飛鏡、天に輝く
六
宴のころになると、魯家の別荘のまえには、ぞくぞくと馬車があつまってきた。
馬車から降り立つ者たちは、当然ながら、孫家につかえる高官たちばかりである。開戦か否かで揺れるなか、こうして一箇所に高官があつまってきたのは、なにも魯粛の人望の高さゆえではない。
逆であった。
「様子を見て参りましたが」
と、身支度をしている孔明を、手伝うでもなく、ながめながら、言った。
「旗色は、だいぶ悪いようでございすよ」
「そうであろうな」
孔明は答える。
その情報に、目新しさはない。
歓迎されたほうが、かえってうろたえただろう。
それより目下の悩みは、持ってきた衣の、どれを身にまとうか、であった。
床にずらりと一張羅を並べて、孔明は真剣に悩んでいる。
問題は上衣である。
清楚な色合いにすべきか、それとも色を濃いものにして落ち着いた雰囲気を出すか、それとも流行に乗って勝負にでるか、はたまた、年長者の印象をよくすべく、あえて地味なものを身にまとうか。
帯は、新野において、糜夫人から贈られた、織り込まれた金糸の刺繍のみごとな帯に決めていた。
この帯びの豪奢さを生かすためには、やはり地味にまとめるべきか?
「聞いてらっしゃいますか」
焦れたように偉度はいう。
孔明は、偉度のほうを見ずに、答えた。
「聞いておる。顔ぶれのほうはどうだ。主だった高官が集っているようであったか」
「魯子敬どのに会いにきたというより、周都督に会いにきた、という様子です。
それと、魯子敬どのが勝手につれてきた劉予州の軍師が、どんな顔か見てやろう、そいつがなにか粗相をしたら、すかさず攻撃して、魯子敬ともども、一気に潰してやろうと、そういう雰囲気で固まりつつあるようでございますよ」
「そうであろうな」
想像力をはたらかせればわかることだ。
魯子敬は、おのれの主君の意志を勝手に読んで、強引にことを進めてきた。
古参の家臣たちからすれば、無位無官で、単に孫権から気に入られているだけの人物。
それが魯粛である。
勝手に劉備の軍師を、同盟の使者として連れてきた。
気に食わないにちがいない。
魯粛が勝手に動いたことは、かれらにとっては、いい攻撃の材料であるはずだ。
ここぞとばかりに集中攻撃を受けるだろう。そのあおりを食らうことは、覚悟のうえだ。
こちらの武器は、劉備と劉琦の連合軍がかかえている、かつて黄祖に与えられていた江夏の水軍。
曹操に数で劣る江東にしてみれば、咽喉から手が出るほどにほしいはずである。
この有利な材料を前面に出して、同盟を組む。
もちろん、生き延びるための、その場しのぎの同盟ではいけない。
孫家との結びつきを強固なものにして、荊州を取り戻すための足場にしなくてはならない。
「よし」
これにしよう、と、孔明は濃紺の衣を手に取った。帯とあわせると、上品に決まる。
これならば、すくなくとも、田舎の軍師には見えなかろう。
そうして、着替えの最終段階にはいった孔明に、偉度が言った。
「おうかがいしたいのですか、よろしいでしょうか」
「なんだね」
着替えながら、用意されている銅鏡ごしに、背後にいる偉度を覗きこむ。
すると、輪郭の不鮮明な偉度の影が、ゆがんだ表情を浮かべているのが目に入った。
「この同盟は、おそらく成功するでしょう。江東からしたら、断わる理由がないのですからね。
けれど、いかにいい条件を提示しようと、その窓口がなくなってしまえば、話はそこでおしまいになってしまう」
「そうだな」
「あなたは、その窓口を、まちがわれたのではありませぬか」
孔明は、帯を結びながら、首だけを動かして、偉度を振り返った。
「おまえは、魯子敬ではダメだというのか。しかし、魯子敬のほかに、われらに声をかけるものが、江東のなかにあったか?
視野のひろい人間というものは、意外にすくないものだ。まして、さらに時流をきちんと読みこせる目を持っているとなると、さらに少ない。
魯子敬は、たしかに強引な男であるが、視野のひろさや、冷徹な観察眼はそなえている。それに、すくなくとも私利私欲で動いてはいない。
われらを駒のようにあつかうところは気に入らないが、まったく信頼できないわけではないぞ」
言うと、偉度は、顔をゆがめたままではあったが、こくりとうなずいた。
「たしかに、人物はそうでしょう。けれど、孫家のなかにおいて、魯子敬に官位がない、というところが不安です。しかも、人望がなさすぎる」
「いまのところ、かれにとって、富豪の魯家の人間である、というところと、孫将軍との仲のよさが強みというところだな」
「いまからでも遅くない。あなたの兄君に連絡をとって、魯子敬がだめであったときの場合にそなえて、そちらから孫将軍に近づくという道をつくっておいたほうが、よいのではありませぬか」
帯をととのえながら、孔明は、なるほど、と思った。
兄をめぐっては、どうしても叔父のことを思い出す。
だから感情的に考えてしまっていたわけだが、まったく感情をなくして考えれば、安全策として、兄を窓口にしておく、ということは妥当に思われる。
傍からみれば、なぜそうしないのかと思うところなのだろう。
だが。
「偉度、おまえは様子を見てきたと言っていたが、兄は、やはり、きていなかっただろう」
「盧江から柴桑に集ってきてはおられるとか。あなたが諸葛中司馬の弟だ、ということで、話題にはなっていましたが、それ以上のことは話題になっておりませんでした」
「窓口にするには、どちらも頼りないことにはちがいない。それに、いくら同族だからといって、頼れるかどうかは別だ。
それよりも、程都督、あるいは周都督のどちらかに伝手をつくったほうが、今後のためではないかな」
「あるいは、とことんまで魯子敬に協力し、あの方の立場を強固にしつつ、こちらの要求もとおりやすくしておく、という方法もございますが」
ふむ、と偉度のことばを検討しつつ、孔明は不意に、おかしくなって、笑った。
「偉度や、おまえはわたしの主簿見習いはいやだと言っていたけれど、さっそく、それらしくなっているね」
指摘すると、十五にして、人生のほとんどのことを経験しつくしてしまった少年は、めずらしく、子どもらしく頬をふくらませて、憮然として言った。
「あなたのためではありません。劉公子のためでございます」
「どちらでもよい。力になってくれるのならばな」
そう言って、孔明は声をたてて笑った。
宴がはじまると、孔明は主賓として上座に招かれた。
だが、宴のもよおされている広間に足を踏み入れたとたん、見えない壁が前面に押し出してきたような、重苦しい空気をおぼえ、一瞬、足が止まりそうになる。
敵意。蔑み。好奇心まじりの揶揄。
この場の客たちのさまざまな感情が、一斉に向かってきたのである。
孔明は、なるべく悠然たる態度を崩さないように、口許に鷹揚とした笑みを浮かべながら、なんとか足を進めたが、目は、数歩、うしろに下がっている趙雲のほうを追いかけた。
すくなくとも、この主騎がいるあいだは、自分は安全なのだ、心が傷つくことがあろうと、体が傷つくことはない。
大丈夫、恐れるな。
座につくと、背筋をのばし、満座の顔ぶれを見る。
みな、ここぞとばかりに礼装をしてきている。
あまり浮いた格好をしてこなかったのは正解だったなと思いながら、孔明は、やはり無意識のうちに、兄の顔がどこかにないかと探した。
いない。
楽士たちの奏でる、たおやかな音楽に耳を傾ける余裕はなかった。
この宴の主催である魯粛が、通り一遍のあいさつをしたあと、宴は本格的にはじまった。
魯粛の財力ゆえなのか、並べられている料理の豪奢さは、孔明がここ数ヶ月、ようやくまともに見ることができたものだった。
新野では、あまりの忙しさに、ろくに食事をとることができなかったのだ。
楽士たちも、最初は落ち着いた音楽を流していたが、やがて別の間にひかえていた芸人たちが現れると、とたんに、ここはどこの市場か、というくらいに、大騒ぎとなった。
玉乗りを披露する芸人のほか、舞姫たちが艶めいた踊りで客を誘惑し、おどけた仮面をつけた者が、英雄譚になぞらえた無言劇を披露してみせる。
酒もすすんだためか、客たちも、最初はことばも少なくあったのが、だんだんと舌がほぐれてきた。
どころか、早くも酒が回ったらしく、芸人たちと一緒に踊る者も出てきた。
乱痴気さわぎをまえにして、孔明は、なるべく酒を口にしないように気をつけながら、家臣たちの様子を観察した。
客たちは、本来の主賓である孔明や、主催の魯粛をほとんど無視して、勝手に盛り上がっている。
そしてその盛り上がり方をよく見てみると、それぞれに輪が別個にあるようだ。どうやら、それがそのまま、派閥の輪であるらしい。
「曹操は抜け目がない。自分たちが江東を制するにあたって、孫家の家臣たちのあいだでも意見が割れるように、さまざまな流言をながしてみなを動揺させた。おかげで、武将と文官とで、意見が真っ二つに割れちまっているのさ」
と、孔明のとなりで、魯粛が杯をすすめつつ、言った。
「文官側の中心は、張子布(張昭)。もう一方が、程都督(程普)。こっちは文武の古参の家臣が中心、で、周都督の派閥。これはどちらかというと、若い人間が集っている」
「それぞれで、どう意見がちがうのだ」
「まずは張子布。これは心配性のじいさんで、しかも曹操の流言をまともに信じたものだから、降伏を孫将軍に勧めている。
このじいさんは、亡くなった孫将軍の兄君と、ご生母の遺言をうけて孫将軍を補佐している、という自負があるから、孫将軍も、これを無視できないでいるのさ。
程都督と周都督の意見は一致している。すなわち、開戦。
勝機は十分にあるし、これで下手に降伏なんぞしたら、孫家が完全に絶えるだろうことは、二人ともよくわかっている。乱暴に説明すると、開戦か降伏かの論議は、そのまま、武官と文官の争いになっているのさ」
「しかし、それは妙だな。要中の要である三人のうち、二人の意見がぴたりと一致しているのであれば、孫将軍は、すぐさま開戦を宣言すればよかろうに、なにを迷っておられるのだろう」
孔明がたずねると、魯粛は、ぐいっと杯を飲み干して、それから答えた。
「そこが、まあ、あの方の欠点だな。周都督も程都督も、すぐに開戦するようにと焚きつけているのだが、なかなか首を縦に振らない。
というのも、曹操が荊州の劉州牧(劉表)の息子にした処遇を例にして、降伏しても死ぬことはないと、張のじいさんが、いろいろ進言しているのさ。
劉公子(劉琮)も、後見人の蔡将軍(蔡瑁)も、あっさり許されて、たいせつに処遇されているということだからな」
「それには裏がある。かれらが、『劉州牧の後継』というだけではないからだ、ということを、孫将軍はご存知なのか」
孔明がたずねると、魯粛は、赤ら顔を渋くして、首を振った。
「いや、ご存知ない」
そして、足を崩すと、大騒ぎをしている客たちをながめて、つぶやく。
「とはいえ、張のじいさんの気持ちも、わからんでもない。黄祖の攻略に時間がかかりすぎたのさ。ここ一年は、息をつく間もなく、戦、戦の連続で、ついていけなくなったやつが、ここぞとばかりに曹操の流言にひっかかって、降伏すべしと叫んでいる。
戦なんざ、ろくなものじゃねぇ。それはわかっている。だが、ここで降伏したら平和が訪れるなんて考えも、あまりに単純すぎるぜ。
孫家は、ようやく江東の地を平らげた。曹操さえこなければ、この地はとっくに平和を謳歌していたはずなんだ。もしここで降伏を受け入れてみろ。せっかく平定した越の連中が、また勢いづいて騒ぎ出す。
孫家があればこそ、いまはみなが大人しい。曹操がこれに変わったら、その混乱をついて、また内乱がつづくだろう。ここは曹操と戦って、勝たなくちゃいけないのだ。そうしないかぎり、江東に平和は訪れない」
「それを孫将軍に申し上げたか」
「いや。何度も接見する機会をうかがったが、腰抜けどもに邪魔されてかなわなかった。
だから、仕方がない、なんとしても、孫将軍が俺に会わなくちゃいけなくなる状況をつくるしかなかったのさ」
孔明は、ここへきて、ようやく魯粛の本音に触れて、すっかり呆れて、たずねた。
「つまり、わたしは、おまえが孫将軍に会うための、餌、というわけだな」
「あんたは、平和がきらいかい」
「きらいなものか。大好きだ」
孔明が真剣に答えると、魯粛もまた、大真面目にうなずいて、杯を置いた。
「そうさ。俺も大好きだ。俺は富豪の家に生まれた。おかげで、生まれてこの方、食べるのに困ったことが一度もない。
ところが、天下が乱れきったいまの世の中、悲惨なもので、戦で家を失った連中が、俺の家を頼って、あとからあとからあらわれる。
一回きりの飯を得るために、家宝を手放さなくちゃならないやつまでいる有様だ。そいつらの世話をしていたせいか、いろんなものを見てきたよ。
けれど、どんなに面倒をみても、きりがない。終わらないんだ。
なにが悪いのかといえば、それは天下を動かしているやつらがダメだからいけないのだ。大元を変えていくしかない。
漢王朝が腐り果てて、役に立たないというのなら、あらたに天下を担える器が、それに代わるしかないだろう。それが孫将軍だ」
「いいや、われらが主公、劉予州だ」
と、孔明はすぐさま反駁した。
「これは聞き捨てならぬ。この江東の地において、天下をとるのは劉予州であると、宣言されるお方がおろうとは」
その声に顔をあげれば、すっかり酔った家臣のひとりが、杯を片手に、ふらふらと千鳥足で孔明のほうへ向かってくる。
「貴殿か。魯子敬が勝手につれてきた、劉予州の軍師・諸葛孔明と申されるお方は。
見たところ、まだまだお若いゆえ、世間をご存知ないであろうから、わたくしが教授してさしあげよう。
貴殿が主君とあおぐ劉予州は、これまで何度となく敗走、敗走をくりかえし、一度たりとも、まともにおのれの領土をおさめたことのない人物。すでに老齢にさしかかっておられるところへ、ようやく貴殿を軍師として迎えたはよいものの、またもや曹操に追われて、江夏へと逃げ込まれた。
そしていまは、まさに乞食のように、われらに助けをもとめておられる」
と、ここで、この家臣の派閥の者たちが、同調して、どっと笑い声をあげた。
「これが天下の器の振る舞いかね。戦えば負け、領土を失っては逃げて、人の情けにすがって、それすらも何度も裏切る、そんな振る舞いが?
こんな人物を、天下を担うにたる人物だと信じられる、貴殿のその純粋さが、わたしには、かえってうらやましいくらいだ」
そう言って、男は、高らかに笑ってみせた。
男の笑い声につられるようにして、魯粛と趙雲をのぞく、ほかの者たちが、同じように笑ってみせる。
孔明は、手にしていた杯の、のこりの酒をぐっと飲み干すと、それから、同じように、声をたてて笑って見せた。
その声が、あまりに大きく、誇らしげであったため、笑っていた一同が、おどろいて、ぴたりと静まりかえる。
客たちの目線が、ほとんどすべてこちらに集った頃を見計らって、孔明は、口を開いた。
「失礼。世間知らずのわたくしに、せっかくご教授くださいましたものを笑うとは無礼かと思うたのでございますが、あまりにおかしくて、堪えることができませんでした」
ざわりと、その場の空気が不穏に揺れる。
孔明に喧嘩を吹っかけてきた男は、顔をしかめて、凄むように尋ねてきた。
「なにがおかしいと申されるか」
「わたくしはたしかに世間知らずの若輩者でございます。ですが、歴史に関しましては、わたくしのほうがよく知っておる様子。
せっかくでございますから、お返しに、漢の高祖の話をしてさしあげましょう」
「高祖? なにをいまさら。貴殿に説明されずとも、ようく知っておるわ」
男がいうと、あちこちから、失笑が漏れる。
しかし、孔明はかまわず、男を敢然と見据えて、言った。
「それは失礼。しかし、ご記憶にどうも差があるようですな。
漢の高祖は天運になかなか恵まれず、敗走を重ねたうえ、最後の最後で、いよいよ天下を手中におさめられたことをご存じない様子。
漢の高祖のことを思えばこそ、われらが主公は天下をいまだ諦めておられませぬ。その心意気に、われらもしたがっているのでございます。
しかし一方で、孫将軍は、家臣にも領土にも恵まれながら、貴殿らのような浅学の士の妄言にまどわされて、いまだ開戦を迷っておられる。
どちらの器のほうが上か、これで明らかなのではございますまいか」
「なんたる不遜な言! われらが将軍を、臆病者呼ばわりするか、青書生めが!」
顔をかぶらのように真っ赤に染めて、男が掴みかかろうとしてくると、孔明のちょうど背後に控える形になっていた趙雲が、無言のまま、かたわらにおいていた剣を手に取った。
その様子は、とても静かではあったけれど、それまで大人しく眠っていた虎が、不意に顔をあげて起き上がったさまに似ていた。
かちゃり、と剣を手に取った小さな音に、孔明に掴みかかろうとする男は、はっと我にかえり、足を止めて、後ずさる。
孔明はというと、そこで黙ることなく、群臣を見わたすと、きっぱりと宣言した。
「勘ちがいを起こされておられる方々が、だいぶおられるようであるから、あえて申し上げておくが、わが主公は、たとえこの同盟がならずとも、最後の一兵が費えるまで、けっして戦うことをあきらめたりはなさいませぬ。
この同盟を求めたのも、孫将軍の物資を当てにして頭を下げたものではなく、あくまで、孫将軍が志を同じくする者であると見込んで、力をお貸しするために、わたくしを江東の地へ遣わしたものでございます。もしも孫将軍が、志を捨て、曹操のまえに屈するというのであれば、残念ながら、わたくしどもとしても、とてもではないが共闘することはかなわぬと見て、いますぐ江夏に帰るほかはございませぬ」
「力を貸す、だと? よく言ったものだ! 劉予州は、曹操からほうほうの体で逃げ出して、劉公子の温情にすがっているだけと聞いたぞ!」
満座のなかから飛び出した声に、孔明はするどく目線を送ると、さらに言った。
「曹操の兵は、まさに怒涛のごとく荊州を襲い申した。その数は十六万はあったでしょう。わが主公はこれを振り切り、そればかりではなく、民も主公を慕って、ともに馴染んだ土地を捨てて、あつまってきたのを哀れに思われ、これを守りながら曹操から逃げた。
そしてわれらが主公は、民を守るために、あえて輜重隊を捨て、ひたすら逃げることを選択したのでございます。そのあいだ、身を守るために降伏しようなどと、主公は一度たりともおっしゃいませんでした。
民を守りながら、主だった家臣たちも欠かすことなく、追撃を振り切るなどという真似が、いったい凡者にできましょうか。それに、劉公子にとって、わが主公は、後見人以上の立場におられる。
すなわち、劉公子は、主公を父のように慕い、また、主公も、劉公子を実子のように思っておられる。父の危険に子が助けようとするのは、あたりまえのこと。話の本質もつかまずに、あえてこれを貶める材料にするとは、まこと、江東には、すばらしい識者がそろっておられるようですな」
「この!」
孔明の挑発にも似たことばに、それまで論議に加わっていなかった者たちも立ち上がり、孔明に反論しようとする。
孔明のほうは、まるで騒がずに、ふたたび、悠然と杯を口に運び、となりの、苦りきった顔をしている魯粛に言った。
「なるほど、これが江東流の、ぱあっと騒ぐ宴、というものだな。なかなかおもしろい」
「あんた、長生きしないぜ」
「憎まれっ子、世に憚るということばを知らぬらしい。こうして騒ぎをおこせば、孫将軍の耳に早く入る。おまえの狙いどおり、わたしを口実に、孫将軍と早く会見することがかなうぞ」
「だからと言ってだな」
ぶつぶつという魯粛のまえでは、孔明のことばに怒った家臣たちが、めいめいに騒ぎ立てて、鵞鳥のように喚き散らしている。
その論調のほとんどは、最初に孔明に喧嘩を吹っかけてきた男と、そう代わるところはない。
ひとりひとり論破するのも面倒だ。
だれか代表になる男を選んで、ほかのものの口を封じてしまおうかと孔明が考えていると、不意に、朗朗としたよくとおる声が、騒ぎのなかを突き抜けるようにして、ひびいた。
「斯様に揚げ足をとって、騒ぎたてることしか貴殿らはできぬのか。諸葛孔明先生は、漢王室の流れをくむ劉予州の使者として参られた。
これを歓迎するどころか、酔ったあげくに莫迦にして論議を吹っかけ、さらには反論されると、こんどは態度がわるいと騒ぎ出す。無礼にもほどがあろう。それが貴殿らの作法なのか!」
その声に、今度こそ一斉に、場が静まった。
声の主は、広間の入り口に立っていた。
周公瑾である。