| 奥の細道 |
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| 松尾芭蕉は、江戸前期の正保元年1644年伊賀上野に生れ、藤堂良忠に仕え、 北山李吟、西山宗因に師事し、江戸深川に移って後に蕉風とよばれる俳諧の作 風をなしました。 西行法師や能因法師にあこがれ、各地を放浪し、俳諧の種を全国に広め、俳 句は滑稽なものという世間の認識を改めさせた功績は大きいと思います。 |
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| 奥の細道は、西行没五百年を記念して、元禄二年(1689年)に、東北の歌枕 の地を直接尋ね、俳句に生かそうと弟子の曾良とともに旅だった吟行紀が、 『おくのほそ道』です。 |
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| 三月二十七日江戸の千住を旅立ち、奥州平泉、象潟、酒田、越路の北国街道を経 て八月末に美濃の大垣に着き、九月六日伊勢二見に出発するまで約二千km、 六ヶ月の行程になります。(旧暦なので現在からは約一月足します。) 当時の旅の様子などを虚構を交えながら、作ったと言われています。 それは、同行した曾良の日記などから、俳句の初校や行程詳細から、推敲の跡など がわかるようになりました。 |
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| 元禄七年おくのほそ道が脱稿し、大坂で客死した後、元禄十五年弟子の去来 の清書本から刊行されました。 |
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| このHPでは、新古今和歌集や西行物語などに関連する部分を抜粋しました。 また、小生が金沢に二年半住み、付近を徘徊した思い出もあり、その部分も 入れました。(写真は無いのですが) 若干の注は入れましたが、現代訳などは、各種出版本を参照頂ければと思い ます。 それにしても、加賀で、陶酔していた義仲や義経にゆかりの倶梨伽羅峠や安宅 関で関連する句を作らなかったのは不思議な話だと思っております。 |
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| 深 川 |
有名な冒頭部分。深川周辺の写真も入れております。 |
| 千 住 |
矢立の初め 家の周辺なので写真付き。しかし深川を20日に立 ち千住を27日に出たので7日間は何をしていたのだろうか。 |
| 室の八島 |
けぶりたつと枕詞があり、実際は、神社の池の中に小さな島 (とは言えない?)がある。 |
| 芦 野 |
殺生石と遊行柳 |
| 白河の関 |
白河の関。能因法師は、本当は行っていないという噂が。 |
| 笠 島 |
藤原中将実方の墓に芭蕉は、雨と疲れで行けなかった。 |
| 塩竃・松島 |
隠密?だった芭蕉が伊達藩の経済力を探りに行った? |
| 有磯海 |
大伴家持が越中守の時の荒磯から。遠いし、宿が無いと言われ、芭蕉は行っていない。 勧進帳で有名な弁慶が義経を打つのは、芭蕉も渡った?と思われる伏木の渡し。 |
| 加 賀 |
一笑の墓は小さな石が置いてある。金石(かないわ)港へも行ったらしい。前田藩の財力を探るために?。 同じく勧進帳で有名な安宅の関が小松空港の近所にある。横溝正史で有名なきりぎりすの句山中も含む。 |
| 種が浜 |
真赭(ますほ)の小貝で有名な色が浜。その時の俳句が寺に残っているそうです。 |