| 八木邸 |
| さて、いよいよ「新選組」では欠かせない舞台。屯所となった八木邸へ! ここを見ずして、壬生へ来た意味がない! 八木邸で最初に目につくのは、お菓子屋鶴屋さん。 今の八木邸のご子孫は、和菓子屋さんなのでした〜。 ここの屯所餅がまた美味なんです〜♪ もとは、その鶴屋さんの建物があった場所に、八木邸の離れがあり、そこに近藤勇や土方歳三が住んでいたそうです。 見学料 大人:1,000円(抹茶、屯所餅付き)が必要です。 (中・高生:1,000円(抹茶、屯所餅付き) 中・高生:600円(拝観のみ) )。 中に入ると、ガイドの方がいらっしゃって、芹沢鴨とお梅さんの惨殺の解説を、たっぷりと懇切丁寧に聞かせてくださいます! かなり長いので、正座には注意しましょう〜(笑)。 さらに、八木邸内では、写真撮影が禁止されています! しかし、私はその事実を知らなかった! もう、これを逃したら当分来られないと思って、がむしゃらに撮りました! 芹沢鴨襲撃の時に、沖田くんか土方さんがつけたといわれる鴨居の刀傷。 (保存のために、透明シートでカバーされているのだ。見ると、みごとに引きます(笑))。 芹沢鴨が殺されたのは、八木家の息子が使っていた文机につまずいたため。 その残っているという机まで! ガイドの人は何もいわないし、一緒に見学してるみなさんも突っ込まない。 いや、きっと、突っ込めなかったのだ。 私には、すさまじい執念が渦巻いていたから(爆)。 だが、ちょうど外に出る時、母屋の屋敷を写真に撮ろうとして止められました! そこは、芹沢鴨とお梅さんが惨殺された部屋が見える場所なのです;; というわけで、肝心の正面玄関の写真がありません〜;; 残念〜〜〜〜! みなさんは、ルールを守って見学してくださいね〜! 私のようになってはいけませんよ〜(^^;; 新選組グッズとして、京都鶴屋鶴壽庵発行の絵はがきが800円で購入できます。 って、買うのを忘れてるーーーー!! |
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唯一、公開できる八木邸の長屋門。 石畳の通路の奥にあります。 この奥に、芹沢鴨惨殺の舞台になった母屋があります。 この門に、『松平肥後守御預 新選組宿』という檜の表札がかかっていました。 沖田くんや原田左之助とかが、何度もその表札を見に、出たり入ったりを繰り返し涙するほど喜んだと、ガイドの方は説明してくれました。 |
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鶴屋さんの横にある「鶴寿井」の水。健康長寿に恵まれることから命名されました。 新選組の隊士達も、毎日飲用したそうです。 壬生は、湧水の出ずるところで水質にも大変恵まれ、壬生菜、菜種、藍などの産地でもありました。 その藍で染めた水色は壬生の色でもあり、壬生狂言に使用する手拭いの色に使用されています。 新選組の羽織の段だら模様の水色は、この壬生の色を拝借したのだそうです。 (この羽織、隊士達の間ではいい評判ではなく、池田屋騒動では、数名の隊長クラスの隊士達しか、はおっていなかったそうです。なんか、もったいないな〜;;) |
| ■■■八木邸と新選組■■■ |
| 八木家の祖先は鎌倉時代初期に生まれ、源頼朝より今の家紋を拝領したと云われています。 その後、戦国大名・越前朝倉家を経て室町時代に壬生村に居を構え、江戸時代に他の郷士達と共に、村の経営や壬生狂言に携わり、代々、村の行司役を勤めていました。又、壬生村と京都守護職や所司代とも深い関わりがあり、中心的立場を担う有力郷士でした。 (郷士…武士でありながら城下町に移らず、農村に居住して農業を営み、若干の武士的特権を認められた者。諸藩によりその制度・呼称に差がある。) 幕末、八木家11代当主八木源之烝は、将軍上洛の警護の名目で京に上った浪士組の浪士達の世話をまかされます。 そのうち、八木家に宿泊していた芹沢鴨、近藤勇ら13名が浪士組と袂を分かち、京都守護職・松平容保のお預かりのもとに新選組を結成。八木邸のほかに前川家、南部家(現存していない。)を屯所とする中で、八木家はその中枢となります。 隊士増員に伴い、西本願寺に屯所が移転するのは、その三年後。 しかし移転後も、非番の隊士が遊びにきたり、明治維新後も、生き残った隊士達が壬生の昔を偲んで訪ねてきたそうです。 隊士達もこよなく愛した屋敷。それが、八木邸だったのです。 (八木源之烝さんは、隊士達が西本願寺に移った時、「やれやれ、スッとした。」といわれたとか。土方さんが迷惑料として置いていったのはたったの五両。その五両で酒樽を買って源之烝さんは西本願寺に届けられたと、子孫の方が語っていらっしゃいます(^^)。) |
| ■■■芹沢鴨暗殺の現場■■■ |
| この八木邸での最大の事件は、初代局長、芹沢鴨の暗殺でした。 水戸藩にいた時から水戸天狗党の頭となり、300名の部下を率いていたという芹沢鴨。 粗暴で酒癖が悪いのが問題でしたが、文武両道に秀でたりっぱな武士でした。しかし、一方で農民出身の近藤勇達を見下していたところがありました。 芹沢鴨が粛清される原因となったのは、糸問屋の豪商・大和屋を脅迫、挙げ句に倉を放火したことでした。それまでに、強引な金策を重ねたり、あちこちで問題を引き起こし、新選組は京の人々から不評を買うようになったからです。 その日は激しい雨が降っていたそうです。文久3年9月18日の夜のこと。 島原の角屋での酒盛りの後、泥酔状態で八木邸に帰宅した芹沢鴨は、本玄関につながる奥の座敷で、留守中に訪ね待っていたお梅さんと床につきます。縁側に近い方で二人は就寝。その間についたてを置き、その向こう側に平山五郎と平山の女であった桔梗屋の吉栄さんが床につきました。平間重助と平間の女であった輪違屋の糸里も加わり、この二人は、「玄関から見た右手の部屋」でともに就寝したといいます。 そんな彼らに、突然、刺客が襲いかかります。 刺客は眠っていた彼らの体を上から次々と容赦なく突き刺していきました。 平山五郎と芹沢の愛人・お梅さんはその場で命を落とします。この時、平間重助は逃亡して行方不明。糸里は、たまたま厠へ行っていたために無事でした。 芹沢鴨は、刺客に斬られながらも脇差しで応戦。襖を蹴破って一度は縁側に飛び出します。そして、隣の部屋に駆け込もうとした時、源之烝さんの息子が使っていた机につまずき転倒。 上から襖をかぶせられ、刺客達に滅多突きにされます。最後は、芹沢の首が飛んだそうです。 鴨居の刀傷は、その時についたものです。現場は、とても凄惨だったと想像できます。 その乱闘の中、隣の部屋では源之烝の奥さんの雅さんと、二人の息子達が一緒に寝ていました。この親子も乱闘に巻き込まれてしまいます。弟の勇之助君は、芹沢の下敷きになって、一緒に刀で突き刺され、右足に重傷を負ったといわれています。 この時、すでに、前川邸に近藤勇一派は移り住んでいました。 翌朝、駆けつけた近藤は、刺客は長州藩だと断定します。 しかし、源之烝の奥さん、雅さんが、後に刺客の声は、土方、沖田、原田、山南だったと告白したそうです。(ガイドの方の解説は、こんな感じでした。) (◆補足…大河では、芹沢は、息子の机ではなく、自分が投げ捨てた酒入れのひょうたんに足をとられて転倒。沖田に刺されている。これは三谷氏の脚色だが、酒好きだった芹沢がその酒瓶が原因で殺されたというのが奥深い。文字通り、ドラマの芹沢は最期の瞬間まで、大好きな酒におぼれて生涯を閉じたのだ。事実と異なる演出とはいえど、三谷氏の脚本に納得した。そのほうが、芹沢にとってもふさわしい豪快な幕引きだったように思う。きっと、三谷氏の理想がそうさせたのだろう。)
芹沢鴨暗殺以降、八木邸は主として平隊士の宿舎となったそうです。 また、新選組は、試衛館メンバーを中心に固められていきます。 この事件後、副長土方を抜いて、山南敬助が総長に格上げされます。 (今まで、局長の次が副長だと思っていました。総長の方が上なんですね…(^^ゞ) また、大河ドラマの「新選組!」に登場した八木家の長女・ひでという娘さんですが、彼女は架空の人物であることもわかりました。 八木家の子ども達は、全員男の子で女の子はいないそうです。 |
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株)京都鶴屋鶴寿庵
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