B.B.の世界

二十ニ

ルナティック  後編
テレビでは街の潜入ルポ、と題して、女子高生売春の実態とやらを放映していた。
夏休みの女子高生を取材したものであるが、理音にはまるで別世界である。
アルコールは飲めないわけではないが、大好きというわけでもないし、最近ようやく二重人格を克服しつつある身の上では、大勢で飲み会で騒ぐ、などという場に耐えられるわけもない。
潔癖症なので街でナンパされるために出かけることもないし、お洒落といっても、やたら安っぽい、個性のない格好はすきではない。
理音をはじめとする大概の女子高生は、ある程度異性に興味を持っているものの、モザイク混じりの画面に紹介されているように、タカが外れてしまった生活を送っている女子高生というのは少数一部なのだ。
彼らがそこにいるはずない、という前提で問題提起をするのではなく、なぜ彼らがそこにいなければならないかを問題提起すべきではなかろうか。なんて、考察終わり。
 わざわざ過激な言葉を、乗せられるようにして誇張してマイクに語るモザイク少女を眺めながら、公藤理佐のことを考える。
彼女もやはり潔癖症であった。部室の掃除をめぐるいざこざも、彼女が潔癖症ゆえに起こったトラブルだ。
たしかに思い込みはつよく、激しい性格をしていたが、画面の少女たちのように、自らを記号的存在に押し込めることをよしとするだろうか。
横手を追い込もうとしていた、なぞの人物によって、匿われていると考えるべきなのか。
いまどんな境遇にいて、どんな生活をしているのだろう。

 そうしていると電話が鳴った。
貴海からであった。
休日に、向こうから電話がかかってくるのはめずらしい。
出ると、どうやらどこかの繁華街からかけているようだった。
 「先生、どうして休まないの?」
 『今日は昼ごろまでぐっすり寝てた。いいか、今日は待たなくていいからな。絶対だぞ』
それだけ言うと、貴海は電話を切った。
 
理音は意地になっているわけではない。
そして(自覚している部分では)貴海に恋をしているというわけではないので、突き動かされるようにして、会いにいきたい、会わずにいられないと思っているのではない。
理音を動かしているのは友情である。
このままこんな生活をしていたら、貴海の体調が崩れるのはまちがいない。それが心配なのだ。
ならば友として、サポートするのは当然ではないか? 
口では迷惑だと言っているが、強く追い払われるわけではなし、独りぼっちで仕事をして、帰ってきたときに、だれかが(たとえそれがへんてこな女子高生でも)迎えてくれれば、少しは疲れも癒されるはずだ。
 
バイトがない日だったので、理音は時間が来ると、バスを使って駅までいった。
台風が過ぎたあとの夜空は雲ひとつなく、大きな月がぽっかりと白い相貌を見せている。
そのまわりを、星が賛美するようにきらきらと瞬いていた。
星の光というのは工場のランプのように規則正しいものではない。
まるで聞こえない音楽を演奏しているように、ちらちらと、こぼれるような光を闇に発している。
 日増しに風が冷たくなってくるようだ。
理音はバスを降りると、すぐにカフェに入った。
 土曜日なので、いつもの常連客は、工員ふうの小父さんと、モバイルを打つ雨傘を必携している女性、それから今日は、よれたスーツ姿ではなく、私服だが、やっていることは同じで、携帯電話と漫画雑誌を交互に見ている男の三人。
 
ところが、いつもの窓際の席に、すでに貴海が座っている。
貴海は理音を見ると、言った。
 「人の話は聞こう。な?」
 「先生だって、すこし長く寝たからって、疲れなんて簡単に取れないでしょ? 公藤さんが見つかるまで、こんな生活つづけるつもりですか?」
 「仕方ないだろう。今回のことについては、おれにだって責任がある」
 「先生だけじゃなく、学院全体の責任でしょう? どうして先生だけがこんなふうにしなきゃいけないの? ほかの先生が公藤さんを捜しているなんて聞いたことないもん。このままじゃ先生、体を壊して、ほかにやらなくちゃいけないことも、できなくなるよ」
 「それでも、なにもしないよりマシじゃないか。それにおれは公藤を捜しているというより、公藤がよその街にいない、という証明をしているんだよ」
 やはりキキカイカイも理音同様、佐野を脅迫していた『あの人』と公藤のつながりを考えているようであった。
 「これだけ捜して、まるで消息が掴めないというのは、公藤がよほど慎重に身を隠しているか、まったく関連しない土地に行ってしまっているのか、さもなくば最悪の事態だ。
金のない公藤がよその土地で自活するとなると、普通の職場にはまず就労できない。まして高校生の就職難が叫ばれる中、即戦力にもならない公藤がどこかに雇われる可能性はほとんど0なわけだ。
そうなると手っ取りばやく水商売なわけだが、近隣の繁華街をくまなく見て回ったが、公藤らしい人物の噂はまるで聞かなかった。となると、考えられるのは公藤は働いていない、ということだ。
ここからはおれの勘だが、佐野を脅迫していた『あの人』という人間は、自分の手を汚すことを嫌う人物だ。脅迫状に無言電話、おれへの嫌がらせも、すべて人を遣って行なっている。そんな人物が、公藤に危害を直接加えるとは思えない。公藤の知り合いという知り合いが、公藤の行方を知らないとなると、公藤以外に知りえない『あの人』のところに公藤がいて、その人物によって公藤は養われていると想定される。
ただし女子高生がひとつ屋根の下にひとり増えるとなると、たとえ広大な屋敷に住んでたとしても、かならず家人は気付くだろう。とすると、『あの人』というのは家族がなくて、公藤を養えるだけの収入がある人物となる」
 「独身?」
 「多分な。男だとしたら結婚はしていない。女は自分以外の女の気配に敏感だ」
 「複数って可能性は?」
 「あるが、しかしそうなると、返って秘密は守られにくくなる。今日まで噂の欠けらもないところを見ると、やはり一人と見るほうが自然じゃないのか」
 「独身で、一人暮らしで、家族がなくて、公藤さんを養えるだけの収入があるとなると、先生は条件ぴったりだね」
 貴海は柳眉を上げて、理音を軽く睨んだ。
 「おれじゃないぞ」
 「意外に嫌がらせを受けている、っていうのも自作自演だったりして、どうしましょう」
 貴海はコーヒーも飲みかけのままに立ち上がった。
しまった、怒らせた? 
こまってスツールに留まっていると、会計をすませた貴海が理音に声をかけた。
 「ほら、行くぞ」
余計な冗談を言わなければよかったなあ、と後悔しながらも、怒っているふうではない貴海の態度に戸惑いながら、理音は店をあとにした。
真白い月は、あいかわらず皓々と神秘的な姿を見せている。
負けじとシリウスがひときわ激しい瞬きを見せている。
金融会社とパチンコ屋のネオンが、それに負けじとカラフルな電飾でもって、闇に存在を主張している。
土曜日だけに、遊び帰りの若者がタクシー乗り場付近でたむろっている。ひとり歩きをしている女の子の姿もちらほらあり、むしろ男女の二人連れ(理音は自分たちを、どうしてもカップルと形容したくなかった)のほうが少ない。
 
 「おもしろいことに気付いたぞ」
 と、貴海は怒ってはおらず、むしろわくわくしているような口調で言った。
 「あの店に、漫画雑誌片手に携帯を気にしている男がいただろう? それと、奥のほうに、モバイルを打っている女もいただろう?」
 「ハイ」
 「しばらく観察していたら、片方がどこかへメールを売って送信すると、もう片方の携帯が受信音を立てるんだ」
 「はい?」
 「最初は偶然かと思っていたんだが、それを一時間に何回も繰り返している。そこでおれはラックの新聞を取りにいくフリをして、二人の画面を覗いてみた。するとどうも、お互いにメールをやりとりしているらしい」
 「なにそれ? あんな狭いお店のなかで、お互い一人なのに、じかに話さないでメールのやりとりを続けているの?」
 「ちらっとしか見えなかったんだが、どうも出会い系で知り合ったようだ。名前の知らないあなた、なんて呼び掛けからはじまって、わたしはいま家の近くのカフェにいます。いつかお会いできるといいですね、なんて書いてある」
 「それで相手は自分と同じ店にいるって気付かないんだ?」
 「そのようだな。お互いにかなり慎重な性格らしくて、メールのなかに固有名詞を入れないように気を遣っているらしい。そうなると、家の近くのカフェなんて言われたって、まさか自分のいるカフェを指しているなんて思わない」
 「あの二人、あのお店の常連みたいだよ。受信音でわからないのかな」
 「周りにぜんぜん興味がないんだろう。いつかは気付いて、あれっ、ということになるかもしれないし、その前にやりとりがなくなるかもしれない」
 「それはたしかに面白いですねぇ。しかし先生、そんなに長い時間、あのカフェでなにをしてたんですか?」
 「来るかな、と」
 「公藤さんが?」
 しかし貴海は黙ったまま、軽く理音を睨み付けた。
 あー、そういうこと。
 「すみません、今日も来ました」
 「電話をしたあとに、薮蛇だったなとは思ったんだよな。おまえ、そんなにおれが好きか?」
 ずばり言われたものの、その口調はずいぶん軽く、色っぽい意味も篭められてないようだったので、理音はすぐに素直に首肯いた。
 「はい」
 しかし自分でからかうつもりで振ったのだろうに、理音があっさりと切り返してきたので、貴海はぎょっとしたようだった。
 「点呼を取ったんじゃないんだが」
 「わかってます。なに照れてるの、先生。友達としての好きってことでしょう?」
 「そう、友好のほうだ。ほかにはどんな意味もない」
 「なら問題はないでしょう?」
貴海はあいまいに返事をした。

男と女って、性別がちがうだけで、友情を成立させるのにもいろんな邪魔が入ってつまらない、と理音は思った。
同性の友人と違い、対等な関係を作ることができないのは、不公平にも感じる。
しかも周囲の目を気にして、むしろ本当の恋人同士のように、深夜に待ち合わせして会わなければ、ゆっくり話もできないなんて、奇妙なものだ。
白い月光に浮かぶ貴海の横顔は、またなにかを考えているらしく、気難しそうにしかめられている。
それをちらちら見ながら、理音は黙って並んで歩いた。


 
 貴海の家までやってきた。
曜日毎に夜の顔もちがうわけで、明日も休みのせいか、明かりの数が、平日より多い。
おそくまで、TVで人気バラエティ番組もやっているせいもあるだろう。
どこからか、コメディアンの嬌声が聞こえてくる。
また金魚の餌かなと理音が表で待っていると、貴海が振り返っていった。
 「入るか?」
 「はい?」
 「おれが公藤を匿ってないか、確かめてくれ」
 さすがの理音もためらった。
時計は23時を回っている。
上目遣いに貴海の顔を見て、その真意を探ろうとする理音に、貴海は意地悪そうに笑いながら言った。
 「下手なミステリーじゃあるまいし、探偵が実は犯人でしたなんてことは、現実に早々ないもんだ。わかるだろう?」
 またからかわれたらしい。
今度は貴海の思惑どおりの反応をしてしまったわけだ。
負けるもんかい。
理音は平静を装って、貴海に答えた。
 「それじゃあ、そうさせてもらおうかな」
 「なんだって?」
 「だって、よくある手じゃない。自分が犯人じゃないって示すために、オープンな態度を取るけれど、実際には隠し事から目をそらすためのパフォーマンスだった、って。本当に入るよ。お邪魔します」
 おい、とあわてて貴海は止めようとするが、するりと擦り抜けて理音は引戸を引いた。

昭和初期に建てられたような古い木造建築で、天井が低い。
男の一人暮らしにしては、こざっぱりしているのは、伯母さんという人が世話をしているためだろう。
化学準備室と同じように、余計なものはなにひとつなく、あるべきものが、あるべきところに、モデルルームのようにきちんと規則正しく配置されている。
ずっと住んでいるらしいことは、なんとなく気配でわかるのだが、それにしては歴史を感じさせるものがほとんどない。
建具が古いのに対比して、家具や小物はぴかぴかの新しいものばかりだ。
サザエさんの家に、ショッピングモールのインテリアショップの家具がある、というふうだ。
デコラクティブなものはなにひとつなく、流麗なデザインのものが多い。
藤子不二雄の漫画の小池さんのような、散らかって、どこか片付きのわるい部屋を想像していた理音は、自分の部屋よりよっぽどきれいなのを見て、さすがに気後れした。
貴海の性格からして、秩序と安定を好むわけだが、世話をしている伯母さんというのも、潔癖症といってもいいくらいの綺麗好きなのだろう。
 「なーんにもないですね」
 そして伯母さん以外の女の気配も見当らない。
 和室にカーペットをひいたリビングには、座りごこちの良さそうな雲を思わせるデザインのソファとテーブル、それからTVがある。
テーブルの上には、今朝の新聞と一緒にメモが置かれている。
貴海がさりげなく拾おうとするのより先に、理音はそれを読んだ。

 「ユキちゃんへ、伯母さんはもう帰ります。冷蔵庫に煮物があるから温めて食べなさい……雪秀だからユキちゃんか。先生、ヤギみたい」
 「そのものずばり山羊座だよ。ほら、もういいだろう、だれもいないんだ。帰れ」

 しかし理音はまったく無視して、出窓のある部屋をのぞいてみた。
ここはほかより、すこし生活感が感じられる。書き物机が窓辺にあり、日の当たらないところにPC用の机がある。
その間に本棚がしつらえてあって、持ち主が手にとってくれるのを、びしっと整列して待っている。
本棚のガラス戸部分には、ブリキのおもちゃや、作りかけのなにかの部品が置いてある。
その下には、小樽ガラスの細工がちょこんと座っていた。
動物サーカスのシリーズもののようだ。
妹に会いにいくたびに、空港で購入しているのだろうか。

 理音がちょこまかしているのを、うんざりした顔で追い掛けながら、貴海は帰れ帰れと繰り返す。
自分で言っておきながらそれはないだろう、と開き直り、理音は次に納戸を開けてみた。
 納戸の中には古新聞や日用道具、ティッシュ、掃除機などが入っている。
ここは、あんまりおもしろくないなあと思っていると、不意に理音は背後から、抱き竦められた。
口を片手でふさがれ、両手を後から重ねて掴むようにして、ぎゅっと体を押しつけられる。
 「モガ?」
 「静かに」
 いままでに聞いたことがないほど、低く緊張した声だ。
つい4日前に会話したように、理性が打っ飛んだのだろうか。
理音はわけがわからないまま、自由になろうともがいたが、貴海はびくともしない。
そうして理音は、はじめて緊密な距離で、貴海が自分を覆うほどに体が大きく、腕もずっと太くて、華奢に見えるだけで手のひらも頑丈で、筋肉の質も頑健であることなどを感じた。
その強い力に、理音は恐怖を感じた。
やはりこれは、女とは別の生きものであって、言葉は通じるものの、決して同じにはならない肉体構造を持っている。
だんだん強ばってくる力を体中に感じながら、理音はパニックになってもがいた。
すると、ほとんど耳元で、緊張した声で貴海がささやいた。
 「いい子だから静かに。だれかいる」
 「モガ?」
 「声を立てるな。ここにいるんだ。いいな?」
 口を塞がれた状態のまま、理音は上目遣いに背後の貴海を見て、こくこくと必死に首肯いた。
貴海は慎重に、そおっと理音を解放した。
理音は自分の口を塞いでいた貴海の手の代わりに、自分の手で口を塞いで、声を立てないよう注意した。
貴海は、納戸の奥から、物音を立てないようにして、竹刀を取り出し、唇に指先をあてて、黙っているようにさらに理音に念を押すと、ひたり、ひたりと、均斉の取れた足取りで、薄暗い廊下を進む。
たまに、家鳴りがして、理音はびくりと身をすくませる。
廊下は古いために下手に足を運ぶと大きくきしむのであるが、そこは武芸達者なのに加えて、家主であるから静かなものだ。

理音は、納戸からそおっと様子をうかがった。
貴海は竹刀を構えながら、ゆっくりと奥の台所に入っていく。
台所の暖簾を慎重に貴海がかきわけたのと、中にいた何者かがカエルのような声をあげたのはほとんど同時だった。
ガタゴトと、あわてて逃げ去ろうとする足音と、ばしり、という音、つづいて家全体を震わせるような、大きな震動がした。
 理音は、納戸にあったトンカチを手にして、台所に駆け寄った。
 「先生、大丈夫?」
 貴海は竹刀片手に、床に伸びているものを困惑して、見下ろしている。
背中ごしに、理音もそれを覗いてみた。
あのカフェにいた、いつも同じジャケットを着ている、工員ふうの小父さんであった。
 「泥棒?」
 「わからん。勝手口から入って、室を覗いていたようだ。警察を」
 「その前に、縛ったほうがよくないかなあ」
 「子供の頃に使った縄跳びしかないんだが」

貴海の指示で、理音は納戸から縄跳びを持ってきて、気絶している男を後ろ手でぐるぐるに縛った。
そうしていると、男のジャケットから、革のパスケースが落ちた。
拾ってみてみると、運転免許証である。
その裏にもなにか入っていて、やはりそれも運転免許証であった。
顔は同じ人物なのだが、名前がちがう。
そしてカード入れにも、ちがう名義のカードが何枚も入っている。
 「詐欺師で泥棒なのかな」
 貴海は、理音からパスケースを受け取ると、カードを全部取り出して台所のテーブルに並べていたが、最後に名刺を取り出して、顔をしかめた。
 
「探偵社 バル・エイジェンシー 雨咲支店 店長代理 須崎 一彦」

 声を出して読んでいると、気絶していた「詐欺師で泥棒で探偵の名刺を持っているいつも同じジャケットを着ている工員ふうの小父さん」は呻いて、うっすらと目を開けた。
そして言った。
 「殺さないでくださーい」
 「だれが殺すもんか。警察に突き出してやる」
と貴海が言うと、男はぱっちり目を開けて、勢い良く起き上がろうとしたが、縛られているため、もんどり打った。
 「イテテテ……頼みますよ、頼みますよ」
 なにを頼むというのか。
貴海の背後に隠れるようにして理音が様子を伺っていると、貴海が口を出した。
 「あんた、本名は?」
 「須崎一彦です。いまあんたが手にしている名刺が、本当の身分なんですよ」
 「探偵がうちになんの用だ? ここにはなにもないぞ」
 「それは、依頼人の秘密を守らなければならないので……」
 貴海はすかさず言った。
 「田端、警察に電話!」
 「ハイ」
 「待ってくださーい。わかりました、わかりましたよ。おれは公藤さんって人から、長女の理佐さんの行方を捜すように、頼まれた人間なんです」
 「公藤の?」
 「あんたは理佐さんの学校の先生でしょ? そこにいるお嬢ちゃんは、理佐さんとクラブが一緒だった生徒さんだ」 
 「そこまで知ってるのか」
 縛られたまま、男はうなづいた。
 「正直ぶっちゃけると、理佐さんの行方はまったく手がかりがない状態なんです。考えられることとして、近在の町で水商売やっているとか、親戚の家にいるとか、いろいろ捜したんですが、収穫は0でした」
 貴海とまったく同じだったわけである。
 「そこでこう考えたんです。女子高生なら自活できない、という思い込みを捨てるべきではないのか。どこかに一緒に暮らしている人間がいるのではないか、と。
しかしそうなるともうお手上げです。ただし、理佐さんというのは免許を持っていないから、買物をするために、バスか電車を利用する確率が高い。もしかしたら、雨咲駅のバスターミナルを張っていたら、なにか掴めるかもしれないと思ったわけです」
 「それでずっとあのカフェにいたんだ」
 「そしたらあんたたちを見た。最初は学校に内緒でこっそり付き合ってるのかなとしか思わなかったんですが、今日になって、理佐さんのことを喋っている。
そこのお嬢さんじゃありませんがね、もしかしたらその先生のところに、理佐さんがいるんじゃないかと思ったわけです。
それであんたたちのあとをつけたんだが、ちょうどお勝手口が開いていたんで、様子を見ているうちに、ガツン、と」
 よくしゃべる探偵だ。
こういう人には依頼したくないなあと思いつつ、理音は口を挟んだ。
 「でも公藤さんは、どちらかというと先生を嫌ってました。嫌いな先生のところにいるわけないですよ」
 須崎は目を細めて貴海と理音を見比べた。
 「でもねぇ、理佐さんの部屋に、その先生と、お嬢さんの写真があったんです」
 なるほど、学校での人間関係に疎い者が見たならば、部屋に個人のスナップがあるとなると、特別な想いを寄せている人物のものだと想像するだろう。
公藤が貴海に片思いをしていて、貴海と仲の良い理音に嫉妬している、という単純な三角関係だ。
しかしそうではない、と理音は直感した。
わら人形のせいである。
ああいった呪術的なツールでの嫌がらせをするタイプならば、写真に呪いをかけるくらいのことをやりかねない。
理音が言うと、須崎はふんふん、と興味深く相づちを打った。
 「なるほど。そうなると合点がいくなあ。写真の入っていた引き出しに、ビニールパックに入った、だれかの髪の毛があったんです。なるほど、なるほど」
 理音と貴海は顔を見合わせた。
あのわら人形、実用品だったようである。

 「しかしあんた、家宅不法侵入なのはまちがいないぞ。警察に事情を」
 「いやいや、待ってくださいよ。そればっかりは勘弁願います。悪気はなかったんですよ、本当に。これも仕事なんです。因果な商売ってヤツなんですがね」
 「なあなあで事を収めるのは好きじゃない。社会のルールはルールとして守られるべきだ。あんたのことは警察に通報する。あんたもそこで、好きなように弁解すればいいだろう」
 須崎はしばらく、泣き落としのセリフをつづけていたが、貴海が生徒に生活指導をしているときと同様に、まったく考えを変えないのを見て取って、いまいましそうにしたあと、不意に、にやりといやらしく笑った。
 「それじゃあ、いっそ取引と行きませんか」
 「取引材料なんぞ、なにもないはずだが?」
 「おれだってね、あそこのカフェで、ただぼーっとしてたわけじゃないんです。あんたとお嬢さんの写真も撮ってある。それを学校に渡したらどうなりますかね? ネガをお渡ししますから、それと交換に、おれも放免してくれませんか」
 「いやだ。それに写真を学校に渡したところで、どうにもならない」
 わたしが通った道だなあと思いながら、理音は二人のやりとりを聞いた。
 「やましいことはなにもなかった。ただ夜道を歩いているだけの写真がどんな効力を持つというんだ。おもしろおかしい噂にはなるだろうが、噂は事実には勝てないものさ。そしておれは、そんなものに負けない」
 「おじさん、先生にそういうの、ぜんぜん効かないから」
 須崎は散歩に連れていってもらえず、運動不足の猛犬のようにうー、と唸った。
 「ただし」
貴海が口を開いた。
 「あんたが自分の調査した内容を、依頼人の公藤さんだけではなく、おれにも報告する、ということならば、あんたのことは離してやっていい」
 「それでいいなら、そうしよう。うん、特別割引料金にしておくよ」
 しかし貴海は冷徹に、机に並べてあったキャッシュカードや免許証を集めてパスケースに収めると、そのまま自分の懐に入れた。
 「タダでだ。あんたへの人質に、もろもろの偽造免許証やキャッシュカードはあずかっておく。これだって違法だよな? 警察に通報するには十分なネタだと思うが?」
 須崎は、水浴びをしているうちに羽衣をとられてしまった天女のように、いろいろ言葉を尽くして嘆願していたが、ついにあきらめると、縄を解いてもらって、とぼとぼと夜道を帰っていった。
 

「すごい、先生。これでもう繁華街に行かなくていいね。全部、あのおじさんがやってくれるよ。効率いいね。よかったね」
 「いいんだか、悪いんだか……しかしプロでも公藤の手がかりは見つからないのか。ご両親も、さぞかしがっかりするだろうな。
公藤っていうヤツは、本当に好きになれない。わがままで、自己中心的で、思い上がっていて、人に迷惑をかけても、すこしも反省しない。生きているなら、電話の一本もよこしていいだろう。
あれだけ心配している家族がいるっていうのに、どうしていままで何も言ってこないんだ? 世の中には、心配すらしない家族ってのもいるんだ。あいつは恵まれている。それに甘えているんだ」
 理音は、いつか貴海が話してくれた、貴海の家庭の事情を思い出した。
この古い、ちいさな平屋は、貴海が子供時代を過ごした家なのだろうか。
病気の母親と、世話をしてくれる親戚、愛人を作って、家庭を顧みない父親にはさまれて、必死になって、だれにもいい子でありつづけた。
愛情薄い家庭で、自分の存在に不安を覚えることも、たびたびだったにちがいない。
貴海は公藤に腹を立てながら、そういった境遇にいなければならなかったことに、腹を立てているのだ。
 「先生がもしいなくなったら、わたしが心配するよ」
 貴海は理音を怪訝そうに見た。
理音はだんだんわかってきた。
この8つ年上の青年は、人から愛情を受けることに慣れていないのだ。
だからぽんと差し出されたそれを、素直に受け取れないのである。
 「だからもし失踪しても、ちゃんと連絡くださいね」
 「失踪? おれが? するもんか。絶対にしない。おれは攻撃的な人間なんだよ。公藤みたいに、回りくどい手段を取らないってだけだ。行く手に障害があれば、全力を尽くしてこれを破壊する、そういうふうなんだよ。
だからおれは少しもいい人間じゃない。優しくもないし、思いやりもない、冷淡で自分に甘く、他人に厳しくて、人格が歪んでいるんだ。それでもってふてぶてしいからな、だれが消えてやるものか。そうだとも」
 「それならよかった。でもちょっと心配だな」 
 「おれは失踪しない」
 「そうかなあ。すくなくともいま先生が言った自分のことって、ほとんど当たってないもん。先生こそ、客観的視点は必須じゃないかなあ」
 貴海は、今度は不思議そうに、じっと理音を見た。
以前にも、同じような視線で見つめられたことがあった。
第二体育室だ。
理音を、というより、目の前にある鏡に映った自分を、まじまじと見ているような視線である。これは考えが読めない。息苦しさを覚える。

 そして理音は唐突に、自分が深夜に、男性と二人きりだということに気づいた。
 いままでも、二人きりだったのである。
しかし、ようやくそのことの意味の重さに気づいたのだった。
さっき、驚かせて声を立てさせないためとはいえ、いきなり抱き竦められたときの、驚きと恐怖が不意によみがえってきた。
目の前にいる人は、自分とはちがう男なのである。
友達のように付き合ってはいるものの、いつでも自分を征服できる、女とはちがう生き物なのだ。

 「あの、わたし、帰ります」
 これ以上、二人きりという状態になりたくなかった。外の空気を吸いたい。
貴海の家から逃げるようにして出てきた理音を、貴海が追い掛けてきた。
 「待ちなさい、送るから」
 自宅の玄関に鍵をかける貴海の姿を見ながら、理音は心搏数があがっていくのを感じていた。
ほんの一時間前まで、なにも考えずに、子犬のように付きまとっていられたのが不思議なくらいだ。
歩きだしたときも、理音は距離を意識するようになっていた。
あまりそばに行くと、こちらの動揺を悟られてしまう気がしたのである。
 
静かであった。
海から吹く風が、カタカタと戸袋を揺らしている。
どこからか運ばれてきたコンビニの袋が、白い生き物のように目の前を横切っていった。
月の光で、世界がその輪郭だけをくっきりと現している。
空き地にある糸杉が、覆面の大きな怪物のように聳え立っている。
その上を月が、白々と沈黙のままに、こちらを見下ろしていた。
 「静かだな」
と貴海がつぶやいた。
世界が寝静まっていることを指しているのか、それとも理音が大人しいことを指しているのかわからない。
理音は生返事をした。
 「ほかに誰も生きてないみたいだ」
 沈黙する家並みや、海につながる葦の原につながれたボート、遠くに見える工場の煙突の点滅する赤いランプ、風のうなりにも似た車の走る音、すべてが人の存在を示している。
それなのに、そのどれとも自分は関係がない。
意志と努力がないかぎり、人はどこの世界ともつながれない、と言ったのは貴海だった。
理音はすこし先を歩く貴海の輪郭を見た。
これもひとつの世界であって、理音の世界とは、重ねられた言葉と意志とがつないでいるものだ。
それが稀薄になって途切れてしまったとき、自分を取り巻く、存在するが関係ないもののひとつとなってしまうのだろう。
それはずいぶん悲しいことだ。
思い出にはなるだろうが、思い出だけでは、世界はつながらない。
 
家の入り口まできたとき、理音は貴海に言った。
 「先生、先生は、わたしが選んだ世界なんだよ」
 「なんだ、それ」
 「わたしも先生に選ばれた世界なの。意味がわからなくてもいいから、そのことだけは覚えておいてね」
 貴海は戸惑いつつも、わかった、と返事をした。

 その夜、理音はいつものようにベットに入った。
しかし抱き竦められたときの、固く強い感触がいつまでも肌から離れず、熱を帯びたようになって、なかなか眠ることができなかった。