B.B.の世界

グッバイ・マイ・ラブ・アンド・フォーエバー? 其の一
溶けかけたソフトクリームのような入道雲、レッドツエッペリン並みのシャウトを総出でつづける蝉たち、アスファルトからゆらりと立ち上る遣水、道を歩いていると、どこからか聞こえる風鈴の涼しげな音。
 「夏だ」
 まるで自分に言い聞かせるように、理音は言葉に出してみた。
それに応えるように、蝉時雨がいっそう大きくなる。
気分転換に、カメラ片手に出掛けた理音であったが、被写体といえば、ひまわりや朝顔や入道雲、去年も撮ったような写真ばかりである。
青いもの、涼しげなもの。
脳裏にあるのは、瑠璃色の鳥のパネルである。あの隣にぴったり似合うような写真がほしい。
 『もっといい写真が撮れたら』
 誉めてもらえるだろうか、と理音は考える。
 理音がはじめて自分の写真を見てほしいと思った相手、そしてその気持ちを尊重して、ちゃんと化学準備室に飾ってくれたひと。
 貴海が増峰と付合っていることはよく知っている。
自分の気持ちがむくわれないこともわかっている。
それでも理音は、自分が存在することを知ってほしい。それでもって、相当ムシのよい話だと自覚しつつも、すこしは自分を特別に考えてほしいと思う。
 『恋愛じゃないぞ』
と、理音は自分に言いきかせる。
 『友達になりたいの。そう、そうだからね』
 ホイールたわしのごとく、もやもやした部分が胸にあるが、理音はそれを無視した。
さあ、友達になるためにも、いい写真を撮らなくては。
 黒い雨傘を日傘の代わりにして歩く行商のおばあさん、ソフトクリーム片手にプールに行く子供たち。駄菓子屋の軒先に自転車を停めてラムネを飲む中学生。日陰でぐったりしている毛むくじゃらの雑種犬。青い網戸の向こうから、甲子園中継が漏れ聞こえてくる。
どれも夏の風物詩であるが、どうもきれいに決まらない。
瑠璃色の鳥を撮ったときは、向こうから被写体が飛んできて、「さあ、撮って頂戴」とばかりポーズをとってくれた。欲があるといい写真は撮れないものなのだろうか。
 疲れたのでしばらくコンビニで涼んだあと、30円のバニラアイスを片手にふたたびうろうろと雨咲町をあてもなく歩いていた理音であるが、ふと、榊の垣根のふるい日本家屋の軒先に、あつらえたように金魚鉢がちょこんと置いてあるのが見えた。
中には3匹の金魚がぷかぷかと浮いている。おまけに低い軒には南部鉄の風鈴がぶら下っていて、風情に磨きをかけている。
まさにシャッターチャンス。理音はカメラを構えると、金魚をぱちりと撮影した……ところが。
 縁の下に、なにやらもそりと動くものがある。
見ると、皮のたるんだ可愛げのない三毛猫で、その金色の目をぎらぎらさせて、ゆっくりと忍び足で金魚鉢に向かっていく。
いかん。
とっさに理音は足元の石を拾い、金魚鉢を覗き込もうとする三毛猫めがけて投げた。
ストライク。
石はきれいにまっすぐ飛んで、三毛猫の横腹にぶつかった。
 「なにするのよ!」
 それは猫が、フギャン、と鳴いて逃げるのとほぼ同時だった。
家人か? 
理音が声のほうを見ると、それに合せるようにして、三毛猫も声のほうに逃げていく。
 ちょうど理音の背後に、背の高い、ワンピースを着た金髪のボブヘアの少女が立っていた。
三毛猫はほうほうの態で少女に駆け寄った。少女は猫なで声で、甘える猫を抱き抱えた。
 「こわかったでちゅねぇ、ひどいことされちゃいましたねぇ」
 ひどいのはどっちだ。
ここで黙っている理音ではない。
 「ちょっと、その猫あなたの? いま金魚を盗ろうとしてたよ」
 しかし少女は三毛猫そっくりの尖んがった目で臆することなく理音をまっすぐ見返した。
 「だからなに? 金魚をそんなところに置くほうがどうかしてると思うけど」
 「なに言ってるの、非常識じゃない。猫の躾はきちんとしなさいよ」
 すると少女は、顔を歪めて吹き出した。
なんとなく、三毛猫がそのまま人間の少女になったような、ふてぶてしい顔を……いやいや、ペットは飼い主に似るというが、その可愛げのないところは……ええと……
 「なに、あんた? 高校生でしょ? あたしに説教するつもり? 超ナニサマって感じ? エラソー」
 なにおう。
 「言葉をしゃべれない猫に、いきなり石をぶつけるなんてサイテー」
 「助けを呼べない他人様の金魚を勝手に盗るほうが最低でしょうが!」
 少女は、腕の中ですっかり悠々としている三毛猫を抱えつつ、鼻を鳴らすと、
 「ばかじゃねぇの」
 と捨て台詞を吐いて踵を返した。
狭い砂利の露地の先に、スポーツタイプのバンが停まっていて、少女は猫を抱えたまま、その車の助手席に乗り込んだ。
少女の声高な非難がわざとらしく聞こえてくる。
 「聞いてよ、エリちゃんに石投げた超ムカツク女がいてさ、なにすんだよって言ってやったら、逆に言い返してきやがってさー」
 男の低い、なにか言っている声が聞こえ、少女のけたたましい嬌声と猫がにゃんと鳴く声がして、車は非難がましくクラクションを鳴らすと、露地から去っていった。
理音の不快指数はここで一気に上昇した。


 「ええ、理音先輩、夏休みは一号店じゃないんですか?」
夏休みは、なじみのある一号店ではなく、袖振町店へバイトに行く、と告げると、河村杏樹は口をとがらせた。
 「先輩がいないなら、つまんないなぁ。あたしも袖振町店に行こうかなあ」
うれしいことを言ってくれるなあと聞いていると、カウンターから沢登が茶茶を入れた。
 「なに言ってんだよ。河村はまだまだ新人だろー」
 「もー、学校でもクラスが昇格して、バイトでも見習いからカウンターマスターに昇格したからって威張んないでください。あたしだって、そのうち先輩より早くマスターになってみせますからね!」
 杏樹の言うとおり、沢登は学校でD組からC組に昇格しただけではなく、バイトでもその成果を認められてマスター見習いからカウンターマスターになったのだ。
どうなるかというと、仕事内容に幅が広がり、新人の指導を任せられるようになるほか、時給がぐんとアップする。
仕事内容が濃くなるということは、勉強や部活をそれなりに圧迫するということとイコールであったが、波に乗っている沢登はへっちゃらのようだ。
沢登の体力と努力には、ほんとうに頭が下がると理音は思う。
これで男と女でなければ、普通に肩を叩いて喜びあえるのだろうか。
 「まあ、あたしと先輩のために、頑張ってくれたまえ、カズヒロくん!」
 「うるせーやい」
 いいや、男と女というより、キャラクターの問題らしい。
意識しすぎているのかなあと思いつつ、なんの抵抗もなく沢登の肩をぽんと叩いてみせる杏樹を、理音はうらやましく思った。
 沢登はけらけらと笑う杏樹の頭を冗談で小突く。子犬がじゃれているようだ。はるかが見たらどう思うのだろう。

はるかはこの夏、駅前の大型スーパー内のファストフード店でバイトをはじめていた。
平日の夕方から、閉店の9時まではアルバイトに入っている。
縦縞のシャツとミニスカートという、スポーティーな店の制服は、とてもよくはるかに似合っていた。
 「なんだか、最近、理音ちゃんとおしゃべりしてないよね」
と、このあいだ、テニス部で会ったとき、はるかは理音に淋しそうに言った。
たしかにその通りで、はるかのバイトのない日は理音にバイトがあり、またそれ以外では、理音は勉強に忙しい。理音は予備校の短期集中ゼミを受講していた。
 沢登がD組からC組へ移動になる、と決定してから今日まで、はるかと理音の間には、ぎこちない風が吹いている。
あたりさわりのない話題に終始し、なにか目の前のことから懸命に目を逸らそうとしているようだ。
これではいけない、と理音も思うし、はるかも感じているようだ。
しかしどうしたらよいものか、理音によい知恵は浮かばない。

 わたしははるかが好きなのか?

と、理音は、疑問に思うことがある。あの春休みの公園での『親友じゃない』宣言以来、理音は、はるかを恐がっている。
かといって、はるかと距離を置くこともできないでいる。
理音はテニス部の、一見、くったくなくおしゃべりに興じている仲間たちを見まわした。
よその女の子同士は、親密で、問題のないように見える。
もちろん、そうではないことを、トイレなどで耳に入るひそひそ話で知っているが、自分たちより関係が濃いように感じるのは、他人の芝生は青いの類だろうか。
 独りぼっちに耐えられないゆえに、一緒にいるのがつらい関係になっているはるかと、いつまでも自分と周囲に嘘をつきつつ付き合っているのはどんなものか。
とはいえ、関係を修復させる努力もせず、逃げ出すような真似も、なにかちがう気がして、理音の心は晴れない。
 こうして悩みにぶつかったとき、自分の周囲を見回すと、友達のなかに、本音を語って付き合える人間がだれもいないことに気づいて、理音は孤独をあらためて感じる。
自分が周囲に本音でぶつかっていないのだから、当然である、と冷静に分析できる反面、魅力がないからだろうかと、いじける自分も発見する。
 こんなふうに、ぐるぐると自分の周りだけを衛星みたいに回って、いつまでも外へ抜け出せないのは不健康だ。
最近、過密スケジュールのために疲れているから、こんなふうにうしろ向きな考えばかり浮かぶにちがいない。
 あんまりマスコミやら、はやりの歌やらで『孤独なんて』的文言があふれているから、罪のない孤独というものを、必要以上に恐がっているのではないか……??
 
「しかし袖振町っていったら結構、遠いじゃん。なんだって、おまえがそんなところに出向しなきゃなんないわけ?」
 「人出が足りないの」
 「ああ、そういえば、新聞の折り込みとか見ると、あそこの支店って、いっつもアルバイト募集をかけてますよねぇ」
 「うちはわりと、安定してるけどな」
 田端コーヒーチェーンの場合、トップと中堅がしっかりしており、ベテランと呼ばれるバイトが数名いれば、売り上げもよく、優良店であるといえた。
第一号店の場合、豆の小売から事業拡大をして飲食業に手をのばした最初の記念すべき店、ということもあり、上層部の思い入れもつよく、いい人材が配置されやすい。
しかも幹部候補の研修場でもあるため、店内にはいつも心地よい緊張感がある。加えて、理音を中心にして、学生アルバイトが長期で勤めているため、戦力も安定し、売り上げに貢献していた。
 「なんか理由がありそうなんだよね。今年の春に、主婦のパートさんが一斉に辞めてから、学生アルバイトばかりになっちゃって、規律が行き届かなくなっちゃったんだって。夏のダークチェリーパイセットも、袖振町店は夕方まで売れ残ってるらしいよ」
 「マジ? これってうちの超人気商品だろ? うちなんか、下手すりゃ午前中でなくなっちまうじゃん?」
 「日曜とか、行列ができることもありますよね」
 「そこなんだよね。スパイってわけじゃないけど、どうしてそんなに売れないのか、売り上げが伸び悩んでいるのか、様子を見てきてくれって佐々常務に頼まれたの」
 すると杏樹と沢登は同時に、おおー、と感嘆の声をあげた。
 「なんかカッコイー。理音先輩、エージェントみたい」
 「おい、いじめられんなよ。これだけしょっちゅう人材募集かけてるってことは、人間関係も安定してないってことなんだからよ」
 さすがに陸上部でも頼れる中堅、ムードメイカーとして人気のある沢登の言葉は的をえていたのであるが、そのときの理音は知る由もない。         

       
 袖振町は雨咲町とちがい、最近、新興住宅地の玄関としてあたらしくできたばかりの町だった。
ちいさな漁村があったところに、古ぼけた駅がぽつんとあるだけだったが、再開発が進み、バラックのような家はつぎつぎと建て替えられ、駅前広場は商店が並ぶようになった。
しかし長引く不況のためか、真新しいビルは、一階はふさがっているものの、二階からそれ以上となると、『テナント募集』の看板が目立つ。
 袖振町店は駅からすこし離れた、新興住宅地に伸びる大きな道に面したところにあり、駐車場も大きいため、駅を利用する客、バスを利用する客、車で立ち寄る客すべてを集客できるはずであった。
競合店は駅前のちいさな喫茶店と、ハンバーガーショップのみである。
人の流れも安定していて、朝は出勤・登校前の客、昼は買物客、夜は帰宅・下校途中の客、あるいはデザートのみを買いにきた客とが見込めるはず、である。
 
しかし理音は事前にもらった顧客調査の書類を見てうなってしまった。
店の客の流れが極端なのである。
朝と夜は問題ない。
しかし問題は、昼間であった。昼の客足がわるい。
しかも主婦層をターゲットにしたデザート関係が他店の半分くらいしか売れていない。要するに昼間はがらがらなのである。
 シフトのほうは、最初はフルタイムという話であったが、あらゆる時間帯の様子を知りたかったので、理音がほかの従業員のシフトを見せてもらい、自分でいいように組んだ。
袖振町店は小林店長をはじめ、猫田チーフ、森川準チーフの3人がおり、すべて男で小林とほぼ同時に店に配属された。年齢も若く、まだ30になっていない。
ほかのアルバイトはみな学生で、下は16から上は22まで。ベテランは一人もおらず、『三ヵ月勤めればベテラン』という状態であった。
 だらけている、というのではない。それなりに真面目にやっているのだが、どこかぴしりと決まらない。そんな印象である。

 「まあ、ゆっくりやっていこう」
小林は最初に理音に言ったが、そのまま嘘ではなかったようである。
小林店長は覇気のあまりない人物で、店を地域一番店にする、とか、売り上げを倍にする、といった気負いがまるでない。
そこそこのレベルに売り上げが達していればいい、という考えのようだった。
パーマで傷んだ赤茶けた髪に、への字眉、四角い眼鏡が特徴だ。
小林店長は研修期間に一ヵ月、理音と一緒に一号店で働いていた。
のんびりした性格で、いささかずぼらなところもある。店長になれたのは、どんなクレームにも動じない、マイペースぶりが買われたためだ。
 理音は小林が嫌いではない。しかしビジネス観がだいぶ違うようで、理音には、歯痒く感じられる。
マーケティング部によれば、あと半年もすれば、新興住宅地の中心にほど近い元ゴルフ場にアウトレットモールが完成し、そこにライバル店が進出してくるという情報が流れてきていた。
となれば、昼間の客の流れが大幅に代わり、売り上げが激減するおそれがある。
いまのうちに、固定客をがっちり掴んでおかねばならないのだ。しかしそれでも小林店長の反応は、
 「わかってるんだけどねぇ」
 と、気のないものであった。
 理音は、小林の制服にところどころ光っている繊維をみつけた。
よくよく見ると、動物の毛である。
アルバイトが社員の服装を注意するなど有り得ないことだが、あえて理音はたずねた。
 「それ、動物の毛ですよね?」
あれ、と、どうでもよさそうに自分の制服を見て、小林は力なく笑った。
 「風に乗ってついたのかなあ」
 「それにしては沢山ついているようですが」
 「そうだよねえ、どうしたのかな。着替えてくるよ」
 家でペットでも飼ってるのかな。制服のまま家に帰ってそのまま寝てしまったとか? 
ルーズだなあとあきれる理音であるが、このとき、アルバイトの少女たちの視線が、ちくちくと突き刺さっていたことに気づかなかった。


 小林は制服を着替えて戻ってきた。
そしてアルバイトを紹介される段になり、理音はそのなかで飛び抜けて背の高い少女を見つけてあっとなった。
 例の金魚鉢を狙っていたブス猫……いやいや、見てくれのよろしくない猫の飼い主の少女であった。
向こうも理音に気づいたらしく、みるみる顔を敵意で顔を曇らせていく。
 「こちら、赤城麗華さん。うちのアルバイトじゃ、いまは一番長いかな。去年の冬に入ってきて、八ヵ月目だね。仲良くやってね」
 赤城麗華は165センチはある上背に、顎のラインでそろえたボブヘアを、まだらな金髪に染めていた。
アイラインやマスカラをこってり塗った化粧が特徴で、バイト仲間同士でおしゃべりしていたところから漏れ聞いたところでは、もともとが寂しい顔立ちで、朝にはアイプチをするのにたいへんな手間がかかっているという。
人見知りの激しい性格か、それとも猫の一件が響いているのか、新しく入ってきた理音には、目を合わそうとすらしない。
ほかのバイトもなんとなくそれに倣ってしまっており、スタートは理音が想像していた以上に厳しいものとなった。