おくの細道




 
 

    深川
芭蕉像 
芭蕉公園芭蕉像
(芭蕉記念館史跡展望庭園)

 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。

 舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老を迎える物は、日々旅にして旅を栖と

す。古人も多く旅に死せるあり。

 予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜に

さすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立てる霞

の空に、白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道岨神のまね

きにあひて取もの手につかず、引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆ

るより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
 
                    
 草の戸も住替る代ぞひなの家
 
面八句を庵の柱に懸置。
 






 
芭蕉記念館





 
 俳人百家撰(史跡展望庭園)  芭蕉記念館玄関
 
月日は
 
光陰者百代之過客  春夜宴桃李園序  李白
 
春立る
 
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関
         後拾遺和歌集 羇旅 能因法師
 
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ひなの家について(私見)

「草の戸も住替わる代ぞひなの家」の各本の解説を見ますと、次に移り住

んだ人に幼い娘さんがおられたのでとありますが(真跡の詞書に「むす

め持ちたる人に草庵をゆづりて」とあります。)、俳諧味からすると雛人形の

家なみの小さい狭い所という意味が付加されているのではと思っており

ます。

 しかし、更に進めて、これから長い道程を行く旅人の奥の細道の序の最

初を飾る俳句として、旅の歌である柿本人麿の「天ざかる鄙のなが路を」

899 第十 羇旅歌)のイメージがあったのではと考えてしまいます。

 この歌は、藤原良経が作った新古今和歌集仮名序にも掲載するほどの

旅の有名な歌であり、 序の句としての位置付けから、その鄙と雛を掛け

ていると私見ですが思っております。