B.B.の世界

「ええと」
それが、キキカイカイの、わたしを見たときの第一声だった。
なにかを思い出そうとしている様子だ。
わたしとしては気まずいので、黙っていたのだが、するとキキカイカイは、はいはい、と言いたそうにうなずいて、わたしを指差すと、言った。
「B組の田端」
アタリ。
昨日みたいに数学バカを加えなかったのは合格である。

「鍵を掛け忘れたときにかぎって、人が来るな」
と、ひとりごとのようなことを言って、キキカイカイは準備室に入ってくる。
「で?」
何の用か、と言いたいのだろう。わたしは、机の上に置いた封筒を差して、なかばやけっぱちで言った。
「普通科の増峰先生から頼まれて、その書類を持ってきました!」
「ああ、そう」
言って、キキカイカイは、封筒を取り上げると、中身を確認する。
「また会議か。多いな、最近」
「はあ」
「なんでか知っているか」
知るわけないじゃん。
「うちの学校は、わりと大人しい生徒が多いから、いままで大きな問題が起こったことはない。
が、そのわりに、なぜか教師が不品行を働くことが多い。
君も聞いているだろう、今年の夏休みに、体育科の先生が万引きで捕まった事件」
「ありましたね」

体育科の先生の一人が、コンビニでビール二本を万引きしたのだが、たまたま居合わせた非番の警察官に見つかって、御用となったのである。
運がない……いやいや、悪いことをしたら、かならず露見するという典型例である。

「教師なんて職業は、ストレスのたまりやすい職業だからな。
どういう反動なんだか、生徒の前では大人の模範みたいな顔をしている『いい先生』が、じつは私生活がめちゃくちゃだったりするんだよ」
あんたもそうじゃないんかい。
わたしは白い目でもって、作りかけの雑貨の数々がちらばるテーブルを見る。

しかし器用だなあ。
どれも作りかけだけど、綺麗に出来ているというか。
そこのビーズのリングなんか、色合いといい、デザインといい、出来上がったら一個、ほしいくらいだ。
って、昨日、熱心にショーケースを覗いていたのは、これを作っているカノジョにアドバイスをしてあげようと思ったからか?
うわー、げんなりしてきた。ごちそうさま。

「ま、俺なんかは、うちの学校の最悪の歴史を思い出させるんだろうな。だから今年になって、やたらと会議が増えんだろうけど」
なんだ、そりゃ。
それにしても、なんだか準備室を立ち去るタイミングさえ失ったような気がしなくもない。
失礼しますーって言って、行っちゃっていいのかな? 
なんでかよくわからないけど、キキカイカイ、わたしと話したがってるみたいだし。

「ところで、田端、昨日の指輪、どうした」
やっぱり来たか。

ここで二つの選択肢がわたしのまえにある。
A:嘘をつき通す
B:素直に謝る
「えーと」
迷っていると、キキカイカイは、無造作に封筒を机の引き出しの中に放り込んで、わたしのほうに向きなおった。
「いまも持っているか?」
スカートのポケットの中にあります。
「古いデザインだったな。石はオパール。本物だった」
ちらりと、つくりかけの雑貨や、テキスト、専門書のちらばっている机の上を見る。そのなかに、『カラー図版 パワーストーン百科』なるものもあった。
多趣味すぎるよ。なんとなく繋がっている気もするけど。

「オパールは十月の誕生石なんだよ。意味は幸福なんだってさ」
「へ、へー」
なんだか動悸が上がってきた。もしや、嘘がばれている?
「中ノ島祥香」
うっ。
「誕生日は5月5日だって、公式HPのプロフィールのところにあったぞ」
やっぱりばれた! というか、なんだろ、この尋問!
「五月の誕生石は、なんだか知ってるか?」
「エ、エメラルド!」
「そうだ、正解。指輪を出せ」

嘘は露見していたわけだ。
というか、学校じゃひた隠しに隠しているはずの母のことを、どうして知っている、キキカイカイ。
わたしが不服そうにしているのを見て、それと悟ったか、キキカイカイは答えた。

「あのな、俺は教師。おまえの個人情報を簡単に把握できる立場にあるんだよ。
うちの学校には、教師だけがアクセスできる、生徒の個人情報を閲覧できるネットワークもあるわけだ。
田端理音。近年急成長を遂げた『らいおん珈琲』社長田端昭一郎と、離婚した中ノ島祥香の娘。誕生日は8月7日。はい、8月の誕生石は?」
「ペリドット」
こだわるなー。
「昔は8月の誕生石はオニキスだって、どの本にも書いてあったんだがな」
「はあ」
「宝石商の都合でそうなったのかもしれないけどな」
言いながら、キキカイカイは、わたしから指輪を受け取って、じっと石を見つめて、なぜだか感慨深げに言った。
「そうだ、これだ。記憶って、けっこう頼りになるもんだな」

おや? もしかして、その指輪、キキカイカイのものだったのか? 
だったら、昨日、それは俺のだ、とか言ってくれればよかったのに。
というか、まず先にしなくちゃならないことがある。

「ごめんなさい、嘘をつきました」
「うん、そうだな」
と、責めるでもなく、相変わらず指輪を見ながら、気のない風にキキカイカイは言う。怒っているふうじゃないけど、なんだか感情の掴みづらい人だ。
「あのう」
もう行っていいですか、の意味の『あのう』だったが、しかしキキカイカイは、顔を上げると、たずねてきた。
「田端、これはどこで見つけた?」
「昨日、中庭の掃除をしていたら、枯葉に埋もれているのを見つけました、ハイ」
嘘じゃない。黄色の銀杏の葉っぱのあいだに、ぽつんと埋もれていたのだ。
どんぐりみたいにふつうにあったから、本物だとは思わなかった。
「あの場にいたのは、B組の女子六名か。
昨日でも今日でもいいけれど、指輪をなくしたとか、あるいは、なにか探しものをしているような子はいなかったか?」
おかしなことを聞いてくるな。
その指輪、キキカイカイのものじゃないの?
「いなかったと思いますけど」
「悪いが、君と同じ班の生徒の名前、全部、言ってみてくれないか」

なんなんだろ。
妙だな、とは思ったが、嘘をついていた、という決まりのわるさがあったので、わたしは素直に、わたし以外の五人の名前をすべて言った。
キキカイカイは、気難しそうな顔を、さらに渋くして、腕を組み、考え込んでいる。

「田端、おまえは高校から編入してきたんだったよな」
「はい。中学はよその私立でした」
わたしをいじめていた生徒が、そのまま持ち上がりで同じ高校に入ろうとしているのを聞いて、進路を変更して、この学校に変えたのだ。
逃げたといえば聞こえは悪いけど、家から近いし、校風も穏やかだしで、悪い選択肢ではなかったように思える。
「同じ班の子のこととか、知っているはずないよな」
なんでしょうね、その『知っているはずがない』というのは。
いや、事実だけど、クラスメイトといまひとつ仲良くできてないことが悩みのわたしとしては、ちょっとカチンとくる言葉なわけですよ。
むっとしたのが顔に出たのか、キキカイカイは、あわてて言った。

「ああ、君が人づき合いが悪いってことを責めてるんじゃない。
うちの生徒は、みんな、似たような傾向があるから、そう言ったんだ」
「そうでしょうか」
わたしから見たら、みんなフツーに友だちづきあいしているけどなあ。
「当たり障りがないようにしているというか、優等生の友だち付き合いだな。深入りしないように付き合う。
この学校に限ったことじゃないかもしれないが、俺がOBだから、そんなふうに感じるのかもしれない」
「へえ、先生、卒業生だったんですか」
「うちの学校の教師は、九割方が卒業生だよ」
初耳だった。
なかなか保守的な体制だね。

「いや、それはいいんだ。ついでに聞くが、君、『みゆき』という名前の生徒を知らないか。
深い雪と書いて『深雪』だ。あだ名でもいいんだが」
あだ名で『みゆき』は、早々ないと思うぞ、キキカイカイ。
というか、わたしに聞かなくても、その立派なデータベースで調べればいいのに。
わたしがちらりとパソコンを見ると、キキカイカイは目ざとく気づいたらしく、閉じたパソコンの蓋を軽く撫でるようにして、答えた。
「データベースじゃ出てこないんだよ。いまの名前はちがう名前になっているはずだから」
はい?
「貴海深雪。俺の生き別れの妹だ。赤ん坊のころに養女に出されて、いまは君と同じ年になっているはずだ。
この学校にいるのはまちがいないんだが、養女に出された先がわからないので、探せないでいるんだ。
この指輪は、妹のものなんだよ」

わたしがその話を聞いたとき、思わず口に出して言ってしまったのは、この言葉だった。
「韓流みたいですね」
キキカイカイは、げんなり、というふうに顔をしかめる。
「言われると思った」
「すみません、つい、えーと」
「言いわけはしなくていい。この話をすると、たいがいみんな、同じことを言うからな。韓国ドラマみたいですね、と」
言われるだろう。
もし韓国ドラマなら、三角関係を展開しつつ、このあとに事故が起こって、記憶喪失になって、不治の病が出てくる。
お祭り騒ぎですよ。

「知らないんだったらいいんだ。本人も、自分が養女だっていうことを知らない可能性があるから、大っぴらに探すと、本人がショックを受けてしまう」
「深い事情があるんですね」
「そう。事情がある。と、話は変わるが」
「なんでしょう」
それまで、どちらかというと親しげな雰囲気だったキキカイカイが、急に教師の顔に戻った。
やな予感。
「たとえ嘘にしたって、母親を死んだことにするのは感心しないな。
どんな家庭の事情があるにしろ、話の上でも親を粗末にするもんじゃない」
「ごめんなさい」
たしかに。反論できない。
「君のお母さん、たまにTVで見るぞ。立派なお母さんじゃないか。自立した女性の理想像というか」

世間じゃそう見られているのか。
たしかに、事業を成功させていることはすごいと思うけど、家庭は破綻させたわけだよ、貴海君。
両親の様子が、なんかおかしいな、って気づいたとき、それから、もしかして、と思い始めたとき、そして、父から、離婚するから、って話を聞かされたとき、すごくイヤだった。
父も母も好きだったけど、離婚の件に関しては、母が悪かったと思っている。
母は仕事を理由に言いわけばっかりして、父と喧嘩しているときも、ちっとも話を聞こうとしなかった。
父は、すごく我慢したと思う。
家事だって、あんまり負担にならないようにって、いろいろ考えて、譲歩して、譲歩して、なのに、母は、なにひとつ譲らなかった。
それを自立っていうのかな。わたしには、自分のやりたいことを思うようにしたいのに、わたしたちがいるから出来ない、って言われているようにしか思えなかった。

だいたい、母は、離婚してしばらくは、ちっともわたしに連絡をしてくれなかった。
わたしが高校に入って、すこし物がわかってきて、それでやっと『話せる』ようになったから、って連絡をくれるようになったのだ。
世の中には、母親に向いてない人がいると思うけど、うちの母はまさにその典型だと思う。
というか、こういうことって、やっぱり外からじゃ、わからないものなんだな。

わたしが黙り込んだのを見て、それまで厳しい顔をしていたキキカイカイが、眉根を寄せて、つぎに、あわてた顔に変わった。
なんでだろうと思っていたら、なんのことはない。
わたしの意志に反して、涙腺が反逆を起こしたのだった。
要するに涙が出てきたわけだ。
うー、格好悪い。

「すまない、悪かった。言い過ぎた」
遅いやい。
「本当に悪かった。ほら」
言いながら、キキカイカイは、机のうえにあったボックスティッシュを差し出す。
が、そのティッシュにも手作りキルトのティッシュカバーがかかっていて、なんだか脱力する。
器用だなあ、カノジョ。
無視するのもなんなので、ティッシュを一枚受け取って、涙を拭く。
みっともないな。
ガキだな、とか思われているんだろうな。

「ほら、これ飲んで、すこし落ち着け」
と、キキカイカイが用意したのは、見事な手際でアルコールランプの火で沸かしたハーブティー。
でもってコップはビーカー。中身はカモミール。
苦い。というか、変な薬品が混ざってないだろうな、コレ。

「洗ってあるし、それ、飲み物専用にしているから、大丈夫だぞ」
学校の備品じゃないの?
そう思ったのが、どうやら伝わったらしい。テレパシスト貴海。
「それ、私物。いろいろ作るのに必要だから、ホームセンターで買った」
カノジョのためにかい。そう思って、ちらりと机のうえにあるアロマテラピーグッズの製造器機を見る。
本格的だなあ。道具には事欠かない、というわけだ。

「おととしにお父さんが再婚したんだっけ」
「そうです」
いま、わたしは化学準備室の木のテーブルとセットになっている、四角いおなじみの背もたれのない木の椅子に座っている。
キキカイカイはというと、わたしと差し向かいになるかたちで、自分のオフィス用の椅子に座っている。
「バツイチ連れ子のある者同士の再婚か。お姉さんが出来たんだっけ?」
「そうです」
「お母さんのほうは、事業の切り盛りで忙しく、いまは独身」
「そうです」
「うまくいってないわけじゃないんだろう」
「どっちがですか」
「いまの君の家」
「絵に描いたように順調です」
「お母さんのほうも、絵に描いたように順調だな」
「そうです」
「………」
「………」

そうなのだ。
どう見ても、わたしは恵まれている。経済的にもそうだし、家庭運だって、悪くないはずなのだ。
たしかに親は離婚したけど、再婚してあたらしくできたお母さんはいい人だし、お姉さんは、ちょっと怖いけど、まだ馴染めないだけだと思う。
学校でだって、友だちが出来ないことを除けば、成績だって悪くないし、いじめられているわけでもない。
なのに、なんだってこんなに息苦しく感じるのか、だれと顔を合わせていても、違和感をおぼえてしまってイライラするのか、それがわからない。

言いたいことはあると思うのに、だれのまえに立っても、いざとなると言葉がでない。
言葉が出ない理由はわかっている。怖いのだ。
またいじめられていたときみたいに、すべてを否定されてしまったら、どうしようと思うと、足が竦んで、なにもできなくなる。

「お互い、いろいろあるみたいだな」
などと、キキカイカイは言いながら、ため息をついてみせる。
「昨日、たまたまだったんだが、中庭で君の様子を見てた」
「なんでですか」
「理系教科がものすごく強い生徒がいるって聞いていたから、どんな子かなと」
「はあ」
「見て、もしかしてと思ったが、あんまりクラスでうまく行ってないみたいだな」

どうして判ったんだろう。
でも、それを尋ねるのが怖かった。
だれが見ても浮いているように見えるのだったら、明日から教室に行く自信がなくなってしまう。

「すごく無理しているな、というのが、態度や言動のぜんぶに出ている。見てて、痛々しいくらいだ」
「イタイですか、そうですか」
「いや、『イタイ』じゃなくて、『痛々しい』だぞ、微妙にそこはちがうから」
そうかなあ。
「言いたいこともちゃんといえないで、嫌なことを押し付けられても笑顔を作って、それじゃあ、疲れるだろう。
家でもそんなふうにしているんじゃないのか」

わたしは黙り込んだ。
教えるのがイヤだったんじゃなくて、家のこと、母のこと、クラスでのこと、すべてを話してしまったら、自分がどれだけ孤独なのか、具体的になりすぎるのが怖かった。
多少、嫌な思いをしても、なんとなく知らないフリをして、平和にやり過ごせる、いまのままのほうがいい。
それから、わたしは黙り込んだままで、すこしずつぬるくなっていく、カモミールティーを飲みつづけた。

「ほら」
化学準備室から出て行くとき、キキカイカイが、わたしに差し出したものがある。
昨日、中庭でひろった、指輪だった。
「今日の俺の妹のことは、誰にも言わないでいてほしい」
「はい」
守るとも。
「これは口止め料だから」
ちょっと待て。
「これ、本物なんですよね?」
「本物のほうが、口止め料として効果があるだろう」
「そういう問題でしょうか」
「それは担保として預かっていてくれ。質に流すなよ」

うーん、もしかして、泣かしてしまった、ってこと、かなり気にしているのかな? 
だったら、謝ってくれたし、カモミールティーも奢ってくれたし、そんなに気に病まなくていいのに。
そもそも、わたしが嘘をついたのがいけないんだよ。
キキカイカイ、けっこういいやつかもしれない。
指輪。
これは、大事に預かっておこう。

5へつづく
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