新古今和歌集 秀歌撰 注釈書

須磨の浜
 
 撰歌集である新古今和歌集でありますが、二千首もあるので、先人、当該撰者、後人の撰んだ秀歌撰を集めてみました。
 なお、それぞれの集に掲載されている歌は、それぞれが書写され伝えられておりますので、若干異なるものがありますので、新編国歌大観、新古今和歌集古注集成などでご確認下さい。

 個々の歌へのリンクはしておりませんのでご了解願います。

 
 
 
 撰者撰                           二十九首
 新古今和歌集の撰者の通具、有家、定家、家隆、雅経が撰歌し、後鳥羽院が隠岐本で除か
なかった歌を集めてみました。

 
 公任三十六人撰(三十六歌仙)              十首
 藤原公任が、寛弘六年頃柿本人麻呂から中務までの三十六人の歌人の百五十首選出し、
歌合形式で結番したもので、その中から新古今和歌集に撰歌されたものを集めてみました。

 
 俊成三十六人歌合                  二十三首
 藤原俊成が、公任三十六人撰の歌人の歌を百八首撰出したもので、新古今和歌集に撰歌
されものを集めてみました。

 
 小倉百人一首                     十四首
 藤原定家が、文暦2年蓮生から依頼された嵯峨山荘の障子の色紙として百人の歌人の一首
を撰んだ百人秀歌と呼ばれるものを更に後鳥羽院、順徳院の歌を加え、削除入れ替えを行っ
たものと言われます。

 
 時代不同歌合                     百首
 後鳥羽院が隠岐に流されている時、八代集の歌人を古今、後選、拾遺を左、後拾遺、金葉、
詞花、千載、新古今を右とした百人のそれぞれ三首、計三百首の歌合を結番したものを集め
てみました。

 新古今和歌集から多くの歌を撰歌しています。
 
 近代秀歌                       二十六首
 藤原定家が、源実朝に送った歌論書で、最後にその例として秀歌を掲載しました。

承久の変後
改編したと言われております。
 
 詠歌大概                       三十四首
 藤原定家が、承久の変の前後に、尊快法親王に進献されたものと伝えられた歌論書です。
 
 定家十体      幽玄様〜事可然様   百二十一首
             麗様〜鬼拉様         百四首  合計二百二十四首(重複一首)
 藤原定家が、和歌を十の分類(幽玄様、長高様、心ある部、事可然様、麗様、見様、面白
様、濃様、一節ある様、拉鬼体)してその秀歌を著したとされます。

 定家が撰んだか定家に仮託された偽書か議論の分かれるところだそうです。

 少し定家にしては全部で280首中新古今224首で偏り過ぎているかと思います。また後
鳥羽院の歌が無い、定家自身の歌が少ない(院御口伝によると人の歌を馬鹿にする傾向
があった)など、定家撰として私は疑いを持っております。

 広く後世まで影響がありました。
 
 別本 八代集秀逸                 二十三首
 定家が、後鳥羽院皇子の道助法親王の依頼で、天福2年に八代集の各集十首を撰歌し献じ
ました。

 その撰集は、隠岐にいる後鳥羽院に届けられ、家隆、後鳥羽院それぞれの撰をあわせて百
五十七首としたものの新古今和歌集を集めてみました。


 定家の撰したものは流布本として、三人の撰は別本と呼ばれています。
 
 定家八代抄
  春、夏、秋、冬                   二百四首
                            百四十三首
  賀、哀傷、離別、羇旅、雑、神祇、釈教    百九十二首
 二四代和歌集、黄点歌勅撰抄ともよばれ、藤原定家が八代集の中から覚えとして約千八百
首の秀歌を選出したものを集めてみました。

 奥書によれば、承久元年9月とあります。

 定家八代抄の名称は、樋口芳麻呂氏が提唱し、その後一般化したとのことです。

 
  中古三十六人歌合 元暦          十四首
 後鳥羽院他を公任にならって、三十六人の一首を撰び、歌合形式としたもののうち、新古今
和歌集のものを集めてみました。

 元暦(1184年)ではなく文暦(1234年)の間違いという説が有力。後鳥羽院の最初の年号か
らという説もあります。

 撰者は不明。
  新三十六人撰  正元二年      百二十一首
 後鳥羽院他三十六人の十首を撰んだもの。

正元二年(1260年)に成立したが、撰者は不明。
  女房三十六人歌合            三十一首
 女三十六人撰ともよばれ、宮廷を飾った女流歌人三十六人を撰び、一人三首の新旧で歌
合形式としたもの。一人一首のものもあります。

成立、撰者不明だが、続拾遺集の歌人もあることからその成立の1278年以降かと思われま
す。
  釈教三十六人歌合             十二首
 釈教三十六歌仙、釈門歌仙などと呼ばれ、貞和三年(1347年)勧修寺僧正栄海が、達磨
法師から鎌倉時代までの僧侶が歌った勅撰集の中の一首を撰んだもののうち、新古今和
歌集のものを集めてみました。
  自讃歌                  百五十八首
   後鳥羽院、式子内親王、良経 、慈円、通光、通具、俊成、俊成女
   宮内卿、定家、有家、家隆、雅経、具親、寂蓮、秀能、西行
 新古今時代の十七名の歌人の自讃歌として十首の合計百七十首。建暦元年9月後鳥羽
院が命じたものと言われてきたが、現在は、不明で室町時代頃成立したとも言われます。
 異本に掲載されたものも入れてあります。

 特に新古今和歌集からの撰歌が多いです。
 歌枕名寄
  山城 八十七首   大和 八十首 河内・和泉・摂津 六十首
  伊勢・尾張・遠江・駿河・武蔵・常陸 五十八首
  近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・出羽 四十八首
  陸奥・若狭・越前・加賀・越中・丹波・丹後・出雲・播磨 六十一首
  紀伊、淡路、讃岐、筑前、壱岐、豊前、肥前、大隅、未勘国  三十五首
 鎌倉時代の1303年澄月が撰んだと言われ、その後増補、加筆されたもので、異本により
最大一万百首弱の歌を歌枕の地ごとに整理したもののうち、新古今和歌集のものを集めて
みました。

歌枕ではないものや他の地域の同じものも含まれております。

  新古今集 美濃の家づと
   一の巻 春上、春下、夏             百三十首
   二の巻 秋上、秋下、冬            百八十八首
   三の巻 賀、哀傷、離別、羇旅         六十九首
   四の巻 恋一、二、三、四、五        百二十九首
   五の巻 雑歌上、中、下、神祇        百六十八首
   
 江戸中期の国学者である本居宣長は、18歳ころから和歌に親しみ、特に新古今和歌集に、
「此道ノ至極セル處ニテ・・・」と傾倒したそうです。

 美濃の家づとは、寛政3年4月13日、美濃大垣の門人大矢重門に送ったものを書き加えて
寛政6〜7年6月頃校正し、その後出版した新古今和歌集の注釈書です。
 その注釈書に撰歌されたものを集めてみました。

 なお、「家づと」とは家に持ち帰るお土産のこと

 新古今集聞書                    二百一首
  室町時代に東常縁(とうつねのり1401〜1494)が書いた現存する最古(文明二年1470頃)
の新古今和歌集の注釈本です。

 新古今抜書                      三十首
 梁瀬一雄氏蔵本。日野殿広光卿の古筆が貼付してある。心敬(1406〜1475)が書いたメモ
のようなものか、心敬周辺の者が聞き書きしたものかと推察されている。

 新古今抜書抄                   百十五首
 心敬が兼載の所望によって書いたものに兼載が増補・書換えしたものと推察されている。

 柿本傭材抄                      十二首
 一条兼良(1402〜1481)の講釈の内容を息子の曼殊院の良鎮が編集したもの

 十代抜書                      九十六首
 後撰、拾遺、後拾遺、金葉、詞花、千載、新古今、新勅撰、続後撰、続古今の十代集と堀河
院百首と永久百首を、宗祇(1421〜1502)が連歌師達のために抄出し、洛中の先達に尋ね不
審の所を明らかにして、一巻にまとめたと奥書にある。

 詞字注                        六十一首
 宗祇が延徳三年(1491)八月に古今から新古今までを注したもの。
 春歌上〜秋歌下
 冬歌 〜恋歌三
 恋歌四〜釈教歌
 新古今注                   七百四十三首
 清原宣賢(1475〜1550)が上冷泉家より拝借して享禄二〜四年(1529〜1531)に書写した
もの。
 作者は上冷泉家関係者と思われるが不明。

 宗長秘歌抄                    八十四首
 天文十二年(1543年)夏晦日写す。万葉、古今から新後撰の十三代集、六家集から140首余
を注釈したもの。宗長(1488〜1532年)が蔵としたとされるが、作者は宗長かどうかは不明。宗
祇に連歌・古典を学んだことから師の聞き書

 九代抄                    五百二十四首

 九代集抄                  

 新古今和歌集抄出聞書

 新古今聞書

 新古今和歌集抄

 新古今聞書(久世家本)

 新古今之内哥少々


新古今和歌集トップへ