新古今和歌集と大和物語、栄花物語
今昔物語、江談抄

桂川
 

大和物語

 大和物語は、宇多法皇の周辺の人々の歌物語として、天暦から康保ごろの伊勢物語成
立後に作成され、後の人が自由に追加されたものといわれます。作者も不明。

 内容から一段から百四十段までを第一部、百四十一段から百七十三段までを第二部と
して分類できるとしている。同時期に勅撰された後撰集の歌が多く、後に新古今、新勅
撰などに撰歌されています。
 伊勢物語や今昔物語から挿入されたと思われる段もあります。

 大和物語の名称は、百七十一段に式部卿の宮の女房に大和という人物が出て作者名で
ある説からというのと伊勢(三重)の物語の国名から隣の大和(奈良)ともいわれるが
不明。
 
 

栄花物語

 栄花または世継とも呼ばれ、宇多法皇から堀河天皇までの宮廷の物語で、漢文で記さ
れた朝廷の正史の六国史に対して、仮名で女性が作った初めての編年体物語風史書とい
われます。

 全四十巻で、赤染衛門が道長の死までの三十巻までの作者であるというのが定説とさ
れ、続編十巻を出羽弁や周防内侍とする説があるが不明。源氏物語の影響を受けている
といわれます。
 

今昔物語

 今ハ昔で始まり、トナム語リ伝エタルトヤで終わる平安後期白河、鳥羽院の院政期に
成立したと思われる説話集。作者も不明。インド仏教説話、中国、日本の説話を集めて
いる。話の終わりに教訓などを記しています。
 芥川龍之介などが題材としたことでも有名。

 住丹波国者妻読和歌語第十二のみ。
 

江談抄

 大江匡房の談話を藤原実兼が筆記して長治(1104年)〜嘉承(1108年)頃成立したと
思われています。
 匡房は、詩文に優れ、有職故実に通じて博学であった。後世の説話集に影響を及ぼし
たと言われます。

 源博雅が逢坂の関の盲目の琵琶名人から秘曲啄木を習う話のみ。
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二段
 巻第十 羇旅歌 912
宇多法皇は、出家すると供をあまりつれずに方々を歩き廻り、周りを心配させたとのことです。橘良利は、院が出家する時出家し、院のお供を続けたとのことです。
和泉の日根に宿した夜、心細くなったので院から歌を詠めと仰せになったので。
 十訓抄 六ノ九にも同じエピソードがある。
十二段
 巻第十三 恋歌三 1177
源清蔭は、醍醐天皇皇女の韶子内親王に天皇のお許しがあったにも関わらず、始めの頃は忍びながら通ったそうです。初めて通った朝に贈った後朝の歌。
四十八段
 巻第十一 恋歌一 1019
宇多天皇の更衣が里に帰ったままなかなか帰ってこなかったため。
百一段
 巻第八 哀傷歌 854
藤原季縄が病となって少し良くなったため出仕したところ、源公忠に会ったので「あさってまた来ます」と言い残したのですが、結局死んでしまった。死ぬ間際に公忠に遣わした歌。
百四段
 巻第十四 戀歌四 1236
藤原滋幹と女の相聞歌
百十三段
 巻第十五 恋歌五 1359
公平の三女に藤原庶正が通っていた頃、公平女から庶正へ贈った数首。また別れて賀茂臨時の祭の時に見かけて。
百二十段
 巻第十六 雑歌上 1442
兄弟内で唯一大臣になっていない兄仲平がついに右大臣になったので弟の忠平が梅の花を折って。
百四十九段
伊勢物語二十三段通称筒井筒と同じ話で、本の妻が思い焦がれているため、金椀に胸を漬けると熱湯になったという異なる話がある。
百五十八段
 巻第十五 恋歌五 1372
正妻がいるのに妾を同じ家に住まわせて居た男が、鹿の鳴くのを聞いて、正妻が歌を作り、縒りを戻した。
 今昔物語巻第三十十訓抄八ノ七にも同じ話がある。












巻第一 月の宴 万葉集の起源について、橘諸兄が勅を賜って、編纂したという現存する最初の記述。万葉集巻第一・第二の一部は、その勅撰集という説がある。
古今、後撰の経緯を記す。後撰に序が無いのは、序を書けるものが無かったとのこと。
巻第四 みはてぬ夢
 巻第八 哀傷歌 760
正暦2年(991年)2月12日崩御した円融院の諒闇中でも、藤原実方はのんきに花を贈って。
巻第四 みはてぬ夢
 巻第八 哀傷歌 850
世の中が儚いことを為頼が歎いて。小大君が返して。新古今では小野小町とあるが、ここでは小大君。
巻第九 いわかげ
 巻第八 哀傷歌 779
故一条院が病が重くなった時、出家しようとして中宮彰子に歌を贈った。
巻第十 日蔭のかつら
 巻第八 哀傷歌 811
故一条院が、夢に出て来たのを、中宮彰子が嘆いて。藤式部として紫式部の歌も掲載。
巻第十二 玉のむら菊
 巻第九 離別歌 868
藤原隆家は、目の病に太宰府の権帥を引き受け、葵祭の次の日任地へ向かう時、道長娘妍子が別れの扇を贈り。
巻第十五 うたがひ
 巻第十六 雑歌上 1481
 巻第十六 雑歌上 1482
道長が上東門院に衣替えの着物を贈って。和泉式部、馬内侍の歌も掲載。
巻第二十七 ころものたま
 巻第十八 雑歌下 1712
 巻第十八 雑歌下 1713
上東門院が出家した後、妹の枇杷皇后が金箔の沈香の数珠を銀の箱に入れて贈られたので。それに対する返歌。
巻第三十一 殿上の花見
 巻第二十 釈教歌 1927
中宮彰子が、石清水、住吉、四天王寺を参詣して、ついでに亀井の井戸に立ち寄って。 
巻第三十四 暮まつ星
 巻第十四 恋歌四 1240
三条天皇皇女禎子内親王が、久しく内裏に帰ってこなかったので、後朱雀院が、五月五日に歌を贈って
巻第三十四 暮まつ星
 巻第十四 恋歌四 1250
 巻第十四 恋歌四 1251
 巻第十四 恋歌四 1252
 巻第十四 恋歌四 1253
後朱雀天皇が、女御の藤原生子へ、柳に寄せる恋歌を送りそれに返したもの。 
巻第三十四 暮まつ星
 巻第十八 雑歌下 1725
長久四年一条院がまた焼け、高陽院に移った。そこには庭園があり、山川や滝があり出羽弁が上東門院彰子に伊勢の歌を本歌取りして贈った。
巻第三十五 蜘蛛のふるまひ
 巻第八 哀傷歌 805
藤原通房が、流行病で亡くなって、妻の土御門右大臣女が夫が手すさびに扇に書いたものを見て。
巻第三十六 根あはせ
 巻第八 哀傷歌 821
 巻第八 哀傷歌 822
後朱雀院が、崩御された後、院の乳母源三位と皇后宮の弁の乳母との贈答歌。そして様々な人々の院への追悼歌。 
巻第三十六 根あはせ
 巻第八 哀傷歌 815
小野宮右大臣藤原実資が90歳で亡くなったのを聞いて、藤原長家が、長く生きたとしても所詮死ぬ無常を感じて。
巻第三十六 根あはせ
 巻第八 哀傷歌 812
出家していた上東門院彰子が、白河殿に移ったのを女御藤原生子が聞いて。
巻第三十六 根あはせ
 巻第七 賀歌 725
天喜四年皇后宮歌合に春と秋で左右に競い、祝を。女性は着物にうるさく、そちらにばかり関心がいったようです。
歌は伊勢大輔の作らしい。
巻第三十九 布引の瀧
 巻第十七 雑歌中 1650
承保二年師実らが布引の滝を遊覧して、それぞれが歌を作
った。
巻第四十 紫野
 巻第十八 雑歌下 1722
月の美しい頃源経信が、後一条院の菩提樹院を訪ね、翌日女房からの贈答と返し。 
 今昔物語巻第三十
   巻第十五 恋歌五 1372
 住丹波國者妻読和歌語第十二
大和物語百五十八段と同じものだが、場所を丹波とし、今の妻が鹿を旨いものと言うなど若干異なる。後の十訓抄にも。
 今昔物語巻第二十四
   第十 羇旅歌 904
   第十七 雜歌中 1614
 在原業平中將行東方讀和歌語第三十五
伊勢物語の東下りと同じ。
 江談抄 第三 63
  巻第十八 雑歌下 1851
 博雅の三位琵琶を習ふ事
逢坂の関の盲目の琵琶の名人から源博雅が、三年通って、秘曲啄木を伝授される。後の今昔物語にも類話があるが、江談抄では名を千歳、今昔には蝉丸となる。
掲載されている歌は、新古今和歌集では蝉丸。