老将で、若さゆえに暴走しがちな主君を張昭とともに支える黄蓋。
堅実な働きで、孫家の盛運を助けた朱治。
努力家でひろく名前を知られることとなった呂蒙。
蜀から流れてきた、遅咲きの花を咲かせつつある甘寧。
みなそれぞれに、個性にあふれた顔立ちをしている。
曹操の率いる巨大な兵団をまえにしても、かれらはすこしも怯えを見せていなかった。

孫権は、かれらの面魂のよさを孔明に自慢し、かれらがいるからには、この戦は負けるはずがないと断言した。
周瑜も、ところどころ、孫権のことばに添えて、かれらを労ったが、その表情や言動から、孔明に対する悪感情を読み取ることはできなかった。
うわべだけ見れば、孔明は、たいへんにうまく江東に馴染んだように見えていた。


庵に戻った孔明は、玄関にあふれかえった贈り物の数々に、まず圧倒されることになる。
それはいったい、どこからどうやってかき集めてきたのか、と呆れるほどの量で、文字通り、山と積まれていた。
それぞれには丁寧な手紙がついていて、たいがいが『今後とも、くれぐれもよろしく』といった内容であった。
なにがよろしくなのか、孔明としては、わけがわからない。
唖然としながら、それぞれの手紙をひらいて文字を追っていると、かたわらで、だれからやってきた、どんな品物なのか、確かめていた趙雲が、言った。
「これはみな、張子布の取り巻きからのものだな」
「なぜ、あらためて、論客であるわたしに、こんなものが届く?」
狼狽を隠せずに孔明が言うと、趙雲は、高級品ばかりが並ぶその山を、敵を見る目でにらみつけながら、答えた。
「張子布は、おまえを江東の家臣にと望んでいるのだろう。だから、周りの連中が、ここぞとばかり動き出した。まずは品物で釣ろうとしているのさ」

「それはない。わたしは、劉玄徳の軍師だ」
孔明は即座に答えるが、趙雲は、小さく首を振る。
「おまえの意志は関係ないのだろう。想像してみろ。江東の人間にとっては、拠点の定まらないわれらが劉予州の勢力より、地盤のしっかりした江東のほうが、ずっといいと思う。
家臣にならないかと誘われて、断わるはずがない、と思うのは当然だ」
「そんな勝手な」
「人気があるのもよしあしだな」
趙雲は言うと、品物をじっと見つめたまま、ため息をついた。
「偉度はどこにいる。あれに言って、この贈り物の山の目録を作って、なるべくはやく、相手に送り返すように手配させるのだ。もちろん、丁寧な断り状を添えることも忘れずにな。
品物には、決して手を出すな。生ものに関しては、それと等価の物を選んで贈り返せ」

生もの、というのは、貝や魚のことである。
新鮮な物を召し上がって、疲れを癒してください、という厚意から贈られたものであろう。
それはそれで、ありがたい話ではあるのだが。

「断り状を書くのは」
「もちろんおまえだ。そんな顔をするな。俺も手伝うし、偉度にも手伝わせよう」
「徹夜作業になりそうだな」

孔明はうんざりしながらも、趙雲と偉度の三人で、燭のあかりをたよりに、せっせと断り状を書き綴った。
庵では、ちかくの漁村から、通いの手伝いがやってきて、孔明たちの身の回りの世話をしてくれている。
夕餉には、贈られてきた生ものをつかった料理が並んだ。
これが皮肉にも、いままで味わったことがないほどに美味であった。

料理を食べたあとも、作業はつづいた。
「八方美人は、これだから」
と、偉度はぶちぶち言いながらも、巧みに孔明の筆跡をまねて、断り状をつづる。趙雲が目録をつくり、そして孔明も、眠気と戦いながら、断り状をつくりつづけていたが、ふと、すべてを作り終えた趙雲が、言った。
「張子布の名がないな。なるほど」
「なにがなるほどだ。ひとりで納得してないで、教えてくれないか」
「わからぬか」
「眠すぎて、なにもわからない」
「料理がうまいからと、腹八分に抑えないから、眠気に勝てぬのだ。
まあいい、つまり、この贈り物攻勢は、張子布の意志ではなく、その取り巻きが、勝手に判断して、おまえが江東の家臣になる可能性があると見て、贈ってきた、ということだ」
孔明は、筆を止めて、趙雲にたずねた。
「なぜそんなふうに誤解されたのだろう。わたしが孫将軍のかたわらに座っていたからか?」
「それだけでは弱いな。おそらく、強く誤解をされるような、そして俺たちの知らない、なにかがあったのだ。
で、それを知った者たちが、張子布に連なる、あらたな寵臣の出現にそなえて、あわてて、贈り物を届けてきた」
「それほど愛想を振りまいたおぼえもなし。いったい、なにがあったのだろう」
「偉度、おまえはなにか気づいたか」
孔明が水をむけると、
「あいにくと、いつでも逃げ出せるように周都督の水軍の様子を探るのが精一杯で、張子布の動きまでは手が回りませんでした。
というより、それはそちらのお話でしょう。わたしが劉公子の手の者だということをお忘れなきよう」
と、偉度は、筆をせっせと動かしながら、顔もあげずに答えた。
「つまり、おまえが周囲に与えた影響というのは、思っている以上のものだ、ということだ。これはまだ、なにかあるだろうな」
趙雲のことばは、翌日に、現実のものとなった。

来客があると告げられた孔明は、その客の名を聞いて、凍りついた。
兄の諸葛瑾が、任地である虜江へ帰るまえに挨拶にやってきた、というのである。

孔明は、自分が兄と対面するまでは、なぜこうも自分が兄に会うことを避けようとしていたのか、その理由をはっきりとつかめないでいた。
はっきりと、その顔をまえにして、思う。
恐れていたのである。
本来ならば、嫌悪と憎悪、そのふたつを浴びせかければよい相手である。
こちらに非はない。
むしろこちらを忌避しようとするのは、相手のほうであって、堂々としていればよいのだ。
だが、会うことを恐れた理由。
それは、やはり身体に流れている、同じ血に理由があった。

たがいに、成人してから顔をあわせるのは、初めてのことである。
魯粛も孫権も、そして周瑜も、似ていない、と断言した。
たしかに、まったく似ていなかった。
一方で、孔明は、自分の表情に、安堵の色が浮かんだだろうと想像する。
孔明が兄の顔を見ることを恐れた理由は、兄が、父や叔父に似ていることを恐れたのだ。
おのれを慈しみ、守り、育ててくれた二人と、おのれを見捨て、無視した男とが同じ顔をしていたら、たまらない。
自分がなにより慕う相手に、まったく似ていないというのに、憎い相手が似ている、などということも、耐えられそうになかった。
ところが、実際に顔を合わせてみれば、兄は、たしかに父や叔父と似ているところはあったけれど、予想していたよりは、同じ部分を感じさせなかった。
おそらくそれは、自分に向けてくる感情が、好意か、それとも敵意かで変わってくるものなのだろうと、孔明は思う。

驢馬、と揶揄していた孫権の気持ちが、身内ながら理解できる。
たしかに朴訥とした表情のうえに面長で、あまり生気を感じ取れない茫洋とした雰囲気が驢馬に似ている。
荊州に残してきた(いまは避難して、江夏にいるはずだが)弟にも、あまり似ていないなと、孔明は思った。
あれのほうが、まだ元気そうだ。

「久しいな」
と、諸葛瑾は言ったが、その口調には、戸惑いが感じられる。
成人した孔明を見るのは、諸葛瑾は、これが初めてなのである。
手紙のやりとりもしてこなかった。
だからこそ、目の前に立つ弟が、あまりに似ていないので、これが本当に弟なのだろうかと疑っているのだろう。
その、疑いと戸惑いの入り混じった兄の態度が、孔明を冷静にさせた。
「お久しゅうございますな、兄上。最後にお会いしたのは、父上の葬儀のときでございましたか」

兄の姿を最後に見たのは、すぐ上の姉と、はげしく口論していたところであった。
姉上が、いまこうして兄弟が対面していると知ったら、どれだけ心を痛めるだろうかと孔明は想像する。
と、同時に、ふつふつと、怒りがこみ上げてきた。

父が死んだおり、遊学から帰ってきた兄は、妹弟たちをそのままに、自分よりも年下の義母だけを連れて、夜逃げ同然で江東へ下った。
残された者たちは、この裏切り(裏切りというほかはない行為だった)に深く傷つけられながらも、なんとか予章の叔父のもとへと逃げ延びた。
けれども、その後、平和な暮らしは長くつづかなかった。
予章の太守の座をめぐり、戦になったおり、叔父は甥や姪らを連れて、逃げる一方となった。
その際も、目と鼻の先にいた諸葛瑾らは、なんら援助をしてくれなかった。
なんとか、叔父や姉弟とともに、荊州にたどりついた孔明であるが、この一連の、兄らしからぬ振る舞いを、いまだにゆるせないでいる。

目の前にいる男が、実兄という名の敵なのだと、そう思うことで、とりあえず、孔明は気持を鎮めた。
感情の波にさらわれてはならない。
避けていたのは、向こうも同じである。
さて、この男が、なにをしに、いまさらやってきたのか、それを探らなければ。

「江東に来ているのならば、まずは兄に挨拶をするのが、世の習いというものではないのか」
と、諸葛瑾は、父親の葬儀のことから話題をそらすように、孔明をなじることから口火を切った。
こちらが悪感情しか持っていないのと同じように、兄もまた、悪感情をそのままぶつけてくるつもりらしい。
それならそれで、かまわぬ。
孔明は、口はしに笑みを浮かべて、答えた。
笑みを作れること自体、自分で自分におどろきながら。
「申し訳ございませぬ。いまのわたくしは、諸葛家の当主として、江東に足を運んだわけではなく、劉予州の軍師として足を運んだ立場でございますから、どうしても兄上へのご挨拶は、あとまわしとなっておりました」

驢馬に似ていると揶揄される、表情のとぼしい諸葛瑾の顔が、あきらかに嫌悪でゆがんだ。
孔明の言い分に顔をゆがませたのではない。
当主という、そのことばに反応したのだった。
孔明の父(すなわち、諸葛瑾の父)は、なぜだか長子であった諸葛瑾を差し置いて、次子の孔明に家督を継がせた。
その理由は、孔明自身も知らないままである。
理由を知っていたはずの叔父が、暗殺によって命を奪われてしまったためだ。

ただ、父と叔父の遺志は、忠実に姉に受け継がれ、孔明は当主とし育てられた。
そのことは、曹操に仕えている分家も承知していることである。
承知していないのは、兄だけなのだ。

兄の、嫌悪にゆがんだ顔を見て、孔明は気づいた。
兄を、こちらを見捨てた人間だと恨んできたが、一方で、兄にしてみれば、こちらは、長子であるのに、その立場を無視し、ないがしろにした弟と見えているのではないか。
先に無視したのは、こちらだと、兄からすれば思っているのかもしれない。
とたん、敵意が萎えてきた。
叔父の死からすでに十年ちかく経っていることが、孔明の憎悪を、だいぶやわらげていた、ということもあるだろう。
同時に、十年という歳月のなかで、孔明も、さまざまな経験をして、人を見る目を養ってきた。
いま、目の前にいる、父や叔父にすこし風貌の似ている男は、義理だけで姿をあらわしたわけではない。
魯粛が最初に名乗ったとき、兄とは親友だとか言っていなかったか。
となれば、その関連で会いに来たのだろう。
魯粛、そして周瑜が、こちらを敵視しているのはわかっている。
この態度からしてみれば、兄がそのことを心配して声をかけてきたわけではあるまい。

最悪の場合をかんがえ、孔明は、趙雲や偉度がどこにいるかを確認した。
趙雲はとなりの部屋に、そして、偉度は廊下に控えている。
そして兄の従者は、偉度と差し向かいになるような形で、おなじく廊下に控えている。
とても兄弟の対面ではないな、と思いながら、孔明は慎重にことばを選びながら、口をひらいた。

「単刀直入におたずねいたします。兄上は、なにゆえわたしに会いに来られたのでしょうか」
ことばのとおり、まっすぐ斬り込んできた孔明に、諸葛瑾は、おどろきの表情を浮かべたが、それも一瞬のことだった。
諸葛瑾は、無表情に、孔明のまえにある。
顔立ちはそこそこに整っているが、双眸の表情のなさと、顔の特異な長すぎる輪郭が、美点を打ち消している。
孔明は、父が自分を当主に選んだのは、まさか観相によってではなかろうな、とさえ疑った。

「では、わたしも単刀直入に答えよう。おまえはおのが主人を助けるために、わが主君を欺き、われらの内部分裂を計っておる」
「欺いてなどおりませぬ。なにを以て、欺くなどと決め付けておられるのか」
「孫将軍に、周都督がまるで、二心を持っているかのように吹聴したであろう」
「誤解でございます。わたくしは、江東の現状を、ありのままにお伝えしたまででございます」
「おまえとしては、そう答えるほかは、あるまい。しかし周都督の立場を悪くしてまで開戦をうながそうとする、その心根を、同じ血を引く者として、恥ずかしく思うぞ」
諸葛瑾の、感情を押し殺した声に、孔明は、次第に苛立ちを募らせはじめた。
「誤解と申し上げておりますのに、信じていただけぬようですな」
「なぜに信じねばならぬ。おまえはそも、盗み働きが得意ゆえ、またかと思うただけぞ。
その心根を、いますぐ変えろといっても、そなたには無理であろうとは思う。
わたしの立場を一顧だにせぬ、その心無い仕打ちにも、いまは堪えよう」
「なにをおっしゃっておりますやら。わたしを盗人呼ばわりする理由はなんでございます」
「そなたは、いつもいつも、わたしの大事なときに面倒を起こす。父の死に際、わたしから家督を奪ったのは、そなたの仕業であろう」
「いいえ、父上のお決めになったこと。なにゆえ、わたしが画策したことと決め付けられるのか、理解に苦しみます」
「わが母から父を奪った、どこのだれともわからぬ女が生んだ子ゆえ、盗人根性が染み付いているに決まっておるではないか」

そこか。
孔明は、長年にわたる、兄との拭いがたい確執の、その本質を、ようやく見つけた気がした。
長男だからなのか、兄は、血というものに、強いこだわりを持っているのである。同母ではない者は、兄弟ですらないとでも言いたいのか。
強い怒りがこみ上げてくる。が、かろうじて、孔明はそれを押さえ込んだ。
そして、意志の力を総動員して、目の前の兄の目をまっすぐ見据えると、言った。

「そうおっしゃる兄上は、父上が亡くなられたとたん、弟より、母親を取り上げられた。
となりますと、盗人気質は、わが家に共通するものと見てよいのではありませぬか」
痛烈なことばに、兄の顔色が、すっと冷めたのが見てとれた。
席を立つかな、と思った孔明であるが、そうではなかった。
「性根の卑しさは変わらぬな。叔父上にしても、そなたにしても、なぜ、いつもいつも、わたしの立場を悪くする! 
此度のことについてもそうだ、ようやく江東に受け入れられてきたところへ持ってきて、そなたのせいで、わたしは周都督に睨まれているのだぞ!」
「周都督は、わたしと兄上を混同して判断されるようなお方ではございますまい」
「周都督本人がそうではなくとも、その周りは、そう判断する、ということだ!」
と、諸葛瑾は、苛立ちまじりに、卓を、大きく叩いた。
「よいか、本来、わたしはおまえの顔なぞ見たくなかった。
周都督はおっしゃった。もしも、おまえが江東の家臣になり、孫将軍に忠を尽くすというのであれば、おまえの無礼も許す、と。
そして、おまえの気持ちをわたしが変えるように、とな」
「見事に逆効果でございますな。わたくしは、なにがあっても江東の家臣にはなりませぬ。
お引取りください。これ以上は、耳が汚れてしまいます」

孔明が冷たく言い放つと、諸葛瑾の顔が、一気に真っ赤に染まった。
「なんというやつだ! おまえというやつは、わたしの災いでしかない! 
荊州の片田舎に、いつまでも引っ込んでおればよいものを、論客だなどといって、のこのことあらわれおって、わたしの立場を追いつめる! 
果ては、張子布どのに取り入り、仕官までしようという腹か!」
「取り入る? 仕官とは、どういう意味でございますか」
「しらばっくれるな、すでに噂になっておる、張子布どのが、おまえを孫将軍に推挙したのは事実。孫将軍も、これに乗り気とか! 
周都督は、これを聞いて、烈火のごとく怒っておられる。最初、声をかけたときは蹴っておきながら、張子布にはうんとうなずいたのかと!」
「なにかの誤解でございましょう!」
「だまれ! それほどに、わたしが憎いのか、おまえは! いつもいつも、わたしを追い込むことしかせぬ! 
おまえなど、予章の動乱のさいに、死んでしまえばよかったのだ!」
「だから、叔父上を見捨てられたのですか!」
抑えていたものが外れ、孔明の声が、感情的に尖った。
「わたしだけではない。あのとき、あなたと同じ母親を持つ姉上も見捨てたのだ、あなたは! そして、わたしだけではなく、均さえも見捨てた。
それは、母親を幼子から奪った罪悪感を葬りたいためだったのではありませぬか!」

口にしてから、孔明は我に返り、後悔した。
というのも、諸葛瑾の顔色から、血の気がすっかり失せて、どころか、ぶるぶると小刻みに震えていたからである。
決して口にしてはならないことに触れてしまった。
だが、謝罪のことばを述べることもできない。
謝罪をするべきは、兄のほうではないか?

「おまえは、わたしの災いだ」
諸葛瑾はそういうと、呆然とする孔明の視界から、消えた。
兄がいつ部屋を出て、そして庵をあとにしたか、孔明はわからなかった。

15へつづく
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