B.B.の世界
2
正直なところ、『劇に出る友達とはだれだ』と問い詰められなくてよかった、と思う。
答えられなかっただろうから、すぐに嘘だってばれたはずだ。
大丈夫だろうとは思ったけど、キキカイカイは追いかけてこなかった。
裏門からダッシュして、旧市街の石畳の坂を駆け下りる。
このあたりは陸上部の練習コースにもなっている場所だ。
昔ながらのお屋敷町で、雨咲一帯をおさめていたお殿様のお屋敷(現代議士のお屋敷でもあるわけ)や、その親戚のお屋敷、ご家来衆のお屋敷なんかがつながっている。
このあたりの家に入ったことはないけれど、隣のクラスに、このお屋敷の子供なんかもいる。
わたしも地元の人間だけれど、あいにくと、ご先祖はそれほど派手な人たちではなくて、ごくごくふつうのお百姓さんだったそうだ。
うちの家が大きくなったのは、ほんとうにそれこそ戦後からの話で、祖父が豆問屋を興したのがはじまり。
その後、うちの父が外食産業ブームに乗って、国道沿いにファミリーレストラン形式の低価格高品質な珈琲ショップをはじめたのが大当たり。
C県を中心に国道沿いにチェーン店を展開して、バブルがはじけたあとも、まあまあ事業を維持している。
最初は『珈琲家TABATA』なる地味な名前だったのだが、いまは『らいおん珈琲』に社名を変更。
まー、あんまり変わらない気もするけれど。
ちなみに、なんでライオンかというと、うちの一家のしし座含有率がやたらと高いから。
父もしし座で、わたしもしし座。でもって、義母もしし座で、義母のお父さんという人もしし座だったそうだ。
ちなみにわたしの名前の『理音(りおん)』は、獅子、つまり『LION』からきている。
占い好きだった祖父がつけた名前なのだ。
そんなわけで、うちの父は、いちおう、社長である。
で、わたしは社長令嬢というわけだけれど、その肩書きから想像されるほどに裕福ではない。
たしかにガレージに停まっている車は外車だったりするわけだけれど、それだって、
『いい物を持っていないと、投資先に、この会社は大丈夫だろうかと不安にさせるから』
という理由からである。
家に入ってみれば、けっこうふつう。
だいたい、おととしに新築したこの家だって、二十年ローンだ。そのあいだに会社が傾かないといいけど。
家に帰ってみると、義姉も大学から戻ってきていた。義母は専業主婦なので、ほとんど家にいるから、まあ、これはいつものとおり。
海外ドラマに登場する、『玄関開けたら、すぐに吹き抜けのひろいリビング』という間取りにあこがれた父が、そのまんまのとおりに作ったため、玄関を開けて、そのまま黙って自分の家に直行する、ということができないのが難点。
というより、だれにも会わないことをいいことに、わたしが引きこもらないようにするための対策だったのかな。
わたしが顔を出すと、義姉とソファで歓談していた義母は、ちょうどいい、といいながら、わたしを手招きした。
父が再婚したのがおととし。
つまり、この家は、再婚記念にあらたに建て直したものである。
元の家は祖父が建てた、いかにもお屋敷、といった感じの古めかしい建物だった。
厳格な感じがよかったのだけれど、古かったので、どこからか隙間風が入ってきて、寒かった。
父としては、あたらしく迎える奥さんと、そしてあたらしく自分の娘になる人には、なるべく穏やかに暮らして欲しかったのだろう。
ストレスがないほうが、継子となるわたしに対しても、余裕を持って接することができるものね。
父は、そういう気遣いを、細かく出来る人なのだ。
だから、元妻に逃げられた、わずか半年後に、すぐに次の相手を見つけられたわけであるが。
あたらしいお母さんの名前は枝理、という。
料理上手で、趣味はお菓子作りと裁縫、最近はフラワーアレンジメント。
優しいし、いいひとだと思う。美人だしね。
で、ソファにいて、ぼそりとあたしに
「おかえりー」
と元気なくいう、この太いフレームの眼鏡が特徴のおかっぱの女子大生が、お母さんの実子で、わたしの義姉で、名前は毬子。
名前は可愛いんだけど、見た目は怖い。
ついでにちょっと性格もキツイ。
現在、十九歳。現役で国立大の文学部に合格した。わたしとはちがって、文系なお姉さんである。
お母さんにはあんまり似ていない。
特にスポーツをやっていたことはないというけど、体つきはがっしりしていて、強面だ。
お姉さんが十三歳のときに離婚したという、実のお父さんのほうに似た、らしい。
「リッちゃん、クリスマスなんだけどねぇ」
と、お母さんは言って、わたしに、向かいに座るようにすすめた。
モネの睡蓮をそのままプリントしたソファの向かいには、母の趣味であるアンティークのテーブルがあって、そのうえに、華奢な大皿にのせられた手焼きのクッキーが鎮座ましましている。
おあがんなさい、といわれるまで、手をつけない。
そうしないと、お姉さんが睨んでくるんだな。
「あと一ヶ月もないわよね、早いわよね。でね、プレゼントなんだけどね」
言いながら、お母さんは、可愛いブーケの透かしの入ったピンクの長封筒を、わたしのほうに差し出してきた。
「リッちゃんの好きなものってわからないし、好みじゃないものをもらっても嬉しくないかなって思ってね、それで、ちょっと早いけど、これ、あたしと、マリからプレゼント。これで好きなものを買ってね」
毬子お姉さんは、大学のお友だちと一緒に、デパートの地下で売り子のバイトをしている。
そのお姉さんのバイト代も、このなかに入っているのだろう。
見た感じ、封筒の中身は3万円、くらいかな?
ちょっと多すぎやしませんか。ありがたいけど。
「ありがとうございます。大事につかいますね」
とは言ったけど、いや、ほんとうにありがたいんだけど、好きなものがわからないっていうんなら、聞いてほしかったな。
安物でも、そっちのほうがうれしいのに。
「それと、今日は、あちらに顔を出してきますんで、夕飯のほうは」
いりません、と言うのを、お母さんは、お母さんなりに、説明させるのが気の毒だと思っているのだろう、あわてて手を振って、言う。
「いいの、いいの、わかっているから。帰りは何時になってもいいわよ。タクシー代、用意して待っているからね」
うーん、そこまで遅くならないと思うよ。
向こうは忙しいからなあ。
と、そういう軽口が言えない。
お姉さんはちょっと怖いけど、悪い人じゃないことはわかっている。
お母さんもいい人で、いつもわたしに気を遣ってくれている。
焼きたての厚手のクッキーをもそもそ食べながら(美味しいんだけど)、わたしは、突発的な息苦しさにおそわれる。
双方、連れ子のいる者同士の再婚。
うまくいかない例なんて山ほどある。
シンデレラとかの例を引かなくったって、継子いじめなんてのもよくある話だ。
それに比べれば、うちは、とても幸福なのだと思う。
血が繋がっていようと、殺人に発展するほど憎み合っている家だってあるわけだしね。極端かな。
「どこで食事すんの」
と、新聞をめくりながら、めずらしくお姉さんが話しかけてくれた。
「メトロポリタンホテルのフレンチだって言ってた」
「あ、そ。あそこ、パンがおいしいよ。選ぶときは、ライスよりパンにしな」
「行ったことあるの」
「ちょっとだけ」
それ以上はお姉さんは言わなかった。
えーと、こういうとき、いつ行ったの、とか、つっこむべき?
それとも、お話をお開きにするべき?
わたしがまだ余裕があるのに、早く家に帰らなくちゃと焦っていた原因は、ここにある。
義母と義姉の相手に、どれだけ時間が取られるか、予想がつかないからだ。
自分の家なんだから、好きなようにすればいいじゃん、って?
そうはいかない。
義母は、わたしが次に何をするか、懸命に先を読んで、『はい、準備できました!』ってやりたい人で、わたしはその期待を裏切りたくない、とか思っているし、義姉は義姉で、いまいち何を考えているかわからない。
でもって、この二人とうまくやることが、父の幸せでもあるわけだから、わたしも気を遣うというものですよ。
あとは、ほんとうに、にこやかながらも、よそよそしい話をすこしして、わたしはやっと解放された。
さーて、着替えてデートの準備だな。
デートの相手は、とても流行に敏感。
一方のわたしは、流行に鈍感。
着ていく服は、そのデート相手が選んでくれた、いまどきの、ディティールに凝りまくった可愛らしい服である。
わたしはもっとシンプルなほうが好きなんだけど、外から見たわたしのイメージは、フリルとか、ピンクとか、テディベアだったり、キティちゃんだったりするらしい。
まあ、そういうキャラを自分で作ったわけだけなんで、文句もいえない。
家を出るころには暗くなっていたけど、お母さんは門まで送り出してくれた。
そこまでしてくれる行き届いた人なわけだけど、
「あちらによろしく」
とは言わなかった。
快速に乗って15分。
待ち合わせ場所にしていたラウンジには、やはりデートの相手はいなかった。
いっつも待たされるんだよなー。
そして、仕事があ、と言いわけにするんだよ。
お察しのとおり、このデートの相手は、異性じゃない。母だ。
わたしの産みの親は中ノ島祥香という。
最近、なんでかバラエティ番組にも顔をだすこともある、カルチャー教室の講師兼社長である。
たしかに華のある美人だと、娘から見ても思う。
元客室乗務員で、OL向けのマナー本やブログなんかを書いているうちに、教室も開くようになって、判りやすいということで人気になって、とうとう女性向けカルチャー教室の経営を主体とする事業を立ち上げた。
じつに『今時』のひとである。
ちなみに、事業を起こしたのは、離婚をする前だ。
なんだか完璧な女性のように世間では振る舞っているが、娘のわたしは知っている。
この人には、いろいろとダメなところがあるのだ。
待ち合わせから30分過ぎて、ようやく母はあらわれた。
仕事帰りだということだが、レストランに行く、ということで、地味なパンツスタイルのスーツの上から、洒落た柄のスカーフを巻いてアクセントをつけている。
ダメなところ、その1。時間に超ルーズ。
授業参観や三者面談にも、かならず遅刻してきた勇なのだ。
それが原因で、夫婦喧嘩をしていたこともあったけねぇ。
で、いつもの言い訳がこれ↓
「ごめんねー、仕事が切り上げられなくてー」
よくこんなんで事業をつづけられているなあと思う。
この人の秘書って、ものすごく苦労してるだろうな。
毬子お姉さんのアドバイスとおり、ライスかパン、と問われて、パンにした。
正解だった。
出てきたフランスパンはとても香ばしくておいしい。
パンってお土産にできないかな。
これ買っていったら、ちょっとは距離が縮まらないだろうか。
「焼き立てだから美味しいのよ。持って帰るうちに硬くなっちゃうから、ダメダメ」
と、母。
「それより駅前のドンクのフランスパンのほうが、よっぽど柔らかいわよ、きっと。そっちにしなさい、ね」
ダメなところ、その2。微妙に外れているピント。
お姉さんが教えてくれて美味しかったものを買って贈る、というところに意味があるのであって、いつでも買える駅前のパンなんて価値ないじゃん。
そういうところが、母にはわからないんだよなあ。
とはいっても、華のある人だと思う。
TVに出たりしているから、ほかのレストランのお客さんが、こっちを見て、ひそひそ話をしたりしている。
まあ、このレストランのなかでも、ひときわ声が大きいから注目を浴びている、ということもあるのかもしれない。
母のダメなところ、その3は、イマイチ読めてない空気、だ。
そういうズレたキャラをTVじゃいじられているそうだ。
とてもじゃないけど、見ていられないので、一度も見たことがない。
おかげで最近はうちはNHKか教育TVばかり見ている。
絶対に母が出てこない局が、その二局しかないからだ。
ケーブルTVは安全だろうと思っていたら、通販番組に出てきたことがあって、以来、TVといえばNHK。
好きな番組は生活笑百科です。
「どお、あたらしいお母さんやお姉さんとは、うまくやってる?」
「うん、そこそこだけど…」
「そう、よかったわねー。ママのほうは大変よー」
「わたしもいろいろ…」
「ワインは何にしようかなー。リッちゃん、ノンアルコールカクテルに挑戦してみる?」
「えと、コーヒーのほうが」
「でね、リッちゃん、聞いて! このあいだ、常務さんがあたらしい教室を開こうって言い出したって言ったっけ。それでね、会議をしたんだけどね」
母の決定的にダメなところ、その4。人の話を聞いてない。
というか、聞くつもりがさらさらない。
悪気はない。けど、話相手としては最悪だと思う。一方的に話を聞かなくちゃいけないのって、けっこうつらい。
まあ、この『わたしを見て!』というエネルギーが、事業の成功の元になったんだろうけど、なんというか、会うたびに、疲れてしまうんだな。
わたしの話って、だあれも聞いてくれないんだなあ、とか思えてしまえて。