風の旗標


十回目

「貴様、どういうつもりだ」
口調は抑えながらも、趙雲は青竜を見据えたまま、剣を鞘からすらりと抜いた。
同時に、相手の力量が、どれほどのものかを測る。
体は鍛えられてはいるようだが、さて、こちらが剣を抜いたあとも、青竜は微動だにせず、どころか余裕の笑みを浮かべている。
羽交い絞めにされながらも、咽喉元に刃をつきつけられている孔明を、趙雲は見た。
まだ焦点はあやしいが、表情に緊張が走っているところからして、状況は把握しているようだ。

青竜は、口許に笑みを浮かべつつ、言った。
「手荒な真似はしたくないが、こうでもしないと、あんたらはこっちの話を聞かないと判断したからさ。
あんたは勘違いをしているぜ、趙子龍。いま、あんたらのなかで、状況をもっとも把握しているのは、軍師でもあんたでもない。俺だ」
「だからなんだ」
「だから、俺の言うことを聞くべきなのさ。いや、どうしても聞いてもらわなくちゃならん。
たしかに、いまの俺はあんたらから雇われている人間だが、そっちの地味な顔した男が気づいたようだが、俺は傭兵ではない」
地味な顔だと言われた陳到は、言われ慣れているのでむっとすることもなく、ただちいさく、
「やはりな」
とだけ言って、これまたじつに自然に、腰の剣を抜いた。
それにあわせるようにして、趙雲のほかの部下たちも、つぎつぎと抜刀する。
その様子を目だけ動かして、青竜は見ると、なにがおかしいのか、声をたてて笑った。
「これまた意外だな。どうも情報がまちがって伝わっているようだ。
俺が聞いたかぎりじゃ、新野のあたらしい軍師は、たしかに有能ではあるが、みなからことごとく浮いていて、ほとんど無視されていると聞いたが、どうやらちがうらしい」
「それは古い情報だ。情報源がだれだか知らぬが、人の心は、それこそ川の流れよりも早く変わることがあるのだということを教えてやれ」
羽交い絞めにされつつ孔明がいうと、青竜は肩をそびやかした。
「だな。しかし軍師さんよ、俺はあんたを助けに来たのだぜ」
「この状況では、まったく説得力がない言葉だな」
「そうなっちまったが、俺たちは、あんたに用がある」
「わたしにはない。というわけで、子龍」
と、孔明は、刃を咽喉元に突きつけられながらも、声を震わせることもなく、趙雲のほうを向いて、言った。
「わたしに構うな。こやつらを一人として森から出してはならぬ」
「承知」
答えて、趙雲が剣を構えるのに合わせて、陳到ほか、周囲にいた部下たちも、青竜たちに向けて、抜き放った刃の切っ先を合わせる。
そこに迷いがないのは、孔明を見捨てたからではなくて、孔明をなんとしても助けるためである。

木漏れ日をうけて銀色にかがやく白刃が、ことごとくおのれに向けられているのを見ると、青竜は、芝居がかった仕草でぼやいてみせた。
「まったく、どうしてこうなるんだ? 俺をいまこの場で殺したら、あんたらの未来も一緒に潰れることになるぜ。それでもいいのかい」
「おまえがそんな大層な人間だと思えないな」
と、趙雲が剣を握りなおし、青竜に向けて足を一歩、踏み出す。
しかし青竜のほうは、殺気にあふれた趙雲の姿に怖じるでもなく、そらとぼけた表情で、言った。
「そこだよ。そこが俺の損なところなのだ。俺がもうすこし、威厳にあふれた姿をしていたなら、きっと見劣りもすることなく、だれしも納得したろうさ。
ところがだ、あいにくと、俺は性格がまんま表に出てしまって、愛嬌はあるけれど、威厳はない。
いや、威厳がなくてもいいのだ。だれが見てもひと目で、こいつは只者じゃないなと思ってくれれば問題がないのだが、そうじゃない」
「なにがいいたい」
「回りくどくなるのは勘弁してくれ。俺の容姿がいまひとつなことも原因なのだ。だから、あの人の代理に成りうる、威容を持つ人物を探さなくちゃならなくなった。
そこへいくと、諸葛孔明、あんたは完璧だ。人を惹きつけるに十分な器を持っている。
あんたがここで冷遇されているというのなら、きっと俺の話にも飛びついただろうに、そうじゃないのが厄介と言うか、残念と言うか。
けれどまあ、状況は、あんたたちにとって不利だ。そこに俺の運のよさがある。運良く曹操をやりすごしたとして、夏口でくすぶっているわけにもいかんだろう。とはいえ、荊州を南下して、よその土地を分捕ることもできない。
なぜなら、いくら恩人の劉表が死んだからといって、仁徳の人・劉玄徳は、そんな道義にはずれたことはできないからだ。仁徳という看板をかかげている以上は、劉玄徳は『曹操に占領された土地を解放する』という名目で戦を仕掛けることはできても、『自分たちの拠点がほしいから土地を襲う』ということはできない。
ならば、向かう先はたったひとつ。東しかない。
東にいるのは孫氏。そしてあんたの兄君は、うまい具合に孫氏に仕えている。
劉玄徳のもつ兵力に、劉琦のもつ兵力をくわえれば二千強。数でこそ冴えないが、内容はいい。劉琦の水軍は、蔡瑁の軍にはおとるが、調練をしっかり積んだ兵ばかりだ。
それに、あんたの殿様の将は、どれも歴戦のつわもの、とくに曹操のことを知り尽くしている。
いま、孫氏が曹操を迎撃するために動かせる兵力は三万。しかも、いままで曹操と対決したことがない連中ばかりだ。
それを考えれば、同盟を組むのに十分な材料となる。ちがうかい」

孔明は、おのれの咽喉元を拘束する腕に不自由しながらも、青竜を敢然とにらみつけて、答えた。
「そうだ。そして、わが陣の内情にくわえて、孫氏の内情にくわしいところを見ると、おまえは東から来た者だな」
「当たりだ。取引をしよう。そのまえに、野虎のように俺に食いつこうとしている、あんたの主騎に命令してくれ。
俺が話し終わるまで、飛び掛ってくれるなとな」
青竜のことばに、孔明は、おのれを拘束する腕をはずそうとしながらも、ちらりと趙雲のほうに目線を送ってきた。
その眼差しには迷いがある。
趙雲は、青竜に隙があれば、容赦なく斬るつもりでいた。
孔明は、しばし、趙雲をじっと見つめていたが、やがて青竜のほうに目線をもどした。

「子龍は考えなしの野武士とはちがう。おまえの話に筋が通ってさえいれば、むやみに切りかかることはない。
ただし、わたしをこのように刃で脅しつけている状況では、その限りではなかろう」
「わかったよ。けれど、あんたを解放したとたん、いきなりバッサリはお断りだぜ。思い切り正直にいうが、俺たちとあんたの主騎がぶつかったら、勝つのはきっとあんたの主騎のほうだ。
いろんなやつといままで知り合ったが、こんなに強い気を放つやつと対峙したことはない。人を殺すことにまったくためらいがない男だ」
とたん、孔明は顔をけわしくして、ぴしゃりと言った。
「くだらぬ無駄口はよすがよい! まだつづけるようならば、子龍への命令は取り下げぬぞ!」
「ああ、はいはい、また口が過ぎたよ。おい、その軍師を放してやれ」

青竜が部下に言うと、孔明は、あっさりと解放された。こういうときに素早い陳到が、さっとまえに出ると、解放された孔明を、奪うようにして自分たちのほうへ引き寄せた。
孔明は、趙雲に並んだが、剣をかまえた趙雲の腕を、気遣うようにして、孔明がそっと触れてきた。
立場が逆だとふしぎにおもった趙雲であるが、理由はすぐにわかった。孔明は、さきほど青竜が言ったことばを、趙雲が気にしているだろうと思ったらしい。
趙雲の腕に手を軽くそえたまま、孔明は青竜にたずねた。
「取引とはなんだ」
「俺はあんたらを助けられる。あんたの最初の計画では、劉玄徳に難民が何万もついてくるはずはなかった。
ところが大判狂わせが起こって、いま大混乱をきたしている。そして、さっきも言ったが、劉玄徳もあんたも、東に向かうしか、もうほかに手はない。
だが、ただ東に向かったとして、これまでほとんど交流らしい交流もなかった孫氏と、すぐに同盟を組めると思うか。あんたの兄君を頼りにするにしても」
と、ここで青竜はことばを切って、前髪のあたりを掻くと、つづけた。
「言いにくいことだが、あんたと兄君の仲はよくない。だから情報もまちがっているのだ、というのは置いておき、つまりはあんたらの状況は、あんたらが思っている以上に不利なのさ。
もっと嫌な話をしようか。いま、江東では、曹操の南下にあわせて、家臣が真っ二つに割れている。曹操の兵が百万だと伝わっていて、大混乱なのさ。百万に三万は勝てない」
「百万ということはない。背後に公孫氏や馬氏がまだ控えているというのに、いくら曹操でもそこまで大掛かりな兵を動かせるものか。
全体としては三十万だが、曹操の主力である青州兵は、家族を連れて移動するのが常だから、実際の兵の数は多くて十万だ。
戦い方によっては、三万の兵で十分に迎撃できる」
「そいつはわかっている。だが、曹操という親父は老獪でな、江東の中に、自分の味方を前もって何人も作っておいたらしい。話がふくらみにふくらんで、兵は百万ということになっちまっているのさ。
そうなりゃあ、もともと江東の孫呉は、豪族の連合体だから、意見が割れると、とたんに弱い。いま、孫呉は、曹操に降伏するほうに話が傾きつつある」

その話は、孔明にとっては思いもよらなかったものらしく、腕にずっと触れ続けている指先が、わずかに強ばったのが、趙雲にはわかった。

「そうなれば、あんたらは、東に向かうこともできなくなる。もしも孫呉が降伏を選んだ場合、劉玄徳は敵になる。
うかつに出かけていったなら、首を取られかねない。そして、あんたらは、東西と敵に挟まれ、退路を断たれる」
「そうなるな」
孔明が答えると、青竜は、表情をやわらげて、笑った。
「ま、あくまで仮定の話だ。まだまだ状況はいくらでもひっくり返せる。
さて、ここで本題に入るわけだが、この状況を一気にあんたがたが有利な方向に動かせる男がいる。
その男の心は、すでに開戦と固まっている。けれど、そいつは、ある問題を抱えていて、いま自由に動くことができないのだ。
こいつは、とても物のよくわかった男でね、もし曹操に降伏してしまえば、孫呉の運命は悲惨なものになると見抜いているのさ。
徐州でそうしたように、ほかの豪族たちにおかしな真似をさせないために、曹操は、孫呉を徹底して潰すだろう。だからこそ、開戦に持っていきたい。
だが、いまの状況ではそれがむずかしいのだ」
「なぜ」
「病だ。その男は病に侵されていて、本来ならば養生していなければならない身なのだ。ところが時流はそんなことはおかまいなしにどんどん流れていく。
その男がもしも健常ならば、降伏論者などすぐさま沈黙させられるだろうが、病が邪魔をして、本来の力を半分も発揮できない状況にいる。
この男と同じくらいに、ひと目を引くことのできる論客が必要だ。名の知れた豪族の出身で、孫呉になにかしらの縁故がある人間がのぞましい」
「わたしに、その病人の代理をせよというのか」
「いいや、単なる代理ではない。俺はあんたを助けに来たと言っただろう。俺はあんたを引き抜きにやってきたのだ」

その言葉に、さすがに趙雲もおどろき、となりにいる孔明と顔を見合わせた。
孔明も話の意外さにおどろいている。

「わたしのなにを知って、引き抜きになど」
「あんたのことは、あんたの兄君から聞いて知っている。
あんたの評判についても、いろいろと調べてみた。新野では、古参の将を相手に苦労していることも聞いている。
それに噂以上に、容姿がいいのが気に入った。悪い話ではないはずだ。それに、兄弟で敵と味方に別れることもないだろう」
「苦労しているからとて、わたしが主公にお仕えすることに嫌気をさしているなどと断じてもらってはこまる。青竜、その名は偽名であろう。取引というのなら、まことの名を明らかにするがよい」
孔明が問うと、青竜は息をひとつ、おおきく吐いてから、答えた。
「仕方ねぇな。ぎりぎりまであかす気はなかったのだが。
俺は孫呉の臣、魯子敬だ。名前だけでも知ってもらっているとうれしいのだがね。あんたの兄君とは親しくさせてもらっているよ」

となりの孔明が、わずかに息を呑んだのがわかったため、趙雲は、青竜こと魯子敬が、孔明の知る人物であることがわかった。

「東城の放蕩息子の魯粛。貴殿がそうであったか」
「知っていてもらって光栄だが、あんまりいい評判じゃなさそうだな」
魯粛が顔をしかめる一方で、趙雲が知り合いなのかとたずねると、孔明は早口で言う。
「魯家といえば、臨淮の有名な財産家だよ。その跡継ぎ息子の魯粛は、たいそうな変わり者で、祖先が蓄財していたものを貧しい者にくばって歩いたり、血の気の多い若者をあつめて部曲をつくって盗賊退治をしてみたり、かなり型破りな人物だと聞いている。
若いのに人気がある男だったから、孫将軍の家臣になったときは、わたしたち司馬徳操の塾でも話題になったのだよ」
趙雲は、正規軍とはちがって、具足の形もばらばらな部下を率いた、豪快さが先に目立つ魯粛をあらためて見て、納得した。
「見たままの男らしいな」
「豪快なだけではなく、たいへんな勉強家で、いついかなるときも書物を手放したことがないという話だ。
糜正方どのと張将軍を足して、そこに主公の気前よさを加えたような感じかな」
「ならば、いいやつではないか」
「あくまで評判は、だ。けれど、人に刃を付きつけるやつだぞ。しかも、取引内容も支離滅裂だ。
兄になにを吹き込まれたのやら。苦労しているから、なんだというのだ」

孔明が怒っていることに気づいて、趙雲は、いぶかしげに目線を孔明に向けた。すると、孔明は目線の意味にすぐ気づいたらしく、魯子敬に聞こえないように、言った。
「子龍、わたしにはたしかに才がある。それはあなたも知っているだろう」
「まあな。いろいろあったからな」
「かなり正直に言おう。その『いろいろ』を知らぬ者がわたしを評価した場合、わたしは何者だ」
「何者と問われてもな。劉左将軍の軍師」
「そうだ。だが、それだけだ。世間のだれもが知るほどの実績は、わたしはまだ示していない。
それに、新野を撤退し、劉公子と合流する策とて、もとは徐兄の策だ。わたしはそれに乗っかったにすぎない」
「謙虚だな」
「事実だろう。そんなわたしを異様に高く評価しすぎだ。壷中とのことにしたって、この男はほとんどなにも知らないのだぞ。
それに、気づいたか。この男は、わたしの才能を評価して引き抜くと言っているのではない。容姿が気に入ったから引き抜くというのだ。
孫呉では観相が流行っているのか? それにしても、うれしくない理由だ。だれがそんな話を喜ぶと思う」
ふつうならば、怒ることもないかもしれないが、おのれの容姿が嫌いな孔明にとっては、うれしくない話であったらしい。
しかし、趙雲は答えた。
「おれが公孫瓚のもとで白馬義従に抜擢されたのも、容姿がいいからという理由だった。
そう怒ることもあるまい。容姿のよさは才能のひとつだ」

孔明は、趙雲が一緒に怒ってくれるものと思っていたらしく、裏切られたように、顔をくもらせた。
「顔がいいから優遇されるなんて馬鹿げている。人の評価は、その心根の良し悪しで下されるべきだ」
「そうは言っても、顔で判断しがちなのも世間というものだろう。
すこし怒りをおさめて聞いてくれ。おまえはこの魯子敬とやらの取引に応じるつもりか」
「まさか。こんな無礼な申し出を受けられるものか」
「だが冷静に考えろ、たしかに主公にしろ俺たちにしろ、曹操から逃げるにしても、もう行く場所は東しかない。これで、孫呉が曹操に降伏してみろ。たちまち両脇から挟まれて、俺たちは滅びる。かといって、主公の性格からして、南に向けて拠点をつくるために軍を進めると思うか」
「それはないな。もし、南に向かったとしても、所詮は付け焼刃にすぎない。孫呉を併呑した曹操の勢いは、いままで以上にすさまじいものになるだろう」
「ならば、おのずと答えは見えてくる」
「たしかにそうだ。だが、ここで取引に応じるということは、わたしが孫呉の家臣になるということだぞ。主公はどうなる。わたしは二君には仕えぬ」
勢いこんで言う孔明に、趙雲は、魯子敬に向けていた刃の切っ先をゆるめて、言った。
「落ち着け。いいか、どちらにしろ、いまはこいつのことばに、是と答えるしか道はない。だれのことだかよくわからぬが、病人の代理をしろというのならしてやれ。ただし、孫呉に対しての義理は、そこですべて精算してしまえばよい」
「どういうことだ」
「取引などと言ってはいるが、結局は、こいつも困っているからこそ話をもちかけているのだろう。なんやかやとおのれの立場の有利さを訴えてはいるが、こいつとて、自力で状況を変えられる力は持っていない。俺たちの力が必要な人間なのだ。つまり、立場は対等なのだ。どうやら、こいつは、見た目こそむさくるしいが、弁舌にかけてはおまえより巧みなのかもしれぬ」
「ぬ」

孔明は眉をしかめて、魯子敬を見て、それからまた、趙雲のほうを向いた。
「危うく向こうの口車に乗せられるところであった。冴えているな、子龍」
「おまえの薬が効いて、ぐっすり眠れたからかもしれないな。さて、どう答えるか、あとはおまえに任せるぞ」
「あなたは、自分に弁舌の才が、ない、ないと言うけれど、それは単に自分を知らないだけではないのかな」
「自分でないと感じているから、素直にそう言っている。
ほら、おまえがいつまでも答えないものだから、魯子敬どのは、あくびなんぞしておるぞ」

趙雲が指摘するとおり、魯子敬は、長いふたりの相談に飽きたらしく、おおきく欠伸をしているのであった。
「緊張感のないやつめ」
孔明が愚痴ると、魯子敬も答えた。
「あんたらもだろう。妙に仲がいいのは結構だが、周りを置き去りにせんでくれ。
話の内容はほとんど丸聞こえだったが、あらためて聞く。返答は」
「孫将軍の家臣になるつもりはないが、貴殿らの言う病人の代理が、わたしに務まるというのなら、尽力しよう。それでよいのならば、取引に応じる」

孔明の答えに、魯粛はそれを頭のなかで反芻しているのか、しばらく考えていたが、やがて言った。
「まあ、悪くない答えだな。帰れ、無礼者、で終わる可能性もあったわけだからな」
「なぜ最初から、本名を名乗らなかった」
すると、魯粛は、手をひらひらと宙に泳がせて、答えた。
「あんたがどんなやつか、あんたの兄君の話だけじゃ、さっぱりわからなかったからさ。ほかにもいろいろと話を聞いてみたのだが、どうも一貫しない。
あんたのことを顔だけの傲慢なやつだと言う男もいれば、一方で、言動と行動が、いい意味で一致していない熱血漢だと評価するやつもいる。
なら直接、話をしてみようと思ったのだが、まあ、いったいどうなっているのやら、次から次へと問題が起こって、すこしも落ち着きやしない。
だが、おかげで、あんたがどんなやつか、なんとなくは掴めた」
「やはり顔だけだと思っているか」
「いじけないでくれ。俺の言葉が誤解させたのなら謝るが、あんたの容姿がいいから、あんたに目をつけたのには、理由があるのだ。
さっき、病人の話をしたな」
「その病人の代理を、わたしにつとめてほしいということだろう」
「ただの代理ではだめなのだ。なにせ、あんたが代理をつとめるやつは、この世に生まれてきたのが奇跡というくらいに見事な風采をしている。
その容姿と存在そのものが、孫呉の兵卒にとっての象徴、心の支えなのだ。
病み衰えた姿を群臣のまえにさらせば、たちまち求心力は失せ、戦意は失われてしまう。
曹操に勝つため、おのれの代理となる、おのれと等しいほどに求心力を持つ人間を探せと、俺はそう言われた」

魯粛の話を聞いて、趙雲は、その病人という男がどんな人物かを想像しようとしたのだが、どんな風貌なのか、その輪郭すら浮かんでこなかった。
それは孔明も同じであるらしく、納得しかねるというふうに顔をしかめている。

「まるで古の巫師のような人物なのだな」
孔明が言うと、魯子敬は、まったく真顔でうなずいた。
「まさにそのとおりだ。あいつは千年に一度の英雄だろう。あいつが戦場にいるというだけで、兵卒たちは勝利を確信する。そして、事実、あいつは勝ち続けてきたのだ。
あいつの美しさというものは、おそらくだれをも沈黙させる、その強固な勝利への確信が、輝きとなってあらわれているのだろう。生まれつき、単に見栄えのよい容姿で生まれてきたのとはちがう、真の美のもつ迫力というものをあいつは持っている。
俺が思うに、真の美というものは、あらゆる克服すべきものに対して、敢然と立ち向かった者のみがはじめて得られる輝きなのだろう。
そこに真剣さと緊張感があるからこそ、真の美は人の心を糺してくれるのだ」

趙雲は、おもわず隣の孔明をちらりと見たが、どうやら孔明も同じようなことを考えていたらしく、目線がしっかり合った。
気まずくなって、すぐに目線をそらした趙雲であったが、魯粛が語る、真の美とは、いったいどれほどのものなのだろうと考えてみた。
孔明のもつ美しさというものも、類を見ないものだと思っているのだが、どうやら魯粛の言う男は、さらにそれをうわまわる美を備えているものらしい。
見てみたいと思う反面、反発がなくもない。

「子敬どの、貴殿の言われる、その人物の名をお教えいただきたい」
孔明がたずねると、魯粛は、よほど誇りに思っているらしく、得意そうに、朗朗とその名を告げた。
「その者の名は、わが孫呉が誇る俊英、周公瑾。孫将軍の義兄、天下の美周郎である」

やはり、その名も趙雲はおぼろげにしか知らなかったのであるが、孔明のほうはよく知っていたらしく、またも息を呑んだが、それは、その名のもつ威光に圧倒されたからではなく、別な理由であるらしかった。

「周公瑾といえば、まだお若いはず。病を得られているとは、なんと不運な」
孔明の同情に満ちたことばに、魯粛もまた、うなずいた。
「天は非情に過ぎる。けれど、孫呉の最悪の危機において、まだ周公瑾の命運を削らずにいてくれるらしい。
周公瑾の名を知っているのなら、俺が言った言葉の意味がわかったはずだ。周公瑾は、孫呉二代の歴史の体現者でもある。あれが曹操の前に倒れてしまうのなら、孫呉の歴史はそこで費えるだろう」
さもありなんと、孔明はうなずいたが、その表情は、さきほどの怪訝そうな様子はなくなり、真剣そのものの表情に転じていた。

十一回目につづく
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