B.B.の世界
7
なぜ年賀状をくれたのか。
尋ねてみて、変な質問をしたな、とすぐ後悔した。
生徒だから。
理由はそんなところだと思う。
で、おしまい。はい、さようなら。
正月によその家を探し当ててやってきたのは、ありがとうと言うためだけだった。
ほかのだれからも、年賀状が一枚もこなかった(現実だけど、あらためて凹む)のに、すこししか話したことのない、そして教科担当でもない先生だけが年賀状をくれた。
それがうれしかったから、ありがとうって言いたかっただけなんだけれど。
もっと聞きようがあっただろうにと自分を責めつつ、先生からの答えを待つが、キキカイカイ、奇奇怪怪なことに、なぜだかわたしの質問を牛のように反芻しつつ、考え込んでいる。
そんなにむずかしい質問だったろうか。
こういうときに、なんて言って間をつないでいいのかわからない。
ひたすら黙って答えを待っていると、やがて先生は、マグカップ片手に、もう片方の空いた手でもって自分の顎と口を撫ぜながら、どこか遠くを見つつ、眉を軽くひそめて、言った。
「ほんとうだな」
「はい?」
「尋ねられてみると、答えがないな」
「はあ」
「すまん、なんとなくだ」
「はあ」
わたしもだいぶ間抜けな返事をしたが、先生の返事もどっこいどっこいだった。
年賀状をなんとなく送ってくれたわけだ。
無理やり理由を探してみるに、もしかして、指輪のことがあるから?
中庭で拾った指輪は、無くさないように、部屋の宝物入れにしているオルゴールの中に入っている。
先生の生き別れたという妹がもし見つかったら、ちゃんと返せるように。
年賀状のお礼を言ったあとは、もうなにも言うことがなくなってしまった。
こういうときに、相手との距離感をうまくつかめない、というのは困る。
たとえば会話を続けるにしても、なにからとっかかりにしていいのかわからない。
ほかの生徒にも年賀状を送っているんですか、とか尋ねると、なんだか図々しい感じがしないだろうか、とか、一人暮らしなんですか、とか聞くと、プライバシーに口を突っ込んでいるみたいに思われないか、とか。
それにしても、正月らしさのまったくない家である。
いまどき日の丸や門松を玄関に飾っている家も少なくなったけれど、スーパーで安く売っているリースを玄関に飾るとか、餅を飾るとかくらいは普通はしそうなものなのに。
見たところ、町内会で配られる『賀正シール』も貼ってないし、車にそれらしき飾りもない。
妹と生き別れた、という話もあって、思った。
もしかして、先生の家は喪中?
だったら、返事にしたって、年賀状って不味かったかな。
でも先生も年賀状くれたし。
「あのう」
喪中でしたか、って率直に言っていいのかな。
ほんとうに、こういうとき、映画でも漫画でも小説でもドラマでも、そしてゲームでも、物語の主人公って、たとえどんな内気って性格、っていうふうに設定されていても、案外すらすらとしゃべれている。
あれってやっぱりフィクションなんだな。
ちっとも参考になりゃしない。
だいたい、ここまでしゃべれないわたしって、いったい、なに?
ボキャブラリー貧乏じゃない。
もう一種の病気じゃなかろうか。
「今日は気温がマイナス1度だそうだ」
と、突然にキキカイカイは、またもや奇奇怪怪なことに、部屋のエアコンのリモコンを読んだ(外気の気温と湿度を測れる機能がついているのである)。
「ちょっと軒先へ回ってくれ」
先生は言うと、指でもって、わたしに庭をまわって軒先に行くようにと指示をした。
軒先には、頻繁に庭の手入れをしているらしく、空いたフラワーポットや如雨露、肥料などが軒先の下に片付けられている。
物置がないので、軒下を収納の代わりに使っているようだ。
ガーデニング用品の横にはプラスティックの箱があり、マジックで『灯油』と書かれていた。
雨咲町の旧市街は、家と家の感覚がせまく、その一軒一軒の敷地もせまい。
古い家も多くて、先生の平屋もそのひとつだ。
建て方はモダンだけれど、よく見ると何度も外壁を塗りなおしたあとが見えるし、窓枠や柱なんかがほんとうに木で、サッシの部分が少ない。
庭はテニスコートのように長方形で、真ん中にきれいに真っ二つに分かれている。
家のそばにはきれいに手入れされた芝生があって、道路に接している半分は、ハーブ畑になっている。
台所で使うことなんかを考えると、ハーブ畑が家に近いほうが便利のような気がするけれど、どうやらこれは、日当たりの関係らしい。
先生の家のとなりは二階建てで、ちょうどいまわたしがいる軒先に影を作ってしまう。
ハーブ畑のそばには白い木の柵があり、猫よけのゴムのぎざぎざ(撒きびしみたいなもの)がある。
外から見ると、平屋は覗き放題で、ちょっと無用心だな、と思ったのだけれど、実際に軒先に座ってみると、家に面している道路は、まったく人の往来がないことがわかる。
隣の家は、古い木造建てだったけれど、先生の家に面している窓はきっちりカーテンを閉めているし、向かいの家は空き家なのか、人が住んでいる気配がない。
この平屋自体が、道路から引っ込んだところに建っているので、ほかに高い位置にある建物がないから、覗かれる心配がないのだ。
それにしても一軒家で暮らしているなんて、なかなか贅沢だ。
古い家みたいだから、格安物件をローンで購入したんだろうか。
たしか体育の先生はキキカイカイと同じ年で、アパート暮らしだとか聞いたけど。
それともこれも貸家なのかな。
不動産屋のようなことを考えていると、先生が戻ってきて、マグカップにココアをいれて持ってきてくれた。
「中に入れてもいいんだけどな」
と、自分はすっかり冷めたココアを飲みつつ、先生は、またもどこか遠くを見つつ言った。
「たぶん大丈夫だろう、というときに限って、なぜか人が来たりするから、すまないな、軒先で。いまはなにかとうるさいから」
「いえ、いいです」
答えつつ、気がついた。
この先生も、けっこうな口下手じゃないだろうか。
このあいだは指輪のことがあったから、お互いに、わりとすらすら喋れていたけれど、主題がない世間話をしてみましょうとなると、とたんに何を話していいのかわからなくなる。
さっきから、わたしや近くじゃなく、どこか遠くに目線を投げているのも、緊張しているから?
そういえば、心理学の本かなにかで、人と話すときに目線を斜めに向ける人って、正しく思い出しながら話そうとするので、目線が動く、とかなんとかあったっけ。
なんだ、先生も緊張しているのか。
そう思ったら、すこし気が軽くなってきた。
思えば、この人って、言動に主語が少なかった気がする。
最初に話しかけてきたときも、ずばり「一人か」だったもんなあ。
ココアはほんのすこし砂糖が入っているようだった。
寒さにすっかり慣れていたので、その暖かさに、また気がゆるむ。
気が緩んだついでに、聞いてしまえ。
正月だし(意味不明)。
「一人暮らしなんですか」
「そうだよ」
「借家なんですか」
と、尋ねてから、あまりに不躾だったな、と思いなおし、あわてて付け加えた。
「あのですね、同じアルバイトをしている人のなかに、この近所で一人暮らしをしている人がいて、駅から歩いて行けるから、けっこう家賃が高いって言っていて」
あーあ、これじゃ遠まわしに家賃を尋ねているみたいじゃない。
どこの不動産屋だ、わたしは。
「高いらしいな。俺のところは持ち家だから、家賃に関しては気にしなくていいな」
「維持費が大変ですね」
不動産屋から、近所のおばちゃんにグレードアップ。
なんという女子高生らしからぬロマンの欠片もない言葉。
われながら呆れる。
するとキキカイカイは、なにが面白かったのか、すこしだけ笑って、それから、そうだな、と答えた。
「この家は死んだ母の家だったんだよ。つい最近まで叔母夫婦が管理しがてら住んでいたんだけれど、俺が雨咲に帰って来たんで、譲ってくれたんだ」
お母さんが死んだ。
そう聞いて、もしや正月の飾りがいっさいないのは、お母さんの喪中だったんじゃないかと気づいた。
マズイ。
完全に空気を読まずに年賀状。
でも先生が送ってくれたわけだし。
いや、そうじゃなくて、ええと。
なんと謝ろうか、わたしが混乱していると、先生は冷めたココアを飲みつつ、ハーブ畑を眺めながら、つづけた。
「母が死んだのは十年近く前だけど、叔母が庭だけはそのままにしておいてくれたんだ」
喪中じゃなかった。
ほっとしつつも、わたしはなにか言わなくちゃいけないことがあるような気がしてきていた。
「当たるといいな」
と、主語をつかわないキキカイカイは、唐突に言った。
なにが? 年末ジャンボ?
あれはもう抽選日が過ぎたか。買って外れたわたし。
当たったら、大学資金を自分で捻出し、悠々自適の一人暮らしをする予定だった。
「年賀状のくじだよ。切手シートしか当たったことないけど。こんなふうに正月らしくなく過ごしているときのほうが、なんか当たる気がするな」
「ほかの生徒さんから来ているんじゃないですか? なにか当たっているかも」
これで先生からきた一枚が、一等を引き当てたらすごいな、などと考えていると、先生は言った。
「まあ、当たるかもな。いまの生徒はだいたいメールですませるものかと思っていたけど、けっこう年賀状を書くやつもいるもんだ」
そういうキキカイカイの肩越しに、テーブルのうえに扇状に広げられている年賀状が見えた。
ちらりと見えただけだけれど、けっこうな数が届いているようだ。
しかも文字が丸っこい。女の子からだ。
この先生、愛想はまったくないけど、容姿だけはいいから、隠れファンがいるのだ。
なるほど、そういうファンのなかでも大胆な子は、年賀の挨拶にやってくるかもしれないな。
ファンでなくても、担当の子とかが。
あまり長居しないほうがいいかもしれない。
だれかと鉢合わせになったら気まずい。
先生のところに来ている、と知られることよりも、ばったり顔を合わせたとき、なんて言っていいのかわからないのが困る。
が、わたしはすぐに困ったことに気がついた。
どういうふうにこの場を離れればいいわけ?
ココアをご馳走様でした、また新学期に会いましょう?
なんで、ひとつひとつが、こうも冒険なんだ、わたしは。
「おまえの家にも何枚か来ているだろう」
それには触れないでほしい。
思いつつ、嘘をつくことにした。
「まあ、何枚か」
「嘘だろ」
思わずココアを噴出しそうになった。
正月から、これ、なんて尋問?
この先生、カウンセラーか刑事になったほうが出世する気がする。
ちらりと見ると、腹の立つことに、キキカイカイはチェシャ猫のように、面白そうにこちらをにやにやと見ている。
悪魔。
「なぜ判るか、教えてやろうか」
「わざわざ年賀状を届けに来たからですか」
ものすごーく善意で起こした行動を、思いっきり意地悪く揶揄された気分だ。
なんだか泣きたくなってきた。
正月からこれじゃあ、今年もきっと、去年となんにも変わらないだろうな。
というより、キキカイカイのばか。
このココアを顔にかけてやろうかしらん。
「俺は高校のとき、副会長をやってたんだけど」
そりゃ優秀で、よござんした。
「ちょっといざこざを起こして、生徒全員からシカトされたときがあったんだよ。その年は、年賀状が一枚しか来なかった。その一枚は、広川先生から」
広川先生は、わたしのいまの担任だ。
あだ名をヒロリン。
たれ目でチビの中年教師である。
雨咲名望学院の教員の、とくに特別進学科は、OBを採用することが多い。
キキカイカイもその一人、というわけである。
「シカトって、なんでですか」
「さあ。二学期の期末の前に同級生から告白されたんだけど、試験の邪魔になるからって断ったのがきっかけじゃないかと思うんだが、ほかにもいろいろ原因があったんだろうな。敵を作るのだけは、天才的にうまいんだ、俺」
「わかっているんですね」
やば。本音が。
復讐のつもりでもないのに。
怒ったかな、と身を固くしつつ表情をうかがうと、キキカイカイはすこしも怒っているふうではなく、むしろさっきよりも機嫌がよくなっていた。
「おまえ、怒らせたほうがしゃべるな。我慢ばっかりしてないで、怒りっぱなしくらいでちょうどいいんじゃないのか」
「そんなに我慢しているように見えますか」
「我慢しているというか、見栄っ張りだな、と思う」
と、キキカイカイは、またもさっくりと人を傷つけるのであった。
今日って元旦だよね。
なんなの、この展開。
「見栄」
わたしが言うと、キキカイカイは妙に楽しげにつづける。
サドだ、この人。サド化学教師。
「いつも人の目を気にしているだろ。人に気に入られようとしすぎ。で、その場の大多数がよかれと思う行動を先走ってやってしまう。
そりゃあ、周りにしてみれば、助かる部分もあるだろうが、人間っていうのは意地悪なものだから、そういう人間に好感は抱かない」
ずばずばと斬られまくるわたし。
「都合のいい人とは言われるが、『いい人』とは言われない。他人への配慮が人一倍あるのに、それがまっとうに発揮されてないんだ。
そんな癖、はやく矯正してしまえ。まだ十代のおまえくらいの年なら、多少のわがままも、子供だからと許してもらえる。俺くらいになると、もうだれも許してくれないからな」
「よくわかりません」
「見栄はよくない、って言いたいんだよ。おまえの家がいまどうなっているか、正直、よくわからないけれど、どういう自分が素の自分なのか、わからなくなっているんじゃないのか、おまえ」
すぐに答えられなかった。
というか、すぐに頭が働かなかった。
なんだか、すごく当たり前で、まともなことで、なのに自分でも気づいていなかったことを、いきなり指摘されたからだ。
「いい子でいたら、みんなから好かれるってことはない。これは断言する。単に迷惑のかからない人間になっているだけだ。いてもいなくてもいい存在になっているってだけ。
社会に出るときには、管理される側になるわけだから、そういうふうに協調性を発揮するのはいいことだと思う。
けれど、おまえのその年で、そこまで気を張っていい子を演じる必要はないよ。
自分がなんなのか、なにもわかっていないのに、自分で自分を抑えすぎていると、あとで年をとって振り返ったときに、自分が何者かわからなくなって混乱するぞ。混乱を収めるなら、早いほうがいい」
そうかもしれない。
いや、そうじゃないのか。
わたしの振る舞いの全部は、いつもその場のだれかの都合に合わせたものばかりだ。
お母さんだったり、毬子お姉さんだったり、お父さんだったり、クラスメイトだったり……
「元旦だからな」
と、キキカイカイは、直言を容赦なく吐きながら、ちびちびココアを飲みつつ言う。
そのココア、ココアに見えるお屠蘇とかじゃないだろうな。
「おまえの中には、言いたいことがたくさんある。けれどそれを全部、『いい子』でいるために隠している。そのつもりはないのに、うそつきになっているんだ。
気に入らないことは気に入らないと言ってしまえ。たとえそれがどんなに醜いことでも、人間ってのは妙なもので、本音だと安心するんだよ」
「でも、怒らせたりするの、イヤです。嫌われたら困るし」
昔みたいに、いじめられて、みんなから無視されるのはもう嫌だ。
嫌だけど、でも、いじめられてはいないけど、空気みたいに扱われている今と、差はあんまりないような気がしてきた。
悪口を言われるか、言われないかだけ。
「おまえ自身、人が本当はどう考えているかなんて、わからないだろう? もしかしたら、もう嫌われているかもしれない」
うわあ、本当に、嫌なところをずばずば突いてくるな、この先生。
もしかして、元旦から、いじめられていないか、わたし。
「嫌なことをいうやつだな、と思っているだろ。しかも元旦から」
「思ってます」
「正直でよろしい。なんだろうな、うまく言えないが、なんとなく判るんだよ。俺も似たようなポジションにいたから」
「高校のときですか?」
「そう。知っているかもしれないが、うちの父は名望の学院長だった。で、俺は生徒会の副会長。まあ、慢心するには十分な環境だった。
さっきも言ったけど、嫌われる要素はたっぷりあったんだよ。文武両道で顔も悪くない」
「自分でいいますか」
「そう、その調子。どんどんいけ」
このココアはもしかしたら、自白剤入りだったのかもしれない。
「俺自身のもともとの性格もこんなふうだから、高校の途中から、学校のほぼ全員から無視された。
とはいっても、同じ生徒会の連中とはそこそこうまくやっていけていたから、不登校になるまではいかなかったな。
というか、負けず嫌いだったから、どう無視されようと、がむしゃらに一人でなんとかしようとした。おかげで成績は卒業するまでトップだぞ」
「それはすごいですね」
「嫌味だとか思ってるだろ」
「思ってます」
「だろうな。けど、大学進学はうまくいったけど、でも楽しくなかった。当時のことは思い出したくないほど、すべてが最悪だったんだ。
家じゃ寝たきりの母、愛人の家に入り浸って帰ってこない父。近所のおばさんや親戚が母の面倒を見てくれるんだけれど、俺の知らないところで、俺の家をどんなふうに言っているか、みんな知ってた。
けれど、精一杯、優等生を演じたよ。自分が同情されるのが、たまらなくイヤだったんだ。完璧な優等生な自分でありたかったのさ。うぬぼれてたというか、思い切り見栄っ張りだった」
キキカイカイがあんまり淡々と話すので、わたしは相槌も打てなくなっていた。
そういえば、むかーしお父さんが話していたのを聞いたことがある。
雨咲名望学院は、むかし学院長が愛人スキャンダルを起こして、職員やPTAを巻き込んで辞任騒ぎを起こして、マスコミ沙汰にさえなったことがあるって。
先生のお父さんのことだったのだ。
生き別れた妹、という話が、急にリアルに思えてきた。
そんな境遇だったら、そういう兄弟がいてもおかしくない。
「母はこの家で息を引き取ったんだ」
と、先生は、まだそこにお母さんが寝ているかのように、自分の部屋を振り返る。
そこにはもちろんだれもいない。
テーブルとテレビ、ソファがあるだけだ。
殺風景な部屋だ。
化学準備室の中が私物であふれていたことを考えると、違和感がある。
なんだか、極力、部屋をこのままにしておきたいと思っているような。考えすぎ?
「本当は入院してなくちゃいけなかったのに、意地でも家から離れようとしなかった。父が帰ってくると信じていたのか、それとも本妻としての意地だったのか、いまとなっちゃわからない。
ともかく、母が死んだとき、俺はまだ17で、だれかの世話にならなくちゃいけなかった」
先生が十七のとき、わたしと同じ年だという妹さんは十歳くらいか。
「妹さんと二人だったんですか」
「いや、深雪のほうは、母が病気になると、育てられないだろうということで、三つのときに、伯父夫婦が引き取ってくれたんだが」
と、ここで、先生は疲れたように、大きく息をついた。
「この伯父が曲者で、極端な自然崇拝者で、なにを思ったか親族になにも相談せずに、突然に北海道に移住したんだ。で、『北の国から』そのままの生活を始めた。
それまで、ごくごく普通のサラリーマンだった人間が、急に自給自足の農家になったんだ。
ちょっとしたマニュアルどおりに行動したところで、TVとちがって、うまく行くはずがない。
何年かして音信不通になって、叔母と俺が探しに行ったときは、伯父夫婦が住んでいた家はすっかり廃屋になっていたよ。
近所の人間に聞いたら、伯父夫婦は離婚して、伯母のほうが深雪をつれて出て行ったらしい。
伯母は雨咲の人間だったから、こっちに戻ってきたのは間違いないんだが、伯父と離婚のときにかなりもめたらしくて、警察沙汰にもなったらしい。伯父から逃げるために名前を変えてしまったようなんだ」
「それじゃあ、妹さんも?」
「そう。伯母と一緒に名前を変えて、いまは雨咲のどこかに暮らしている。興信所に依頼して探ってもらったんだが、狭い町なのに伯母の家族がよっぽど口が固いのか、二人がどこにいるのか、名前はどう変わったのか、結局掴めなかった。
ただ二年前に、差出人不明の封書が来て、深雪は無事に雨咲の進学校に通っているから安心して、探さないでほしいと書いてあった。署名はなかったけれど、たぶん伯母からだったと思う」
「伯父さんはどうなったんですか」
「さあ。羆(ヒグマ)の腹の中じゃないのか」
「ええ?」
「冗談だけど、それに近い状況だろうな。と、深雪のことに話が向かったが、軌道修正」
「はい」
伯父さんの行方が、はげしく気になるなあ。
「俺の身元保証人がだれになるかで、親族が揉めた。そのときに、母のいちばん上の姉、俺にとっては伯母さんが言ったんだ。
『あの子はたしかに優等生で手がかからないかもしれないけれど、優等生すぎて、何を考えているのかわからなくて気持ちが悪い』って」
「ええ? ひどいじゃないですか」
「でも、それが大概の大人の本音だった。最初は腹が立って腹が立って仕方なかったけれど、伯母の言葉は、親族のなかだけじゃなく、学校やほかの連中と共通した意見だということに気づいたんだ。
もちろん、みんなはなにも言わなかったけどな。みんなから無視されたことがきっかけで、過剰に『いい子』を演じた結果がそれだった。
辛いだろ、努力したつもりが、そんなふうになるなんて。おまえはまだ、最悪の結末を迎えてないわけだから、いまのうちにやめておいたほうがいい」
「いい子ぶりっ子を?」
「そう。それがずっと言いたかった。元旦らしいだろう。今年の抱負にしてみたらどうだ」