マイマイ新子と千年の魔法





アニメーションのスタッフは「時かけ」のマッドハウス。

「時かけ」で感じた夏のときめき。
輝く青葉から降り注ぐまぶしい太陽に澄んだ青空。


「マイマイ新子」でも、美しい自然の描写に感動する。



昭和30年代。
思いつくのは「となりのトトロ」。

まだまだ道路は舗装が不十分。
あぜ道の両側に広がる、広大な麦や田んぼの緑のじゅうたん。

その合間をぬって流れる美しく澄んだ透明な小川。

すがすがしい田舎の空気と、土や水の質感まで伝わってくるような映像美が心を打つ。



主人公の新子の家。
昭和の時代にごくありふれた家族の光景。


お父さんにお母さん。
無邪気な5歳の妹。
優しいおばあさん。
物知りで、新子のためにいろんな遊具を作ってくれる大好きなおじいさん。


新子はこの時代の平均的な女の子。

遊び場は近所の麦畑に小川。
自然の中にあるものを遊びの遊具にしてしまう。

たとえば小川にダムを作る。
野畑に咲いてる野草の花で遊び場所を飾り、小川に住んでる金魚をめでる。

近所には年長者で大将役のタツヨシをはじめ、シゲル、ヒトシやミツルなどの遊び仲間がいる。



そして、東京から転校してきた島津貴伊子。


貴伊子のお父さんは医者。
お母さんはすでになくなってしまい、男手一つで育てられた貴伊子は、あえていうなら、今の時代の子の代表か。


昭和30年の時代には携帯もゲームもない。

最初はなじめなかった貴伊子も、いつの間にか、新子の友達になった時から、この環境になじみだし、すっかり町の子になってしまう。


そんなところが郷愁の世界だ。




戦後の影を引きずった大人達の世界を描きつつも、新子の視点からは暗く描かれない。

つねに希望が。

バラバラになりかけても、負けない強い気持ちが、友達と貴伊子を励ましていく。



一方で、新子の想像として描かれる、1000年前の平安時代の子ども達の世界。

たびたびシンクロするように、挿入される1000年前のお姫様と土地の子ども達との交流。




原作の小説を読めば、また印象も変わるだろう。

しかし伝わってくるのは。

1000年前とこの昭和30年代の時代は、変わらない価値観があったというメッセージ。




いつの間にか失われていく。
いや、忘れ去られていく。

だけど、よく考えると、何も変わらない。

もう一度、そのことを思い出してほしいと、新子達は言葉ではなく、心の描写で訴える。




悲しいことも落ち込むことも。

心一つで明るい未来に変えられるし、そんな術を無意識のうちに身につけていた。

この時代の子ども達は、まぶしい純粋な気持ちで毎日を過ごしていた。


なんと羨ましい。なんと素敵なことだろう。

だから、映画の新子達は、いつもキラキラと輝いていて自由でのびやかだ。




映画はとても地味で、今のティーンがこの映画を見て面白いと思ってくれるのか。

ちょっと厳しい印象がある。


スローテンポにだれてしまうという危惧を抱きつつも、このスローテンポが、かえって心地よいクセになる。

その心地よさを画面から、ストーリーから感じとってほしい。




私が見たのは渋谷の映画館。

映画が終わった後、もっとも人口密度が多く、せわしない日常が「非現実的」に感じられた。

「現実」なのは、新子と貴伊子の友情から紡ぎだされる「永遠の風景」。




劇中、何気なく語られるタツヨシの言葉に心を打たれる。

自分達が大人になった時、自分の子どもに「遊び」を伝えていかないと。



「伝えることの大切さ」を物語る。

だから、この映画は「今の時代」に必要とされている。



(初出−2010.03.31.ブログに掲載)