はじめに

         
京都御所建礼門
新古今和歌集の成立と本HPの開設趣旨

  新古今和歌集は、ご存知な様に、古今、後撰、拾遺、

後拾遺、金葉、詞花、千載に続く源通具、藤原有家、藤

原定家、藤原家隆、藤原雅経、寂蓮(途中没)を撰者と

して、後鳥羽院より正治二年(1200年)十一月三日に

「上古以後の和歌を撰進せよ」との院宣を賜って勅撰さ

れた和歌集です。撰者といっても実際は院の親撰で、一

次撰者といった方が適切な表現と思います。

 
成立は、元久二年(1205年)三月二十六日ちょうど今から八百年前に完成しました。

正確には、何時をもって完成かは、難しいところと言われています。


 なぜなら、建仁三年に撰歌後、院による精撰が行われてから、元久元年七月に分類の

下命があり、分類配列作業の末,翌年三月六日に完了し、粗目録を添えて奏覧され、二十

六日の丑刻(午前3時)竟宴(記念式典祝賀会)が行われました。ただし、その時には仮

名序は間に合わず、後鳥羽院のワンマンに周りの撰者たちが振り回されている様子がわ

かります。


 そしてその竟宴の翌々日から、完成したばかりの歌集の切継(改修作業)が始まってい

ます。そして切継が終了し、清書完了したのが健保四年(1221年)十二月となり、さらに

承久の変後隠岐に流された後鳥羽院は、十八年かけて約四百首を削除していわゆる隠

岐本を完成させております。



 私がコンピュータを始めたマイコンと呼ばれた四半世紀前の時代は、カタカナ半角のみ

の入力で簡単な漢字を入力するのも大変な作業だったが、今は読めない難しい異字体も

コードが割り当てられ,手書きで字を選んでくれます。そこで、使える字体はなるべく新字体

を使わず、旧字体で入力し、入力できない字は、新字で、それも無い場合は読みをひら

がなで、読みもわからない場合は○で記載しました。

従って、一部の方には読めない場合がありますが、ご容赦願います。

最後まで迷ったのは、「歌」を「謌」もしくは「哥」にするかです。貴重本などではどちらかに

なっていたのですが、二千首入力後に気がつきましたので、「歌」で統一しました。


 入力しているうちに、検索が難しいのがわかり、HPの様に検索結果一覧でしてくれない

かと思い、いっそHTML形式にして使いやすくしよう。いっそ公開して皆様に鑑賞いただ

こう。成立八百年なのだからと。



 しかし公開するにもまだ十分の一までしか現代訳ができておらず、個別歌のHP作成に

は、時間がかかり、慌てて辞書をひっくり返して訳をしてみたが、1日5首が限度であり、平

安期の風俗習慣も理解しなければできない。写真などもあった方が…と欲をだせばきりが

無い。


 まあ完成披露式典後に加除がなされた新古今和歌集に習い、徐々に完成すればよいか

と思い立ち、公開に至りました。後悔と言った方が適切かと思います。

 もちろん独学なので、読みの間違い、誤訳、入力・リンクミスなどあるかと思いますが、ご

容赦いただき、ご指摘いただければ幸いです。

 なお、小生の拙歌、拙句等もついでに御笑覧いただければと思います。  

                            
三十三間堂
平成十七年五月四日
      (旧暦三月二十六日)
※新たにコンピュータを購入し、生れて初めてインターネット契約をしたので、2か半月ほど遅れました。
      当室管理人  自 閑
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