百本ノック 2本目

彼女は向こう側に

後編

ほかのフロアの壁が白で統一されているにもかかわらず、ビジター向けのフロアとして改装された2階の壁は黒く板張りがされており、高級感がある。
S社の事務スタッフは、外部の人間と接することは少ない。
仮に対応する必要があるときでも、応対のほとんどは正社員がおこなうのだ。
床・壁・天井と、すべて黒く塗られたシックなフロアに人気はない。
派遣社員の多いフロアとは、トイレの作りもちがうと美乃里は聞いたことがある。
トイレ。
幽霊の出るトイレ。
ほんとうに?

平栗は、観葉植物の影に隠れるようにして美乃里を待っていた。
美乃里は、お悔やみをいうべきなのか、それとも知らぬ顔をした方が平栗のためなのか、判断がつきかねた。
おもわず、かれの両手を見る。
なんてことはない、ふつうの若い男の手である。
もし、優子の話がほんとうで、平栗がさやかを殺したのだとなると、この両手は命を奪っただけではなく、そのからだから首を切り離すという残酷な所業をしたことになる。
ほんとうに?
残酷すぎる事実が、まったく目の前の手と結びつかない。
平栗のほうはというと、美乃里の顔を見るなり、いつもの冷静さをかなぐり捨てて、急き込んで言った。
「泉田さん、会社のトイレに入ってないよね?」
またか、とおもいつつも、美乃里は嫌な予感をおぼえた。
「今日は、まだ。でも、どうしてトイレ?」
平栗は、ああ、そうか、と一人合点し、それから、息を整えて、あらためて美乃里を見た。
「マスコミが騒いでる殺人事件の被害者が、さやかだっていうことは知っているよね?」
美乃里は慎重にうなずいた。
「さやかと僕が、婚約したことも知っている?」
「さやかさんから聞きましたから。あの、ほんとうに、さやかさんが?」
「死んだんだ」
決定的、という三文字が、美乃里の脳に刻印された。
さやかは本当に殺されたのだ、もう会えない。
女王然としてあれだけ生き生きと輝いていた女性が、非業の死を遂げてしまった。
ここへきて、ようやく美乃里は悲しみをおぼえて、喉の奥からせり上がってくる感情をけんめいになだめた。
「ひどい殺され方をしたのは知っているだろう」
「はい、あのう、首を」
「そうだ。しかも部屋は密室だった。きみにだから打ち明けるけど、さやかは死ぬ直前に、おれと電話をしていたんだ。様子はまったくふつうだったよ。夜だったから、いまから歯を磨きに洗面所へ行くといっていた。でも、さいごに、悲鳴が聞こえて」
「悲鳴? どんな?」
「それが、きゃあ、とか、ぎゃあ、とかいうんじゃなくて、こういったんだ。『なんで斎藤麗がここにいるの』って。それが最期だった」
「さいとう、うらら?」
訝しむと、平栗は、表情をほどき、つづいて、すぐに沈痛な面持ちに切り替わった。
「やっぱりさやかは、きみに全部をしゃべらなかったんだな。斎藤麗っていうのは、恥ずかしい話なんだけれど、ぼくが二股をかけていた相手なんだよ。いや、正しくは、こっちは別れたつもりなのに、しつこく付きまとっていた女、なんだけど」
平栗としては、斎藤麗なる女性の立ち位置を正さなくては気が済まないようだったが、美乃里には、どっちでもよかった。
さきほどから、耳の裏あたりが早鐘を打ちはじめていたのだ。
鐘はいう。

ヤバい、ヤバい、ヤバい、この話は、ヤバい。

「それじゃあ、斎藤麗ってひとが、さやかさんの部屋に入り込んでいて?」
だが、平栗は首を横に振った。
「そんなわけはないんだ。麗にはできない。だって、麗はさやかが死ぬ前の日に自殺していたんだから」
「は」
「麗は、きみも見かけただろう。B通りで、おれたちのことを立ち止まって、じっと見ていた女がそれだよ」
美乃里は足元からぞわっとおぞけが立ってくるのを感じた。
呆然とこちらを見ていた化粧っ気のない女性。
目の前の光景を感光版に焼き付けんとしているようなまなざしで、こちらを見ていた。

「よ、よくわからないんですけれど、五日前にB通りでふたりで歩いたのって、なんだったんですか」
「申し訳ない、さやかの発案だったんだ。麗とは、さやかより古い仲だった。でも、僕はさやかのほうを選んだ。二人が会ったことはない。麗は、僕がさやかの存在を打ち明けても、頑なに信用しなかったから。それどころか、麗は自分が僕と結婚できるものだと信じ込んでいて、だんだんストーカーみたいになっていたんだ。そこでさやかが、僕がほかの女と仲良くあるいている姿を麗が見たら、さすがに現実がわかって、ストーカーをやめるんじゃないか、と言い出して」
「え? え? だったら、さやかさん本人が平栗さんと歩けばよかったじゃないですか」
「それが……死んだひとのことはあまり悪く言いたくないけれど、さやかは慎重、というか、ちょっと身勝手なところがあって、ストーカーをするような女に顔を知られたら、自分の身に危険がおよぶかもしれないから、影武者を立てよう、って言いだして」
「影武者が、わたしだったんですね」
「そうだ。それでうまくいくかとおもったんだけど、うまくいきすぎた。まさか、麗がショックで自殺をするなんて、おもってもいなかったから」
そういって、平栗は青い顔のまま、うつむいた。
斎藤麗の死の責任を感じているらしい。
「さやかには言わなかったんだけれど」
「はい?」
「麗が死ぬ直前に、連絡してきた。それで、麗が、『もうあきらめるから、さいごに婚約者の顔を見せて』と言ってきた。妙な申し出だとはおもったよ。でもなにもかんがえずに、僕は麗にさやかの写真をLINEで送ったんだ」
「え? わたしの写真を送らないと、意味が通らなくなりませんか?」
「やっと麗と別れられるって、気持ちが高揚しすぎていたんだ。しまった、とおもったけど、遅かった。でも、麗がそのあと自殺して……原因は僕ではあるんだろうけど、でも、ほんとうに、申し訳ないけど、ほっとした」
「ほんとうに斎藤さんは死んだんですか? 死んだ人がさやかさんの前にあらわれるなんて、できないじゃないですか」
「生きた人間だったらね」
「どういう意味ですか?」
「さやかはね、死ぬ直前に、こうも言ったんだ。『鏡の中に』って」
「鏡って」
「おれも、すぐには意味が分からなかった。警察にもちゃんと説明したんだけれど、やっぱり意味が分からないっていわれて……そりゃそうだよね、信じられない話だ。でも本当なんだよ」
「あ、あの? さっぱり意味が」
わからない、という前に、平栗は美乃里をまっすぐ見た。
「麗は、死んで幽霊になって、鏡の中にひそんでいるんだ。そうとしか考えられない」
正気か、というのが美乃里の最初におもったことだった。
そんなバカなことはありえない、だが。
「警察は、おれがさやかと揉めて、さやかを殺したんじゃないかと考えているようだ。でも、おれはさやかとは揉めていないし、第一、さやかの首をとっていく理由がない」
「斎藤麗さんには、あるんですか、理由?」
「麗は戦国武将の大ファンだったんだ。歴女というやつだね。よく歴史の話をしていたんだけれど、そのなかでもとくに、敵の首をとったときの話とか、とった首の保存法とか、きみのわるい話をよくしていたよ。付き合っていた当時は、ただのマニアだとしかおもっていなかったけれど、いまおもうと」
平栗はことばを切って、苦痛の表情を見せた。
「アリバイとか、ないんですか?」
「おれはひとり暮らしで、さやかと電話をしていたとき、自宅で一人でいた。さやかのマンションのエントランスには監視カメラもついていたんだけれど、それは偽の監視カメラで、作動していなかったそうだ」
「目撃者とか、だれかいないんですか」
いくら夜道のなかとはいえ、一人分の首を持ってうろうろしていたら、相当に目立っていたはずだ。
その想像に、美乃里はまたおぞけがたつのを感じたが、なんとかこらえて、思考をすすめた。
治安のいいこの街でも、商店を中心に監視カメラをつけるところが増えていると聞いたことがある。
警察もこれほど世間を騒がせている事件なのだから、さやかのマンションの近辺の監視カメラは、くまなく見ていることだろう。
「警察はおれには何も教えてくれない。たぶん、疑っているからだとおもう。でも、どれだけ疑われようと、おれはさやかを殺してなんかいないんだ。やったのは麗の幽霊だ。そうとしかかんがえられないんだよ。あいつは、さやかだけでなく、きみのことも狙っている」
「ど、どうしてですか?」
「麗はきみのことをおれの恋人のひとりと誤解したまま死んだ。いまだって誤解しているはずなんだ」
美乃里は平栗の「いまだって」という言い回しに、また吐き気に似た悪寒を感じた。
いるのだ。
斎藤麗は、まだこの世に、いる。
「会社のトイレの鏡に、幽霊が出るって話は聞いただろう? あれは麗だ。この会社まであいつは追いかけてきて、きみのことを探しているんだ」
「そんな」
ばかな、と反論したくなるが、しかし、理屈でも理性でもない別の、ふだんはあまり使っていない感覚が、それはほんとうではないか、と伝えてくる。
美乃里の意識は、なんとかその恐ろしい推論を押さえつけようとするのだが、それは無駄な抵抗だった。
ちょうど平栗と美乃里が立っている場所の、観葉植物の影から斜め向かいの方向に、トイレがある。
そのトイレの中から、いまにもひょいっと、あのさくら色の会社の制服を着た斎藤麗があらわれそうな気配がした。
「どうしたらいいんですか」
尋ねた端から、そんなことは平栗に聞いてもわからない、ということが、平栗のやつれ、疲れた表情から読み取れた。
「ともかく、会社のトイレに入っちゃだめだ、いいね。仕事なんて、今日は休むんだ。いや、命が大事なら、仕事を辞めてもいいくらいだ」
「勝手なこといわないでください、生活はどうするんですかっ」
「命のほうが大事だろう!」
ぴしゃっと言い放ってから、平栗は一転、かなしそうな顔をした。
「泉田さんにはほんとうに申し訳ないとおもっている。でも、おれもどうしようもない」
「そんな」
「ごめん」
美乃里は呆然として、その場にへたり込みたくなった。
だが、へたり込んだらさいご、斎藤麗の幽霊に負けてしまいそうな気がする。
なんとか気丈に立っていると、視線を感じた。
振り返ると、いつのまにいたのだろう、フロアの壁の端から、あきらかに会社の人間ではないとわかる、目つきのわるい男二人組が、こちらをうかがっているのが見えた。
おそらく警察だろう。
平栗の言うとおり、警察はかれを疑っていて、いまもあからさまな行動をとって、プレッシャーをかけているのだ。
現実なのだ。
さやかがひどい殺され方もしたのも、平栗が疑われているのも、そして、斎藤麗の幽霊のことも。
死にたくない、まだ、生きたい。
まったく関係のない男女関係に巻き込まれて死ぬなんて、まっぴらだ。

美乃里は会社を早退し、ともかく自宅へと向かった。
その道中、LINEやツイッターで、あたりかまわず友人と知人に助けをもとめた。
「幽霊に取りつかれているようです。だれか助けて!」
しかし、その直接的なつぶやきを信じる者はいなかったようで、
「みのちゃん、あなた、疲れてるのよ」
「すこし休めば? 実家に帰るとか」
「ネタ、ありがとう! ちょっと涼しくなった」
などなど、心配してくれる者もあれば、ふざけていると取った者までさまざま。
だれも相談相手になってくれそうにない。
実家の母親にも電話したが、あきれるばかりで、とりあってくれない。
挙句の果てには、
「韓ドラばっかり見て現実逃避しているから、頭も悪くなったんじゃないの?」
などと腹の立つことを言いだした。
母親は、いつも親身になって話を聞いてくれない。
やるせない気持ちと苛立ちとをこめて、美乃里は電話を切った。

はじめて美乃里は、自分がこれまでキャリアを積み上げていくなかで、濃密な人間関係をつくってこなかったことを後悔した。
母親すら、味方についてくれない。
だれも、真剣に話を聞いてくれる人がいないという、心細さ。
この人は、と思う人に連絡を取ろうとしても、仕事中だったり、育児中だったり、あるいは連絡がとれても、
「幽霊とか、そういう話、苦手」
と無情な返答がかえってくる。
どうやら、美乃里の精神状態をあやぶんで、関わり合いになりたくない、というのが本音のようだった。
なかには、
「美乃里ちゃん、気が弱すぎる」
と説教をはじめるものさえいる。
そうだ、今回のことは自分の押しに弱いところにも原因がある。
そんなことはよーくわかっているのだ。
けれど、いまは生きるか死ぬかの瀬戸際、説教なんてされたくない!
みんな薄情だ!
美乃里はパニックに陥りながら、自宅のアパートで、自分を助けてくれそうな人を探しつづけた。
一時間ほど粘り強く助けを求め続けていたときだった。
かつて派遣されていた会社の友人のひとりが、こんな返事を寄越してきた。
「S通りにあるE寺に、幽霊とかの相談に乗ってくれるお坊さんがいるよ。ちゃんとしたお寺みたいだし、行ってみたら?」
美乃里はすぐにS通りのE寺をネットで検索してみた。
すると、たしかにその友人の言うとおり、ちゃんとしたお寺の、真面目そうなサイトがすぐにヒットした。
さらにS市E寺、で検索すると、霊障の相談が得意で、助かった、という人がたくさんいるという情報もあった。
さいわいなことに、美乃里のアパートからE寺までは、地下鉄を使えば20分もかからない。
事前に連絡するという段取りもわすれ、美乃里はすぐにE寺へ飛び込んだ。

E寺の住職は、さいわいなことに在宅だった。
美乃里はすっかり興奮しきっていて、しっている限りの情報をせつせつと住職に訴え、そして、自分の通帳の残高を見せた。
「いまはこれしかありません、でも、残額はローンでもなんでも組んでお返しします、だから、わたしに取りついている斎藤麗の幽霊を除霊してください、おねがいしますっ」
さいごは涙声だった。
住職が、うむ、なるほど、などの相槌を打って話を聞いてくれているうち、美乃里はあらためて死の恐怖にかられていたからである。
住職は美乃里に霊がついているかどうかは明言せず、その代わり、すぐに除霊の儀式をはじめてくれた。
といっても、住職がはじめたのは、本堂で香を焚きながら、ぽくぽくと木魚を叩いて念仏を唱えることくらいだった。
お経自体に、きっとすごいパワーがあるにちがいないと判断した美乃里は、住職のうしろで、一心不乱に祈った。
『斎藤さん、斎藤麗さん、どうかわたしを恨まないでください、わたしは何も知らずに立林さやかに協力してしまいました。あなたを傷つけるつもりはなかったんです』
五日前に見た、目を大きく見開いてこちらを凝視していた女の顔が、お経を聞いているうちに鮮明に思い出された。
思考がクリアになってきたのも、木魚の生み出すリズムと、心地よい香のにおいのせいかもしれない。
いくぶん落ち着いてきた美乃里は、さらに、こころのなかの斎藤麗に呼びかけた。
『成仏してください、斎藤さん、人を道連れにするなんてことをしたら、あなたも地獄に落ちます。あなただって、地獄行きなんていやでしょう? さやかさんのことは……仕方ないとしても、わたしを取り殺すのは筋が通りませんよ。どうぞ、どうぞ、相手を間違わないでください、そして、もう復讐なんてやめて成仏してください、おねがいします!』
そうして何度もくりかえしくりかえし、朗々と響き渡るお経の声を聴きながら斎藤麗に呼びかけているうち、脳の中にいる斎藤麗の顔つきがかわってきた。
はじめ、斎藤麗は鬼のような憎しみに凝り固まった顔をしていた。
だが、美乃里がけんめいに呼びかけていくうち、麗の表情がほどけてきた。
美乃里はさらに祈った。
『お願いです、どうかわたしを許してください、ごめんなさい、知らなかったとはいえ、傷つけたことは謝ります、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、成仏してください』
手をこすり合わせ、ただ許してほしいということをこころのなかで祈りつづけた。
美乃里が謝りつづけると、斎藤麗の表情が次第に和らいでいった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
声に出しても謝った。
すると、麗は、こちらに同情するような笑みさえみせてくれた。
麗の姿がどんどんすがすがしい光に包まれていく。
麗が成仏しようとしているのだ。
美乃里もまた、自身の中にあったエゴや欲が、一緒に浄化されていくような、すっきりとしたよい心地になった。
えがおの麗の輪郭が、しだいに神々しい光に溶け込んでいく。
光はどんどんつよくなり、麗をすべて呑み込んでしまうと、やがて、あとは無になった。
静寂。
美乃里のこころも起伏鳴く、平らかなものになった。

お経が止まった。
住職は充実の表情でふりかえって、美乃里にいった。
「もう大丈夫でしょう」
住職とて、いくら修行を積んだ高い僧侶だったとしても、美乃里と同じ光りなどは見ることができなかったはずだ。
それでも、美乃里自身は、住職が自分と同じように、彼岸に消えていった斎藤麗の姿を見たのだなとおもった。
頬が熱かったので、なんだろうと触ってみると、涙で濡れていた。
「浄化されましたね」
と住職は満足げにいった。
美乃里はうれしさのあまり、なんといっていいのかわからず、深々と住職に頭を下げた。
斎藤麗は成仏した。
助かったのだ。

帰宅の足取りは軽かった。
美乃里は帰宅の途中でコンビニに寄り、緊張がほどけたあとには必ず食べたくなるコンビニのPBブランドのスナック菓子を買い込んだ。
顔を洗って、洗面台の鏡を見る。
鏡には自分が映っているだけで、不審なところはまったくない。
それはそうだ、斎藤麗の幽霊は会社のトイレの鏡にいたのだし、斎藤麗自身も、もう成仏して、この世に存在しない。
夕飯代わりにスナック菓子を食べることにして、美乃里はソファに座りこんだ。
いつでも見れる状態になっている韓流ドラマを放映すべく、TVがスタンバイしている。
TVが立ち上がるのを待っているわずかな時間で、スマホを確認すると、つい数時間前にパニックになって助けをもとめたときの残滓があった。
友人知人たちは、いまは美乃里を心配してくれているようで、しきりに大丈夫か、という意味のメッセージを送ってくれている。
だが、読み進めていくうち、美乃里はこころを凍らせた。
「みのちゃんの会社の男が、首なし事件の容疑者で逮捕されたって! まだ自供してないらしいけど。みのちゃん、知ってる人?」
平栗のことだ。
かれは結局、逮捕されたのだ。
美乃里の脳裏に、こんな考えが浮かんだ。
立林さやかを殺したのは、やはり平栗だったのではないか?
かれは捜査の目をごまかすため、幽霊話をでっちあげ、美乃里にもその話を信じさせた。
ところが、現代の科学捜査を主体にした警察の目を欺くことは容易ではない。
結局、嘘はバレ、かれは逮捕された……

だったら、お寺にお祓いに行かなくてもよかったんじゃ?
というか、除霊の費用をローンで支払うことになっているんだけど……世間を知るための勉強料ってことかなあ、高い勉強料だけど。
もやもやしつつ、美乃里はTV画面を見た。
そろそろ画面に韓流ドラマが映っていい頃合いなのに、画面は真っ黒のままだった。
「あれ?」
リモコンを操作して、TVが付いているかをたしかめる。
主電源は入っている。
リモコンの電池が切れて、TVが作動しないわけでもなさそうだ。
おかしいな、とおもって、顔を上げると、画面にぼんやりと人の顔が浮かんでいるのが見えた。
TVが壊れちゃったかな、それともどこかの端子が外れているのかも。
ソファから立ち上がろうとした美乃里だが、画面にぼんやり浮かんでいる人の顔の輪郭に、見覚えがあることに気が付いた。
面長の、顔。
だんだん顔の表情が、闇から浮かび上がってくる。
立林さやかの顔だ。
しかし、その肌色は土気色で、焦点の合わない目で、こちらを見ている。
これは、さやかの顔、ではない。
さやかの、首だ。
「なんで? なんでっ?」
なんでこんなものが、TVに?
心臓がばくばくと激しく鼓動をはじめた。
脳が赤と黒のシグナルをひっきりなしに送ってくる。
からだを動かそうとするが、しびれたようになって動かすことができない。
金縛りだ。
全身の穴という穴から、汗がいっせいに噴き出る。
歯の根が合わない。
真っ黒だった画面には、さやかの首が浮いている。
いや、浮いているのではない、だれかがさやかの髪を掴んで、首をぶら下げている。
さやかの自慢だった、うつくしい黒髪。
いまは血に濡れた長い髪。
もうひとり、よく知っている顔が浮かんだ。
さやかと同じく土気色の肌をした、斎藤麗。
E寺で見た斎藤麗とはまったく別人の、悪意と邪気に満ちた顔をした、斎藤麗だ。
麗は、美乃里と目が合うと、うれしそうに、にやあっと笑った。
「みぃつけた」
斎藤麗の歌うような声がした。
声をあげることはできない。
くちびるがしびれて、うごかないのだ。
美乃里はただ、麗の手に鉈が握られていることを確かめて、こころのなかで叫ぶことしかできなかった。
画面から伸びてきた腕に握られた鉈の切っ先が、咽喉元に触れた。

うそつき、うそつき、うそつき、成仏したなんて、うそつき!
笑ってくれたじゃない、許してくれたんじゃなかったの? あれはわたしを安心させて油断させるため? 私は悪いことしていないのに、ちょっとさやかに協力しただけなのに、どうしてどうしてどうして…

赤と黒のシグナルが飽和した。
美乃里の視界のすべては、真紅に染まった。

おわり

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🄫はさみのなかま 2017/8/28