B.B.の世界

二十三

みずうみ? 
教師と会う頻度の多い管理棟は、当然のことながら生徒にあまり人気のないスポットであふれている。
教師の根城・職員室。
 スコップ片手に、PTA寄贈の花壇を見て回る、学長がうろうろしている校長室。
 ヒマなのか、1mの竹のものさしで、ゴルフのスイングを練習している教頭と遭遇しやすい書道室。
 幽霊が出るという噂の第一視聴覚室。
 さしたる理由もなく怒鳴られる頻度の高い、体育教官室前。
 突然に顔を出す世界史教師・安藤に、雑用を無理遣り押しつけられる社会科教室前。
 そして、きつね目の化学教師の出入りする、化学準備室。
 そのため、いつもは閑散としている管理棟であるが、なぜだか今日の昼休みは騒がしい。男子が集まって、そわそわしているのだ。
 それを横目に、理音はアンニュイ気分で中庭に面した窓から、雲などをぼんやりながめつつ、一句ひねってみようかしらんと、叙情に浸っていた。
 そこへ廊下の向こうからぱたぱたと杏樹がやってきた。
 「理音先輩、ヒマですよね」
いきなりヒマ、と決め付けられるのはあまりいい気はしない。
しかし杏樹は、理音がためらう隙を与えず、その手を強引にひっぱった。
 「放課後、文化祭実行委員会と机上旅行部とで、文化祭のチラシを配りに行くんですぅ。理音先輩も帰宅部だから、臨時メンバーに入ってましたよね? あたしたちで作ったチラシ、ちょっと見てくれませんかあ?」
 帰宅部、という言葉に理音は慣れない。
理音は元来、ハチドリのように動き回っているのが大好きな、活動的な少女である。
休み時間につくねんと、一人でほかの生徒のやっていることをぼんやりと眺めているのは柄ではない。
しかし最近は、そんな理音の姿が、よく校内で見られるようになった。
そのため、『茂手木に逆らってテニス部をクビになった田端理音が、燃え尽きて脱け殻みたいになっている』と噂になっていた。
 
「風紀生活委員って、ヒマなんですねぇ。貴海先生のところだから、忙しいのかなあって思ってたんですけどぉ」
 「うーん、うちって、昼間は活動しないから」
怪訝そうな杏樹に、理音はあいまいに返事をした。
委員会を割り振るにあたり、理音は風紀生活委員に立候補していた。
傍目にはその活動は、放課後に下校時間に残っている生徒をチェックするだけのように見えている。
 
10月に入り、衣替えも終わり、文化祭の時期がやってきた。
理音は夏の間に、すこし背が伸びた。
夏のはじめにばっさりと切った髪の毛は、また伸びてきて、いまでは肩に届くくらいの長さになっている。理音はそれを、以前のようにぐるぐるにカールにはさせないで、ただ真っすぐ垂らしていた。
サイドの髪の毛が邪魔になるので、これは後ろに寄せて、以前に貴海にもらったビーズのゴム止め、あるいはリボンなどでひとつに止めている。
子供らしいあどけなさはだいぶ薄らいできて、落ち着いた雰囲気が、それに変わってきた。
理音の変化に気付いているのは両親で、理音を見るたび、
 「ねずみ花火みたいな子が落ち着いてきてよかった」
と妙な感心をする。
もちろん、成長したのは外見だけではない。

 管理棟の一階にいくと、むさくるしい集団が、余計にむさくるしく騒いでいるのに遭遇した。
携帯片手にうろうろしているものもいれば、意味なくぎゃあぎゃあ言っているのもいる。
中間服から冬服に変わったばかりで、その色の濃ゆさが、さらにむさくるしい。
 「なんなの、アレ」
 理音は保健室の前に群がる、目立ってうるさい男子生徒たちが、特にサル山の秋祭りのように騒いでいるのを指して、杏樹に尋ねた。
 「臨時の養護の先生が、今日、あいさつに来たんですよ。あたしは見てないんですけどぉ、なんでも、ものすごい美人らしいんです」
 横手の事件が発覚したため、佐野は懲戒免職となり、いま借金取りに追われながら怯えた生活を送っている。
騒ぎが大きくなることを恐れた横手の父が、佐野を告発しなかったために刑罰には問われなかったものの、噂はしっかり世間に広がっていて、再就職もむずかしいらしい。
その自業自得とはいえ、気の毒な佐野の代わりに、臨時の養護教員が赴任してきたのだった。
 「なんかおもしろくなってきていいですねぇ。このところ変な事件ばっかり起こるじゃないですかぁ。文化祭も近いことですし、さわやかな騒動みたいなの、期待しません?」
 杏樹は、忙しくてにぎやかなのが大好きな少女だ。
大勢に囲まれていれば囲まれているほど、どんどん元気になっていく。
その艶のある黒髪を、いつもくるくると太鼓の飾りのように跳ねさせて、どんなタイプの生徒とも仲良くしている。
それは、理音が以前にしていたような、八方美人的なあたりさわりのないものではない。人の話をよく聞いていて、しかもよく人を観察している。
そのうえで、その人のためになる行動や、言葉を選んで付き合っているのだ。
天性のもの、というよりも、意識し、努力してそうしているようである。
杏樹は決して美少女というわけではなかったが、その気遣いのこまやかさから、人気のある生徒であった。
 
「高木先輩、カズヒロ先輩、理音先輩を連れてきましたよ!」
 管理棟の1階の、講堂に移る渡り廊下のすぐそばの、非常口にさえぎられて凹んでいるスペースは、すっかり、沢登とはるかたちの集いの場になっていた。
いつもは人があまり来ないので、ゆっくり話ができる。
だが、はるかは、杏樹と理音があらわれると、複雑そうな顔をした。
 『マズイ』
と理音は思った。
このところ、はるかは非常に積極的で、自らD組からC組に出掛けて、なにかと用事を作っては、沢登に会いにいっている。
沢登を文化祭実行委員会に誘ったのもはるかだし、同じチラシづくりの係に誘ったのもはるかである。
このところ、沢登は、以前のように真っ向から理音に再攻勢をかけてくることが少なくなった。
理音は、もしかしたら、これでうまくいくのではと期待していたのだが、予想外なことが。ひとつ。
 「見てください、これ、あたしがデザインしたチラシなんですよぉ」
と、杏樹は理音に、ゼリービーンズの壜が引っ繰り返ったような、ポップなデザインのチラシを見せた。
杏樹の笑顔に、つられて笑みを返す理音、そして沢登であるが、しかし、はるかの笑顔だけが、どこかぎこちない。
そう、はるかの前に、杏樹の存在が立ちはだかってしまったのだった。
普通科の生徒とも交流のある杏樹は、漫画部の生徒に頼み込んで、マッキントッシュの操作方法を教わった。
その技術を、さっそく文化祭のチラシに応用させたのである。
 「へぇ、うまいねぇ、杏樹ちゃん、実は美術の才能あったりして?」
お世辞ではなく、そのデザインはなかなか洗練されている。
杏樹は照れ臭そうに、てへへ、と笑った。
 「理音先輩にそう言ってもらえると、自信が出ますぅ。これ見たら、みんなうちの文化祭に来ようかなって、思ってくれるかなって」
 「おれも作ったんだけどよ、なーんか色がマズくてさ」
と、沢登は、自分のチラシを取り出した。
青基調の、渋いとも言えるデザインだ。
こちらはIT部にパソコンを借りて、パワーポイントで見様見真似で作ったのだ。
それでもなかなかまとまっていて、派手さはないものの、その素人くささが、逆に好感がもてる。
 「あの、あたしも作ったんだけど……」
と、はるかはおずおずと、自分で作ったチラシを差し出した。
PCに弱いはるかは、全部手書きでチラシを作ったようだった。
手書きのフリーハンドの文化祭の文字の下に、70代ふう少女漫画の絵があって、となりに『伝説の待ち合わせ場所 文化祭通用門で好きな人と待ち合わせしてみよう!』とあった。
杏樹の、洗練されたデザインのそれとはまったく対象的である。
そして、はるか本人もそれを気にしているようだ。
理音の顔を、上目遣いに見ている。
 「ヘン……だよね? 配るの止めたほうがいいかなあ」
 「なーに言ってんだよ、もうコピーしちまったんだから、紙がもったいねぇだろ」
と、沢登が身も蓋もないことを言う。
傷ついて顔を赤らめたはるかに、気遣いのひと、杏樹が明るくフォローを入れた。
 「高木先輩のチラシ、あたしすごくすごくいいと思います。ハンドメイド、って感じで、温かみがあるっていうかー、ねぇ、理音先輩もそう思いますよね?」
 「うん、悪くないよ。文化祭通用門の伝説が書いてあるところが、なんともまた」

 文化祭通用門の伝説、とは、雨咲名望学院の文化祭通用門の前で好きな人を呼び出して待ち合わせすると、その恋はかならず叶う、というものだ。
去年、その伝説を信じて待ち合わせした生徒が、見事恋人を得ることに成功しており、伝説は校内だけではなく、雨咲町じゅうが知っている。
 
杏樹にはげまされたはるかは、なんとも複雑な表情で、笑みを浮かべている。
杏樹は気遣いの人であり、人の挙動に敏感な少女である。
 『はるかのこと、なんとなく気づいてはいるだろうな』
と、理音は思う。
沢登があきれるほど鈍感なのがいけない。
とばっちりはみんなまわりに回ってくるのだ。
ただし杏樹が、沢登についてどう思っているのか、理音はいまひとつわからない。
仲良くしているが、それが先輩後輩以上のものなのかどうか。
 当の沢登はというと、見ていると杏樹とばかりしゃべっている。
はるかは横にいるものの、テンポのいい会話のスピードについていけずに、横で笑って聞いているだけだ。
じっと三人を観察していると、杏樹は、はるかが戸惑っているのをちゃんとわかっていて、会話の合間、合間に、はるかに声をかけている。
しかし、沢登がそれに気付かず、はるかのほうを見ていないのだ。
後輩に気遣ってもらっているにもかかわらず、好きな人の感心を引けないとなれば、はるかも辛いだろう。

 「あっ」
会話の途中であったが、杏樹がぱっと顔をあげて、小さな体で爪先立ちをした。
薄暗い廊下の向こう、保健室にいる男子生徒たちの脇を擦り抜けて、移動する貴海の姿があった。
相変わらず仕立てのよさそうなスーツに、皺ひとつないシャツ、趣味の良いネクタイに、凝った文房具を手にしている。
騒がしい廊下も、まったくかまわず、粛然と歩いている。
 「貴海先生!」
甲高く明るい声に、貴海がこちらを見た。
 「おい、なんでキキカイカイ呼ぶんだよ!」
 沢登の焦る声に、杏樹は屈託なく答える。
 「ええ、だって見てもらいたいじゃないですかあ、あたしたちのチラシ」
 貴海が、かつかつと規則正しい足音を響かせつつ近づいてくる。
貴海は生徒に冷たい、打ち解けない教師である、というのが生徒全体の共通認識である。貴海は生徒はおろか、教師と私語を交わしているところも見せない。
授業以外は化学準備室で仕事をし、生徒が特別な用事がある場合にのみ、応じる。
えこひいきなどはしないものの、その人付き合いの悪さと、とっつきにくい雰囲気、厳しい態度などによって、嫌う生徒もいる。
これは沢登などが典型だ。
一方で、それを『渋い』と、孤高の青年教師というふうに理想化して、ミーハーに騒いでいるのもいる。
これは杏樹が典型である。
 
あたしが作ったんですぅ、と思い切り作り上げた可愛らしい声で、杏樹が自分のチラシを貴海に見せる。
貴海は、静かな水面の、小さな波紋程度のわずかな笑みを見せて、よくできていると誉めた。
 『珍しいな』
と、理音は思った。
貴海は、生徒の前ではわざと感情表現を抑えている。
何も知らないで貴海を見ていたら、教師というより修道僧のように思えただろう。
だからかえって、たまに見せる鋭い一面が、強烈な印象を周囲に残すのだ。
 貴海は目の前にいる理音に、ほとんど注意を払わない。理音も同様に平然としている。
 「ごめん、わたし、つぎ移動教室だから」
そういうと、理音はさりげなくその場から離れた。
管理棟の階段を、ひとりてくてくと登りながら、携帯電話を取り出して、着信履歴を見る。
メールが入っていた。
 『七将塚。15時半』
 ほかになにも余計な言葉はない。
理音は画面にむかって、了解、とつぶやいた。



雨咲名望学院は、かつての雨咲城の敷地を、そのまま使っている。
雨咲市を一望できる小高い山の上にある広大な敷地には、中等部、高等部があり、高等部は普通科と、特別進学科と、体育科、国際科に分かれている。
普通科と国際科(帰国子女のための科)はひとつの校舎を共有しており、体育科と特別進学科はそれぞれ独立した校舎とグラウンドを持つ。
それぞれは、なだらかな山になっている敷地内の雑木林に囲まれて存在する。
城址の名残を止める石垣や、石畳の道が、校舎間をつなげており、ほかにも、さまざまな伝説や謂れを持つ史跡が、敷地内には存在する。
 七将塚もそのひとつである。
北斗七星の形に配置されたそれは、伝説によれば、戦国時代に、この地を治めていた土着の氏族とのちの藩主となる植草家が争った際に、劣勢に立たされた植草家が妙見菩薩に願をかけたところ、7人の将が現われて、これを救ったという。
 
 「この伝説をもとに、黒沢明監督は、かの名作『七人の侍』を撮ったのでした」
 「そんな事実はないぞ」
なにやらデータの書き込まれたわら半紙とにらめっこをしつつ、貴海は静かに突っ込みを入れた。
 七将塚の謂れは、よくわかっていないのが本当のところである。
戦勝祈願のための人身御供をここに埋めた、という陰惨な説のほうが、事実に近いだろう、というのが、最近の郷土史家の見解だ。
事実、この塚の傍で、首を刎ねられた古い人骨が発見されているのだ。
ちなみにその郷土史家というのは、ほかならぬ理音の父、祥一郎である。
 七将塚は、特別進学科を一望できるところにあり、ちょうど熊笹や栗の木などの低木に囲まれて、人目の付かない場所にある。
しかも夜になると、七つの人魂がさまよう、といった噂もあり、恐がりは絶対に近づかない。
こっそり逢うにはぴったりの場所である。
しかし本人たちはロマンティックな気分はまったくなく、心は『スパイ大作戦』だ。
 「人を呼んでおいて、仕事をしているというのは、どうかと思うの」
 野球部のボールをバットが叩く快音と、ソフトボール部の掛け声が聞こえる。
テニス部のコートもよく見えて、以前の仲間たちが、相変わらずのんびりと過ごしている。
茂手木は今日も男子コートの専属だ。
 
 「変わったことは?」
 と、わら半紙から目を離さずに、貴海は言った。
 「臨時の養護の先生がすごい美人なんだって? 先生、もう会ったでしょ?」
 「まあ、美人だったな。グレタ・ガルボみたいな大づくりの美人だよ。あと産休を取った先生の代わりに、城戸っていう先生も来る。ほかは?」
 「日本史のテストの、採点が生徒の間で問題になってます」
 と、理音は手にしたバインダーから自分の答案用紙と、同じクラスの子の答案用紙のコピーを取り出した。
ようやく貴海は、わら半紙から目を離した。
 「坂村はよく頑張ったな。82点か。田端理音……58点? おまえ、本当に文系に弱いな」
 「いえ、わたしの点数は、過ぎたことですので、無視してください。問題はこの記述問題。よっく見てね」
 よく見なくても、その答案のおかしなところはすぐ目についた。

『聖徳太子が遣隋使を送った理由を述べよ』という問いに対し、
 理音→『国際デビューしたかった』。
これで△。3点獲得である。
 坂村→『当時の国際情況は、大国である隋に認められると権威になった。そのため、白村江の戦いで破れた日本の将来を憂慮した時の宰相である聖徳太子は、小野芋子を隋の皇帝に送り、国家としての権威を高めようとした』。
これで満点。8点獲得である。

 「おまえの回答もひどいもんだが、坂村の回答も、合ってるようで、ところどころ違うぞ。だいたい、二学期なのに、まだ聖徳太子なのか?」
 「一学期からずうっと聖徳太子なんです。先生、聖徳太子がゲイだったって本当?」
 「それ、漫画じゃないのか」
 「ともかくですね、内容がまちがってても、長い文章が書いてあるってだけで、満点がもらえているんです。採点するとき、三島先生が手を抜いているとしか思えません」
 「問3『耶馬台国はどこか?』。この問題に答えられる人間が、世界に存在するのか?」
 「近畿説を唱えた生徒は、全員バツだったの。三島先生はT大出だから、近畿説を目の敵にしているんだって。それとね、アテルイを討伐した武将の名は、っていう問題で、『アホの坂田』って書いたら、『受けるからおまけ』って言って、○もらってるの。おかしいよね?」
 
貴海は顔をしかめて、答案を見つめたまま、黙り込んでしまった。
三島由加というのは、貴海の前の年に入ってきた若いの女教師であるが、別名『週刊女性教師』。
ともかく無責任な噂好きで、強きを助け、弱きを挫く女性教師である。
アイドルふうの可愛らしい容姿をしているのだが、性格が性格だけに、人気はまったくない。
しかしその噂好きのために、情報好きの生徒は三島になついており、それが本人の勘違いを増幅させていた。
なおかつ権威に敏感な三島は、職員室では、茂手木の女子分となっており、歯の浮くよいしょを、きゃぴきゃぴと繰り出す。
貴海は、はっきりと言わないが、三島の机が隣にあり、その白々しいよいしょを間近で聞くのが耐えられないがために、化学準備室に篭もって、仕事をするようになったらしい。
 「これ、ほかの生徒は抗議しなかったのか? それに通常なら、もう日本史は戦国時代に入っていなければまずい時期だろう?」
 「真面目にやっている子は怒ってるよ。でも抗議なんてしたら、茂手木が出てくるから、みんな恐くて黙っちゃうの。わたしがテニス部をクビになったのって、かなりインパクトが強かったみたい。わたしみたいになったらイヤだ、ってはっきり言う子もいるよ。やっぱり、テニス部は、もう少し我慢して続けたほうがよかったかなあ」
 と、理音は、かつての仲間たちが試合をしているコートのほうを見た。
ボールの跳ねる木槌のような音が響いている。水槽の中のサカナだ。
 「すまないな」
 「変なの。先生が謝ることないじゃない。別に先生のためにテニス部を辞めたんじゃないもん。茂手木が嫌だったからだもん。それにね、辞めてから、ちょっとだけいいことがあったよ」
 「どんな?」
 
テニス部に在籍しているときは、理音は『茂手木のお気にいりで、天然ボケのぶりっ子お嬢様』だった。
しかしテニス部を、体罰をきっかけに辞めたことで、理音は『茂手木に反抗して、最近開き直った、元ぶりっ子』になった。
 
 「みんなわたしが、茂手木に反抗して、不貞腐れてると思ってるみたい。でも前みたいに、余計なイライラがなくなったんだよ。これっていいことだよね?」
 「たしかに、前より、無理して笑わなくなったな」
  意外に貴海は、自分のことを見ているなあと、理音は思う。
教科担任でもない貴海が、いつどこで観察しているのか、さっぱりわからない。
 「あのね、それと文化祭なんだけど、文化祭の門を作るための材料費が足りなくて、三年生が、下級生にカンパを強要したっていう噂があるよ。それで、お金を取られた下級生が、その穴埋めのために、中等部の生徒にカンパを強要して、お金を用意できなかった子を、いじめたりしてるんだって」
 「ひどいな。それは調べる必要がある。通用門の作成を請け負っているのは、たしか三年C組だったな」
 「待ち合わせ伝説のために、立派な門を作らなくちゃいけないんだって。うちの文化祭の門の前で待ち合わせした男女は、かならず結ばれるっていうアレ、本当なの?」
 「ウソだ」
と、身も蓋もなく、貴海はきっぱり否定した。
 「ずいぶんはっきり言うじゃない? もしかしたら本当かもよ。先生、わたしと待ち合わせしてみる?」
 貴海はちろりと目だけを動かして、理音を軽くにらんだ。
 「意味のないことだ。あの伝説は作り話だからな。製作者が言うんだ。まちがいない」
 「製作者、って?」
 「おれが生徒会にいるときに、客寄せのために流した嘘なんだ。まさかここまでしぶとく残るとは思ってもいなかったがな。だからあそこで誰を待とうと、恋愛がうまくいこうといくまいと、すべて本人の努力次第、ということだ」
 しれっと貴海は言った。
 呆れる理音であるが、ふと思い当ったことがある。
 「先生、もしかしてこの七将塚の怪談話も?」
 「おかげで、静かでいいだろ」
 「策士だ……」
 
理音と貴海は、私立探偵の須崎という外部の人間に公藤探しをまかせて、自分たちは学内の仕事に集中することに決めた。
そうするにあたり、問題になるのは、理音が生徒であることと、理音と貴海が当然ながら男女である、ということであった。
こそこそしなければならないようなやましい関係ではないのだが、噂に構っていられるほどの余裕はない。
そこで、いままでのように不用心に校内で会うのではなく、ちゃんと待ち合わせをして、情報交換することに決めたのだった。
連絡方法は携帯電話を使い、決して紙に残さないこと、校内であっても、以前のように親密な素振りは見せないこと。
 「そうしないと引き離される」
と、貴海は真剣に言った。
 「いまのおれたちに必要なのは、正確な情報と、信頼できる味方だ。この学校には、思った以上に深いなにかがある。まだおぼろげにしかわからない。それは人を一人、簡単に飲み込んでしまえるほど大きなものだ。慎重にしなければならない。でないと呑まれるぞ」
 深いなにか、と漠然と貴海は表現したが、そうとしかいいようのない重苦しいものが、たしかに学校には存在しているのだった。
現に、それのために公藤は失踪し、佐野は教職を失った。

 「もう離れろとは言わないんだね」
と理音が言うと、貴海は軽くため息をついて言った。
 「ねずみ花火みたいに、ぱちぱちとあっちに行ったりこっちに行ったりして暴れているのを、気を揉んで傍観してるより、手元で監督しているほうが、ストレスが少ない」
 「それじゃあ、田端は先生のそばにいるときは、へび花火みたいに、のたくたしてます」
 「いや、普通にしてていいから」
 という言い付けを守って、理音は貴海のそばでは、ねずみ花火を返上して、線香花火のように可憐にしているのだった。
すくなくとも、本人はそのつもりである。
理音としては、革張りのノートに残した言葉どおり、貴海が自分を信頼してくれることがうれしかったので、繰り返される密会に、むしろうきうきしてやってくる。
 
 『だれかの特別な存在って、こんなにうれしいものなんだなあ』
と、いままで『ぶりっ子』であったために、当たり障りのない人間関係しか知らなかった理音にとって、素のままでぶつかれる相手が出来たのは、うれしいことであった。
 『ずうっと、こんなふうでいられたらいいのに』
 迷惑だけど仕方なく、といったスタンスを貴海は崩さない。
それでもたまに垣間見える素の部分では、自分を妹のように特別に思っているのが感じ取れて、理音はうれしくなる。
一人っ子で友達も少ない理音にとって、囲うようにして守ってくれる人間に出会ったのは、両親以外では、貴海が初めてであった。
 だが、もちろん理音も子供ではないので、こんな毎日が、いつまでも続くはずがないのだと、どこかで覚悟を決めていた。