B.B.の世界
8
「ほーふ」
「豆腐じゃないぞ」
などと親父ギャグを言ってから、キキカイカイは、すべったことに気づいたらしく、大きく咳払いをした。
うん、すごく寒かった、いまの。
「一年の計は元旦にあり、っていうだろう。おまえ、まだ十七のくせに、なんだか妙に老成しているところがあるんだよな。よくないぞ、そういうの」
「それって、表現を美しくすると、落ち着いている、ってことでしょうか」
「ずばり言うと、浮いているのに平然としている」
う。
先生の言葉は、手裏剣のごとく、わたしの心に突き刺さった。
浮いているか。
わかっちゃいるけど、あらためて指摘されると、なんだかもう、回りもそう思っているんだろうな、とか、浮いてしまう自分への嫌悪感とかがこみ上げてきて、いたたまれない。
この先生、自分の身の上話で場を中和しているけれど、さっきからずいぶんバシバシと、わたしの内面に踏み込んできていないか。
いくら元旦だからって、遠慮がなさ過ぎる。と、いうか、元旦ってこういう本音をぶつけ合う日じゃなかったはずだ。
なに考えてんのかな?
ちらりと目線を向けると、向こうもこちらの様子を伺っていた。
目があって、あわてて互いにそらす。
気まずい。
「いじめているわけじゃないからな」
と、キキカイカイは言った。
どうやら、傷つきました、っていうのが、わたしの顔に出ていたらしい。
本当かなあ。
わたしが疑いのまなこを遠慮なく向けると、キキカイカイは、困ったように言い訳をはじめた。
「さっきも言ったけれど、伯母からの手紙で、妹が雨咲名望学院に通っている可能性が高くなった。
俺は教職はとっていたけれど、教師になるつもりなんてまったくなかったんだ」
「じゃあ、なにになるつもりだったんですか」
「大学の先輩が経営している、おもちゃの会社に就職する予定だったんだ」
「おもちゃ?」
「そう。純粋に子供のための、体に害のない、なおかつ、成長しても捨てられないでずっと取っておいてしまうような、そういう印象に残るおもちゃ作りを目指している会社なんだ。
ああ、大人向けのお遊びインテリアも作っているけど、って、変なものじゃないからな」
「わかりますよ」
何を言い出す。
「昔から手先は器用だったし、いまでも妹さえ見つけたら、すぐに教職はやめようと思っている」
「はあ」
「いまの、だれにも言うなよ。植草にも言ってないから」
植草、とは、この雨咲一帯を仕切っている代議士の一族である。
雨咲名望学院の総理事長は、代々、植草家の人間がなる。
現在の総理事長は、植草代議士の奥さんだ。
もともとは植草は、戦国時代から雨咲を支配していた古い一族で、明治維新になっても、華族として、そして、大正・昭和になっても代議士として、えんえんとこの土地の支配権を握り続けている。
といっても、雨咲の人間も、植草家には信頼を置いていて、誇りにしている節すらある。
植草の名前をそういう風に出す、ということは、この土地では、植草の後ろ盾を持っている、ということとイコールだ。
水戸黄門の印籠並みの威力を発揮する名前なのである。
この先生、植草の親族かなにかだったのかな?
新興名士のうちの父が聞いたら、新商品をダンボールにつめて擦り寄りそうだなあ。
父は、植草にお近づきになりたくて仕方がないのだ。
そんなことを考えていると、先生は、軒先に座るわたしの隣でしゃがみ、自分の庭のハーブ畑をぼんやり眺めながら、つぶやいた。
「最初、おまえが妹じゃないかな、と思ったんだがな」
祥香母が家を出るときに置いていった、箪笥にある母子手帳を持ってこようか。
それとも戸籍謄本?
わたしはまちがいなく、田端家の娘だ。養女ではない。
ぬるくなったココアの入ったマグカップを両手で掴みつつ、となりでハーブ畑を見つめる、先生の横顔を見上げた。
「指輪のことがあったから、誤解したんですか」
お母さんの形見のオパールの指輪を持っていたのがわたしだったわけだから、それは誤解もするだろう。
だが、先生は、軽く首をひねって、答えた。
「いや? あのときには、ちがうなって、わかっていたよ」
「それじゃあ、いつそう思ったんですか」
「二学年の女子の全体を見回して、なんか通じるものがあるのが、おまえだったから」
「通じるもの」
「そう。浮いているところ」
すごくうれしくない共通点です。
というか、キキカイカイ、自分も周囲から浮き勝ちな人間だということに気づいているのだな。
ちょっとしょんぼりする事実。
「おまえ、いまの生活が、楽しくないだろう」
「はい」
「正直でよろしい。どっちが?」
「どっち、って?」
「学校と、家と」
答えようとして口を開いて、でも即答できなかった。
頭の中でどっちがつらい、などと分析する余裕もないほどに、つねに気が張っている自分にようやく気づいた。
学校もアウェー、家の中もアウェーなのだ。
唯一のホームが、自分の部屋だけ。
完全にひとりになれる環境が、自分の部屋だけだから。
「けっこう厳しい状況にいるようだな」
答えに窮しているわたしを見て、同情をこめてキキカイカイが言う。
「外側だけなぞってみれば、おまえなんて、相当恵まれているふうに見えるのにな」
わからないもんだな、などととつぶやきながら、先生は自分のココアをすすった。
「学校のほうはまあいいとして、家だな。
学校でたまたまクラスが一緒になった二十名ほどと気が合わなかったからって、それで社会性が否定されるわけじゃなし。
いま一緒にいるやつらと、生涯にわたって付き合うわけでもないんだ。そこは後回しにしよう」
「はい」
「問題は、家だ。家こそ一生涯つきまとう。面倒にこじれるまえに、いまのうちに解決しておいたほうがいい。
義母さんと、義母さんの連れ子と同居しているんだっけ?
ふたりからいじめられている、というわけではないんだろう?」
「むしろ腫れ物に触るあつかいです」
すると先生は、けらけらと声を立てて笑った。
「なんか想像できるな。ライオンの檻の前に餌を置く新米調教師の姿」
するとなにかい、わたしはライオンか。
たしかに八月生まれのしし座だけどさ、と思っていると、ふと、先生が笑いをひっこめて、ああ、となにかに気づいたような、ちょっと暗い声を出したあと、ちらりとわたしに目線を投げてきた。
家でもそうだけれど、わたしってそれほど判りづらい人間なのだろうか。
どうして顔色を伺われるんだろう。
見てすぐに機嫌がいいなとか、悪そうだな、とか、わからないのかな。
自分じゃ顔に出しているほうだと思っているのに。
「悪気はないんだ」
と、キキカイカイは急に懺悔をはじめた。
「どうも気がゆるむと、頭に描いたことを、簡単に口に出す。それでどれだけ失敗してきたことか」
今日は元旦。
なのに、なんだってこれほど内省的な会話をつづけているのやら。
苦ではないけれど、めでたくない。
「子供を扱う職業になんて向いてないんだ。だいたい、学校そのものに、いい思い出が少ないってのに」
「高校のときに総スカンを食らってたから?」
たずねると、先生は深いため息をついた。
気分はすっかり聴聞僧。
ほんとうに今日は元旦か。
キキカイカイの元旦懺悔はつづく。
「ともかく、十代は楽しくなかった。自分でそうしていた、っていうのもあるだろうけれど、人の顔色ばっかり伺って、良い子を演じたら演じたで、それが過剰にすぎたようで、親族からは、『良い子すぎて本音がわからない、気味が悪い』といわれるし、学校じゃ、不用意な発言のせいで、たった一人をのぞいて総スカン。
いまだって、同窓会には、俺だけ誘われない」
なんだか未来のわたしを見るようだ。
「悲しいですね」
思わず言うと、先生は、自嘲ぎみに笑った。
「だよな、悲しいよな。でもそれに当時は気づかなかったんだよな。
だれもいなくなって、徐々に徐々に、ひとつひとつ気がついてくる。
そのときの居たたまれなさといったら、ないぞ。
それほどまでにひどくないと思っていた自分の姿が、予想をはるかに越えてひどいとわかってくる。
じわじわくるんだ」
「あのう、自分を落としすぎじゃないですか」
すくなくとも、わたしには、キキカイカイはふつうの大人に見える。
「まともになって、やっとこれなんだ」
返す言葉がなくなりました。
「しかしあれだ」
と、自分の家の庭をながめながら、キキカイカイは憂鬱そうに言う。
「正月にする話じゃないな」
やっと気づいたか。
「なんでこんな話の流れになったんだ?」
「わたしの抱負の話から逸れたんです」
「ああ、そうだった。要するに、『家族と積極的に仲良くしてみる』というのを勧めたかったんだ。
そう、それだよ」
自分で自分の言葉に納得しながら、先生は頷く。
「本当に俺は教師に向いてないな。
ドラマの教師は、なんだって、どいつもこいつも雄弁家なんだろう。
俺の場合、ちょっと気が弛むと、いらないことが口に出る」
「いらないことって、告白してくれた女の子に、『勉強の邪魔になるから』って断った、っていうやつですか?」
「興味ある?」
あるとも。
自分が浮いている原因を、同じく浮いていたという先例に倣って、修正できるかもしれないじゃないか。
って、こういう発想が、打算っぽいというか、かわいくないんだろうな。
わたしがうなずくと、キキカイカイは、なにが楽しいのか、やはり声を立てて笑いながら、答えた。
「もらったラブレターを教室のゴミ箱にまとめて捨てた。
同級生のも、そのなかにあったから、俺がしたことがバレたあとは、教室中が通夜みたいになったな」
「ヒドイ……」
そりゃ、どこからであろうと浮くわ。
「いま考えると、病気になりかけていたのかもな。
父と俺とはちがう、それを他人に判ってもらうには、父とは正反対の品行方正、常にトップじゃないといけない、という強迫観念があった。
だから、下駄箱に手紙を見つけたときは、怒鳴り散らしたこともあったんだぜ。
『勉強の邪魔になるから、告白なんてするなと言っただろ』って」
「先生、病気です」
「だよな。当時はそう言ってくれるやつもいなかったよ。
親のスキャンダルに巻き込まれた、父親に捨てられたかわいそうな子、って、腫れ物に触れる感じでさ。
植草でさえ、俺が切れると、黙っちまってたもんな。
どうしたらいいか、わからなかったんだろうな」
「植草って、代議士の?」
「長男。中学のときからの親友なんだ」
なるほど、さっきから登場する『植草』は、代議士のほうじゃなく、息子のほうだったのか。
聞いた噂じゃ、長男はお父さんの跡継ぎをいやがっているので、わたしと同じ年の次男が跡を継ぐらしい、とかなんとか。
そうか、家族構成も似ているから、親友なのかもね。
「家族と積極的に仲良くする、ですね。わかりました、今年の抱負にしてみます」
わたしが言うと、先生は、やっと教師らしく、それでよろしい、というふうにうなずいた。
「いまのうちに、な。来年は受験でそれどころじゃなくなるだろう。
家がおちついたら、自然と学校での態度も変わってくる」
いまの不自然な、みんなに媚びるような態度を、もうしなくていいようになる?
他人との距離を上手く取れるようになるのかな。
何人か、友達もできるようになるかな。
「がんばってみます」
「気負わずにがんばれ。おまえはどうも、実力以上のものを出そうと無理をするタイプだからな」
たしかに、当たっている。
「それと」
「はい」
「国語をなんとかしたほうがいいな」
そこまでひどかったっけ。
このあいだの期末考査は、たまたま体調が悪かったんだけどな。
「最初におまえの名前を知ったのは、理系が異常につよくて、文系教科は壊滅的にひどい生徒がいる、って聞いたからだ」
「国語は認めますが、英語はそこそこです」
このあいだの期末だって、平均点行ってたのに。
「点数では届いていたけれど、要点が押さえられてない間違いが多かった。
あれがマークシートじゃなくて記入問題だったら、おまえの点数はもっと悪かったはずだぞ」
「は? え、ちょっと。なんでわたしの答案を見ているんですか。化学じゃなくて、英語!」
「だから、その時点で妹かも、ってまだ思っていたんだよ」
答案にヒントは隠されてないぞ、キキカイカイ。
『この熟語をつかって、自由に文章を完成させなさい』に『わたしには生き別れの兄がいます』とか書かないから、ふつう。
というか、直接本人に聞いてくれればいいのに。
「あのう、わたしは養女じゃなくて、実子です。残念ですが」
わたしが言うと、またまたキキカイカイは、楽しそうにけらけら笑って答えた。
「そうだな、残念だな、おまえが深雪だったら、いまごろ教職も辞められて、明るい年末年始だったろうに」
ちょっと腹が立ってきた。
自宅にいるせいか、ずいぶんぶっちゃけてくれているけれど、仮にもわたしは生徒だ。
教えてもらっている先生じゃないけれど、同じ学校の先生から、教師なんてつづけたくない、なんて告白をされるのは、やっぱり良い気分はしない。
金八先生のように、生徒には真剣に接してほしい、とまでは言わないけど、せめて本音は生徒の前では出さないでほしい。
理想追いすぎかな。
「そんなに教師がいやなんですか? いやいや教師をやっている人に教えてもらうなんて、生徒が迷惑するんですけど」
「そうだな。だから、早くやめなくちゃ、と思うんだよ。
俺が生徒だったら、やっぱり、ふざけるな、って思う。
教員こそ、ほんとうになるべき人間がならなくちゃいけない職業なんだ。俺はそうじゃない」
「えーと」
あっさり認められて、怒りが鎮まった。
ほんとうに教師になりたくないとしても、仕事はきっちりしているんだよな、この先生。
授業もそうだけれど、冬休みのあいだ、生徒のバイト先に様子を見に行ったりしているんだし、適性がないわけじゃないよね。
「先生は、自分を落としすぎだと思います。今年の抱負は、自分を冷静に客観視する、にしたらどうでしょう」
わたしが言うと、キキカイカイは、そうだな、そうしようか、などと曖昧なことを言った。
自分を否定する理由が、学生時代のこと以外にあるみたい。
でも、そこは踏み込まないほうがいいだろうな。
キキカイカイの、どこか遠くを見ているような、なにを見て笑っているのかよくわからない、曖昧な笑みを見て、このひとは、いままで会ったどんな大人より話しやすいけれど、でも、いままで会ったどんな大人より、ふしぎな人だなと思った。