風の旗標


三回目

張飛は、激しい怒りにとらわれている。それは、その小刻みに震えている指先から伝わってくる。
しかし、腕をつかまれてわかったのであるが、その怒りは、孔明に向けられてはいないらしい。
ますます戸惑いを深くしつつ、孔明がだまってしたがって張飛についていくと、やがて、あまり人気のない野原に連れてこられた。
兵卒は目につくところにいるが、おそらく会話は聞こえないだろう。

「軍師」
唐突に張飛は切り出した。
張飛の上背は、趙雲と同じくらいなのであるが、横幅があるせいか、趙雲よりもなお大きく見える。
趙雲にはさほど感じない、武人のもつおそろしさを意識させる男だ。
「軍師」
二度目も呼ばれて、孔明はかえって返事が出来なくなってしまった。
これまで、自分に対してあまりよい感情を持っていなかったこの男が、いったいなにを告げんとしているのであろう。
そうして、次のことばを待っていると、おどろいたことに、張飛の大きな眼から、ぼろぼろと、大粒の涙がこぼれてきた。
「あんた、軍師だろう。だったら、助けてやってくれ」
できればそうしたい。
そうか、この男は義兄弟の契りをむすんだ男のために、どうしても命を助けてやってほしいと訴えているのだろうと、孔明は考えた。
しかし、肝心の本人が、あれほどに強く決意してしまっているものを、他者が翻させるのはむずかしい。
劉備には劉備の哲学があることを理解しているのは、おそらくは孔明よりも、ずっと長くそばにいて見知っている張飛のほうであるはずだ。
「主公はしかし、義のために」
孔明が口をひらくと、張飛はその言葉をさいごまで待たずに、激しく首を振った。
「兄者じゃねぇ! あのクソッタレは知るか! 畜生、それでもよ、悔しいじゃねぇか、俺は、あのクソ兄貴を見捨てることができねぇんだ。なにが義に殉ずるだよ、なにが志を継いでくれだよ、格好ばっかりつけやがって、ほんとうに阿呆なんだ、あいつは!」
張飛であるから、そして義弟であるから許されることばである。
相槌すら打てず、孔明が困り果てていると、張飛は、さらにつづけた。
「兄者は死ぬつもりだ。てめぇの決着をてめぇでつけるつもりなんだろうさ。だから、子龍が助けた阿斗も、関羽の兄貴に預けねぇで、一緒にいるんだ。
あんたならわかるだろう、兄者はそういう莫迦なことを平気で考えるんだよ。てめぇの家族より、家臣が大事だって言うんだよ。曹操が追いついちまった場合、兄者はきっと捕まるか殺されるかだろうぜ。曹操のこった。子供も殺そうとするだろうよ。
いいか、わかるか、だから阿斗と、封は江夏にいかねぇで、ここにいるんだ。そいつぁ、わかるよ、家臣がいなくちゃ志が果たせねぇとかいうんだ。ほんとうに莫迦だぜ」
張飛はなにを言おうとしているのか。
まだつかめず、孔明はあえて口をはさまず、その言葉を聞きつづけた。
「曹操は関羽の兄貴を気に入っているから、江夏で関羽の兄貴が籠城しても、簡単にゃあ殺そうとしねぇだろう。けれど、兄者の子どもがいっしょにいるとなると、曹操は考えを変える」
孔明は、ようやく張飛がなにを言わんとしているのか、それを察した。
「関将軍を生かすために、公子方にも、自分と行動を共にさせようとしているとおっしゃるか?」
孔明がたずねると、張飛は、涙を拭くこともせず、何度もうなずいた。
「俺がわからねぇのは、あんなにいままで尽くしてくれたてめぇの女房、姉貴が病に罹ったからって、こいつに死に場所を与えようって思っているところが、わからねぇんだ」
女房。事故によって命をおとした糜夫人のことではない。
つまり、甘夫人のことである。
唐突に出てきた甘夫人の名に、孔明は、言葉すら発することができず、間抜けのように口をひらくばかりであった。
それをまるでかまわず、張飛は荒い言葉を吐きつづける。
「てめぇの女房じゃねぇか。病が何だってんだ、畜生。死に場所を与えるつもりなら、いっそてめぇの手で殺してやれってんだ!」
孔明は、ぼう然と、目のまえの男を見た。なにを言っているのか、すぐには飲み込めなかったのである。
「死に場所とは、いえ、病とは、なんのことでございますか? 奥方様の具合がわるいとは、うかがっておりましたが」
「悪いなんてもんじゃねぇ」
「もしや」
最悪のことばを予期し、孔明はすばやく、そして無意識に、おのれの心に予防線を張った。取り乱さぬためである。
しかし、張飛の言葉は、そのような心構えを、あっさり蹴り飛ばすものであった。
「姉貴は疫病に罹っちまったんだよ。あのクソ兄貴、民に移ったらいけねぇといって、姉貴を子龍に託して、どこでも好きなところで死んで来いって、突き放しやがったんだ」
「疫ですと?」
衝撃から立ち直れないまま、それでもなんとか現状を把握しようとたずねる孔明に、張飛は、ぼろぼろと子供のように涙をこぼしながら、孔明の両肩をつかむと、ゆさゆさと揺すった。
「頼む、頼むよ、姉貴には何にも罪はねぇ。好きで疱瘡なんて疫病にかかったわけじゃねぇんだ! あんた、軍師だろう、頭がいいんだろう、俺やクソ兄貴より、知恵がまわるんだろう。なあ、頼むよ、助けてやってくれ!」



孔明は、すぐさま劉備の幕屋に戻った。
孔明の、まさに火の玉にも似た勢いに、幕屋のなか、ひとり、事態に似合わないほど静かに報告をまとめていた劉備は、察したのか、野太いため息をついた。
「これが、仁徳なのでございますか」
礼も取らずに孔明が切り出すと、劉備は、仕方がない、というふうに首を振った。
孔明は、若く、世間知らずということもあるが、物事にたいし、白黒をつけたがるところがあった。もともとの気性からして、そう気長というわけではない。
劉備の、なんとも形容のしがたい、あいまいな態度に、かっと血がのぼった。
孔明は、張飛から涙ながらの告白を聞くまでは、劉備という人間を、かなり高く評価していた。
仁愛を尊び、風韻も大きく、謙虚な人格者。
それが、この危機に際し、本性が出た、とでもいうのだろうか。
疫にかかったおのれの妻を見捨てるという無情さ、それを部下にまかせて死地に届けさせようという冷酷さ、おのが子供を道連れにしようという身勝手さ、そのどれもが腹が立って仕方がない。
「疱瘡は、けっして治らぬ病ではありませぬ。なぜに奥方様をお見捨てになりますのか」
孔明が詰問するのを、劉備は、苛立つほどに静かに返してきた。
「けれど、移る」
「民にでございますか。予防をすればよろしい」
「清潔な部屋に静かに休ませる、疱瘡にいちど罹ったやつは、二度と疱瘡にかからねぇから、そいつに看病させる。そんなことは、儂だって知っている。
だが、いまのこの状況で、どうやってそんな余裕のあることが出来るってんだ。
それにな、孔明、もし民が、疱瘡にかかったやつがいるってことを知ってみろ、どうなると思う」
「それは、報せなければよろしいではありませんか」
「できねぇ」
「なぜ」
「疱瘡ってのは、流行りだすと、とんでもなく広がりが早い。いちばんいいのは、患者に近づかせないことだ。奥が疱瘡だってことを知らない民が、これに近づいて、うっかり疱瘡にかかってみろ。あとはもう手が付けられねぇだろう。
連れて行くのなら、奥の病のことも知らせなければならなくなる。どうなる。民はますます混乱する」
「あくまで民を取るとおっしゃるか」
淡々と語る劉備の気配に抑えられたか、怒りはだいぶ収まったものの、消えるわけではない。
怒りに興奮する自分を、劉備がまるで他人事のように見つめていることが、孔明には腹が立って仕方がなかった。
甘夫人のことにしろ、劉封や阿斗のことにしろ、劉備のなかでは、すでに故人になってしまっているのではないかとさえ想像した。
「孔明よ」
劉備は静かに、怒りで小刻みに身をふるわせる孔明に語りかける。
「さっき、おまえとした話の続きになるかもしれねぇが、儂はなにも、仁君という看板だけにこだわっているのじゃない。もちろん、気にはしてるぜ。けれど、それが全部ってわけじゃねぇんだ。
儂がいま、最優先に考えているのは、いま集っている民のうち、どれだけ死なせないで江夏に連れて行けるか、ってことだ。
集ってしまったもんは、もう仕方がねぇ。なるべく守ってやりたいと思う。けれど、ぜんぶは無理だってことはわかっている。物資もヒトも足らねぇからな。最悪の場合、半分は減るだろうよ。徐州のようになるかもしれねぇ」

徐州。
そういわれて、孔明の脳裏には、少年のころに見た、災禍の刻まれた街の様子が浮かんだ。
と、同時に、糜夫人がよみがえってきた。
あの災禍のなかで、よく生き延びてくれたと言った。
その言葉は、この悲惨な世に生きねばならない母親たち、すべての言葉ではなかっただろうか。
とたん、孔明のなかで、手枷、足枷としか捕らえられていなかった、大きな民の群れは、ひとりひとり、そのなかにさまざまな想いをかかえて、必死に生きようとしている、個々のひとびとの姿に変わった。
すべての親たちが、子供を守るために、土地や家を捨て、もてるだけのものを持って、生きるために集ってきたのだ。
唆されて、まちがった方向に動き始めた民を、孔明は恨み、軽蔑の念すら抱いていた。
だが、かれらの、生きたいという純粋な願望を、そして、子を守りたい、老いた親をひどいめにあわせたくないという願いを、どうして軽蔑できるだろう。
なんという傲慢な考えであっただろう。
孔明は、それこそついさっきまでの己の姿にぞっとした。
新野城において、数字や名前、つまりは一種の記号としてしかあらわれてこない民としか対峙していなかった。
それは、顔を持たない民であった。
夜陰にまぎれて、逃げる叔父や自分たちを追いかけてくる、見えない民の姿と、知らないうちに重ねていなかったか。
曹操は、徐州の虐殺のあとに、おのれの兵卒たちが生み出した、あの凄惨な光景を見ただろうか。かれらの怨嗟の声を、じかに聞いただろうか。
おのが力を天下に示す見せしめだったのかもしれない。
父親の復讐のために、勢いで発せられた命令が、どんどん過剰な方向に向かってしまった結果だったのかもしれない。
しかし、その根本にあるものは、やはり、さきほどまでの己と同じ錯覚ではないのか。
「民」をひとつの群れ、すなわち一個の動物のように見做していたのではないか。
民の酷薄さは、たしかに執政者にとってはおそるべきもの、憎むべきものであるが、ひとりの人間にさまざまに顔があるように、民の顔も、そのひとつではないはずだ。
ときに残酷な顔を見せるのが民であるが……いや、人間であるが、自分もまた人間。やはり残酷になることもあるだろう。
おのれを否定するものもあったけれど、守ってくれるものもあった。
それも、やはり人ではないか。

ゆるさねばならない。
それは、まさに天啓のように、孔明のなかにひらめいた。
いや、天啓ではなかろうなと、孔明はおのれの心につぶやいた。
目のまえの男を見るがいい。
この人とて、世に、人に、どれだけの辛酸を舐めさせられてきたことだろう。
けれど、いま、こうして、なおも民を守ろうとしている。
それは愚直だからではない。
愚直で鈍感な男であったら、こうまで謙虚になれない。
息子ほど年下の自分に対し、真摯に向き合い、どんな身分の者の声にも公平に耳をかたむける、などという態度はとれない。
この人は、すべてを呑みこんで、理解しようとして、けんめいに、けんめいに考えて、そうして、ゆるすということに行き着いたのだ。
民のもつ愚かさ、冷酷さも知っている。けれど、それだけではないことも知っている。
だから、自分を頼るかれらのために、全力を尽くそうというのだ。
そのために、かれらを危険にさらす可能性のあるものは、とことん排除しようというのだ。

そうして、孔明は気づいた。
張飛のことばは、すべてが正しくない。
義弟の張飛ですら、劉備というこの人物を読みあやまっているのだ。
甘夫人を遠ざけたのは、民の不安を煽らぬようにするため、病が広がらないようにするため。
劉封や阿斗を、あえて手元に置いているのは、万が一、曹操に追いつかれてしまった場合、自分たちを盾にするつもりなのだ。
関羽への配慮というのも、もちろんあるかもしれない。
だが、それが一番の理由ではない。
曹操は、もし前面に劉備たちが立った場合、これを討つことに全力をそそぎ、民は後回しにするだろう。
劉備は、自分たちが曹操と戦っているわずかなあいだに、一人でも多くの民を生かそうと、そう考えているのだ。
劉備だけではなく、まだ子どもが生き残っているとなると、曹操は、さらに追撃の手をかけてくる可能性がある。
袁家の子弟たちが辺境に逃げたときの、厄介な状況を、曹操は教訓にしているはずだ。
張飛が言ったように、曹操は関羽を配下に加えたいという欲を持っている。
だから、あとは関羽のみと知った場合、曹操のことだから、追撃せずに、これを懐柔しようとするかもしれない。
そうなると、民は生きられるのだ。

潮が引くように、孔明の心から怒りが消えた。
と、同時に泣きたくなった。
おのれの浅薄さに情けなさを感じたのも理由だが、劉備の、あまりに大きすぎる器に敵わないことに圧倒されたし、その精神の強靭さに感動したのである。
先生、先生とちやほやされて、いくぶん、いい気になっていた己が恥かしいと思った。
「ことばがありませぬ」
そういうと、孔明は、素直に劉備にたいし、頭をたれた。
劉備は、こんな愚か者を許すだろうということも、孔明はわかっていた。
もし、自分と劉備とをくらべて、優れている点があるとしたなら、それは学識だけであろう。
そのほかについては、なにもかも、敵わない。
「おまえは勘がいいな。助かるが、ちと怖くなるときもある」
と、苦笑まじりに、劉備は、深々と頭を垂れた孔明に言った。
「阿斗は、奥の腹を借りて生まれた儂の子だが、おまえは、天が儂をあわれんで、儂の心のいちばんいいところを取り出して、きれいに作り出した、儂の分身なのじゃねぇのかな、ってな」
「恐縮でございます。わたしは、そのような、良い者ではありませぬ」
「いいや。この状況で、儂を正しく理解してくれるやつがいるってのは、心強い。孔明、儂がどうすればよいか、わかるか」
「民を守りたいという、その心は立派でございます。しかし、ここで死んではなりませぬ」
「儂は立派なんかじゃねぇよ。生きたいって気持ちも強い、欲張りなんだ」
そうして、劉備は、すこし照れたように笑ったあと、顔を引締めて、孔明をまっすぐ見据えた。
「さあ、軍師、儂と民が、なるべく生き残れる方法を教えてくれ」
劉備のことばに、孔明も力強くうなずき、答える。
「いますぐここを出立し、江夏への最短距離をとるのです。それしかございませぬ」
「街道をとらずにか」
「街道はたしかに整備されておりますゆえ、民の移動も早い。しかし、この大人数で、徒歩で移動するのは無理がございます。
江陵まで向かえば、民を養うに十分な物資がございますが、しかしそこまでたどり着くのは絶望的かと」
「だろうな。で、どうする」
「劉公子は樊城を出たさいに、船団をつれておりました。高い調練をつんだ、精鋭の船団でございます。これならば、漢水を北上し、民を夏口まで運ぶのに易いかと。
江陵ではなく、鐘祥を目指すのです。先行して劉公子のもとへ向かっている関将軍に早馬を出し、この旨を報告すべきかと」
「うむ、早馬の選出は益徳にまかせよう。では、すぐに民を出立させる」
「主公、それにあたりまして、お願いがございます」
孔明がいうと、劉備は、怪訝そうな顔になった。

孔明の心は決まっていた。
劉備の心をはっきりとつかんだ以上は、その軍師として、その家臣として、最大限の補佐をしなければならぬ。
そうでなければ、なんのためにここにいるのか。
「わたしと子龍の任を、逆にしてくださいませ」
劉備は、孔明の言い出したことばの意味がつかめなかったのか、唖然としている。
孔明は、ことばを選んで、言い直した。
「わたしは剣のあつかいもろくに知らぬ身でございます。しかし、医学の知識ならば、多少はございます。逆に、子龍は剣の達人でありますが、医学の知識はございませぬ。どちらが病人を守るに適しているか、それはあきらかでございましょう。子龍を呼び戻すことをお許しください。そして、わたしが奥方さまの責任を持ちます」
「おまえには頼めない」
「いいえ」
きっぱりと言うと、孔明は、劉備の目を覗き込むようにした。
「糜夫人は、わたしのような馬の骨を、息子のようだとおっしゃってくださった。なれば、糜夫人の姉妹ともいうべき甘夫人は、やはりわたしの伯母となりませぬか」
「孔明、儂が子龍に頼んだのには、理由があるのだぞ」
劉備の困惑のまじったことばにも、孔明は、大きくうなずいた。
「察しております。だからでございます。主公、わたしは、万が一のために、つねに毒を携帯しております。この毒は、わが家に古くから伝わっているもので、飲めば、ほとんど苦しむことなく死を迎えることができます」
「疱瘡を診たことはあるのか」
「ございませぬが、知識は十分にございます」

劉備は、目をつむると、腕を組み、しばらく考えこんだ。
しかし孔明の心は、はっきりと決まっていた。
たとえ劉備がだめだと言っても、趙雲を追いかけて、その任務を代わりに遂げるつもりでいた。
「孔明、嫌なことを言うかもしれんが、儂が子龍にこれを頼んだのは、子龍が武人で、死というものに慣れているからだ」
「ですが、武人であるまえに、人でございます。子龍は、長くおのれを縛っていたものと、ほんの数日前に、ようやく決別できたのです。それを、ふたたび縛るのは忍びなく思います」
「だからといって、おまえがそれを代わる理由が、どこにある」
「新野に眠っていた、わが叔父の救えなかった者たちへの責任を果たすためです。かれらの子供たちが、非道にも、いとわしい仕事に利用されている。その結果が、いまの現状ならば、それは、だれよりわたしが、叔父の遺産として引き継ぐべきものでございましょう」
「けれど、おまえは何も知らなかったのであるし」
「いいえ、知らなかったからよい、というものではございませぬ。叔父は、わたしにとっては父に等しい方でありました。身びいきではなく、立派な方であったと思います」

語りつつ、孔明は思っていた。
叔父が、予章から逃げねばならなかったことを、ひとことでも恨みごととして語らなかった。
それは、そろって多感な時期をむかえていた孔明たちへの影響も考えたのかもしれないが、やはり、劉備とおなじく、民をゆるしていたからではなかったか。
いまとなっては、その答えを知る術はなくなってしまったが、なぜだか、そうであろうという確信があった。
わたしは、いまになって、ようやくあなたに近づいているのかもしれないと、孔明は、叔父の面影に向かってつぶやいた。

「叔父の無念を真に晴らすには、かれらの野心を打ち砕き、正道に戻らせてやること。子龍もまた、この犠牲のひとりでございますれば、原因をつくった者の血縁たるわたしが、子龍の代わりになるべきなのでございます」
「飛躍だぜ。どれだけ重い荷を背負うことになると思う」
「覚悟してございます。逆に不遜を承知でおたずねしたい。なぜに、子龍ならば良いと考えてらっしゃいますか。子龍はたしかにすぐれた武人でございますが、同時に、繊細な気性も持っておりますぞ。
まして手負いの状態で、まともに使命を果たせるかどうか、疑問でございます。
それに、子龍は我が主騎、そして、わたしは、子龍の直の上役となりましょう。部下の責務を負うのも、わたしの役目ではありませぬか」
それを聞くと、劉備は、こまったように、冠からはみ出している部分の頭皮を、ぼりぼりとかいた。
「つまり、おまえは、儂がなんといおうと、子龍に代わると、そう言うのだな」
「はい」
「なら、止めるのも時間の無駄ってことだな。仕方ない、おまえがそこまで言うのなら、許す、行け」
「ありがとうございます」
孔明がふたたび頭をたれると、劉備は、苦笑しつつ、言った。
「おまえを軍師として招聘したときは、おまえがこんな頑固なやつだとは思っていなかったし、もっと、こう、冷徹なやつかと思っていたよ。
行ってくれ。おまえが追いついてきたら、子龍のやつ、きっと喜ぶだろうよ」

四回目につづく
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