B.B.の世界

十六

パルプンテの鏡 其の二
次の日、1年と2年は第二体育室に集められた。
第二体育室とは教室棟の端にある、ビリヤード部が主に使っている運動用教室のことだ。

特別進学科は、ひとクラスあたり30名で各学年4クラスまでしかないので、2学年集合といっても、さほど窮屈な思いもせずに、その教室に集まることができた。

理音は一年のなかに、横手の姿を捜したが、集会にも出席していないようだった。
代わりに、C組の河村杏樹の姿をみつけた。杏樹も理音に気付いたらしく、にっこり笑うと、手を振ろうとしたが、理音の顔のガーゼを見ると、目をぱっちりあけて、手振りでどうしたんですかと尋ねてきた。
理音は声には出さずに、あとでね、と杏樹に伝えた。

 昨日までは腫れているだけであったが、今朝起きてみると、ボールのぶつかった部分が青黒くあざになっていた。
それを見た母の桂香は、思った以上に打っている可能性があるから、脳神経外科に行けと言ったのだが、それで半日でも休めば、かえって騒ぎになってイヤだし、痛みもまったくないので、理音はアロエの絞り汁とオロナインを混ぜてガーゼ、という祖父のカチカチ山直伝の民間療法(?)だけですませることにした。
ちょうど前髪で隠れる部分がアザとはいえ、いつもぴかぴかで隙のない外見を(かなりの努力で以て)保っている理音だけに、相当に目立つようだった。
 
集会はまず、学長からのあいさつで始まり、それから次に、いつもなら教頭か学年主任の話につづくところが、それを素っ飛ばして生徒全員にプリントが配られた。
そして中央に貴海が立った。
生徒たちはざわめきつつもプリントに目を通したが、ほどなく、悲鳴に似た声があちこちから上がった。
 理音もプリントを見て驚いた。
そこには、『雨咲名望学院特別進学科 校則変更案』とあり、新しい校則として、以下のような文言が並んでいた。

 『一、生徒の制服の改造は全面禁止。
  一、髪型は基本的に勉学の妨げとならないもの。華美なものは一切禁止する。パーマや脱色、茶髪は一切禁止。天然パーマのものはストレートパーマをかけること。
  一、勉強道具以外の物品の教室への持ち込みを禁止する。
  一、ロッカーに鍵はかけない。いつでも教員のチェックが入れられるようにすること。
  一、休み時間以外での教室での私語は一切禁止。
  一、携帯電話の学内での使用の全面禁止。
  一、アルバイトの禁止。
  一、生徒は18時以降に外出する場合は、かならず事務員を通して学校に連絡し、その際も保護者が同伴すること。
  一、休日の服装も華美なものを禁止する。基本的にジャージが望ましい……等々』

 いったい、いつの時代の校則なのか。
天然パーマのうえ、もともと髪の色が茶色い理音は、思わず自分の髪をなぜていた。
これが実行されるとなると、ストレートパーマをかけて髪を黒く染めなければならない。
でもってアルバイトはできなくなり、携帯電話のカメラ機能を使ってたのしい写真を撮ることはもうなくなるわけだ。
だいたい私服がジャージってなんだ? ジャージ業者と学校との癒着のニオイがする……

 生徒たちは一斉にブーイングをはじめたが、貴海の鋭い一喝で、ぴたりと静まり返った。
 「これはあくまで新校則案である」
と貴海はよく通る声で、前置きなしに言った。
 「わが特別進学科は普通科や他校と比べても非常に校則がゆるい。しかしそれにもかかわらず、校則違反のための停学者は、今年度に入って増加する一方だ。そこで止む終えない措置として、当然、校則の改定と、違反者へのペナルティの強化が必要となったわけだ。
プリントの最後にも記入してあるが、これはあくまで提案であり、現行の校則違反者が来年度までに100名を超えた場合にかぎり、この校則をベースにした新校則が実施されるということだ。
ちなみにこの校則は、職員が作成にあたる。メンバーはまだ未決だ」
 つづけて貴海は、100名という期限は、いまから100名ということで、これはどんな小さな校則違反でもすべて含まれる、連絡なしの遅刻・欠席もそこに含まれるし、授業のボイコット、廊下を走ったりする行為、下校時間以降も申請なしに居残っているのも、すべて該当する、と説明した。
100名といえば、特別進学科では一学年にも当たらない、過半数を超えた数字だ。
温情的な数字と思えなくもないが、互いに互いの素行を見るに、小さなところをつつきだしたら、来年度どころか、来月にも100名突破になりそうである。
生徒たちはざわめきつづけた。

 理音は、いつか貴海が言った言葉を思い出していた。
学校を変えなければいけない、と。
しかし、こんなやり方が変えることになるのだろうか。
生徒会長ら生徒会に属する生徒たちが、なにか反論するのではと理音は様子を見ていたが、生徒同士でひそひそやるばかりで、貴海に堂々と意見を述べようとする者はない。
勝ち気な理音はいっそ、立ち上がって貴海に質問をしてみようかと思った。
いくらなんでも極端すぎる。
と、正義感を働かせる一方で、なにかちがう感情が、奥の方で蠢いているのを感じる。
その他大勢のうちの一人としてではなく、田端理音個人として、聞いてみたいことがたくさんある。

 動悸が上がってきた。
もし立ち上がったとして、いったい何を聞けばいいのだろう。
なにを考えているのか知りたいけれど、その『なにを』には、校則のことよりも、まず自分のことがつよく含まれている。だめだ、こんなんじゃ。
 
しばらくざわざわした空気がつづいていたが、やがてそれを打ち破るように、二年A組、つまり貴海の担任のクラスの生徒が立ち上がった。
バスケ部キャプテンの宮町あずみである。
ボーイッシュな雰囲気の知的なスタイルの抜群な美人で、A組の中でも女王様的存在である。凛凛しい顔立ちに前髪をのばして横に流したショートヘアが実によく似合っている。
宝塚の男役が似合いそうな、目鼻立ちのはっきりと通った少女であった。
 「納得いきません。校則の改定とおっしゃいましたが、いままでわが校の校則は生徒会を中心に、生徒が提案を重ねて作り上げてきました。それがどうして今回に限っては先生方が作成されるのですか」
 理路整然とした堂々とした張りのある声。恐いものなし、といったふうである。
同学年からはおおー、と感嘆の声、一年からは、とくに女子生徒からきゃあー、という黄色い声があがる。
あずみが中等部の生徒も含む下級生から「お姉さま」と呼ばれているのは有名だ。
先を越されたと思いつつも、理音はどこかでほっとした。
 「いまの話だが、校則が生徒会が作るという伝統は、もはや過去のもので、現在の生徒会はその機能を持っていない。
いまから校則の改定に備えて生徒同士で組織づくりをはじめる、というのならば別だが、現状からすれば、教員が作成にあたるのが妥当だろう」
 貴海の話はもっともで、生徒会は有名無実、単に推薦入学を狙う生徒のための、内申書箔付け機関に成り下がっている。
しかし宮町あずみは、さらに食い下がった。
 「それでは、わたしたちが校則の作成をできる組織を、独自で作った場合はいかがですか。生徒会が役立たずなら、そうするしかありませんけれど」
 
 相変わらずきっつい子だなあと理音は思うが、同時に感心する。
生徒会関係者にすれば耳の痛い意見で、場がぎすぎすしてもおかしくないのだが、苦笑いが起こる程度なのは、あずみのカリスマ性の高さの証明だろう。
 
「現在の生徒会諸君と協力するなり、独自で奮起するなり、それはきみら生徒同士で決めればいい。ただし、期限付きなことを忘れないように。ほかに質問はあるか?」
 「よくわかりました。ほかにはなにもございません」
 「生徒会からはなにもないのか」
貴海の問い掛けに、生徒会長や副会長も、そわそわするばかりでなにも言わない。
貴海の表情は、あずみが立ち上がったときは、整いすぎて排他的な印象を与える顔が、いくらか和らいだのだが、生徒会の態度に、今度はしぶいものとなった。
 
『ふつう、逆だよね』
と、理音はその様子を見て思った。あずみは貴海の決定に対し、異義申し立てをしたのだ。
生徒会は逆に、沈黙して異義のないことを表明した。
どうしても校則を変えようとするならば、生徒会の態度こそよしとして、あずみにしぶい顔をしなければおかしい。
プリントの校則のあまりの時代錯誤ぶりに、ほかの生徒同様に腹を立てかけた理音であったが、どうも貴海の思惑というのは、そう単純ではないようだ。



 集会が終わり、クラスごとに教室に移動となったが、休み時間に入ったため、場はなんとなくだらけたものになり、クラスごとに列になって教室に帰っていたものが、列がばらけてそれぞればらばらに帰るようになった。
それを見計らうようにして、一年から河村杏樹が、C組とD組からはそれぞれ沢登とはるかがやってきた。
 「どおしたんですか、理音先輩、そのおでこ!」
 「おい、病院に行かなくて大丈夫かよ。痕になるぜ」
 「理音ちゃん、ガーゼを貼り替えたほうがいいんじゃない?」
 これでも友達がいないって? 贅沢者め。
理音はそう自分に言い聞かせた。
問題の解決法は、本当はもう知っている。
心を開いて、内に篭めたものを少しづつ吐き出してしまえ。
 理音はちらりと、体育室に残り、生徒たちに教室に戻るよう指示をしている貴海の姿を見た。
背中を押してくれたのは、ほかならぬ貴海だ。
なにを考えているかさっぱりわからないけれど、夏休みに言った言葉は素直に受け取っていい、と思う。

 はるかは理音の前髪を掻き分けて、ガーゼの様子を見た。
その隣では、沢登が、杏樹に、昨日のことを説明している。
 「あとで貼り替えたほうがいいね。顔のことだし、早めに処置したほうが、痕が残らないよ」
 「ちょっとまーじっすか、って感じですね、ひどいじゃないですか。茂手木のヤツ、先輩に謝りに来たんですか?」
 肩をいからせ、興奮気味に杏樹が言うと、となりで沢登が吐き捨てるようにいった。
 「謝るわけねぇじゃん、あのホモがさぁ。いつだってあいつが謝ったとこ、見たことねぇよ。ったくグラウンド50周なんて、フツー、女子にさせるかぁ?」
 野球ボールを投げたのは茂手木ではないのだが、そのあたり日頃の行いゆえか、茂手木に対する、沢登や杏樹の印象はすこぶるわるい。
 「もー、本当に本当に、あたしあいつ大嫌い、です! 理音先輩、明日のシフト代わりますから、病院に行ってきてくださいよ」
 本当に本当にいい子だなあと思いつつ、理音は答えた。
 「大丈夫だよ、アザにはなってるけど痛くないし。それに杏樹ちゃんは明日、机上旅行部の活動があるんでしょ?」
 
杏樹はその活発で明るいイメージとは裏腹に、どちらかというと堅物が集まる机上旅行部に所属し、外務省が危険地域に指定している国の紛争状況や原因を地図にしたり、小学生や中学生向けの旅行ニュースを扱ったHPを作ったりと、かなり社会派な活動を行なっているのである。
 
でもお、と頬をふくらませる杏樹の顔をうれしく見つつ、理音は背中にぞくりと冷たいものを感じた。
その発信源を見ると、公藤理佐である。
またこちらが、悪口を言っていると思っているのだろうか。剣呑な目で、こちらを睨んでいる。
 理音の隣にいたはるかが、公藤に見られないように背を向けて、理音の制服の袖をつんつんと引っ張った。
 「理音ちゃん、どうしよう。あたし朝、茂手木先生に呼ばれて、今度の大会に公藤さんとダブルス組んでくれって言われた」
 そういった明るい話題に目がない沢登は、とたんに顔を崩して、親しげにはるかの肩を叩いた。
はるかはびっくりして顔を赤くしている。罪なヤツ。
 「よかったなあ、頑張った甲斐があったじゃんよ」
 「そんなあ、すごく微妙な人選だと思わない? あたしが選ばれた理由って、うまいからとか、そういうんじゃなくって、単に公藤さんの悪口を言ってないから、ってだけみたいなんだもん。いくらあたしだって、プライド傷つくよぉ」
 「それ、茂手木がそう言ったの?」
 理音が問うと、はるかは心底困っているようにうなずいた。
 「こんなこと言ったらアレなんだけど、あたし公藤さんて苦手。話が通じないっていうか、なんか恐いんだもん」
 
ここで以前の理音だったら、とたんにぶりっ子仮面の本領を発揮し、目をきらきらさせつつ、いい子パワーを放出して、
 『そんなこと言ったらダメよ。みんな仲良くしなきゃ。仲間なんだから、ねっ?』
と語りかけたろう。

しかし理音はもうそれはしないことに決めたのだ。
そう、決めたんだってば。がんばれ、自分。
目の前にいるこの三人は、友達なのだ。
こんなに心配してくれている友達なのだ。
自分も彼らを信頼しなければいけない。
胸の内を素直に吐き出してしまえ。それ!

 「確かにね。彼女、昔からあんなふうだったっけ? こっちは何もしてないのに、あんなふうにヒステリックに言い掛りつけられると、ちょっと困るよね」
 てっきり、いまの発言を否定されると予想していたらしいはるかは、理音の反応に驚きつつ、答えた。
 「そ、そうだよね。高校に入ってから成績もあんまり伸びないし、なにかあったのかもね。中学のときは、ずっと学年十位に食い込んでいたのに、高校に入ってからは、ずっとC組だもん」
 「成績かあ。それだって結局、一学年に120名しかいないうちの学校の中だけの順位でしょう? いい大学に入ったところで、そこでなにをするかが、本当はいちばん大事なんであって、入ること自体が結果じゃないのに、そんなものに一喜一憂して、人間の価値まで決めてしまうなんて、おかしな話だと思わない?」
 
以前の理音であれば、あいまいな意見しか口にせず、はっきりした自分の意見を述べるのをあえて避けていたわけであるが、この理路整然とした、なおかつ声にいささかも媚びるところのない発言に、はるかは面食らってしまったようだ。
 
「うん、そうだね……あたしもそういうふうに、人を見る悪いところがあるから、直さないといけないかも」
 大丈夫、嫌われたりしない。たとえ嫌われても、嘘をつくよりずっといい。
自分に言い聞かせながら、理音はつづけた。
心臓はさきほどからばくばくしつづけ、じんわりと汗をかいている。
信頼しよう。がんばれ。
 「そうじゃなくて、この学校全体の雰囲気がそういうところない? さっきだって、みんなきちんと自分の意見を言わないで、ことなかれ主義に走っちゃうし、自分たちの成績に影響がなければ、ほかのことはどうでもいいってふうだよ」
 今度は沢登と杏樹が驚いて言った。
 「おまえ、打ち所が悪かったんじゃねえの。なんだか貴海みてぇ」
 「先輩、やっぱり病院に行ったほうがいいですよ……でも、言いたいことはわかります。宮町先輩が発言しなかったら、あたし発言しちゃおうっかな、って思ったんですよ」
 「あれ、おまえキキカイカイ・フリークじゃなかったっけ?」
 沢登がからかうと、杏樹は憮然として言った。
 「それとこれとは別ですよ。あたし好きな人のいうことなら、なんでも従っちゃう、っていう女にはなりたくないんです。宮町先輩がいうとおり、あたしたちの校則を、先生たちが勝手に決めるなんて、おかしいと思います。新しい校則を作るなら、生徒同士でやるべきなんですよ」
 「じゃあ、おまえがやれば?」
 「でも、あたしはまだ一年ですし……」

 沢登と杏樹のいつものテンポのいいやりとりを聞きながら、理音は緊張がすうっと解けていくのを感じていた。
驚かれたけど、否定されなかった。
こんなに簡単なことだったんだ。
はるかも理音の態度に驚きはしているが、嫌なふうではない。

 「新しい校則かあ。たしかに一学期に退学者が3名も出たなんて、前代未聞だったし、仕方ないかなと思うけど、さっきみたいな逆戻りの校則じゃあ困るよねぇ」
と、はるかがぼやいた。
 「逆戻りって?」
 「あれ、気付かなかった? あのプリントの校則って、ほとんど10年前のうちの校則だよ。うちは従姉も雨咲名望だったから、昔はどれだけ厳しい学校だったか聞いてたんだよね。もうしょっちゅう服装検査があって大変だったみたい。宮町さんが言ってたみたいに、生徒が校則を作る伝統は、8年前にできたものなんだって」
 「8年前?」
 理音は思わず貴海のほうを見た。
増峰の話では、貴海は生徒会で活動していた。
いま25歳なので差し引き8年前といえば17歳。
ちょうどその伝統が出来上がった時期である。
理音の視線に、はるかも気付いたらしい。
 「なんかヘンだね。自分が学生のときに作った伝統を、自分が教師になった途端に壊そうとするなんて」
 理音はびっくりしてはるかに尋ねた。
 「はるか、先生が、生徒会役員だったこと知ってるの?」
 「だって、当時の生徒会って、すごく活動が盛んで有名だったらしいよ。当時の会長が、いまA組にいる、植草くんのお兄さんで、副会長が貴海先生だったんだって」
 「植草くんのお母さんって、総理事長だよね」
 「そうだよ」

 なんだろう。偶然だろうか。
横手の事件があったとき、貴海は最終手段と称して総理事長の植草彰子を動かして表沙汰にならないようにした。
植草彰子の長男は学生時代の盟友で、次男は現在の担当クラスの生徒。
植草家は、雨咲町でも随一の名士であり、家長である代議士の植草穂高は、国政でなにかあるたびにニュースに登場する大物だ。
それはともかく、植草家と貴海は、相当つながりが強いようだ。
まさかいまさら、植草家は学校法人 雨咲名望学院を牛耳ろうとしているのではあるまい。
現在でも十分、意のままにできているからだ。

 考えながら、理音はずっと貴海の姿を目で追っていた。
すると、貴海がこちらを向いた。

 目が合った。

 すると、つかつかとこちらにやってくる。
沢登は、げっ、と言い、はるかは口を閉じて気まずそうにし、杏樹は小さくうれしそうに、ラッキーとつぶやいた。
 理音はもっと複雑であった。貴海のアドバイスどおり、心の中にあるものを正直に話してみた。
びっくりされたけれど、うまくいったと思う。
そのことを報告したい気持ちと、しかし今度は、パルプンテの鏡の前のときのように、冷たくあしらわれるのではないか、という不安がないまぜになっている。
なんでこっちに来るんだろう? なぜなにどうして?

 貴海が目の前にやってきた。理音をはじめ一同は、それぞれの思惑にしたがって緊張した。
沢登とはるかは、貴海の化学で赤点を取っているため、貴海が苦手である。
杏樹は一部の熱心なキキカイカイ・フリークの一年女子の中心にいる。
でもって理音は、自分自身でもわからないほど、微妙な位置に気持ちがある。
 貴海は一同の前に立つと、なんにも言わずに緊張する面々を見回した。
そして、最後に理音をじいっと見た。
正確には、理音の額のガーゼを見ている。人間型カメラというものがもしあって、それに見つめられているとしたら、たぶんこんなふうだろう。
 
なにか発言があるのではないか? それにしちゃあ、待ちが長すぎる。
一同が緊張して待っていると、貴海の背後で、さっきまでプロレスごっこをしていた男子が、壁にかけてあった木刀を取って、なにやらいたずらっぽくひそひそやっている。
そのうち、貴海に向かって、いつもおどけ者役を買って出ている男子生徒が、木刀を手にしたまま、そろそろと近付いてくるのが見えた。
 まずい。
理音は居合をいくらか嗜み、道場に通ったことがあるので、木刀で殴られれば痛いだけではすまないことを知っている。
貴海はまだなにも気付いていない。

 『
二択です

ふたたび、頭の中のなにかが、ぱん、と花火のように弾けるのがわかった。
本当に、なんなの、コレ? 
沢登やはるかたちを見るが、彼らはなにも口にしていない。

 『
二択です。
  A・誰かが声をかけるだろうし、黙ってよう。
  B・自分がどう思われてようとかまわない。教えてあげる。


 男子生徒が木刀を構えた。よりによって後頭部を狙っているようだ。
迷うまでもない。

理音は叫んだ。
 「先生、後ろ!」
 しかし貴海はわずかに振り返り、木刀がまさに振り下ろされる、といった瞬間に、足場をほとんど変えずに、体をきれいにひねるようにして、手にしていた皮張りのノートで、したたかに木刀を跳ね除けた。
流麗、と表現してもいいほど見事な動作だった。
あまりにあざやかで早かったため、男子生徒は振り下ろす前に、打たれた衝撃のまま、木刀を手放した。
 カラコロと木刀が床に転がると同時に、その場にいた全員から感嘆の声が洩れた。
とくに理音の背後で、杏樹が黄色い声をひときわ高くあげた。
さすがの沢登も、感心してつぶやいた。
 「強ぇえ。おれ、あいつに喧嘩売るときは、作戦練ってからにするぜ」

手首を押さえつつ、うめく男子生徒に、貴海は厳しく言った。
 「本気でおれを殴りたいなら、完全に殺気を殺すか、さもなければ真っ正面から堂々と来い。もっとも、どちらにしろおまえに勝ち目はない」
 おおー、とその場の生徒から再び感嘆の声と拍手が沸き起こった。
嫌われているんだか好かれているんだか。
直前の集会での校則のことで不穏な空気があったものの、いまの一件で場の雰囲気はがらりと変わった。
これもある種のカリスマというべきか。
キキカイカイは冴えた頭脳と素早い行動力、それから人の急所をいきなり付くような鋭い言動をし、なおかつ打ち解けない性質の教師であるが、同時に手強い敵である。
しかし、どんなドラマもそうであるように、悪役というのは魅力的であるものだ。
同年輩の男子生徒に夢を抱けない少女たちが、冷淡にあしらわれながらも、貴海を追い掛けるのは、そのあたりが原因なのだろう。
 
貴海が振り返り、ふたたび理音のほうを見た。
さっきから、なにか言いたいことでもあるのだろうか? 
理音は貴海を促すように、だまったまま首を傾げてみせた。
しかし思いもよらないことに、貴海はぎゅっとその柳眉をきつくしかめて見せた。
なぜそんな険しい顔をされるのかわからない。
思わず理音は口にしていた。
 「あの、なにか?」
 「体育室は運動をする場所だ」
 唐突に貴海が口を開いた。
 「おしゃべりをする場所じゃない。すぐにSHRがはじまる。教室に戻りなさい」
と、貴海は、第二体育室中に響くような大声で言うと、なぜだか手にした革張りのノートを理音に乱暴に手渡し、そのまま体育室を出ていった。
なんなんだ? 
理音はもらったノートをぱらぱらとめくってみたが、とくにメッセージがあるわけではない。
放課後の居残り生徒をチェックしただけの、ただの書き付けである。
 背後で沢登が呆れて言った。
 「なんなんだ、アイツ」
 ほんとうに、なんなんだ?

 
『A・誰かが声をかけるだろうし、黙ってよう。

 貴海先生の背後で、木刀で殴り付けようとする男子生徒を見付けたあなたでしたが、ほかの生徒が声をかけてくれるだろうと思い、黙っていました。どこかで、冷たくされたことにたいして、わだかまりがあったのかもしれません。
 しかしあなたの期待は虚しく、ほかの生徒も同じことを思ってしまったのでしょうか。
貴海先生が木刀に気付くのが遅れ、たまたま運が悪く、木刀は貴海先生を打ち倒してしまいました。
救急車が呼ばれ、病院で診断された結果、貴海先生は7針も縫う大怪我をしていたことがわかりました。
このことはたちまち新聞沙汰になり、先生を殴った男子生徒は退学処分、彼を煽った生徒も停学処分になり、そのほとんどが学校をやめてしまいました。
騒ぎになったことで、校則を変えることも問題となり、結局、世論を押さえるため、現状維持ということで話が決まり、なにも変化はありませんでした。
 あなたは声をかけなかった罪悪感から、貴海先生を避けるようになりました。先生のほうも、あなたを避けるようになり、いつのまにかテニス部でのレギュラー復帰も叶い、ほかの普通の生徒のように、そこそこに楽しい高校生活を送りました
 
THE END

※うーむ、またも紛らわしい引きですが、まだつづきます