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十二
グッバイ・マイ・ラブ・アンド・フォーエバー? 其の三はるかのこと、増峰と貴海のこと、それから思うように動けないホームグラウンド外でのバイトのこと、それらのことが重なって、必要以上にぴりぴりしていたのはまちがいない。
袖振町の売り上げは、理音の奮闘にもかかわらず、8月になっても思うように伸びなかった。
そこそこの売り上げをだしてはいるものの、午後にあてにしている主婦層の来店がやはり少ないのである。
他店では下手をすると午前中に売り切れになるほど人気の手作りチョコの詰め合せや、お持ち帰りケーキが、袖振町では、9時の閉店まぎわにやっと売り切る、といったふうだ。
下手をすると残ってしまうこともある。
そういったとき、小林店長はアルバイトたちに気前よく残りを振る舞っていたようだが、理音が来てからは、残った売り物についての企業規則を気にしてか、それをしなくなった。
おかげでほかのバイト仲間から、理音は、ますます煙たい存在になってしまっているようだった。
あらためてよその店で働いて、理音は、自分がいままでいかに一号店で「特別扱い」をされていたかを感じた。
一号店では、理音の仕事ぶりに口を出すものはなく、かなり自由に振る舞えた。
もちろん、理音は、自分が将来の後継者だと自覚しているので、大人顔負けの働きぶりを見せて、周囲を感心させている。
しかし、それはあくまで社員もバイトも、教育の行き届いた一号店での話であり、そこから出てしまえば、いくら会長の娘であれ、バイトはバイトであり、毎日、朝から晩まで集中して業務をこなしている社員とはちがう。
よかれと思って口をだしても、「生意気」だったり「傲慢」だというふうに受けとめられてしまうのだ。
もちろん、表立って理音にそういう者はいない。
しかし、そう思われていることを鋭敏な理音は察している。
人間関係はむずかしい。本当にむずかしい。
そしていま、理音を最も悩ませるのは麗華の存在である。
相変わらず麗華の態度はやわらぐことがない。
麗華自身の勤務態度は、やる気がないわけではない。遅刻や欠勤はまったくない。
しかし、残念なことに、要領が悪いのは、変わらない。
ひとつの仕事を依頼すると、それに完全に没頭してしまう。
頭のなかで自分でスケジュールを組んで行動することができないようだ。
たとえば、ふつうは、15分もしないうちに終える駐車場のゴミひろいを頼むと、麗華は1時間帰ってこない。中座が多いのも相変わらずで、更衣室がたまに煙っていることから、煙草を吸っているようだ。
理音は麗華が中座すると、なるべくあとを追って注意をしていたが、麗華も学習して、理音の目の届かないときに中座する。
ほかのアルバイトは麗華の味方をしてしまう。
鼬ごっこだった。
あるとき、子供連れの親子が、あやまって床にコーヒーとケーキをこぼしてしまった。
すぐにバイトで床を整え、掃除をすませたのだが、麗華は奥からモップとワックスを持ってくると、まだほかの客がいる中で、ワックスがけをはじめてしまった。
ワックスの匂いで、せっかくのコーヒーの風味が落ちてしまうとクレームになった。
また、7月で切れてしまうクーポン券を提示してきたお客に対し、気の毒だからというので、割引サービスを独断で続けてしまっていた。
わずか30円の差ということもあり、お客にもさほどの罪の意識がなかったのだろう。
割引に味をしめた客は、麗華を狙ってやってくるようになった。
ほかのバイトがその客の応対をしなかったので、それが、なかなかわからなかったのである。
「お店のルールは守ろうね?」
と、最初はおだやかに注意していた理音であったが、麗華はなぞめいた笑みを浮かべるばかりで、うんでもなければすんでもない。
さすがの理音もとうとう切れた。
「人が話しているときはその人のほうを見る! どうして返事しないの? 話を聞いてないの?」
そこでようやく麗華は理音に目を向けた。
「聞いてる」
「じゃあ、どうして同じことばかり繰り返すかなあ? スタンドプレーはダメ! お店は一人じゃきりもりできないものなんだよ? 一人で手が余る仕事は、すぐに応援を呼んで。一生懸命やってるのに、結果としてこんなふうに言われるの、いやでしょ?」
しかし麗華の返事は意外なものであった。
「うるせえな、ババア」
「ババア?」
くどいようだが、理音は十七歳の高校二年生だ。
はい、としおらしい返事を期待していただけに、理音は気圧されて二の句が告げなかった。
麗華は怒りに燃える理音の姿に、逆に度胸がすわったのか、堂々と、その細い目で理音を見下ろす。
そうなると、身長の高さが、思いもかけない迫力を与えた。
「田端さん、あたし、まちがってないと思うから」
「でも、人に迷惑かけてるんだよ?」
「トラブルってそういうものじゃない? それに、田端さんは作業効率、とか、売上って、そればかり言うけど、それで丁寧な仕事っていうのが、置き去りになってんじゃない?」
「完璧にとはいかないかもしれないけれど、そこに近づけつつ作業をこなすのが仕事ってものでしょ。そりゃ、わたしだって、細かいところに、見落としがあるかもしれないけど……」
「それに、作業効率とか売上より、大切なものってあると思わない? 店の人間関係とかさ、あんたこの店に来てから、ガタガタじゃん。そういうのが全部に響いてるの、わかんない?」
麗華の言葉に筋はきちんと通っていた。
思いもかけない反論に、理音はさらに反論をすべくあれこれ考えていたが、麗華の言葉はさらに容赦ない。
「田端さん、自分のやり方を、無理にあたしに押しつけんの、やめてくんない?」
理音は怒りをわすれて狼狽した。
「押しつけてなんてないよ。いちばん効率のいい仕事の方法を教えたんだよ」
「たしかにあたしは仕事が遅いけど、みんなとうまくやってるし、だれもあたしを注意したりしないじゃん。あんたはいつも自分のやり方ってものを押しつけてくるけど、正直言って、超笑える。っていうか、滑稽。みっともない」
「コッケイ?」
「そうじゃない。自分のやり方がいちばん正しいと思ってるなんて、すごく自己中心的で、バカみたい」
なんでそこまで言われる筋合いが? と、普段の理音ならば言い返せただろう。
しかし、理音はさまざまなストレスを抱えて、とても気弱になっていた。
なおかつ、ほとんど素のままで行動している職場において、これほど痛烈な言葉を浴びせられることも、初めてだった。
麗華は、言うだけ言うと、ぺこりと頭を下げて、悠然と持ち場に帰っていった。
しかし理音は、なかなか店に戻ることができなかった。
バカみたいで、滑稽。
一生懸命やってるのに?
演じることなく、素顔でみんなに接しているのに?
それなのに滑稽でバカみたいなの?
しょんぼりして理音は帰宅した。
理音はもう寝る準備をした。
こういうときは寝るに限る。
そして麗華から吐き出された毒を薄めてしまうのだ。
このところ、バイトに振り回され、へとへとになって帰ってきては、眠る、という毎日を繰り返している。
バイトのない日はバイトのある日にできないこと、宿題や予習・復習に明け暮れる、という状態だ。
もう八月も半ばに入ったというのに、まだ読書感想文も自由課題も、テーマすら決めていない。
これが貴海の言った、『バイトに夢中になって勉学を忘れる』というパターンではないだろうか。
沢登や杏樹からのメールで、貴海が遊星のごとく唐突に、おのおのの生徒のバイト先に顔を出しているという情報は流れてきた。
沢登から電話があり、一号店には顔を出したらしい。
『まったくよ、来るなり店長とあいさつして、しばらくおれたちの働きぶりを見たいなんて言い出してさ、窓際の席に一時間だぜ、一時間。県体会なみに緊張したぜ、まったく。
河村なんかは舞い上がっちまって、用もないのに、モップでキキカイカイのテーブルの周りをちょろちょろしてさ、最後には『ほかの席はきれいにしなくていいのか』ってつっこまれてたぜ。でも、妙にうれしそうだったな、あいつ』
河村杏樹の、ひまわりのような笑顔が浮かぶ。
いつもは好意的に思い浮かぶ丸い顔が、今日はなぜか憎たらしく感じられる。
『マジであっちこっち回って、雇い主にうちの生徒をお願いしますってやってるらしいぜ。隠れバイトもずいぶん捕まったっつー話だけどよ。まったく、夏休みくらいおとなしく休んでりゃあいいじゃんなあ。お、そうだ、うちに来たときさ、ぐるっと見回すなり、『田端は』って聞かれたぜ』
理音はすっかりひねくれていたので、おそらく貴海が、ガードレール下の密会を見られたため、その言い訳を言いにやってきたのだろうと解釈した。
『おまえさ、バイトの申請書に一号店って書いただろ。袖振町店だって、あとで訂正申請出しといたほうがいいぜ。あいつ、なんかムッとしてたから』
「怒らせとけばいいよ!」
いつもとはちがう剣幕に、電話先の沢登は驚いたようだ。
『おまえこそ、そんなに怒るなよ。まあ、気持ちはわかるけどさ』
あんたもわかってない!
結局、誕生日にも、理音にはたのしい出来事は起こらなかった。
なんだかんだで17歳。
そうしてずるずる時間だけが経過していくのだろうか。
ああ、いかんいかん、考えがうしろ向きになっている。
もう寝ようとしたところへ、携帯が鳴った。
見ると、はるかからの電話である。出ると、かなりロレツの回らない調子で、はるかがなにやら言っている。
かなり苦労しながら聞き出したところによれば、はるかは、
『いま駅にいるのら。置き去りにされちゃったらしいのら。おうちに一人じゃ帰れないのら。迎えにきてほしいのら』
ということであった。
理音はすぐさま着替えると、家を飛び出した。
あのおとなしいはるかが、そこまで酒を飲むなど、いままでになかったことだ。
駅につくと、はたしてはるかは、バス停のすぐそばの街灯によりかかって、赤い顔をして携帯電話をいじっている。
街灯のまわりには、大きな蛾が、ばたりばたりと不吉な羽音をひびかせていた。
理音が行くと、はるかは子供のようにうれしそうに笑った。
理音は、飾り気のない半袖のトレーナーと、ストレートジーンズにスニーカーという格好であった。
一方のはるかは、衿にはフェイクファーの飾りのついたサマーセーターと、ピンクのマイクロミニという、いかにも女の子らしい服装である。
「よくいままでナンパもされなかったねぇ」
すると、はるかは、けたけたと笑いながら、理音に抱きついてきた。
「いっぱいされたんらー。れも、うるせえ、あっち行けって言ってやったんら。効果覿面らったよ」
たしかに蓮っ葉な女の子がそういうなら、あまり効果はなかったかもしれないが、いかにもお嬢様ふうのはるかが、それだけ思い切りのいい言葉を言ったなら、相手はひるんだことだろう。
理音が帰ろうと促すと、はるかは、理音に肩を借りながら歩きだした。
「どうしたの、こんなに飲むなんて。お酒、弱いのに?」
「アルバイト先のお別れ会らったんら」
「こんな時期に?」
「そうらー、お盆も明けないこんな時期に。はいったばかりなのにもうお別れかい、なーんて言われて、はははは……」
とはるかは大笑いをした。
もしかして?
理音は尋ねた。
「はるか……バイト、辞めたの?」
「そうらよ。さっぱりしたら。れも、ちゃんとお別れ会してくれるなんて、いい人たちらよね。そう思わなくちゃ……」
と、そこまで言って、はるかは急に理音の背後から、その首に抱きついてきた。
そして、急に明るい様子をかなぐりすてて、子供のように声をあげて泣きだした。
理音は、これほどまでに、感情がめちゃくちゃなはるかは、初めてである。
はるかというのは精神的に安定した、見た目はともかく内面は、理音よりしっかりした少女であった……はずである。
理音はともかくはるかを家のそばにまで連れていった。
はるかの家は、住宅団地の一角のなかでも一線を画して、大きな家の立ち並ぶ区画のひとつにあった。
黄色い壁のかわいらしい家で、玄関はスペインふうの石壁になっている。
庭はモダンにガーデニングされており、車庫には2台の車が置いてある。
玄関の大きなペチュニアの鉢が特徴だ。はるかの部屋の窓辺にも、花が飾られている。
しかしはるかは、家の前まで来て、鼻をぐずらせながら、言った。
「やら。うちに帰りたくない」
仕方なく理音は、ちかくの公園にはるかを連れていった。
公園にはだれもいなかった。
「危ないかなあ、女の子二人でこんなところにいたら」
というはるかに、理音はポケットから野球帽を取り出してみせた。そして髪を帽子のなかにすべて隠してかぶってみせた。
「じゃじゃん、こんばんは、田端理男です」
「なあに、ソレ」
「こうして髪を隠すと、男の子に見えるでしょ? 美少年と、泣いている美少女、何だか訳ありカップルに見えませんか? 武器もあります! 拾ってきました」
と、理音はさきほど、燃えないゴミ置場で拾ってきた、折れたビニール傘を取り出した。
「カチカチ山に、ちょっとだけ居合いを教えてもらったんだよね。痴漢程度なら追っ払えるとおもうよ」
「カチカチ山?」
「そう、うちのお祖父さんのこと。うちのお祖父さんって名前が田端勝山(しょうざん)っていうんだけど、性格がタヌキでね。それでついたあだながカチカチ山」
と、理音は砂のうえに勝山と書き、そのとなりにカチヤマと書いた。
「おもしろいねぇ。うまくつけるもんだねぇ」
と、だいぶアルコールの抜けたはるかは、くったくなく笑った。
「で、どうしたの? はるからしくないよ」
しかしはるかは、悲しそうに伏し目になって、肩を落とした。
「らしくなくないの。すっごく、あたしらしい話なの。アルバイトね、結局、クビになったも同然なんだ……」
「なんで?」
「要領がわるくて、失敗ばかりしちゃって。あたしって、いっつも人に頼ってばかりだったでしょ? そのツケが回ってきたのかなあ。バイト先にすっごく迷惑かけちゃって。
それにね、よその学校の女の子たちって、もうグループ作っちゃってて、あたし、なかなかその中に入れなくって、一人でやらなきゃって思ったら、よけいに力が入っちゃって失敗ばっかり……ダメだなあ」
と、はるかは深いため息をついた。
理音はイヤでも、赤城麗華のことを思い出さずにはいられなかった。
しかし麗華は、はるかのように周囲に気を遣いすぎて失敗するのではなく、逆である。
「たまたま、そういう場所に当たった、ってことでしょ? あるよぉ、そういうの。わたしだって、一号店ではうまくいくけど、いまの袖振町店だと、いまいちだもん」
「そうじゃなくて」
とたん、またなにか悲しいことを思い出したのか、ベンチのうえで膝を抱えて泣きだした。
「ごめん、ごめんね……」
「どうしたの。悪いことなんて全然ないよ? わたしだって今日、寝るだけだったんだから」
「そうじゃなくて、あたし、いつも理音ちゃんに意地悪なこと言って、それなのに理音ちゃん、ちゃんとこうやって、あたしのこと構ってくれるんだもん。だから……ごめんね」
「そんなこと、気にしてないよ」
しかしはるかは、膝に埋めていた顔をわずかに上げて、首を振った。
「嘘つかなくていいよ、どうして嘘つくの」
虚を突かれた思いで、理音ははるかを見た。
はるかの目尻に、涙はたまっているものの、その表情は、どこか怒りが含まれている。
「理音ちゃんって、いっつも自分で全部抱えちゃって、あたしになんにも相談してくれないよね。たしかに理音ちゃんは、あたしよりしっかりしてて、頭もいいし運動神経もいいし、物知りだし、うらやましいくらい、いいお家のお嬢さんで……でも、あたしがなに聞いても、心配しても、大丈夫、大丈夫って言って、ぜんぜん教えてくれないの。どうして? あたしは信用できないかなあ」
理音は言葉を失った。
はるかの言うのはまさにもっともで、それは沢登の話がでてくるずっと前から、理音は、はるかに相談というものを、一度もしたことがなかった。
「信用してない、なんてことは、ないと思う」
心を掴み取って絞るようにして、理音はそれだけ言った。
しかし、本当にそうだろうか。
はるかの言ったことはずっと真実なのではないだろうか。
小学校のとき、いじめを受けたときの傷がまだ残っている。
だけれど、それとこれとははるかには無関係だ。
過去のつらい思い出を理由に、はるかもほかの人間と一緒だと、どこかで突き放して考えていなかったか。
わたしがはるかを無視している?
「隣にいても、ぜんぜん関係ない人、みたいに思われているのかもしれないって、すっごく不安だったんだ」
不意に、嘘つきだ、と言った貴海のことが思い出された。
いかん、泣けてきた。
理音は辛うじて涙を抑えた。
「あたしは、理音ちゃんが好きだよ? 理音ちゃんは、一年の時、なかなか友達ができなくて困ってたあたしに、いちばん最初に声をかけてくれた人だもん。
あたし不器用で、人付き合いが下手で……でも理音ちゃんが友達でいてくれたから、まわりに受け入れてもらえたっていうか……そう思ってるの。でも、なんだか違うって、思えるようになっちゃって、それで沢登くんのこととかあって、あたしバカだから、理音ちゃんとはもう絶交しようと思ったの。
でも、できなかった。理音ちゃんは一生懸命、あたしにいつもどおりにしてくれて、あたしがどんなに無視しても、なんにもなかったみたいにしてくれて、あたしだんだん自分がすっごい子供で、すっごいバカみたいに思えてきて、大人にならなきゃて、それでバイトはじめたんだけど、結局うまくいかなくって……」
と、はるかはまた顔をふせて泣きだした。
理音は、かけるべき言葉が出てこなかった。
これは同じことではないのか。
親切な指導のつもりで、赤城麗華に自、分のやり方ををくり返し説いた。
しかし相手には、それは単なる押しつけだった。
麗華の行動の善悪はともかく、はるかに対する態度も、じつは似たようなもので、自分は周囲に迎合し、作りあげた、『ぶりっ子お嬢様』という仮面をはるかに押しつけ、それに合せるよう、無意識に強要していたのではないか。
「ごめんね」
ようやく、理音はそれだけ搾り出した。
ほかに言葉がみつからない。
いつもはるかを責めていた。
はるかの、要求するばかりに感じられる友情に、違和感を覚えていた。
しかしそれは、自分が勝手に作り上げた公式に、はるかが反抗するから、腹を立てていただけではないのか。
心臓が高鳴ってきた。
そうなると、すべてが引っ繰り返って見えてくる。
はるかが沢登のことを好きだということを、理音はやはり気づかなければおかしかったのではないか。
あてこすりや嫌味に感じていた言葉も、不器用な、はるかなりの、信号だったのではないか。
悪いのは、(ひたすら自分のためだけに)嘘をつきつづける(自分のことしか考えていない)田端理音ではないのか?
しかし、理音は搾り出した。
「はるかのこと、わたしも好きだよ。たった一人の友達だし……相談しなかったのは、はるかに余計な心配をさせたくなかったからなんだ」
また嘘。
恐かったのだ。
醜い胸のうちを晒すことで、友達がいなくなるのが恐かった。
どうして本当の姿を現さない?
親友だと口ばかりで、心からそうは思ってない?
「じゃあ、理音ちゃんの悩み、聞かせてよ」
鼻をすすりながら、すねたようにはるかは言った。
理音は口を開いた。
開いた。
しかし、言葉がつづかない。
膝をかかえて、じっと理音のことばを待っているはるかの横顔を見つめつつ、理音は硬直してしまった。
恐い。拒絶されたらどうしよう。
「あの……悩みというか…」
「好きな人のことでもいいけど」
「え」
「理音ちゃんの好きな人、教えてよ」
なんでそうなる、というツッコミを、かろうじて理音は抑えた。
はるかの中では、理音との友情関係は、沢登も含めたもので、グリコのおまけのように、切っても切れないものらしい。
「あたしの好きな人のことは知ってるのに、理音ちゃんの好きな人のことをあたしが知らないのって、おかしいよ」
ええとね、と理音が口ごもっていると、はるかは、目だけを理音に向けた。
そして、ゴシック様式の教会に鎮座しているグリフィンのように厳しい眼差しを向けて、うめくように言った。
「やっぱり、信用してないんだ」
「そうじゃないよ」
「それとも、言えない人? そうなんでしょ?」
不意に、あれほど剣呑だったはるかの表情が、打ち上げ花火があがったように、ぱあっと明るくなった。
「わかった、貴海先生でしょ?」
「へ」
「やっぱりね。そうか。そうなんだあ」
なにを根拠に、と理音は腹を立てた。
しかし実のところ、気恥ずかしくて腹が立ったのである。
「ちがうよ、だって、あの人、カノジョいるんだよ。普通科の、増峰先生。知ってるでしょ、ワンレンの美人」
ふっと、はるかの顔がまた曇った。
しまった、強く言い過ぎたか。
しかしそうではなかった。はるかは理音にたっぷりの同情をこめて言った。
「そっか…理音ちゃんも、大変だね」
いや、だから、と理音は訂正しようとするが、はるかはまったく聞いてない。
「相手は大人だしね。正攻法じゃ通用しないかもね」
それじゃあ、正攻法じゃない方法ってどんなだ、と理音がツッコミを入れる前に、理音の携帯がはげしく鳴った。
父の祥一郎からだった。夜分に出かけて、なかなか帰らない娘を心配し、迎えに行くからと電話を寄越したのだった。
「ごめんね、つき合わせちゃって。でも、理音ちゃんとお話できてよかったな。おかげで、さっぱりしちゃった」
理音はさっぱり釈然としない。
「沢登くんのこと、あたしもがんばるね。それとあとね」
と、いきなりはるかは理音に抱きついてきた。
まだ酔っているのだろうか。
ぎゅっと力をこめたあと、はるかは離れると、照れくさそうに笑った。
「映画のマネ。よく外国人が、仲直りするとこうしてハグするじゃない?」
はるかは驚いている理音を、心配そうに上目遣いで言った。
「あ、ごめん、いやだった?」
「いやじゃないけど…ごめん、おどろいたから」
「よかった。ごめんね、あたし、いろいろ一方的にいろいろ言っちゃって。あたしは理音ちゃんが好きだよ。沢登くんと同じくらい大切。どっちもいなくなっちゃったら困るの。だから、ずっと友達でいてね…なーんて、酔ってると、言いたいことが言えていいね。これ、嘘じゃないからね」
嘘、という単語が理音の胸に重たくひびいた。問題は核心に迫る前に回避された、といった格好だ。なにも解決はされていない。
『自分で答えを出さなくちゃいけないってことなのか』
そうこうしているうちに祥一郎がやってきた。
理音の袖振町店での仕事ぶりを注意してから、父娘のあいだは、いささかぎくしゃくしている。
父としては、愛娘にそっぽをむかれたままだとさびしいのか、車内でもいろいろ話しかけてきたが、理音はうわの空だった。
理音は人間関係についての相談を、いちども親にしたことがない。
親を困らせない娘を演じる癖がついていたのだ。
理音の両親はいつも忙しい。家族仲はよかったが、祖父について会社の現場にあそびに行ったこともあったので、二人がどれだけ忙しいか、どれだけたいへんなのかよく知っていた。
理音は、自然と両親に遠慮をする、ということをおぼえてしまった。
なんで気づいてくれないのだろうと、恨みに思ったこともある
そこまで思い出して、小学校のころの自分と、はるかが自分に対して思った気持ちが、ほとんど同じことに気づいて、愕然とした。
わたしは世の中にたいして、自分の受けた痛みを返そうとしているのだろうか。
こんなふうに考えること自体、ふつうじゃないのかもしれない。
自室に戻ると、ちょうど扉の正面にある、椈の木立のあいだから、真白い月が顔をのぞかせていた。
その冷たい、冴々としたいつもと変わらぬ表情を見ているうち、理音は知らず、涙をこぼしていた。
嘘つきで、滑稽で、バカみたいで、人を信用していない。
それが田端理音の真実なのだ。
理音は自分が嫌だった。
髪や胸をひきむしって、中にあるいじけたもの、どろどろしたものを根こそぎ取り去って、捨ててしまいたい。
バカだ、バカだ、本当に自分はバカだ。
理音は椅子に座り、そのまま月を眺めながら、声をたてずに泣いていた。
この世界に、たったひとりしか目を開けていない錯覚に捕われながら。