風の旗標


四回目

「青竜、青竜はいるか!」
劉備の幕屋からふたたび出てくるなり、まるで火の玉のような勢いでもどってきた孔明に、ひとびとは、またも何事かという目を向けてくる。
もはやなりふりは構っていられなかった。
じりじりした思いで周囲を見回す。
すると、腹が立つほど切迫感の感じられないのんきな顔をして、青竜がひょっこり顔を出した。
「なんだい、江夏へ行く準備ができたかい」
「江夏には行かぬ。貴公、子龍がいつ出立したか、どちらへ行ったかわかるか?」
「さあて、俺が起きたのが、あのひとが、あんたを頼むと挨拶に来たからだったから、太陽がすっかり出ていたんで、だいぶ前になっちまうんじゃねぇかな。
行ったのは長坂のほうだ。見送りしたから間違いねぇよ。なんで真南に行くんだい、劉公子は江夏で待っているんだろ、と声をかけたら、なんだかあのひと笑っていたのかな。それでいいのだ、とかなんとか言っていたっけ」
「『それでいいのだ』だ、か。覚悟を決めているのだな。あの莫迦!」
孔明の声はもとより響く。
それで思い切り叫んだものだから、みながまたまた、なにごとかと目線をあつめてきた。
孔明は、気を鎮めるために息を深く吐くと、声をおさえて、青竜に言った。
「ただちに出立の準備をせよ。街道沿いに、われらも当陽へ向かう!」
「いいけど、なんでだい? あんた江夏に行けって、殿様に言われているんだろう」
のんびりと問いかけてくる青竜であるが、いまの孔明には、その場違いな平静さは、苛立ちをますます高めるだけのものでしかなかった。
「主公と話し合い、決めたことだ。子龍が今朝、受けた任を、わたしが代わることとなった。子龍が江夏にむかい、わたしが夫人に随行する」
「そりゃ、また、無謀ってもんだ。あんたの細腕で、奥方様をお守りできるのかい。あんた、馬には乗れても、剣や槍はからっきしダメなんだろう」
「うるさい。もし貴公らがわたしに従えぬというのであれば、ここに残り、主公を守るがいい」
「俺たちがいないのに、あんたはどうする」
「一人でもかまわぬ、当陽へ行く。子龍が決断をするまえに、なんとしても止めねばならぬ」
「止めるってなんだい。あのひと、実は逃げたのかい」
孔明は鋭い一瞥を青竜にむけると、言った。
「口に気をつけるがいい。たとえ軽口のつもりであろうと、つぎにそのようなことを言ったなら、たとえ傭兵であれ容赦はせぬぞ!」
孔明の剣幕に、青竜は、あわてて手を振った。
「なんだい、さっきより荒れいてるな。わかったよ、口には注意する。それでいいだろ」
「そうだ。仮にもわたしの主騎を務めるつもりならば、無駄な軽口は不要と心得よ」
「そいつもわかった。うん、大人しくする。だからあんまりそう睨まないでくれよ。あんた、顔が顔だけに、怒るとすごい迫力だな。俺の知り合いといい勝負かも」
「顔のことも言うな!」
「うわあ、はいはい、こりゃ本当に黙るわ。というより、あんたのいうとおり、あのひとに追いついて、主騎の座を返上したいね」
「軽口を」
「わかった、言うなっていうんだろ。待っていてくれ、野郎どもに、いますぐ出発だって知らせてくるからよ、あんたも準備していてくれ」
「わたしのほうは、いますぐ行ける。貴公のほうこそ、ぐずぐずするな。遅いようならば、先に行くからな」
「おれは、あんたのほんものの主騎を尊敬しはじめているよ」
「さっさと準備せよ!」
孔明が怒鳴ると、青竜はあわてて駆け足で、仲間たちのところへと向かって行った。
「まったく」
つぶやきながらも、孔明は、青竜に当たったおかげか、逆に気持ちが平静さを取り戻していることに気が付いた。
たしかに壷中の存在だけではなく、その内情すら知っているような口ぶりは、信頼できるかどうか怪しいが、いまは人手不足だ。
張飛や糜芳といった、新野の主だった将になじんでいる正規の軍は、なるべく新野の民のそばに置いておきたい。
かれらにとっても、集ってきた民は、おのれの血族につらなる者たちだ。守ることに必死になるであろう。

孔明は、南に目を向ける。
趙雲は、いまごろ、どこまで進んだであろうか。
趙雲の性格からいって、劉備の心を十分すぎるくらい汲んで、もし甘夫人が危篤に陥ったばあい、これに安らかに眠れる死に場所を探すだろう。
死に場所を探す。
いや、それでもまだきれいな表現なのだ。
孔明は、風にはためく劉備の旗をみつめた。
民は、保身のためならばいくらでも阿り、そしていざとなれば、たやすく裏切る。
その民をゆるし、そのうえに志を築こうという。もしかしたらそれは、正気の沙汰ではないことなのかもしれない。
だが、劉備はそれをしようとしているのだ。
では、おまえの民とはなんだ?
劉備の声が、孔明の脳裏によみがえる。
素直に答えるならば、まだわからない、だ。
ゆるしても、ゆるしても、裏切られてしまったなら、どうすればよいのだろう。
曹操のように、民に生か死かの二者択一を迫るべきなのだろうか。恐怖によって従わせるべきなのか。
叔父上、あなたは、あなたが尽くした民の裏切りと、非道な仕打ちを恨まなかったのでしょうか。
主公のように、ゆるしたのでしょうか。
あなたがもし生きていたなら、この亮に、どのような答えをくださったでしょう。
優しく、そして強い男だった。命がけで自分を守ってくれた、『父』だった。
遠い空をみつめ、心のなかで問いかけても、答えはかえってこなかった。



趙雲としてはありがたいことに、劉備から受けた命令をつたえても、陳到の一家はまるでひるむことなく、同行すると言ってくれた。
なにがありがたかったかといえば、やはり、女を多く連れての逃避行であるから、紅霞のように気心のしれた信頼できる女が、甘夫人のもとから去ろうとしない忠実な侍女たちの橋渡しになってくれるのは、ありがたかった。
それに、陳到がぜひにといって連れてきた娘の銀輪の存在が、この葬列にも似た行軍に、かりそめの明るさを与えてくれていた。
疫病が娘に移る可能性へのおそろしさよりも、陳到にとっては、ふたたび妻子とはなればなれになってしまうことがおそろしいのだ。らしいといえば、らしい態度である。

甘夫人に疫病を移したのは、蛮族の商人のうちのだれかであろうと、劉備は言っていた。
甘夫人は、商人がやってくると、その折衝を侍女にはまかせず、自分でおこなった。
値切り交渉もお手のものであったし、その丁丁発止のやりとりは、さすが劉玄徳の妻、見事なものであったのだ。
いつであったか、孔明がそれを見学していたことがあり、真顔で、師事したいと口にしていたほどである。
だからこそ、商人たちがやってきたとき、甘夫人はいつものとおりに姿をあらわしたのであろう。
ところが、そのなかに、疫病にかかっていた者がいたのだ。
まず、唐突に高熱が出て、つぎに全身の痛みを訴えはじめた。
数日後には、すこしだけ熱がおさまったので、みながほっとしたのも束の間、やがて全身に発疹があらわれた。
年若い侍女が看病にあたったが、これに移り、まったく同じ症状をみせた。
突然の高熱、熱がさがると同時に発疹が全身にひろがり、つづいてふたたび発疹が出る。発疹はやがて膿み、さらに熱が上昇する。看病の甲斐なく、この侍女は死んだ。
皮肉にも、この侍女の死によって、医者は、この病が疫病の『痘瘡』であろうと断じたのである。
赤ん坊がかかると、まずは死に至るという病である。

ただちに、阿斗が隔離され、糜夫人に預けられた。
劉備も看病に行くことを止められた。
それでなくとも、樊城の動きが異常であった。痘瘡であるならば、感染したら回復はむつかしい。
それでも、痘瘡はまったく不治の病というわけではないということに、劉備は、わずかな望みをかけていた。
痘瘡から生還した者は多い。発疹が膿み、ふたたび熱が高くなったころが山なのだ。これをしのぎさえすれば、あとは膿がかたまり、かさぶたとなるのを待てばよい。
とはいえ、この病の忌まわしいところは、その発疹が、肌に容赦のない痕跡をのこすことであり、また、高熱によって失明することもある、という点である。
それでも、劉備は、妻の持ち前の体の強さを信じて、回復を待っていた。
どんな死地の只中で、もう二度と会うこともあるまいと別れても、まるで呼応するように再会をくりかえしてきた夫婦である。
病という試練をも、かならず乗り越えられるだろうと信じたのだ。
それが、孔明と趙雲が樊城での騒動に巻き込まれているあいだに、新野城で起こっていたことであった。

ところが、劉備はとことんついていなかった。
わるいことに、かねてより、来る、来ると噂のあった曹操の南下の報が、とうとう現実のものとなって入ってきたのである。
こうなると、信じるだけでは足りなくなった。
しかも、新野城に、続々と、近隣の住民たちがあつまってきている。これは、樊城を中心に活動している、劉jを中心とした細作集団「壷中」に、民がそそのかされてしまったからである。
いまでこそ、さほど混乱もなく劉備にしたがっているが、日数が経てば、この、予期せぬ難民の群れがどういう状態になるか、劉備には簡単に想像ができた。
この難民の群れを、孔明も劉備も予想していなかったから、かれらのための物資も用意していなかった。
まず、衛生状態がわるくなるだろう。最悪の場合、わずかな飲み水すら、奪い合いになる可能性もある。
そういった状況で、痘瘡が流行したら、もはやこれは、曹操どころではない。
民の安全か、それとも妻か。
二者択一をせまられた劉備は、民をとったのだ。

家族を捨てても民を取る。
それが仁徳の漢である劉備だからだ。
どれだけの慟哭がその胸の中にあったかは、想像もつかないが、劉備が甘夫人に、よい死に場所をあたえてやってくれと言ってきたとき、趙雲は言葉をうしなった。
糜夫人につづいて、という思いもあったし、たてつづけに妻を失おうとしている劉備の身の上を考えると、なにも言えなくなってしまったのである。
甘夫人には医者も同行していたが、甘夫人の熱は一向に下がる気配がなく、意識すらもどらなくなっていた。
安静にしていなければならないところへ、背後にせまる曹操の気配におびえながらの移動である。
これでは治るものも治るまい。
甘夫人は、うわごとで阿斗の名や糜夫人の名を口にしていた。幼子が気になっているのだろう。生母ならば当然だ。
助からない。いつ死んでもおかしくない。

こんな状況だからこそ、安らかに死なせてやりたい。苦しませたくない。
もしも、どうしても苦しみがつづくようならば、そこは汲み取って、楽にしてやってくれ。
おまえのほかに、こんなことを頼めるのはいない。
そう劉備は言った。趙雲は逆らえなかった。
劉備の口調は静かであったけれど、その顔は子供のようにくしゃくしゃで、血の涙が出てもおかしくないほどの表情を浮かべていた。

甘夫人の安車に随行しながら、趙雲は嘆息する。
楽にしてやってくれと劉備は言ったが、もちろん、そんなことはしたくない。
だから、暗に、安らかに死んでくれと願っている自分がいる。
なんと身勝手なと呆れるが、同時に、死に対する感覚が、ずいぶんと軽くなっているように感じられて、それが恐ろしい。
こういう状況に孔明を立ち会わせることにならなくてよかったと思いつつも、一方では、孔明ならば、なにかちがう道を示してくれるのではという期待が頭にある。
そうして、すぐに思いなおす。
あれとて、過去の重荷から、ようやく解放されたところではないか。
ここへきて、また重荷を背負わせるようになるのは気の毒だ。
俺のいままでの人生というのは、さして人に胸を張れるものではなかった。
いまさら、重荷がひとつ増えるのも同じことだ。
むしろ、その名のとおり、輝かしい人生が待っているであろう者を守るために、こうして重荷を代わりに背負えるのだとしたら、それはそれで、主騎としての冥利に尽きるといえるかもしれない。
いささか、自虐的ではあるがと、だれにも知られぬように自嘲しつつ、趙雲は馬をあゆませた。

朝からひたすら南下をつづけ、漢水にそそぐひとつ目の川が見えてきた。
劉備はおそらく、漢水を添うようにつづく街道をずっと下って、沮水を越える手前で街道からそれて、江夏を横断し、夏口に入る道を取るであろう。
「俺たちは、このまま街道ぞいに、長坂へ向かうべきであろうな」
長坂まで、この調子ならば、かなり時間を食うだろう。
そして、その地にたどり着くまでに、甘夫人がもつかだろうか。
もし苦しみがつづくようであったなら、命令されたとおりのことをしなければならない。
できる、できないではない。
そうしなくてはならないのだ。
「このまま、もっと南へくだって、奥方さまにおそろしい病を移した南蛮の商人とやらを見つけだし、思い切り痛めつけてやりたい気持ちでございます」
と、胸の内を正直に吐露する陳到は、馬上の彼方に、その商人がいるかのように、顔を赤くして、言った。
そうできるものならそうしたいと、趙雲は思った。
主君・劉備をたてつづけに襲うこの不幸を思うと、やり場のない怒りがこみ上げてくる。
馬をめいっぱい走らせたくなる衝動に駆られて、趙雲は、ぐっとおのれを抑えた。
ちらりと振り返れば、瀕死の病人を乗せた安車は、しずかについてくる。
死を乗せた車だ。
そう思うと、怒りも一気に覚め、かわりに、波濤のように暗い感情が押し寄せてくる。
樊城での騒ぎの責任の一端は、まちがいなく自分にあるのだ。
とすれば、その責任をとって、甘夫人とともに死ぬべきではないか。
主公も、なかばそのつもりで、この役目を与えたのではなかろうか。
そこまで考えて、趙雲はあわてて暗い考えを振り払った。
そうではない。そういう人ではないからこそ、このように、愛妻を手放したのではないか。
極端に暗い気持ちにとらわれ、その心を勝手な方向に解釈することこそ、不忠であろう。

趙雲は、暗い連想から逃れるために、となりにいる陳到と会話をすることを考えた。
とはいえ、元来口下手であるから、こうしたときに、この重苦しい逃避行に似つかわしい話題がすぐに見つかるはずもない。
口から出たのは、病に関することであった。
「前々から、噂はあったな。遠い蛮地のことゆえ、縁がないと思って気にもとめていなかったが」
趙雲が言うと、陳到も、どうしてもまとわりつく重さを、すこしでも紛らわしたいと思っていたのか、すぐに反応をかえしてきた。
「痘瘡のことが、でございますか」
「痘瘡だとは知らなかったが、疫病が流行しているようだという話は聞いていた。黄巾の乱のあおりで、これに呼応した南蛮の部族たちが乱を起こした。これを鎮圧するために、太守たちは叛徒を鎮圧する。
その繰り返しが、ここ何年もつづいたために、まるで中原の戦火が飛び火したように、南蛮も土地が荒れてしまった。難民も出たのだが、これを救う者がいなかったため、衛生状態が劣悪になり、そんななかで、疫病が起こったのだ」
趙雲の、まるで素っ気ない、淡々とした言葉に慣れている陳到は、馬上で、ちいさく首をかしげるしぐさをしつつ、ことばをかえしてきた。
「叛乱といいますと、ああ、ございましたな、そんなことが。もう十年以上前の話になりましょう。袁術と小覇王孫策が、荊州をめぐって争ったころの話であったかと。おまえ、覚えているか」
陳到がうながすと、その妻であり、夫にぴたりとよりそって轡をならべている紅霞はうなずいた。
女にしては手足が長く、大柄に見える紅霞は、かつては陳到より上位の、袁紹の長子の細作集団を束ねていた女丈夫である。
かつては舞姫として、宴に華を添えていた美貌の女であるが、いまは三人の娘の母親として、むかしの華やかさは薄らいだかわりに、どっしりとした風格をそなえつつあった。
主婦として家庭を守りつつも、その冷徹な分析力は健在で、主婦の身であろうとつねに情報に敏感であるからこそなのか、世情に通じており、むつかしい話にも、難なくついてこられる。
趙雲も陳到も、孔明があらわれるまでは、紅霞のことばや分析を、ほかのだれのことばより信じていたほどである。
「それはもちろん。袁術の動向は、旧主・袁紹のいちばんの関心ごとでありましたもの。袁術が揚州をめぐって小覇王とあらそったとき、交州の蛮族たちをあおり、袁術に呼応して、小覇王を北と南から挟み撃ちにすべしと、策をめぐらせた記憶がございます」
ぎょっとするような話を、まるで天気の話をするように、さらりと言ってのける紅霞である。

趙雲は、この夫婦の肝の太さといおうか、どこか一般とはちがった感覚による世相の話に慣れていたために、いまさらおどろきはしなかった。
しかし、つぎに紅霞が口にしたことばは、さすがに趙雲をおどろかせた。

「こういってはなんですが、懐かしゅうございます。袁紹とともに、袁術を後押しして、小覇王を片付けようと画策していたのは、劉州牧でございます。それがいまはもうみんな、冥府に旅立ってしまわれたとは」
「劉表…劉州牧が? ほんとうか」
趙雲がたずねると、馬上の紅霞は、なぜ趙雲が驚いてみせるのか、わからなかったらしく、怪訝そうな顔をしつつ、うなずいた。
「なんだかんだと袁術はおなじ血を引く者同士。どちらかが勝つのなら、袁術のほうがよいと袁紹は考えたのです。
おなじように、孫子の子孫を名乗ってはいるけれど、どうも素性のあやしい、海賊あがりより、劉氏とならぶ名族である袁家を支援したほうが、よいだろうと考えたのが、劉州牧だったのです。
いまの情勢をわたくしたちは知っておりますから、見る目がなかったのだと思えますけれど、当時は、まだまだ世は漢王室に対する忠誠が高かったのと同じくらいに、それに連なる血統を尊ぶ気風がつよかったのです。それは将軍もご存知でしょう。
袁紹も袁術も劉州牧も、血筋がずばぬけてよかったがために、そうではない新興勢力を、いわれもなく舐めてかかるところがありました。なにをそんなに驚いてらっしゃいますか」
「いや、劉州牧と袁紹が繋がっていたということだ」
「てっきりご存知かと思っておりました。でも、もう荊州劉家も袁家も、曹操によって滅び行く運命。その運命に驚かれているのでしょうか」
「いや、そうではない。わかったのだ。軍師の叔父君は袁術の配下であった。袁術は帝を僭称し、叔父君を揚州は予章の太守に命じた。
その後、漢室より命じられた別の太守が派遣されてきたがために、叔父君は軍師をつれて劉州牧をたより、荊州にやってきたわけだ」
「そうでございましたな。軍師もお若いころからご苦労なさったようで」
と、同情たっぷりにうなずくのは陳到である。
「しかし俺は、叔父君が軍師をつれて逃げた先が、どうして荊州なのだろうと、ふしぎに思っていたのだ。孫家には、軍師の兄、つまり叔父君からみれば、もうひとりの甥が仕えているのだ。そのつてをたより、孫家に降伏するかたちで揚州にとどまることもできたであろうにとな。
けれど、劉州牧が袁家とそもそもつながりがあったのであれば、荊州に逃げた理由もわかるというものだ。しかし、どうして揚州に行かなかったのかの理由はわからぬな」
「それは、なんとなく見当がつきます」
紅霞がいうのを、趙雲は、ほんとうか、というふうに振り返って見せた。
「お気をわるくなさらないでくださいまし。もちろん、軍師の叔父君が孫家に膝を折ることはできたでしょうけれど、果たして、孫家はそれを受け入れたかどうか、疑問だと、わたしは思います」
「なぜ」
「袁術と孫家の確執は、当時はまだまだ強いものがありましたから。それに、偽帝の任じた太守よりも、漢室の任じた太守こそ正統であるという意見のほうが、当時は大勢を占めていたのですから、いわば『逆賊』ともとれる軍師の叔父君を迎え入れることを、孫家はよしとしなかったのではと思うのです」
「しかし、劉州牧は、そうしたではないか」
「かつて支援した勢力の家臣だったからでしょう。偽帝の斜陽は、だれの目にもあきらかでしたけれど、袁紹の勢いは、まだまだつよく、当時は、おそらく天下を取るものがあるとしたなら、それは袁紹であろうと、だれもが思っていたのですし、新興の孫氏より、袁氏に悪い印象をのこさないほうがいいと、劉州牧は計算したのにちがいありません。
もちろん、劉州牧が、孫氏と対立していたことも忘れてはなりませんが」

そうか、と納得しつつ、趙雲は思い出していた。
諸葛家は、どういうわけか、正妻による長男である孔明の兄をさしおいて、素性のよくわからない女の生んだ子である、次男の孔明に家督を継がせた。
そこにどういった事情が秘められているのか、叔父の玄が、孔明にそれを告げるまえに、樊城にて客死してしまったがために、理由はいまもってはっきりしないらしいが、もちろん、これは長男としては面白くない話であったようだ。
孔明の話からすると、諸葛家は長男側と、次男である孔明側のふたつに分かれてしまったのである。
主である袁術の周辺も混乱し、頼れなかったこともあわせて、そういった内部の確執もあるからこそ、諸葛玄は、揚州に留まることができなかったのではないか。

と、同時に、冷たい事実が浮かび上がってくる。
袁術と孫家は対立を深めていたのだから、明確なかたちではないにしろ、孫家は、予章にあとからあらわれた、新太守のほうを支援したはずだ。
つまりは、孫家に仕えている孔明の兄たちは、自分たちの親族が窮地に立たされているのを見殺しにしたわけである。
もちろん、家臣として新参であったから、助けたくとも助けられなかったのかもしれない。
しかし、その後もまったく支援らしいものをせずに、孔明が劉備の軍師となったあとも、孔明の兄がなにか連絡してきた気配もないことを考えると、袁術と孫家の対立というのは、そのまま孔明と、孔明の兄の対立となって、いまも引き継がれているといっていい。

自然、趙雲が思い出すのは、今朝の、眠りながら涙をながしていた孔明の姿であった。
樊城での嵐のような数日間は、孔明が荊州に来てから、いまに至るまでの、さまざまな因縁を一気に解放するものであった。
もう蹴りがついたことに対して、孔明が泣いているということが、その気性の明朗さを理解しているだけに、いささか不思議だったのだが、叔父についての悲しい記憶が、劉表と関係するものだけではないのなら、涙の理由もわかるような気がした。
「まるで子龍さまが、ご自分のことを思い出されているような気色でございますね」
と、紅霞はおもしろそうに言ったが、趙雲としては、それにあわせて、笑う気にはなれなかった。
劉備たちがうまく曹操から逃げ切って、夏口までたどりついた場合、劉gたちわずかな手勢と、劉備の軍勢だけで、噂では百万という曹操の軍には、とても太刀打ちできはしない。
当然、浮かび上がってくるのは、荊州が落ちたことにより、いまや最前線となった孫氏の存在である。
これと連合して曹操と当たるほか、活路は見い出せないのではないか。
しかし、過去に孫氏との深い因縁をもつ孔明に、果たしてそれが出来るのだろうか。


五回目につづく
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