B.B.の世界

二十四

みずうみ? 
次の日、臨時の全校集会が行なわれ、臨時の養護の教師が紹介された。
 「天羽霧子です。短い間ですが、どうぞよろしく」
 鼻にかかったハスキーボイスでその教師が壇頭で名乗ると、生徒をはじめ教師までもが、おおーと感嘆の声をあげた。
名前が珍しかったのではない。
そのなめかましい声が、八頭身のすばらしいスタイルと、悩ましげな切れ長の、すこし目尻が下がった瞳や、すっと通った鼻筋、厚ぼったい唇、乱れのひとつもないウェーブパーマのかかった髪といった容姿に、ぴったりはまっていたからだ。
 「こりゃあ、具合の悪くなる男子生徒が増えるなあ」
と、だれかが、冗談とも真剣ともつかない声でつぶやいた。
 
あまりに天羽の印象が強烈で、つづいてあいさつした代用教員の城戸は、その冴えないあまりに普通な容姿のために、ほとんどだれの印象にも残らなかった。
人のよさそうな童顔なのだが、髪の毛はすでに白いものが混じっている。
若フケらしく、まだ30代前半で、雨咲名望のOBである、ということがすこしだけみんなの記憶に残った。
あと10日ほどで文化祭、ということで、学校中がめずらしくそわそわした雰囲気であったのは確かである。
いつもは何かの本を朗読しているだけの学長のお話も、その雰囲気に呑まれて、冗談を挟んで行なわれ、生徒たちのほうも、めずらしく好感を持ってその話を聞いた。


 
だれかがつぶやいた通り、保健室はにぎやかになった。
ちょっと可愛いとか、ちょっとセンスがいいなどというレベルではない。
天羽霧子には隔絶的な迫力があり、美人という言葉が、平凡に使われているのが、惜しいくらいであった。
見る人に、世間的な美人とは、『目鼻立ちが規定の位置にある』という表現程度ですまされるべきだとさえ、思わせてしまう。
そこまで差をつけられてしまうと、女子生徒も嫉妬を抱くどころではない。
お寺の境内に焚いてあるお香を頭になすりつけて、『頭がよくなりますように』と願掛けするように、美人になりたい女子生徒も、天羽霧子の美貌のオーラにあやかりたいと保健室を訪れた。
杏樹もその一人で、ほかの生徒たちと一緒に、なにかと理由をつけては天羽霧子にまとわりついていた。
 「もお、あれだけ美人だと、冷たい感じするじゃないですか。でもそんなことなくて、すっごくお話上手なんですよぉ。あっちこっちの学校に赴任してたってだけあって、いろんなこと知ってるし、それにものすごく気配り上手なんですぅ。
職員室にサイフォンを持ち込んで、珈琲を先生たちに煎れてあげたりして、それが『週刊女性教師』みたいに嫌味ったらしくなくて、すっごく自然で素敵なんです」
 と、ここで杏樹は、芝居がかった仕草で声を落とした。
 「でも貴海先生にも、珈琲を届けてる、って聞いたときは、ちょおっとアレレ? って思っちゃいました。だあって、あたしだって珈琲屋でバイトしてるんですから、それくらい先生に差し入れできるよって。今度あたしも差し入れしてみようかなぁ」
 杏樹はすぐさまそれを実行した。
家で挽いた珈琲を、ポットにつめて化学準備室に届けたのである。
調理実習の作品もめったに受け取らない貴海が、杏樹の珈琲を受け取ったので、杏樹はすっかり有頂天になって、理音をはじめ、あちこちに自慢して回った。
 


 放課後、雨咲町の中学校周辺に文化祭のチラシを配るため、放課後に手の空いている生徒が集められたが、その中でも、杏樹はずっとそのときの話をしてはしゃいでいた。
 「『どうもありがとう』って言ってくれたんですよぉ。先生って、あんまりにっこり笑わないのに、はっきりとにっこり笑ってくれたんですぅ」
 そんな顔なら、いつも見てるよ、と、理音は無邪気によろこぶ杏樹に、軽い苛立ちを覚えながら、心の中で言い返した。
そして、杏樹がチラシを見せたとき、確かに貴海が笑ったのを思い出した。
 『先生は杏樹ちゃんみたいな、明るくて、気配りの出来る女の子がお気に入りなのかな。そういえば、杏樹ちゃんって、少し増峰先生に似てるかも』
 理音は、貴海が増峰を苦手、と言ったのは、単に嫌い、という理由ではなく、すでに広川学年主任のことを知っていたからなのではないかと疑っていた。
沢登といい、貴海といい、容姿や頭のよさなんていうのは後回しで、結局のところ、明るい子、というのは好かれるものなのだ。
明るく振る舞うことは得意でも、本質的には沈思熟考型の理音は、杏樹のはじけるような明るさが、うらやましくて仕方がない。
自分の周りに人が集まらないのも、明るさがないためなのかもしれない。
と、悶々とするから、余計に自信がなくなっていく。嗚呼ジレンマ。
 
生徒のほかに、教師たちも遠方に出掛ける生徒たちの足となるために、集まっている。理音がふと視線を感じて振り返ると、貴海がこちらを見ていた。
おそらく、杏樹の甲高い声に気を取られたのだろう。
目が合うと、一瞬だけ、わかっている、というふうにじっと見つめて、それからそらした。
 「なんだか微妙だな、こういうのって」
 沢登の言葉に、理音は、虚を突かれたように思って、ぎょっとした。
 「なんのこと?」
 「文化祭を盛り上げるためとはいえ、文化祭実行委員会のメンバー全員が、チラシ配りに行かなくちゃいけないのかなって話。やらなくちゃいけないこと、山ほどあるんだぜ? 
それに三年C組の連中が、通用門の製作費を、下級生からカンパで集めたってことで、停学喰らったじゃん? その仕事もおれらに回って来てるんだぜ? こりゃ、文化祭前日は徹夜になるぞ」
 理音から聞いた話を、貴海はすぐに調べあげた。
そして、下級生からカンパ名目で、製作費を脅し取っていた三年生が判明し、文化祭がおわるまで、停学処分となった。
密告をしているつもりはないが、第三者的には密告に当たるだろう。
その役目を負うことも、理音は微妙に思っている。
 『先生がわたしを信頼してくれているから、もっと学校のことを教えてあげようと話をしているけれど、隠密じゃあるまいし、辛い役目だな。密告のつもりじゃないし、もっと学校をよくしたいと思っているから、話をしているんだけれど、やっぱり密告は密告だよね。
先生一人じゃ、いろいろ見れないのはわかってるけど、なんだかどんどん普通の女子高生から離れていくみたい。もしかして、これは間違っていないかな』
 
 「チラシ配り、ほかのヤツに任せたら、だめなのかな」
そういう沢登に、隣にいたはるかが、おずおずと口を出した。
 「ダメだよ、安藤先生が、委員は全員参加って決めたんだから」
しかし沢登はおもしろくないらしい。
 「安藤先生も、進行を全部把握しているわけじゃないだろ。第一、最初に全部おまえたちに任せるとまで言ってるんだぜ? 別にさぼろうってわけじゃなくて、責任ある仕事がしたいってだけなんだよ」
沢登は勉強はともかく仕事に関しては、責任感をつよく持って行なうタイプだ。
バイトでも根性のあるところを見せて、滅多なことでは欠勤しない。
はるかは、自分の言葉に沢登がむくれてしまったので、おろおろしている。
それを見た杏樹が、すかさずフォローを入れた。
 「まあ、まあ。チラシ配りも楽しいですよぉ。いつも、あたしたちって学校の中だけで生活してるじゃないですか。世間の人たちに、こっちのやっていることを興味持ってもらうのって、言い換えれば、あたしたちがどれだけ努力して、楽しいイベントを企画しているかってことを、知ってもらうってことでしょ? 
ただ義務で仕事をするより、いろんな人が期待してくれている仕事をしてるんだ、って思ったほうが、やり甲斐も違ってきますよぉ。そう思いません?」
 「うーん、まあ、そうかあ。そうとも言えるなあ」
杏樹のコミュニケーション能力の高さには、舌を巻く。
これは持って生まれたものや、性格からくるものではない。
杏樹は人の輪の中で、いつも相手のいいところを学び取ろうと努力しているのだ。
一方で、口下手のはるかは、しょんぼりしてしまっている。
はるかにもいいところはたくさんあるのだが、なかなかそれを発揮できないでいる。
理音もなんとか力になりたいと思うのだが、やはり同じく人付きあいが下手なので、どうしてよいのかわからない。
 
 「うっし、全員集まったなあ? それじゃあ、毎年恒例の、雨咲名望学院文化祭チラシキャンペーンはじめるぞ。ちゃんと班は作ってるなあ? 
地図を回すから、地図をちゃんと確認したら、さっそく移動してよし。チラシをちゃっちゃと配りおわったら、リーダーは携帯でオレに連絡すること。連絡しなかった班は、文化祭参加禁止だからなあ」
 文化祭実行委員会と机上旅行部顧問の教師・安藤は、駝鳥によく似た風貌の、ひょろ長い首と、ハゲ頭の世界史担当の中年教師である。
お昼はいつもカップラーメンで、なぜか社会科教室準備室で過ごす。
職員室の自分の机は漫画だらけで、若い教員と漫画の貸しっこをしている。
最近のフェイバリットは『ジパング』である。
カップラーメンや漫画の単行本は、どこで仕入れるかというと、運悪く安藤がいるときに社会科教室の前を通り掛かった生徒が、無理矢理にコンビニへのお遣いを押しつけられるのだ。
いつも機嫌がわるそうに憮然としているが、しかし授業はひじょうにわかりやすく、情報集めに熱心で、時事問題にもくわしく話題が豊富で、教科書以上の知識が手に入ると、生徒にも人気が高い。
 
教員駐車場に集められた、チラシキャンペーンのための生徒たちは、約50名。
文化祭のPRのためのこのチラシキャンペーンは、生徒たちにしても、10日後に控えた文化祭を分的に盛り上げるための、大事な行事のひとつであった。
学校側も、文化祭は来期の受験生への大切なPRであり、力を入れている。
少子化が進むなか、どの学校も学生集めに必死である。
都心部とちがい、不況のため、学費が安い公立高校への人気が上がってきており、雨咲名望学院のような私立は、公立にはない魅力をPRしないと先細りである。
特別進学科は、県下でも一、二を争う高進学率のために、生徒が減ることはないが、普通科などは、どんどん数を減らしているのが現状だ。
 文化祭実行委員が、帰宅部の生徒はもちろん、運動部や文化部の生徒にも声をかけ、集まったメンバーはばらばらである。
大きなスポーツバッグを抱えたジャージ姿の生徒、直帰を狙うカバン持参の生徒、PRのため奇抜な格好(坊主頭にテニスのスコート姿)をした生徒たちなどなど。
普段、規格にぴたっと合わせたような、おとなしい、悪く言えば覇気のない雨咲名望の特別進学科の生徒も、祭りとなれば、本来の若者らしい華やぎを見せている。
 
集まった中には、生徒たちのほかに教師もいて、遠方の地区を回る生徒のために車を出す係だ。
責任者の安藤のほかに、広川や、陸上部顧問の田島、放送委員会指導の藤原、産休を取った数学教師・桐山の代わりに、臨時でやってきた城戸などだ。
城戸はここでも存在感が薄く、気をつけてないと、いるのかいないのかさえわからない。
理音も城戸の授業を受けたが、可もなく不可もなく、すべてが普通で面白みに欠ける印象であった。
 
理音は、はるかや沢登と同じ班になり、天生地区の割り当てとなった。
天生地区は、雨咲名望学院から新興住宅地を一山こえたところにある、県内でも内陸部の、農業地帯である。
ド田舎かあ、とぼやいた沢登の言葉を聞き付けて、安藤が言った。
 「おめぇ、天生地区って過疎地帯だと思ってバカにしてんじゃねぇぞ。去年のT大現役合格者は、天生地区出身者だぞ。このままだと浪人まちがいなしのカズヒロのために、わざわざそこを選んでやったんじゃねぇか。天生神社にお参りして、オツムをもうすこしマシにしてくださいってお願いしてこい」
 安藤は、土地の訛りの抜けない喋り方をする。
 「天生地区は広いから、二班に分けっからな。杏樹のところとカズヒロのところだ。運転手は、おめぇら運がいいぞ。貴海センセと天羽センセにお願いする」
 理音の班には、ほかに沢登と同じ陸上部の男子生徒がいたが、天羽の名を聞いてガッツポーズをした。
同様に、貴海の名前を聞いて。杏樹が飛び跳ねてよろこんでいる。
 しかし、指名を受けた貴海は、めずらしく浮かない顔をした。
 「天生、ですか」
 「あ、もしかして道わかりませんか?」
 すかさず杏樹が、ナビします、と立候補し、貴海は晴れぬ顔のまま、杏樹たちの班と移動をはじめた。
一方の理音の班は、天羽霧子が、帰り支度を整えた状態で車を回している。
助手席にだれが乗るかで、男子生徒がジャンケンをしていた。
 「生憎だけれど、荷物持ちもしてほしいから、助手席は女の子がいいわ」
と、天羽の指摘があった。
人見知りするはるかが遠慮したので、理音が助手席となった。
 
 天羽が赴任してきてから、理音は彼女と直接話すのは初めてである。
貴海は、天羽をグレタ・ガルボと言ったが、まさにぴったりで、色っぽい雰囲気とはうらはらに、肩幅もがっしりしていて、エラもくっきり張り出しており、骨っぽい。
 『文化祭の出し物で、リリー・マルレーンを唄ったら受けそう』
と理音は思った。
日本人離れした高い鼻梁と、くっきりした二重を持っているために、化粧はかなり濃いめなのだが、派手に見えない。
これで化粧が薄いと、かえってきつい感じばかりが目立つようになるだろう。
ピンと上を向いた長いまつげを、うらやましく見ていると、それに気づいたのか、天羽はにっこりと優しくほほ笑んだ。
 「カバン、持ってくれる? 悪いわね。わたしは直帰するものだから」
と、受け取ったカバンは、ケリーバックである。
このタイプはたしか、限定販売モノだったよなあと理音は思いつつ、腕に抱いた。
ほかに、イトーヨーカドーのビニール袋も受け取ったが、これには珈琲豆が入っていた。
理音の胸は、ほんの少し、ちくりと痛んだ。
 「あなた、まだ名前を聞いていなかったわね。なんていうの?」
 「二年B組の田端理音です。あの、天羽先生は、天生地区のご出身なんですか?」
 「そうよ。天生と天羽で字は違うけど、読みは一緒でしょ? 小学校のときまで天生にすんでいたの。いまは、空き家になっていた親戚の家を、仮住居にしているのよ」
 
車は発進した。
天羽の雰囲気からすれば、クラッシックタイプの軽自動車がぴったりのようだが、実際はファミリータイプのバンで、後部座席には、はるかや沢登ら5人の生徒が乗り込んでいる。
はるかと沢登以外は、帰り支度をしての参加だ。
貴海の車で現地に向かう生徒も、杏樹以外は直帰のため、学校に戻る生徒は、貴海の車で帰る、という寸法だ。
 男子生徒たちが車内で天羽から聞き出した情報によれば、天羽は代用の養護教員として、全国を回っており、このたび地元の学校で職が見つかったので、雨咲に帰ってきたということだった。
大学は某私立大学。両親は他界しており、弟が一人いる。
 「天生地区の天羽さんて、なにか謂れがあるんですか?」
 理音が聞くと、天羽は謎めいた笑みを浮かべて、答えた。
 「天羽家はね、先祖が天狗だっていう伝説を持っているの。なんでも天狗にさらわれた娘が、ある日ひょっこり帰ってきたんだけど、天狗にさらわれた、っていうこと意外は、なにも覚えていなかったらしいのね。
天狗に家に帰してもらったときは、娘は身篭もっていたんですって。それがあたしのご先祖。天の羽、という名字はそれを示しているのよ」
 「天狗?」
 「昔から、神隠しは天狗の仕業とされてきたのよ。天生は裕福な農家が多いから、誘拐される子供も多かったんじゃないかしら。それが天狗の仕業なのか、現代だったら犯罪と呼ばれるものなのかわからないんだけど、うちの家はなんの因果か、何度も天狗の神隠しに遭っているのよね。だから口の悪い古い人は、天狗憑きなんて言うわ」
 「天狗って、アレだろ? 赤い顔をして、鼻が長くて、山伏の格好してるヤツ」
沢登が言うと、天生はまたにっこり笑った。
 「一般ではそう伝えられているわね。ただ、うちの先祖の会った『天狗』というのは、見た目は普通の人間と変わらなかったと、古文書に残っているわ」
 理音は、天羽の形の良い鼻梁を見て、なんとなく納得してしまった。
 「そういえば、『貴海』という姓も、あまり聞かないわね。天生に同じ『貴海』という家があったけれど、あれは貴海先生のご親戚なのかしら?」
 唐突に貴海の名前が出てきたので、理音は驚いた。
天羽としては、なんの気もないのだろう。
だが理音は、天生、と聞いて、貴海が浮かない顔をした理由が、わかったような気がした。
 幼少の頃、両親の不仲が原因で、親戚に、自分たちの世話を頼るしかなかったという。かなり神経をすり減らして、大人たちの間に入っていたようだから、親戚というもの自体に、あまりいい思い出がないのかもしれない。
 「わかりません。どうなんでしょう」
理音が言うと、なぜだか天羽は、謎めいた微笑を浮かべて言った。
 「あなたは、みずうみなのね」
 「は?」