藍の儀礼
エピローグ
「さて、なんでもできる男は、やっぱり莫迦ではなかったから、すごくよいことに気がついた。
人ではない者に恋したからといって、そこになにも生まれないというのは間違っている。
とても聡明な龍は、男の言うことを、それはそれは真剣に聞いた。人間の言葉がめずらしかったのだ。
それに、なんでもできる男の言葉だけに、発言も的確で、とても参考になった。
龍は男の言うことをよく実行した。龍のやることは、たいがいの人間に感謝されることだった。
それを見て、男は思ったのだ。
何も生み出さないなどということは、ないではないか。こうして二人で一緒にいれば、世の中はどんどんよくなっている。
それは自分たちばかりではなく、ほかの者にとっても幸福なことではないかと。
ま、要するにうまい理由をつけて、開き直ったと言えなくもない。
男は『こんなものだ』と諦めるのをやめて、これからもずっと、龍を真剣に愛することにした。
龍のほうも律義者だったから、男の心によく応えて、誠実に尽くした。
純粋な誠実ささえあれば、だれも不幸せにならない。この恋はきっとうまくいくだろう。
そう結論して、いまでもたぶん、幸せに暮らしている」
偉度が話し終わると、銀輪と下のふたりの妹たちは、おおー、と歓声をあげて、ぱちぱちと拍手をした。
そして言う。
「やればできるじゃん、偉度さん。さいしょからそういうおはなしにすればよかったのに」
「ほんと、ほんと、みなおした」
「偉度さんは、やればできるこだったんだね」
「……ありがとうよ」
微妙にうれしくないのは、気のせいか?
雪がまた降ってきたため、偉度は左将軍府より出向して、陳家の雪かき作業に当たっている。
というのも、孔明は、はっきりと口に出さないが、どうもいまはあまり随行してほしくなさそうなのが見てとれたため、自ら志願したのである。
陳到が嫌がるかと思いきや、意外とこれはあっさりと了承を得られた。
偉度は孔明の警護をほかの者に任せることにした。
もちろん、みな、王聖文の失敗を見ているので、とても慎重になっており、当面の心配はない。
趙家の家令のくせものの爺さんが、変に邪魔をしていなければ、の話だが。
陳到の腰痛は、なかなかよくならないらしく、宮城に通うのも、騎馬ではなく馬車である。
それもよそ様から借りてきたもので、賃貸料がかさむといって、雪かきをおえた偉度をつかまえては、晩酌をしながら、家計について、ぐちぐちと文句をこぼす。
そんな陳到のせいで、偉度も帰宅するのが面倒になって、ついつい泊り込んでしまう。
これで連泊三日目である。
左将軍府の噂好きが、いろいろと面白おかしく噂を流し始めているのも気がついていたが、いまは放っておくことにした。
火鉢をまえにして、宿題になっていた『おとぎ話』がめでたしめでたしで終わると、娘たちは満足したようだ。
手のひらを火鉢にかざしながら、姉妹同士でこんなことを話し合っている。
「やっぱり、せちがらいよのなか、ものがたりくらいは、めでたしめでたしでおわらないと、やってられないよね」
「そうそう、じんせいには、こうしんりょうのように、ゆめがなくっちゃ、ぜつぼうばかりになってしまうもの」
銀輪の妹たちは、まだ十歳にもなってない。
なのに、このこまっしゃくれた口の利きよう。
だれの影響だ?
「偉度さん、父上はもうすこしで帰ってくるけれど、今日も泊まっていくのでしょ?」
と、銀輪がうれしそうに尋ねてきた。
さて、こいつは嫁入りにもっとも近い年なわけで、もっとも噂の対象になる立場にいるわけだが、困っていないのかな、と偉度は思う。
銀輪は、見た目よりずっと幼い。
なついてくれてはいるが、恋愛感情ではないだろうということは、偉度は見破っていた。
だが周囲はそう思っていないのだ。
どいつもこいつも、観察力が足りぬぞ、観察力が。
それにしても、誰の思惑か知らないが、ずぶずぶとあり地獄のように陳家の人間になりつつある自分が怖い。
いかん、その思惑には乗らぬぞ、わたしは軍師のように、趙将軍のように、独り身を通すと決めているのであるからして……
「はっ!」
「どうしたの?」
銀輪に気づかわれつつ、偉度は、するどい視線を感じ、あわてて振り返った。
この刺すような、油断のない目線。
同業か?
振り返ると、柱の影から、こちらを慎重に、油断なく観察していた女と目があった。
銀輪の母である。
銀輪の母は、眼があうと、怖じることなく、にっこりと笑って見せると、夕飯の支度をするためか、そのまま悠然と奥へ消えて行った。
そうか、このアリ地獄の黒幕は、あの人か。
厄介な、と内心で舌打ちする偉度に、銀輪が話しかけてくる。
「そういえば、軍師の弟君がお引越しするんだってね。そのためかわからないけれど、いらなくなった家具を塀にたくさん捨ててあって、みんな勿体ないからって、拾いに行っているみたい」
抜け目ない屑屋のほか、市井の者たちが、これ幸いとばかりに雪に埋もれた壊れた家具を発掘し、持って帰っていることは、一部限定ではあるが話題になっていた。
「面白そうだから、市場の帰りに見に行ったのだけれど、軍師もいたよ」
銀輪の話に、偉度は顔を向けてたずねた。
「何をしていたのだ、あのひとは」
「持ち帰る品の優先順位がどうとかで、喧嘩がはじまっていたのね。それが聞こえたんじゃないのかな。『喧嘩はもうたくさんだ!』とか言って、ずいぶん怒っていたみたい。軍師、だれかと喧嘩をしたのかな」
「そうなんじゃないか」
「知らないの?」
「わたしにだって、軍師の知らないことはあるさ」
「ふうん? 仲良しなのにね」
「仲良しだからさ」
知らないことがどんどん増えていき、そこに距離が生まれる。
すこしばかり切ないが、それは悪いことではないのだ。
いままでが、あまりに近すぎた。
父と子としては、密接にすぎる関係は、そろそろ終わりにしなくてはならない。
董父子のように、いまだにべったりな親子も存在するが、ああいうのは稀な例だ。
ひとり立ちをしてこそ、はじめて本当に父子として並び立てる気がする。
人の心は移ろい、季節のようにさまざまに変化する。
そこを彩る人々の顔ぶれもまた、どんどんと変わっていくのだ。
数年前は、こんなふうに、だれかの家でゆっくりくつろげることができる自分が存在することになろうとは、夢にも思っていなかった。
一年後の自分はどうなっているだろう。
二年後、三年後はどうだ?
想像してみれば、未来はそう悪いものばかりではないような気がする。
いや、そうであろうと信じよう。
信じることと、誠実さが生み出す尊さの両方を教えてくれたのは、ほかならぬ『父』である。
その結果を見せることができたなら、それは最高の孝行ではなかろうか。
とはいえ、孝行などという言葉を持ち出したなら、あのひとのことだから、きっと老け込んだ気がするとか言って、いやがるだろうけれど。
そうこうしているうちに、陳到が帰宅したようである。
出迎えに立ち上がった娘たちを見ながら、偉度は自分も立ち上がって、この屋敷をつくりあげた主に敬意を払うことにした。
おしまい
ご読了ありがとうございましたm(__)m
(C)Hasamino Nakama 2008 02