SS  もう一度、あの頃に…

(ニルスの不思議な旅・アンソロジー本によせて)

 不思議な旅を終えたニルス。
 時は流れ、一年が過ぎようとしていた。
 久しぶりに戻ってきたニルスの家は、すっかりさま変わりして、家は火の車だった。
 それからまじめに両親の手伝いをやりだしたニルスのおかげで、一時の苦しさからやっと抜け出しかけていた。
 しかし、まだまだ家計は大変だとお母さんがつぶやくのをニルスは知っている。
 そのお母さんのためにと、ニルスは今日も畑仕事に精を出していた。
「ニルス、ここはいい。先に帰って家畜にえさをやってくれ」
 一緒に仕事をしていたお父さんが声をかけた。
 今年はいける。
 お父さんは期待を持った。
 数ヶ月前から天候が安定してくれて、麦や野菜の成長がことのほか順調だ。
 青々と茂る野菜の葉を眺めながら、お父さんは確かな手ごたえを感じた。
 不思議なことに、ニルスが家に戻ってから、順調に家の中のことが回り始めた。
 ほとんど手放した家畜も昨年が豊作だったため、半分の家畜を新しく飼いいれることができた。
 その分、また世話も大変になっていくが、ニルスが家畜の世話を進んでやると申し出てくれた。
「わかったよ、行くぞ、キャロット!」
 鍬を放り出したニルスは元気よく家畜小屋に走り去った。
「まったく…。後始末はできないんだな」
 お父さんは苦笑した。
 家の手伝いができるようになっても、どこか、まだニルスは無邪気さがぬけていない。
 しかし、それもらしいと思いながら、大目にみてやることにする。
 なぜか、ハムスターのキャロットをニルスはいつも肩や頭に乗せて動き回るようになった。
 まるで親友のようなニルスとキャロットの姿をも見ていると、お父さんは何かが変わったことを感じずにはいられない。
「さて、もう一分張りだ」
 息子に負けてたまるかと、張り合うように、お父さんは仕事を続けるのだった。


 新しい家畜は前の家畜もあわせて牛と馬が3頭づつ。
 差別なく、ニルスは木のバケツに入れた食べ物を家畜達に配っていく。
 しかし、時々、手を休めるとニルスはぼんやりと家畜達の顔を見つめた。
「もうお前達と話ができないんだよな」
 ニルスの頭に乗っていたキャロットが肩まで伝って降りてくると、どこか寂しそうなニルスの顔をじっと見つめる。
 キャロットとも会話ができないが、キャロットにはニルスの気持ちが通じているようだ。
「キャロット、そろそろアッカ隊長が戻ってくる頃だな。どうしてるかな、みんな」
 思いをはせるように、小屋の外から見える青い空を、ニルスは眺めるのだ。
 その時だった。
 家畜達が急に興奮したように鳴きだした。
「どうしたんだよ、おい?」
 ニルスは慌てた。
 家畜達を落ちつかせようと、前にいた馬の首に抱きついた。
 と、その視線の先に小さな光が出現した。
 ニルスはさらにびっくりした。
 その光に覚えがある。
 信じられないが、あの旅のきっかけをつくった妖精がまた現れたのだ。
「ああっ、妖精!」
 妖精は気取った初老のじいさんの姿をしている。
 蓄えたひげを自慢げにいじる姿はまったく変わらない。
 と、同時に、懐かしい声が聞こえてきた。
「ニルス、ニルスったら!」
 ニルスはますます耳を疑った。
 小さくなっていないのに、キャロットの声が聞こえてくる。
「ど、どうしたんだ、俺?」
 キャロットのネズミトーンの鼻ずまり声は相変わらずだ。
 キャロットはニルスの肩で飛びはねながらいった。
「もうじきアッカ隊が戻ってくるんだってば! 行こうよ、会いたいよ、僕!」
「でも…。俺、こんなんじゃ…」
 ニルスはすっかりパニックになった。
 いったい何がどうなろうとしているのか。
 すると、妖精はめんどくさそうにニルスにいった。
「アッカ隊長たっての頼みでな。1日だけ、チャンスをやってくれと頼まれたんじゃ」
「チャンス?」
 ニルスは首をかしげた。
「お前もまじめにがんばっとるようだし。ご褒美に旅をさせてやろうと思ってな」
「待てよ。俺を小さくするのか? それに、またモルテンが殺されるなんてことになったら…」
「安心しろ。悪いことばかりが時の定めではない。お前のがんばりで、魔法は一日だけ、お前の願いを叶えられるようになったんじゃ」
「じゃあ、またみんなに会えるんだね!」
 ニルスは声を弾ませた。
「ただし、明日の朝日が昇るまでに戻ってこないと、また大変なことになるぞ」
 妖精の忠告はニルスに届いているのか。
 しかし、ニルスの高揚感は最高に達した。
「ありがとう、妖精さん!」
 ニルスはキャロットを手に乗せると感激しながらいった。
「キャロット、あの旅のことは1日だって忘れたことはなかったんだぜ。そりゃ、近所の子ども達と遊んだりするけどさ、あの『仲間』は特別なんだ。キャロット、お前とまた話ができるなんて思わなかったよ」
「ずっと僕も見てたからね。僕もずっとニルスと話がしたかったんだよ。でもさ、ニルス、突然いなくなったりして、お父さんとお母さんは大丈夫かい?」
 ニルスは少し肩を落とした。
「そうだ、俺、家を出て行けないや」
「心配はいらないよ、ニルス」
 そういったのは馬のフルーディオだ。
「妖精からお願いされたんだ。お父さんとお母さんには、僕達がごまかしておこう」
「どうやって?」
「病気のふりをして、ニルスがお医者さんを呼びにいったってことにすればいい」
「一晩も無理だよ」
 ニルスは目を丸くした。
 と、妖精が胸をはった。
「わしを誰だと思ってる? 魔法でごまかすことができる」
「なんか心配だけど…信じるよ、じゃあ!」
 ニルスは力むと腹をくくった。
「そのかわり、ご飯はさらに奮発してもらうわよ」
 新入り牝牛のマルクがそういった。
「うん、まかせておけって」
 そういいながら、心はあの大空の世界に向かっていく。
 いや、ニルスの体は宙に本当に浮いた。
 あの時と同じだ。
 妖精の魔法がかけられていく。


 ニルスの視界は広く大きくなった。
 すべてが成長し、ニルスを飲み込むようにでっかく高く伸びていく。
 体が小さくなる瞬間、そんな錯覚になる。
 わずか何秒の間のことだけど、ニルスの感覚はとっても長く、遅く感じられる。
 そして、フっと意識が遠のくように、記憶がわずかな間、薄らいでいく。
 ややあってニルスは気づくのだ。
 小さくなった体はとっても不便だけど、普通のサイズの時よりも自由でとても軽く感じられると。
「行くぞ、キャロット!」
 愛用の笛つき三角帽子をなびかせ、キャロットと一緒に一気に外に飛び出した。
 そこに、旅の仲間、ガチョウのモルテンが駆け寄ってくる。
「ニルス、行くぞ!」
「モルテン、頼むぞ!」
 それを合言葉にニルスはモルテンの翼をよじのぼり、あの時と同じ、首筋にしっかりとしがみついた。
「モルテン、あなた。私達も行きたいわ」
 モルテンとともに、家にやってきたダンフィンがすっかり成長した子ども達とともに集まってきた。
「ダンフィン、悪い。今回はニルスとキャロットだけっていわれちまったんだ」
「ずるいぜ。父ちゃん!」
「そうだ、そうだ!」
 子ども達も抗議しまくったが、妖精との契約は絶対だとモルテンはいいきかせた。
「へぇ、すっかりえらくなっちまったな〜。モルテンは」
 キャロットの突っ込みもなぜか懐かしく感じるニルス。
「キャロット〜、つべこべいうと落っことすぞ!」
 モルテンにすごまれると、キャロットは身をすくませた。
「ひぇ〜、ご勘弁!」
「悪い、ダンフィン、みんな。このチャンスを逃がすわけにいかないんだ」
 ニルスは罰が悪そうに肩をすくめた。
「アッカ隊はしばらく同じ沼にいるはずだ。後からみんなで会いに行こう、な。」
 モルテンの提案で、家族はどうにか納得した。
「よし、ちゃんと捕まれ!」
 モルテンの羽ばたきはまだ衰えていない。
 いや、さらに力強さを増しているかのようだ。
 そして、あの時のように。
 ニルスは「鳥」になった。
 大地を後に、広大に青く澄んだ空の世界へー
 心地よい風を受け、モルテンの羽根音を同化しながら。
 ニルスの心はどこまでも飛躍していく。


 ニルスはガン達の呼びかけを聞いた。
「ニルス!」
 あの仲間達が後方からみごとな編隊を組んで向かってくる。
 先頭に立つのは、母のように優しく、凛とした美しさと威厳を秘めたアッカ隊長だ。
「アッカ! みんな!」
 呼応するニルスの瞳は、太陽の光を受けて、さらにまぶしく輝くのだった。


-end-

(初出−2010/01/31 BBSに掲載)