七夕フェスタ第二弾 Guiさまからのリクエスト

或る備忘録

陳叔至 記す

襄陽から主公の連れてこられた諸葛孔明というお方は、名前も代わっているが、面貌もたいそう変われておる。
なにが、といえば、美麗すぎる、というところであろうか。
美麗といっても、うちの女房もたいしたものだが(これは手前味噌でもなんでもなく)、あの軍師の美しさというのは、ほかに類例がないものだ。
美しい、というと、たとえば、身体の形が美しいとか、内側からにじみ出る表情の豊かさゆえに、平凡な顔立ちでも美しく見えるとか、もともと目鼻立ちが整っていて美しいとか、いろいろあるのだと思うが、この青年、全部あてはまる。
しかも、本当に霞でも食べているのではなかろうか、という具合に生活臭がないため、神秘的な印象もある。
まあ、口から出る言葉は辛辣きわまりなく、やたら現実的で、がっかりするほどなのだが、外見は美麗であることにはまちがいあるまい。
美麗であれば、さぞかし女官どもが黙っておらぬであろうな、と思えば、そうでもなく、
「あれだけ綺麗だと近づきがたい」
「私たちなぞ、相手にすらしてくださらないでしょう」
ということで、人気の点では、いまひとつのようだ。意外にも、人当たりはよいそうなのだが。

将兵たちにも、ウチから持ってきた、女房手製の餅(わが女房は『エサ』と露骨に呼んでおるが)を振る舞いつつ、本音を聞きだしたところ、あたらしい軍師についての評判は、やはり、いまひとつ。
「顔が綺麗なのがなんの役に立つ。役者にでもなっておれ」
というのが大方のもの。
「世には断袖の者も多いようだが、あれは相手にされまいよ。女のようでありすぎるからな」
さまざまな声のなかでも、これは意外な意見であったので(気の毒であるから情報提供者の名は伏せておく)、さらに餅をやって、くわしく聞き出したところ、
「よいか、断袖の者に人気があるのは、女のように美麗な者ではない。あくまで『男らしさ』がそこになければならぬのだ。『男としての美しさのある者』。これが、一番人気がある。
軍師のように、『男だか女だか、わけがわからん』というのはダメだ。イマイチだ。あれなら女と代わらぬ。面白味がない。あれとお前となら、お前のほうが、人気があるだろうよ」
と、ここでわたしはあわてて逃げ出そうとしたが、件(くだん)の情報提供者は、けらけらと人の悪い笑顔を見せて、言った。
「すまぬ、すまぬ、冗談ぞ。そうさな、断袖の者のもっとも好む係累は、趙子龍であろう。あれはよいな。体つきの素晴らしさ、凛々しい風貌、男らしい重々しい口調に低音のよく響く声、大将然とした落ち着き。ああいう男らしい男こそが『もてる』。
軍師が、まだ十四前後の稚児というのであれば、また特殊な趣味の連中にもてはやされようが、あいにくと年が行き過ぎておる。だから、『ダメ』」
と、軍師は、ほうぼうで、ダメ出しをされているようだ。

それにしても、趙将軍が、それほど人気者であったとは知らなんだ。
おのれの身の危機を知ってか知らずか、あの方は一人でいることが多いのであろうか。
ともかく趙将軍、貞操の危機。
いやいや、趙将軍のことよりも軍師である。
どうしたわけか、軍師は、今日はめずらしく兵舎に入り浸り、ひとりでなにやらあちこち動き回っている様子。
視察、ということなのであろうか。お節介の親父さん(糜竺)がやってきて、頼まれもしないのに仔細にわたり、あちこちを案内をしているようだ。
ここの柱は腐りかけている、とか、床に穴が開いている、とか、最近の大がかりな徴兵により、兵舎の卓が足りないので、食事の順番待ちで、兵卒たちの不満が募っている、とか。
孔明は、それをひとつひとつ聞いて(しかしお節介親父の報告を記帳しているのは、孫乾どのなのであるが)うなずいて、立ち止まって兵卒たちの談笑に耳をかたむけたり、武器の手入れの仕方をじっと見学したり、馬の調練を小一時間にわたり見つめていたり、あるいはなにをするでもなく、てきとうに座って、じっと人の流れを見たりしている。
しまいには、兵舎の食堂へやってきて、兵卒たちと一緒に配給の列にならび、すいとんをすすりはじめた。
さぼりか? さぼりなのか?

諸葛孔明、記す

先日より主公に言いつけられた主騎の件であるが、例の、妙に名前の立派な主騎が、生意気にも辞めるのをいやだ、といったので、なんとか辞める方向に持っていくべく、理由を探っているのであるが、どうにも見つからぬ。
趙子龍という、覚えやすい名前の男だ。

徐庶から聞いたところによれば、貴賎入り混じった雑多な劉備陣営のなかでも、糜氏には劣りはするけれど、趙子龍というのは、常山真定の、そこそこに名前のとおった家の末子であったという。
なるほど、当初、名前を聞いたときは、粋がったヤクザ者が、格好のいい名前を適当につけて威張っている類いかと思ったが、来歴を聞けば、品があるような、ないような…いや、正直にいえば、かなり良いほうであろう。
徐庶も男ぶりの良いほうであったが、世の中には、美形、という言葉がぴったり納まる男もいるものなのだな。
体つきといい、甘い顔立ちはしているものの、眼光が鋭いので舐められることもなさそうだし(下手に絡めば、気づくとあの世に行っていそうだ)、背も私よりすこし高いくらいか。
それでいて武芸達者で、文字も読めれば、四書五経も納めているとなれば、完璧ではないか。
なんで普通の将軍なんぞやっているのだ。
徐庶が言っていたことであるが、ずいぶん人付き合いの悪い、愛想のない男だということだ。
人格的問題か。生真面目そうに見えるが、ああいうのに限って、女遊びが派手に決まっている。
ああいう、一見して真面目で、女の扱いが苦手そうな男のほうがもてるのだ。
そうに決まっている。そう決めた。
さらに聞けば、城外に屋敷を構えることもなく、兵舎の一室をおのれの家として主公より拝領しているとか。
わたしより五つ年上のはずであるが、いまだ妻子もない、という。
戦乱で亡くした、ということでもないようだ。
あまり家庭的なことに興味がない、変わり者なのだ、と主公が教えてくださったが、思うに、女関係が派手すぎて、整理しきれず、いままで、ずるずるときたのではなかろうか。
あの顔だもの。そうに決まっている。
ふむ、女関係で揉めて、周囲といざこざがあり、それでも主公の元を離れがたく、七年にわたり、ずっと新野に留まっている向きか?
なるほど、そのあたりを突いて、主公にご報告申し上げ、主騎の撤回をお願いしよう。

ところで、さきほどから、趙子龍のうしろでちょろちょろしている、あの男は何者なのであろう。
覚えにくい顔だな。次にあったときに覚えていられるであろうか。
なにやら、こちらをチラチラ見ているようだが??

それにしても、兵舎の食事という者はひどいものだ。
これはすいとん? 
粉が練りこまれていないし、消化不良で腹を壊してしまうぞ。
たしかにすいとんは、兵卒が用を足す回数が減るので、行軍時に便利であろうが、いまは戦中ではないのだ。精神衛生上よろしくない。
ふむ、見回りもよいものだな。
趙子龍もいるようだ。例のおぼえにくい顔の男と一緒に。
ほかの将軍たちが、兵士とは別に食事を摂っているのに、あの男は兵卒といっしょになって、食堂にやってきて、肩を並べて、おなじ食事を摂っている。
しかし、打ち解けているという様子もないし、自分から話しかけている、というふうでもない。
周囲もその存在に慣れているのか、ふつうに過ごしているが、わたしのように、たまに顔を出すものからみれば、浮いた男だな。
これだけ男がうようよいるなかで、八尺の男というのはあまりいないし、服装が粗末なくせして容姿が立派だから、小山の連なりに、いきなり高い山がぽんとある、というふうだ。

そう、服装の趣味もよろしくない。
なんだ、あの白い服。官給品と見た。将軍職にあるならば、それなりに色のしっかりした服を着ればよいものを。頓着しない性質なのだな。
そうか、ほかの将軍は、みな妻子持ちであるから、たとえ本人にその気がなくても見栄でよい着物を着せているが、妻子もちでないあの男は、気の毒に、ああいう、何も考えないで良い服に袖を通すしかないわけか。
白は似合わないわけではないが、あの男自体、色が白いほうなので、見栄えがよろしくない。
うむ、わたしであれば、あの男に浅葱色などの淡い衣を着せるであろうな。
とはいえ、そんなのは、あの男の周りにいるであろう、女たちの考えることで、わたしの考えることではないが。

嗚呼、それにしてもなんて不味い食事だ。それでも兵卒たちは嬉しそうに食べているな。
なに、わたしの口に合わないだろう、だと?
合わないに決まっている。おまえたちはどうして平気なのだ。
平気じゃない? じゃあ、なぜ黙っている。
ふむ、料理番の男が、糜芳のコネで雇われている男で、文句をつけると肉包丁を持って追いかけてくる、だと? 
それはいかん。わたしから、食事の改善を推し進めてやろうではないか。
それでもまだ食事内容が変わっていなかったら、そいつはクビで、新野でいちばん料理の上手い料理人を探してきてやろう。
食事は人生の最重要事項だからな。
士気にもかかわることであるし。
……兵卒たちがこれだけ喜ぶ、ということは、よほど我慢を重ねていたのだな。よいことをした。

おや、いま、あの男がこちらを見ていなかったか? 気のせいか。
まあ、この食事に我慢できるほどの男、ということだ。
やはり愚鈍でやる気がないのであろう。
主騎は解任していただこう。絶対に。


陳叔至、記す

まだあの軍師は兵舎をウロウロしており、まあ、全体によい緊張感が走っているため、兵卒どもを統率する側としては、たいへんよろしいところであるが、落ち着かないというのも事実である。
しかしどうしたわけか、食事の改良を申し出たあたりから、兵卒たちのあいだでは、人気急上昇。妙に愛想よく、軍師に挨拶する者もちらほら出始めた。
たしかに仕事は早いな。
兵舎からいなくなった、と思ったら、料理番のところへ行って、激しくやりあったあと、夜の食事は皇帝が食べても美味いというものを出せ、と命令してきた。
それで兵卒たちは大喜びなのだ。
うまい食事にありつけるから、というのではない。
まあ、それもあるが、連中がよろこんでいるのは、糜芳のコネだといって怠慢にも威張りくさり、まともな仕事をしてこなかった料理番を、軍師がやりこめたことであろう。
いくら新野一の人格者、糜竺の弟糜芳のコネであろうと、主公の寵愛を一身にあつめる軍師には、かなうまい、というわけだ。

めずらしいことに、おおはしゃぎする兵卒たちを見て、趙将軍が、口に笑みを浮かべて、楽しそうにしていた。
つまり、やはり同じように、してやったり、と思っていた、ということか。
糜芳と趙将軍、どういうわけか仲が悪いからな。
いや、あれは糜芳の一方的な嫉妬だと、わたしは睨んでいるのだが。
たしかにうちの将軍、顔もよければ性格もよし、口は重たいが男気があるし、律義者で愚痴のひとつも言わないし、面倒見は意外とよいし、わりと話もわかる。
ただし、なぜだかヨメがいないのが、新野の七不思議のひとつなのだが。

それはともかく、あの軍師は、毎日、何着の着物を変えているのだろう。
更衣のたびに着物を替えているようだ。
また替えてきたぞ。えらく派手な錦の帯を中心に、紺でまとめた衣裳だ。桔梗の花のように見えるのう。
金持ち、ということは聞いていたが、相当なものだ。
みたところ、いつも上等な絹の衣を纏っている。髪型まで替えてきて、着道楽もよいところだ。襄陽の人間というのは、そんなに趣味人ばっかりだったのか。
新野にはこういう種類の人間はいなかったな。
いや、待てよ。以前の軍師の徐庶どのは、きちんとした服装をされてはおられたが、着ていたものも、絹なんて滅多になかったし、羽目を外すときは、派手に外して、おおいに張将軍と盛り上がっていたからな。
でもって、次の日、やりすぎたといって、ものすごく落ち込んでいるのを見るのが、楽しかったりしたのだが。
お元気だろうか。お元気だと良いが。

おや、またも趙将軍が、軍師のほうを見ているぞ。
やはり気になるのであろうな。
軍師は、なんだって今日は、俺の周りをうろちょろしているのだ、と聞いてきた。
ああ、なるほど、軍師は、兵舎ではなく、趙将軍を見ているのか。合点した。
たしか趙将軍は、先だって、主公より軍師の主騎を拝命されたはず。それで軍師が、気を使って、自分が主騎のそばにいる??
いや、ちがうな。あの、なんだか尖がった目つきからして、趙将軍のアラ探しをして、自分の主騎を解任させたいらしい。
たしかに、わたしが思うに、趙将軍は、将軍としてはたいそうなお方だ。
孫子が説くところの大将の気風、すなわち、才知、威信、仁愛、勇気、威厳、すべて備えてらっしゃる(まだお若いから、関羽殿には負けるけれども)。
こんなところで埋もれていてよい人ではない。
だが、主騎となると、どうであろう。
わたしなぞは、前職が前職だけに、細作や主騎、というのは、給金はよいけれど、命がいくつあっても足りない、ろくでもない職業、という印象しかないのだがな。
趙将軍が主騎、というのはたしかに勿体無い。わたしからも、主公に進言さしあげるべきであろうか。
ああいう、着道楽と、うちの質実剛健な将軍の気性が、とてもかみ合うとは思えぬからな。
よし、ではそうするとしよう。
しかし、軍師のあの帯はカッコイイな…

諸葛孔明 記す

しかし兵卒と一口で言っても、大変なものだな。
わたしなんぞは徴兵されることのない身分であったから、朝は早くに起き出して、掃除をして、調練をしたあと食事、また調練、食事、昼寝、調練、食事、就寝、などという単調な生活には耐えられぬ。
しかもあの食事であるからな。
みなは調練場の中央に、でん、とある楠木の木陰に憩って昼寝をしたり、あるいはちょっとした日陰で、雑魚寝をしている。
もうすこし、みなの日よけになりそうな樹を増やしてやるべきかな……間に合わぬか。
曹操が、遅くとも年内には新野、いや、荊州に南下してくるのは確実だ。
呑気に植樹なんぞしている場合ではないのだ。

趙子龍はというと、みなが昼寝をしている間に、厩に行って、調練でつかった馬の調子をみてやっているらしい。
わたしも一緒にいって、覗いて見たのだが、おや、顔つきがちがうな。馬好きらしい。
なるほど、人間関係につかれて、馬に心の癒しを求めている、というわけか? 
馬のほうもずいぶんなついているようだ。趙子龍が顔を出すと、尾っぽをぶるりとふっている。
馬も笑うのだな。
というより、趙子龍も笑うのだな。
馬に噛まれて(おそらく馬は、毛づくろいをしてやっているつもりなのだろうけれど)笑ってたしなめている。
ふん、あれだけ男ぶりがよいと、わたしのような悩みはないだろうな。

これで背が八尺なかったら、下手をすれば宦官のような扱いを受けていたかもしれない、なんて悩みなんぞ、この男には無縁だろう。
女みたいに綺麗、なんてのは侮蔑の言葉で、絶対に誉め言葉などではない。ひとがどれだけ傷つくか、どうして世人はわかってくれぬのか…

もういっそ、こういう顔なのだから、仕方があるまいと、開き直ったのが、徐庶と出会ってからだったな。
嫌味でもなんでもなく、おまえ、せっかく綺麗な顔をしていて、みんなによい印象を与えることができるのだから、もっともっと、よい印象を与えるように努力すればよいではないか、と言われたのだ。
ああいわれてから、ようやく笑顔を自然に出せるようになった気がする。
それまでは、手段としての笑顔しか作れなかった。
ここで笑えば有利になるな、とか、そういう計算づくの笑顔だ。

いまもって人が恐ろしい。
徐庶や主公は敬愛しているが、人に対する恐ろしさがなくなったわけではない。
主公などは、夜っぴきわたしと軍略や、これからの陣の経営について、お話をされるが、なんとなく、わたしがヒトに触れられることを怖がっているのを、わかってらっしゃるようだ。
みるに、あの方は、わりとたやすくヒトの身体に触れて、それで親密さを高める手法をとられるようであるが、わたしにはそうしない。
助かるが、気を使って下さっているのだと思うと、心苦しさもある。
叔父上のことが、どうしても頭からはなれない。
あれから、わたしは一度だって、ほんとうに心から、だれかを信頼したことがあっただろうか?
目の前にいる人間が、突然に刀を抜いて、切りつけてこないと、どうして言い切れる?
身を守るために徐庶から剣を倣ったけれど、あれとて、もとの体力がなければ意味のないものだ。
何度か身体を鍛えようとしたことがあったけれど、方法がまずいのか、わたしの身体に、ふつうの男のように、筋肉がつくことがなかった。
ええ、いまいましい。
徐庶は、わたしのこの、男とも女ともつかぬ容姿が、やがて説客として、最強の武器になると言ったが、そうであろうか。
あの優しい男の、わたしに自信を与えるための、慰めではなかったか。
確かめようにも、本人はもう、遠い空の向こうなのだが…元気かな。

と、しまった、本来の目的を忘れて、考え事にはまっていた。
あの男がこちらに気づいたようだ。
それは気づいただろうな。はっきり向こうを見ていたのだから。
なにか言うかな、と思っていたが、趙子龍は関心がないのか、どうでもよいのか、馬の身体を洗い始めた。
馬が、きもちよさそうに、ぶるぶると鼻を鳴らしている。
しばらく見ていても、趙子龍はなにも言わず、ほかの厩番といっしょになって、順番に馬の身体を洗ってやっている。
本当に馬が好きなのだな。
でなければ、兵卒たちがぐったりと昼寝をして休んでいる合間に、馬の身体を洗うなんて、なかなかできるものじゃない。
自分だって、兵卒と一緒に調練をしていたし、一箇所にじっとしてたわけではなく、銅鑼にあわせて大音声でもって号令をかけながら、型の不味い兵卒に丁寧に指導もしていたし、あちこち動き回っていたから、相当つかれているはずだ。
それに、馬を洗うのも、なかなか重労働だぞ。

疲れを忘れるほどに馬が好きなのか? 
聞いてみようか。ああ、でもいまさらわざとらしいかな。
徐庶ならたぶん、わたしを見つけたなら、
「やってみるか」
と聞いてくるだろうが、この男はそういう社交性はないようだな。
そもそも、わたしに関心がないのだろう。
主騎の話も、むしろ、向こうから断ってくれたら話が早いのに。
さて、明日は河原の工事の視察もあるわけだし、わたしも眠くなってきた。
ちょっと調練場の日陰を借りて、昼寝でもしてこようかな。
今日の仕事は、糜子方さまが、すべて代行してくださるとおっしゃっていたし…あの人は、本当に親切なお方だ。

おや、その親切なお方の弟君が、なにやら剣呑な顔をして、こちらを手招いている。
あの弟のほうは、苦手だな。どうも言葉がきついし、妙にえらそうで。
とはいえ、これから志を共にする仲間なのだ、愛想よく。愛想よく。
と、ん? 後ろにいるのは料理番ではないか。
なるほど、料理番め、わたしに怒鳴られたことを恥じに思って、コネを総動員して仕返しにきたわけであるな。
ふん、武将ひとりに脅されて、怖じる諸葛孔明ではないぞ。昼寝の前に、ちょうどいい運動だ。
あの食事は不味い。事実を端的に言うだけでおわり。
さあ、行くぞ。



「叔至、そこいにた派手なの、どこ行った」
と、趙雲は、馬の身体を洗う手伝いを一緒にしていた陳到に尋ねた。
入り口のそばの柱に背をもたれさせて、じっとしていた孔明が、いつの間にかいなくなっている。
ちょっと代わっていてくれ、と陳到にいい、趙雲は外へ出て、孔明がどこへ行ったのかを確かめた。
すると、ほとんど半裸になって、ぐったりと、魚の干物みたいに床に並んで眠っている兵卒たちに混じって、壁に背をもたれさせ、すやすやと寝息をたてている、孔明の姿がすぐに見つかった。
厩の目と鼻の先であるし、ここで干物になっている連中は、見た目こそみっともないが、趙雲が、特に目をかけている精鋭たちである。
何事かあれば、孔明を守ることができるだろう。
事実、趙雲が足音を忍ばせて近づいたのにもかかわらず、眠っていた数名は目を覚まして、趙雲がなにをするのか、首だけ起こして、見守っている。

趙雲は、城の洗濯女が木陰に干していた布を一枚拝借し、すやすやと眠る孔明に、そっとかけてやった。
とりあえず、主騎は解任されているわけでもないし(辞めたくて仕方なかったけれど)、それまでは、守ってやらねばならぬ。仕事であるからな。
それにしても、文官不足の新野において、普段から相当に疲れているだろうに、慣れぬ兵舎のあちこちを回って、しかもこちらの観察までして、こいつは、自分をいじめるのが好きなのか?
ともかく、ここにいてくれる分には、馬を洗いながら、安心して見ていられる。
大人しくしてろよ、と心の中でつぶやきつつ、趙雲はふたたび厩に戻った。


ちょうど孔明は、夢を見ていた。
夢を見るくらいであるから、実際の眠りは浅いのである。神経がどこかで休まっていないのだ。
孔明は、たった一人、書庫で仕事をしていた。
見たこともないほど大部屋で、立派な卓がいくつも並べられているのであるが、部屋にいるのは孔明一人きりである。
なぜかというと、夢の中では、孔明以外の人間は、みんな病を得たり、家族に不幸があったりして、だれも出仕できなかったのだ。
であるから、仕方なく孔明は、ひとりで仕事をこなしている。
完全にひとりなので、かえって遠慮がない。
自由にできる。周囲を気にしなくてよいし、更衣だって…そうだ、毎回変えているが、これだけ人がいなければ、二回に一回くらいでよいか。

そうしてふと外に目をやると、趙子龍が馬と一緒に、庭につくねんとしているのであった。
何をしている、というわけでもなく、そこにいるのである。
変なヤツ、とおもったが、声をかけるにしても話題がない。
そうだ、もともとこの人と、まともに会話をしたことがないのだった、と孔明は気づいた。
こんなところにまで馬を連れてきて、よほど馬が好きにちがいない。そりゃあ、厩の馬のあの様子からすれば、相当なものだというのはわかるけれど。
そうか、ほかにはだれもいないのに、わたしの主騎ということだけで、あそこで待っていなければならないのだな。
気の毒だな。
帰ってよいよ、と言うべきだろうか。
その前に、なにか話したほうがよくないか。
せっかく待っていてくれるのだから。
でも、なにを? 
馬が好きか、って? 
好きだと答えられたら、そうですかで終わりになってしまうではないか。
さて、困った、なんと言おう。困った、困ったぞ…


陳叔至、記す

あきれたことに、あの軍師は、昼休みをすぎて、午後の調練のあの大音声のなかでも、ものともせず、ぐうぐうと眠っていた。
腹が立ったので、起こしてやろうとしたら、趙将軍は、そのままにしておいてやれ、という。
どうしたわけか、趙将軍は、朝の料理番の一件から、軍師について、よい印象を持つに至ったようである。
この人が胃袋で動く人だったとは、ちと意外だ。
自分のあら捜しをされている、とも知らないで、お気の毒な趙将軍。この方は人が好すぎる。
ここはわたしが、あえて、でしゃばるべきであろうか。
思案しているうちに、終業を告げる太鼓の、どん、という音が響いたので、わたしの思考はそこで打ち切りになった。

そうして寄り道もせずに愛妻のもとへ帰り、本日の顛末を聞かせる。
すると、わが賢き妻は、
「趙将軍がどのようなお考えか、聞いてもいないうちから、莫迦な真似をするのではありませぬ。主公が将軍を軍師の主騎に、決められたのでしょう。主公には主公のお考えがあり、郎君のでしゃばるところではありませぬ」
と言った。
なるほど、そうなの…かな?
では、明日、趙将軍のご意向を伺い、それから、もし言いにくい、というのであれば、わたしから、主公へ、主騎の件をお話しする、というのはどうであろう。
あの居眠り軍師に、主騎なぞ不要だ。
でも、下手に、こちらにお鉢が回ってこないようにしないといかんな…
そう言ったら、わが妻は
「そうせせこましい計算をなさるから、貴方様は器が小さいのです。すべて主公にお任せするべきでございますよ。だいたい、将軍のことはともかく、軍師のことをまだよく知らぬくせに、どうして新野の皆様がたは、あれこれと勝手な噂をなさるのですか。まこと、貴方様の器のちっぽけさがわかりますこと」
と言った。
相談するのではなかった。落ち込んできたぞ。
それはともかく、わが妻のいうとおり、面倒だから、もう軍師のことは趙将軍におまかせして、わたしは妻のつくった、世界一うまい料理を食すことにしようではないか。
兵舎の連中は、ちゃんとうまい料理にありつけたかな…ああ、おいしい。


諸葛孔明、記す

目が覚めたら、すでに太陽が西の空に隠れようとする頃であった。
冗談だろう。いままでずっと眠っていたのか。
そして、この布は、どこから飛んできたものだ? 誰かが掛けてくれたのだろうか。礼を言わねば…というより、これを掛けてもらったことに、わたしが気づかなかった? ありえるか?

そうしてもぞもぞしていると、ふと、隣にいる男にようやく気づいた。
なぜだか隣でつくねんと、まさに、いままでずっと見ていた夢のように(馬はいなかったけれど)一人で、なぜだか胡坐をかいて、武器の手入れをしているのである。
獣の油でもって、剣先を丁寧に磨いていた。
陽光を受けてぎらりと輝く刃は、それまでならば、凶悪さしかおぼえないものであったが、ふしぎとその日は、夕陽を形にしたように、美しいな、と思った。
わたしは誘われるようにして、口にしていた。
「武器の手入れは、毎日するものなのか」
「その暇があれば。今日は暇なほうだった。怪我人もなかったし。おそらく軍師が兵舎にいる、というので、兵卒どもが、ほどよく緊張して、粗相をしなかったせいだろう」
「そういうものなのか。あれだけの兵卒をまとめるのだ。将というのは大変なのだな」
「そうだ。単に号令を掛けていれば良いものではない。あんたや、主公の言葉を、どうやって上手に連中にわかりやすく伝えるかが、将の仕事だ。まるまる伝えたところで、現場の人間にはぴんとこない、ということがよくあるからな」
「そういうものなのか」

答えつつ、なんだ、普通にわたしは話をできているではないか、と思った。
夢のなかでは、なぜあれほどに困っていたのだろう。
いや、そうではない。
この男、とても喋りやすいのだ。
声の調子? 言葉の穏やかさ? それともなんであろう。
叔父にも徐庶にも似ていない。
けれど、よくわからぬが、安心する。
主騎だから、というわけでもない。
だからこそ、この男がほかならぬ剣を手にしていても、わたしはすこしも、恐ろしく感じないのだ。

「馬が好きなのか」
わたしは、夢の中で言おうとしていた言葉を口にした。
すると、趙子龍は、唇に静かな笑みを浮かべて、言った。
「まあ、好きなのだろうな。あいつらの面倒を見ていると、楽しい」
「どうして」
「どう、って…そうだな、あんたは書物を読むのがすきか?」
「あらためて、好きかと問われるのも妙だな。まあ、好きなのだろう」
「それと同じ感覚ではないのかな。俺は張飛や関羽みたいに、妓楼に繰り出して派手に遊んだり、酒を飲んで騒いだりするのが好きじゃない。
かといって叔至のように、まっすぐ帰るべき温かい家庭もない。だから、その分の力を馬に注いでいるのかもしれぬ」

妓楼に行かない?
それでは、昼間に推理した、女関係の整理がつかないので結婚しない、できない説は、破棄か?
そういえば、たしかにこの男が、酒臭くしていたり、白粉の匂いをさせていたり、夜更かしをしすぎて隈を作っていたところを見たことがないな。

「夜はいつも、何時くらいに眠る?」
探りを入れると、趙子龍は、不思議そうな顔をして、わたしを見た。
「あんたは?」
なぜわたしに質問が返ってくるのだ? 
奇妙に思いつつ、わたしは答えた。
「仕事が終わったら」
「では、そのあとだ」
「わたしに合わせているのか?」
「主騎だからな。あんたの部屋の明かりが見える位置に、部屋を変えてもらったばかりだし。あんた、ずいぶん夜が遅いくせに、今日のように日中、笠もかぶらずに動き回っていたら、倒れるぞ」
「今日は倒れたのではない」
「判っている。だが、よい休息になったのではないか。熟睡していたようだ」
「そうでもない。夢を見ていたよ」
「どんな」
「仕事の夢」
真面目だな、とつぶやきつつ、趙子龍は、声をたてて笑った。
そして、最後の仕上げに、絹の布で刀身を拭ききると、鞘におさめた。
胡坐をやめて、わたしのほうに軽く向き直る。
「食事な、あんたが料理番に怒鳴ったのが利いたらしくて、ずいぶんまともなものが出てくるようになったといって、兵卒たちが大喜びしていた。みなに代わって礼を言う。ありがとう」
びっくりした。
この男がこんなに素直に礼を言う男だとは。
徐庶は人付き合いは悪い、といったが、人が悪い、とは言っていなかったな。
「ああ、あれか。あれは、ひどすぎたから」
「ついでに俺からも礼だ。すまなかったな」
「なぜ」
「さっき、糜芳に呼び出されて、怒鳴り合ったので、疲れてしまったのだろう。糜芳は、なぜか俺に対して、よい感情を持っていない。だから、料理番のことにかこつけて、あいつが出てきて、俺の守るあんたに、八つ当たりをしたのだ。だから、すまなかった」
「そうだったのか? どちらにしろ、完勝確実な論戦であったから、おもしろくともなんともなかったが」
いや、実際はかなり神経を使って疲れた。
糜芳がただの猪武者なら遠慮しなかったが、あの親切な糜子方さまの弟、というところが障壁だった。まあ、うまくやったほうだとは思うが。
「完勝確実、か」
明るく笑いながら、趙子龍は立ち上がると、わたしに手を差し伸べてきた。
普段であれば、誰の手であろうと手を取る…つまりは身体に触れることをためらうのに、わたしは、なんのためらいもなく、その手を取って、ともに立ち上がっていた。
「食事、あんたの分は残させて置いたから」
「そうか、ありがとう」
趙子龍は、わたしに背を向けて、先に歩き出した。
ふと、夢の中で見た背中と一緒だな、と思った。あのときは声をかけそびれたが。
「あなたは? あなたもまだなのだろう? ならば、共に食べよう。だれかと一緒というのが、あまりいやでなければだが」
わたしは、自身の言葉に、いささかうろたえつつも、そう言った。
こんなふうに、だれかと一緒に行動を共にすることを誘ったことなど、ない。
誘われることはあったけれど、たいがい一人がよかった。
一人のほうが気が楽で、気を遣わずにすんで、傷つかないからだ。
それなのに、なぜこんなことを言ってしまったのかな、と自分を不思議に思っていると、趙子龍は、俺は、あんたの主騎だからな、と言って、そのまま、わたしの歩幅に合わせて連れ立って夕闇のなかを歩き始めた。

わたしは、今日いちにち、なんのためにこの男のまわりをうろうろしていたのだっけ? 
忘れたな。
いや、本当は忘れていないが、忘れたことにしてしまおう。
なぜだか、そうしたほうがいいような気がするからだ。
さあ、食事は、ほんとうに美味しくなっているであろうか。美味しいといいのだが。

ヲワリ

※Guiさまに戴きました七夕リクエストでした。趙雲をつぶさに観察する孔明、というテーマでした。話が単調にならないよう、構成に気をつけたつもりですが、如何でしょうか? 「ほっかむり」などというふざけた仮タイトルをつけておりましたので、ギャグ?と思われていたかもしれませんが、シリアス…ともちがうほのぼのしたお話となりました。
またリクエストをいただけたら、と思います。ご読了どうもありがとうございました(^^ゞ

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