七夕フェスタ 特別企画 リクエスト第七弾

ずんだGAME番外編

偶然と必然のはざま

昭和二十年八月
大日本帝国 千葉県九十九里浜

「作業、始めッ!」
軍曹の掛け声と同時に、小班に分けられていた村川美久夫の部隊は、一斉に九十九里浜の海岸に、等間隔に穴を掘り始めた。
九十九里の漁師たちは一部を除いて、浜に近づくことを禁じられている。
海苔をつくっている海女たちが、この兵隊さんたちは、なにを始めたんだべ、と怪訝そうに見ている。
じつのところ、村川美久夫たちも、
「こんなことして、本当に役に立つんだら?」
と疑問に思っていた。
「二人くらい入れる幅に掘れっ! 残土はまとめて、海から見えぬところに捨てよ! 貴様、休むな! こうしている間にも、メリケンどもは、太平洋を渡って攻めてくるかもしれぬ! 九十九里は帝都防衛の命綱なり! 気合をいれて掘れっ!」
軍曹が目を光らせているので、村川たちはせっせと作業に没頭するしかない。サボれば、容赦ない平手打ちが飛んでくる。

とはいえ、村川たちの、N県のIの若者を中心に編成された部隊というのは、戦中の徐々に硬化し、ささくれだつ世相においても、どこか呑気さを保っていた。
それというのも、美久夫とその部隊は、稀なほど運がよく、この悲惨な日中戦争において、最前線に立ったことがない。
中国にいたのも、もっとも日本軍が波に乗っているころで、前のほうでどんぱちやっているな、頑張っているな、よし、うちらもいくだに! と気負って駆けつけてみれば、もうほとんど戦闘は収束にむかっており、やったことといえば、万里の長城の上にのぼって、みんなで、
「大日本帝国万歳! 万歳、バンザーイ!」
とやったことだけ。
あとは後片付けのようなことをして、中国は広いなあと思っているうちに異動命令が出て、帰国せよ、という。
ちょうどそれとすれ違うようにして、戦況はわるくなり、大陸に残った戦友たちの悲惨な戦いがはじまるわけであるが、まったくもって、美久夫は幸運に愛され、母国を防衛するという理由から、九十九里に派遣されたのである。

「ひどい任務ずら」
と、故郷の方言まるだしに、おもわず村川美久夫はつぶやいた。
だいたい、帝都に近いのはこちらなのに、なぜ大西洋に突き出た館山のほうが『上』総で、美久夫たちの部隊が派遣された八日市場の近辺が、なぜ『下』総なのかがよくわからない。

じつはそれは、京都に天皇がいたころの名残なのである。
千葉は古来より、陸路より海路からの幸が多い土地であった。そのため、上方から海で千葉に入った場合、先にたどり着く館山のほうが『上総』、さらに奥にある土地(現在で言うところの成田空港などのある近辺)は『下総』というに至ったのである。

「『ずら』と言うな! 方言は使うなと言ったであろう!」
するどい軍曹の叱責が飛び、美久夫は首をすくめた。
美久夫の所属する九十九里防衛部隊の軍曹は、美久夫たちと同じIの出身ではなく、「ずら」と「だに」の飛び交う美久夫たちの言葉が嫌で、初日からして、『方言は緊迫感をなくす』という理由で、美久夫たちから故郷のことばを取り上げしまった。
この軍曹、霜村悠里という、なんとなく気取った名前の、美久夫たちとさほど年の変わらぬ、どこか青白い青年は、ひどく神経質で、いつもだれかを叱っていなければ気の済まない性質であった。
美久夫たちは元来のんきで、しかも激しくなる戦争の最中において、外地から呼び戻され、帰国できて、しかも気候のよい下総に派遣されたので、よけいにのんきにしている。
「これが大西洋かぁ」
などと言って、九十九里の美しい白い砂浜から眺める巨大な海原を、子供のようにぽかんとした表情で見つめる者もいる。
そうして怒られても、懲りずに、こんどはこちらを見つめる海女さんの、若いのに色目を投げたりしているのだ。
山ばかり囲まれた信濃から、ひたすら広い中国内陸部、そして今度は、千葉は下総である。
実戦を知らない美久夫たちは、あまりに稀有で幸運な兵隊たちであり、これで緊迫感をもて、といわれても、なかなかむずかしいのが実情であった。
しかし、ぴりぴりした殺気だった空気は察している。
この海の向こうにメリケンがいて、いまにも地平線に、その軍艦の姿が現れるかもしれない、とふと幻想し、美久夫は背筋をぞっとさせた。
そうして、砂浜を掘るスコップを握る手に力をこめる。
こりゃあ、豆が出来るの覚悟だ、と思いながら。

霜村の説明によれば、米軍が、いよいよ艦隊をひきいて、大西洋をわたって、九十九里に上陸する恐れがあるため、本土決戦にそなえ、九十九里にいまから防衛線を張るのだ、という。
帝都が大空襲を受けた、という話は、美久夫たちも聞いていたし、日を追うにつれて聞こえてくる惨状に、同じ日本人として、心を痛めた。
さらに、どうやら広島に、とんでもない爆弾が落ちて、広島が壊滅状態だ、という噂も流れてきていた。
この爆弾を『ピカ』と呼んで『広島にピカが落ちた』と語られるようになるのは、まだすこしあとのことであり、まだ当時は、『大きな爆弾が落ちた』ということしか伝わっていなかった。
それが、原子爆弾という、人類最悪の武器であったことが知れるのも、まだまだあとのことだ。
そして、前代未聞の地獄のありさまが知られるのは、終戦を前後してからである。

やがて、砂浜には、大人ふたりが、屈んで潜めるくらいの穴が、あちこちにできていた。
あとはせっせと残土を防風林のほうに運んで行き、土塁の材料にするためにためておく。
穴を掘る作業は、明日も明後日もつづくことから、今日はこれまで、ということになり、つづいて、銃剣を持ったまま、片膝を立てた姿勢となる。
そうして、霜村は、横から、きれいに姿勢が整っているかを点検してから、さらに叫んだ。
「はじめっ! イーチ!」
「イーチ!」
「ニイッ!」
「ニイッ!」
と、彼らは銃剣を前方ではなく、天空に突き刺すように突き上げる。
「もっと力強くッ! いまもメリケンと戦う同胞のことを思え! それっ、つづけ、サンッ」
「サンッ!」
慣れぬ姿勢のため、田植えで鍛えられた美久夫たちの腰でさえ痛んだが、霜村の言葉どおり、同胞のことを思えば、音を上げてなどいられなかった。
三月の硫黄島の玉砕より、五ヶ月。
いくら大本営が、神風が吹く、神風が吹く、と喧伝していても、もはやそれを鵜呑みにする者はすくなくなっていた。もう負けるんだろうな、ということは、なんとなく予想がついていた。
むしろそれは、この巨大な悲劇の渦の中に、なぜかぽつりと残されて、浮いていた美久夫たちであるからこそ、事態を俯瞰し、予測できたことなのかもしれない。
とはいえ、自分たちが戦わねば、だれが日本を守るというのか。
いや、日本という大きな一括りではなく、彼らが守ろうとしたのは、兵舎のかわりに屋敷を提供してくれ、しかも世話までしてくれる下総のおおきな雑貨屋一家のような、目の前にいるひとびと、故郷で待っている家族であった。

雑貨屋一家は、この近辺の土地にあっては富豪であり、ふたりのかわいい年頃の娘と、下働きの娘がいて、これをからかうのが、美久夫たちのささやかな楽しみであった。
いつであったか、だれかが、俺たちが寝ているこの真下に、娘たちが寝ているらしい、という情報を仕入れてきた。
それじゃあ、穴を開けたら、覗けるかもしれん、ということになり、こっそり納屋から錐をもってきて、寝姿を覗こうと、床にけんめいに穴を開けたのであるが、穴を開けている最中に、木屑がおちたせいで娘たちにばれた。
軍曹には怒られるわ、娘たちは冷たくなるわ、雑貨屋の主人からは、またやったら、あんたら、揃って野宿しろ、と言われるわで、さんざんであった。
こんなおどけた兵隊生活の日常が、美久夫たちの青春であった。



『なにをしているのだ、あれは』
望遠鏡で、九十九里浜につどう兵隊の様子を伺っていた松岡三雲は、なぜだか天空にむけて、懸命に銃剣を突き刺す訓練をつづけている姿に、首をひねった。
ついさきほど、国防婦人会における竹やり訓練も見てきたが、あれはちゃんと、前方にむけて竹やりを突き出していた。
なぜ空に向けている? B29を撃墜せんがため?
しかし、B29は、そうそう低空飛行なんぞしないものである。

じつは、B29は東京へ向かうその途中でエンジン不良を起こすものがたびたびあり、不幸なその飛行機は、その姿をみつけた近隣のいさましい住人によって、竹やりで下から撃墜されていた。
千葉には、あちこちに、B29を竹やりで撃墜した話、あるいは、墜落した飛行機から、パラシュートにて脱出した兵士が降伏をもとめてきた話が残されている(その後の兵士がどうなったか。たいがいは不幸なことに、住民たちによって処刑された、あるいは官憲に引き渡され、おなじく処刑された。戦中のことである。捕虜として、生き残れたものは稀であっただろう)。

「不思議でしょう、どうしてあんなことをするのか」
不意に声をかけられ、物陰に隠れていた松岡は、ぎょっとしてピストルを取り出そうとした。
振り返るとそこには、長髪の、あきらかに民間人とは思えぬたぐいの少年が立っていた。
少年…いや、青年か? 
友好的に見える笑みを浮かべた青年は、小柄で、白いシャツのよく似合う、可憐な容貌をしていた。
徒手空拳で、両手は腰にあり、ピストルを取り出そうと殺気立つ松岡の気配にも、まるで動じることはない。
民間人ではない。とはいえ、軍人というふうでもない。
しなやかな体躯からすれば、軍人であるかもしれないが、雰囲気が、日本帝国軍の軍人にしては、あまりに柔らかで切迫感がなさすぎた。
とはいえ、すべてに例外はあるものだ。
松岡は慎重に、寝転がった姿勢のまま、青年に尋ねた。
「君は、だれだね」
「だれでもよいでしょう。敵ではありません。アメリカの」
最後の言葉に仰天した松岡であるが、青年は、松岡の、うろたえる様を楽しんでいるかのように目を細めた。
どう見ても年下だというのに、青年の内側には、松岡もかなわぬほどの豪胆さが潜んでいるようにみえる。
身に星条旗を纏っていたわけではあるまいし、なぜこの青年は、自分がアメリカの間牒であると知っている?
「ついでにいうと、日本人ではありません。残念ながら、あなたとおなじ、日系二世でもないけれど。まあ、敵ではない」
と、青年は、まるでおどけているかのように、両手のひらひらと、自分が空手であるということをアピールしてみせる。
松岡は、ゆっくり身を起こした。

警戒は解けることはなかったが、薄気味悪さが増えていく。
なぜ、この青年は、自分が日系二世であることを知っているのだろう…そして、強制収容所に押し込められている同胞のために、合衆国への忠誠をだれより示さんがため、危険な本土への侵入を買って出た、ということまで、まさか、知っているのか。
「敵ではないが、この戦争を、早く終わらせようと思っている人間の一人です。もはや、日本に抗戦する力は残っていない。一億総玉砕なんて、言葉だけです。もう、日本人は戦えないのだ。それを早く本国へ、電報で伝えなさい」
「しかし、日本が降伏を渋っているのは事実だ。広島と長崎に原爆を落としても、まだ躊躇っている。こうなれば、帝都を制圧するしか、手段がない」
青年は、訳知り顔で、うんうんと松岡の言葉に頷いてみせる。
「そうするしかないでしょうね。わたしならば、こうしましょう…太平洋から、艦隊を率います。つづいて、房総沖で、九十九里浜から上陸。下総には、たいして防衛線はない。いや、防衛線は、あそこにある、あの急ごしらえの穴たちがそれだ。それを突破してしまえば、あとは、無人の原を行くが如し、ですよ。そのまま西進し、帝都を制圧する。
それとは別に、東京湾へ向かう艦隊も必要だ。あそこには、東京へ攻めてくる艦隊を想定して、海上トーチカが富津岬にある。そこを潰し、海上から、陸をいく友軍を支援します。陸と海を制圧し、皇居を抑えられてしまえば、日本はもう抵抗はしない」
「そうだ、実際に、総司令本部は帝都制圧戦をそのとおりに考えている」
いいざま、松岡はピストルを抜き放った。
「貴様、いったい何者だ? 特高などではないな」
銃口をつきつけられてもなお、青年は涼しい顔をして、むしろ、おやおやと、松岡に同情するような顔すら見せた。
「撃っても結構。ただし、それ、サイレンサーはついているのですか? この高台で撃ったら、銃声は、九十九里浜の波音に紛れることもなく、あそこにいる連中に気持ちよく届くでしょうね。そうしたら、貴方は捕らえられ、尋問されましょう。なんと答えます? その銃はどこから仕入れたと言い訳するのですか? 松岡三雲なんて名前は、日本には存在しないというのに」
「貴様、俺の名前まで?」
狼狽する松岡に、青年は、あたりまえだと言わんばかりにつづける。
「両親が鹿児島の出で、サン・フランシスコで仕立て屋をひらいていた。なのに、この戦争で、妹ともども強制収容所にいる。兄は日系二世だけを集めた部隊に編成され、フランスを転戦。現在は野戦病院に収容中」
「兄貴は生きているのか!」
思いもかけない情報に、松岡は思わず手にしたピストルを持つ手を緩める。
「重症だけれど、死にはしない。生き残れば、お互いに、会えますよ。あなたが、電報を打てば、戦争は終わる。日本には、もう抵抗力がない、あとは血を流さずとも、外交努力でなんとかなる、と」
「しかし」
抗弁しようとする松岡であるが、まるで青年と言葉を交わせば交わすほど、不思議な力で、猛々しい気持ちを吸い取られていくような感覚があった。

青年は、松岡に、にっこりと、まるでいつか教会でみた、聖者のフラスコ画そっくりの、優しい笑みをみせて、九十九里浜で、てい、えい、と訓練をつづけている兵士たちを指さした。
「彼らが何をしているか、教えて差し上げましょうか。彼らは、もしアメリカが攻めてきた場合、あの掘った穴の中に潜み、上から藁か何かで穴を塞いで、身を隠します。そして、アメリカ兵が上陸してきたら、穴の下から上を通っていくアメリカ兵の急所を銃剣で刺して攻撃するつもりなのです」
「……なんだって?」
松岡は、青年の語ることばを、頭の中で咀嚼することができなかった。
そんな馬鹿馬鹿しい話があるか。
海から海岸を砲撃されたら、一巻の終わりではないか。
だいたい、もしアメリカ兵がうかうかと上陸してきて、第一陣は、みごとにその作戦にはまったとする。
だが、それと気づいた第二陣は、容赦なく手榴弾を投げてくる。
そして全滅。
ちょっと冒険小説に夢中になったことのある子供ならば、あっという間に理解できる事態ではないか。
そんな馬鹿馬鹿しい作戦を、真剣に実行している。
それが、『大』日本帝国の、九十九里浜の防衛線だというのか?

松岡は、唖然と、九十九里浜で、懸命に天空を銃剣で突き刺す訓練をくりかえす兵士たちを見下ろした。
自分と同じくらいの年の青年たち。
生まれた国はちがうけれど、彼らは敵ではなかった。
彼らもまた、国家というものの勝手に振り回されている、あわれな被害者であった。
自分と同じ。

「電報を打ちなさい、日本に抵抗の力はもはやない、と。砲台を九十九里に置く余裕すらない、つまり、物資が間に合わないのです。知っているでしょう。日本の寺社仏閣にある鐘もすべて、銃弾にされるために軍部に召集されている。それでもなお、間に合わないのだ。
九十九里の防衛線も、富津岬の砲台も、そこにある、というだけ。帝都はいつでも制圧できる。それをアメリカが知っていると匂わせてやれば、もう日本は折れる」
「なぜだ」
松岡は、悄然とそこに立つ青年に問いかけた。
「きみは、なぜ、わたしに協力する? 日本人ではない、という。では、ソ連の?」
しかし青年は首を振る。どこか、悲しそうな顔をして。
「わたしは、どこの国の人間でもありません。わたしの国は、もう大昔に滅びてしまった。これから、日本がどれだけの辛酸を舐めるか、わたしは想像がつきますよ。悲憤にくれる者も多くいましょう。わたしがそうでしたから。同じ轍を踏む人間は、少ないほうがいい。たとえ、それが日本人であろうと、アメリカ人であろうと、いや、人種なんてほんとうは関係ないのだ。命であれば」
「たいしたロマンチストだな」
「そういうふうに聞こえるかね? だが、いつか平和な時代がやってきたら、人種というものの区分けの馬鹿馬鹿しさと恐ろしさに、大きく否定の声を挙げる者たちが出てくるはずだ。武器をもたぬ戦いこそが、もっとも難しい。
やがて、国という概念そのものが崩れてくる日が、いつかやってくる。そもそも、国という思想そのものが、地球の長い歴史において、たった五千年しか保たれていない『発明』なのだから」
「きみの言葉は、あまりに途方がなさ過ぎる」
「おや、また言われたな。いつも言われるのですよ。『貴殿の言葉はまるで夢物語のようだ。実行するには早すぎる』と。でも、間違ってはいないでしょう」
と、青年はころころと笑った。
すっかり敵意を失っていた松岡は、青年の容貌を、はじめて冷静にみることができた。
銀幕スタアのように顔立ちの整った、どこか少年の無邪気さを相貌に宿した、稀なほど怜悧な美貌の、憂いの含まれる双眸もつ青年であった。
「電報を、打つよ」
「それがよいでしょう。今日中にでも。大丈夫、あなたはきっと生き残るから」
「本当に、君は、だれなのだ?」
松岡の問いに、青年は、詮索するな、というふうに首を振った。


その後、松岡が、青年と再会することはなかった。
松岡はアメリカに電報を打つ。
日本にはもはや、本土において、抗戦する力は残されていない、と。
そして八月十五日。
雑貨屋の家に世話になっている村川美久夫の部隊は、軍務の一環として、ちかくの芋畑の手伝いも任されていた。
もともと、農家の息子たちが中心の部隊である。まさに水を得た魚。空に向かって、銃剣を突き刺しているよりも、ずっと楽しい。
そうして鍬をふるっている最中に、雑貨屋の女将さんが、ばたばたと慌てて駆けてきた。
「みなさん、みなさーん! 早く、大変ですよう!」
もしや、火事であろうかと、最初、美久夫は思った。
だが、女将さんの様子は、切迫感というよりは、高揚感に近かった。
なんがあったんずら、と農具もそのままに雑貨屋に戻ると、店先に置かれたラジオに、近くの住民や、軍曹の霜村があつまって、粛然と流れてくる声を聞いている。
だれも、口をきく者はなかった。
「なんです?」
と、部隊の代表として、美久夫が尋ねると、雑貨屋の主人は、腕を組み、むずかしい顔をしたまま、ラジオを見て、
「日本が、戦争に負けた」
と言った。
主人は口にしなかったけれど、「とうとう」という言葉が、その口調にはどこかに潜んでいるように、美久夫には聞こえた。
雑音ばかりのラジオからは、天皇陛下御自らの肉声が流れていた。
反射的に、美久夫たちも村人たちも、ありがたい気持ちになり、そしてまた、日本が負けたという事実が、申し訳なさと不甲斐なさの入り混じった気持ちと合わさって、自然と涙があふれてきた。
実を言うと、美久夫は、天皇の声を、よく聞き取ることができなかった。
ただ、はっきりと耳に残ったのは、
『堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ…』
の、文句だけであった。
のちに、この言葉こそが、天皇が自ら、ポツダム宣言受諾の詔書に差し入れた、数少ない『肉声』であったことが知れる。
本土決戦を信じて疑わなかった霜村の嘆きは深く、ラジオの前で身を折って、地面を打って、激しく泣いていた。
それを慰める者はだれもいなかった。

九十九里にいくつも開けられた穴は、律儀な村川美久夫たちによって、ふたたび埋め戻された。
彼らはすっかり土地の人間と仲良くなっており、その後、終戦したのちも、二年にわたり、同地にとどまることになる。
故郷が戦禍に巻き込まれることもなかったから、あわてて帰る必要もなかったし、実のところ、この地で農作業を手伝うと、賃金がよかったのである。
もちろん、それ以外でも、よほど居心地がよかったにちがいない。

せっせと穴を埋め戻す、その呑気な作業を眺めながら、松岡が潜んでいた高台に、いま、ふたつの影がある。
「これでよかったのでしょうか?」
「良かったのだよ。士気はあっても、日本には、物資もなければ、まともな軍事作戦を立てることができる人材もない。この情報を掴んでいたからこそ、アメリカの強気な態度は揺るがなかった。だからこそ、スターリンをも抑えることができたのだ」
はあ、と生返事しつつ、どこか納得が行かない、というふうに、姜維は孔明を見た。
「しかし日本人が我ら同胞にしたことを思えば、余計なお世話であったように思えますが」
それを聞くや、孔明は長い腕を伸ばして、姜維の形よい頭をゴンと殴りつけた。
「自分で、日系人に言ったことを忘れたか。人種も国籍も関係ない。その犯した罪を、民族を構成する人々すべてに押し付けることの、己が偏狭さを恥じよ」
「おなじ中華系のアトラ・ハシースに、あとで恨まれることがあるのでは?」
と、姜維が言うと、孔明はちろりと弟子を軽く睨みつける。
「義はどちらにあると思う? もしもこれが原因で、なにかしら喧嘩を売ってくるような輩がいれば、それは喧嘩を買うまでもなく、すぐに『堕ちる』であろうよ」
「強気ですな、丞相。まあ、貴方様にならぶ攻撃型アトラ・ハシースもそうそうおりませぬゆえ、強気なのでございましょうが。しかし、なれば、原爆が落ちるのを防ぐとか、そこまでされたらよろしかったのでは?」
「われらがこの地に現れたのは八月十日だぞ。両方とも、もうすでに落とされておる。ヴァルキューレの指示は、『戦争終結に向け、穏便にことが運ぶように動け』ということであった。
おそらく、各地でも同じように、ほかのアトラ・ハシースが活躍していたはずだ。みな、うまくやったようだな。『本土決戦内閣』を目論む将校の動きも封じることができたようであるし、うむ、おまえも実によくやった。誉めてつかわす」
「もったいなきお言葉…ですが丞相、ひとつ質問が」
「なんだ」
孔明が振り向くと、姜維は、相変わらず不服そうな顔を崩さない。
孔明が、劉備の軍師になったばかりの二十七の頃の姿を保つのを好むとすれば、姜維もまた、孔明の率いる蜀軍に降った二十七歳の頃の姿を保つのを好んだ。
怜悧でありながら、どこか少年の幼さを秘めた、不思議な容姿を、姜維はしている。
「日本のアトラ・ハシースが、そもそも呼ばれなかったのはなぜです?」
「情に流される危険があるからさ。それにしたって、敵国の系譜たる我らを呼ばなくてもよかろうに」
「なんだ、丞相も、やはり不満があったのではありませぬか…ですから、アストラルたるわたくしを召喚し、ご自分は見ているだけであった、と。それ、いささかずるくありませんか」
「ずるい? 弟子たるそなたに、早く徳をつませ、すこしでも霊格を上げさせてやろうという、この心遣いが、なぜに伝わらぬ」
姜維の抗議の声に、孔明は大仰に嘆いて見せるのであるが、説得力はあまりなかったらしい。姜維は、剣呑な眼差しで孔明を見る。
「丞相、ご本心を」
「わかった、わかった、そう睨むな。なぜにおまえを呼んだか。うむ、さっきのことばは偽りではない。ただ、わたしがアメリカのスパイの前に出た場合」
「出た場合?」
「あまりにわたしが神々しすぎて、かえって怪しまれる。そなたぐらい普通なほうが、説得力が増す、というものだ。伯約、われらは『神話』を作りにきたのではない、『歴史』を作りにきたのだよ」
「それ、名言をおっしゃっているおつもりか? つまり、丞相よりわたしのほうが、見た目が劣るというか、普通っぽいので、向こうが普通に話を聞く、と。なるほど、だから趙将軍ではなく、わたしなのですね? 趙将軍でも、妙に目つきが鋭いうえに、いかにも職業軍人らしく見えるので、絶対に戦闘に突入するから!」
「おまえの見た目は普通ではないよ、水準をはるかに上回っているから、おおいに喜ぶがよい」
「素直に喜べません…そう、わたしはいつも、趙将軍の代打なのだ…」
しょんぼりする姜維に、孔明は柳眉をひそめて言う。
「べつに代わりのつもりで呼んだのではないぞ。まったく、おまえも気むずかしいな。ほら、『下宿先』に帰る前に、なにか好きな物でも奢ってやろう。なにがいい?」
「いりませんよ…この時代のこの国には、どうせ芋やカボチャしかないでしょう」
「ああ、これ、本格的に落ち込むやつがいるか。伯約、これ、伯約」
孔明の言葉にも振り返らず、しょんぼりと肩を落とした姜維は、そのまま姿を消して行ってしまう。
孔明は、やれやれと言いながら、そのあとを追うようにして、自分も世界から姿を消した。

六十年後…

仙台市青葉区浅野家。
信州の母方の祖父からの手紙を開いた一子は、その内容を一読するや、絶句し、途方に暮れた。
「あら、例の、ものすごーく達筆なおじいさんからの手紙? 読めないの? 暗号解読班(浅野家の母)なら、パートからもうすこしで帰ってくるわよ」
と、羅貫中犬が言う。
一子は、自分の机に向かって、『日本史』の宿題をこなしていた。それは『戦争体験者に貴重な体験を聞いてレポートにする』というものである。
父方の戦争経験者は、戦死したか、あるいはすでに他界していたので、老いてなお、ますます盛んな母方の祖父の村川美久夫に手紙を書いて、戦争の話を教えて欲しいとお願いしたのだが、そうしたら、律儀に手紙が返ってきた。
一子が読むことを想定し、字体も、大きくひらがなを多用している(ひらがなであれ、漢字であれ、達筆すぎて読みにくいことはちがいなかったが)。
「いやー、これ読んでみ? 日本、負けるよ、って感じ」
「ええ?」
羅貫中犬は手紙を受け取って、読みづらい字体で、イラスト付きで描かれた、手紙を読んだ。
それは、日本が終戦直前にとった、九十九里浜の防衛線にまつわる作戦の顛末が描かれていた。
祖父のイラストは簡潔で、掘った穴に人が潜んでいるところと、アメリカ兵の急所を突き刺しているところが描かれていた。
「………これ、本当なのかしら」
「そう思うよね。じいちゃん、ぼけてはいないけど、変なところで笑いを取ろうとする傾向があるからなー。これ、宿題のレポートに書いてもいいと思う?」
「どうかしら。でも、富津岬に迎撃用の軍事施設があったのは本当だし(最近まで軍事機密として公表されておりませんでしたが、朝日新聞により、明らかになりました。アメリカのスパイはそれを掴んでおり、日本がポツダム宣言を拒否し、本土決戦の構えをみせた場合、本気で東京湾から東京を占拠するつもりだったようです)、九十九里浜でも、なんらかの防衛線は張ろうとしたでしょうね。図書館で調べてみたら?」
「なんつーか、調べるのが怖いよ。だって、これ、本気でとった作戦なんでしょ? 運動会とかじゃなくってさ…歴史って奥が深いわ、本当に…」
一子はため息をつき、祖父の手紙をまじまじと見つめた。
そうして、ポツダム宣言が受諾されていなければ、もしかしたら生まれてこなかったかもしれない自分という存在を思い、歴史は偶然の積み重ねなのだなと、しみじみ思うのであった。

もちろん、その裏に動いている力がある、などということは、想像もつかないし、だれであれ、そんな話は信じないであろうが。

あとがき
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