トリトンとの出会い

 私はいつ、「トリトン」に出会ったのか、はっきりと覚えていません。
昭和47年当時、小学1年生だった私は、いつのまにか、「トリトン」の番組をみていたような気がします。
何話のどこのシーンを見ていて、どこのシーンを見ていなかったのかも、わかりません。
断言すると、最初と最後の部分は、見たことがありませんでした。
覚えがあるとすれば、友達同志で、「今日は、『トリトン』見る人〜?」「はーい!」なんて、手をあげていた、というやりとりが、蘇ってきます。


 「トリトン」本編に関しては、ピピとトリトンとの、ケンカシーンが印象に残っています。
ルカーとともに、トリトンが泳ぎ、オリハルコンの剣を手に、かっこよくトリトンが戦っていく。
そんな姿に憧れていたのは、確かだったと思います。
それと、誰もが印象強いと語る、クラゲの「カコーン」という音。
マーカスの「ガイ」というかけ声。
確かに、これだけは覚えています。
そして、やたら暗い画面が多くて恐かった、というのも、当時は感じていたと思います。
子供の中には、それが「恐い。」といって、泣く子もいたみたいですが、私は恐いと思いつつも、何か魅力をもって、見ていたのでしょう。
ただ、このときはこの後に、自分が、こんなにこの作品の影響を受けることになろうとは、考えもしなかったのでした…。


 さて、私は関西出身です。当時、放送していたのは、朝日放送でした。
本編がいつのまにか終わってしまったことを、私はどう感じたのでしょう。
ちょっと思い出せません。
でも、その後、夏休みになると、きまって「トリトン」の放送があり、それで、毎年、とても楽しみに見ていたことは覚えています。
けれども、それでも、全部見れたことはありません。
この再放送の時期は、小学校中学年の頃でした。
リピートされる「トリトン」の作品に、さらにおもしろみを感じ、見られるときは、どんなことをしても見てやろうと、構えていたのを覚えています。
親に洗濯物をたたむようにいわれ、それをしながら、「トリトン」のテレビに、かじりついていた時もありました。


 そして、この頃に感じたトリトンの印象は、「おもしろい男の子」だったように記憶しています。
繰り返されるピピとのケンカに、子供の私でさえも呆れました。
さらに、毎回ハラハラしながら、「続きはどうなるのだろう。この後、早く見たいよ〜。」なんて、胸を躍らせていたことも覚えています。


 少しずつ、ストーリーも把握しかけていました。
よく見ていたのは、「突撃、ゴンドワナ」と「ゴルセノスの砂地獄」。
最初の「メドン」の回から「イルカ島爆発」の頃まで。
なぜか、その間が記憶から抜けてしまっています。
おそらく、家族旅行で見なかったり、また、高校野球の放送なんかでブチ切られていたのを、わかっていなかったのだと思います。
その中で、デモラーを倒したトリトンが、なぜ泣き叫びながら走るのか、そんな心理を理解することは、まだまだできませんでした。
それに、あの主題歌。
放送が流れると歌えるのに、普段は、思い出すこともできませんでした。
なんか、知りたいのにわからないことが多すぎるアニメ。
だからこそ、ジレンマがいっぱい出てきました。
そのこだわりをずっと後までひきずり、興味と、もちろん引かれたこともあって、「トリトン」という作品は、私の中で、勝手にだんだんと膨らんでいきました。
できたら、「学校の視聴覚室にあったビデオで、トリトンが見られたらいいのに〜。」なんて、考えたりもしました。


 ところが、そんなとき、「トリトン」はある日、突然、私の前からいなくなってしまったのです。
やはり、親のいいつけで朝のテレビを禁止されてしまったのですが、その年には、なんと、朝の7時から放送がありました。
それを知ったのは、母親の実家先でした。
そこで、私は数日、自由に暮らしていました。
でも、たまたまテレビをつけたら、いきなり「トリトン」のオープニングが〜〜;;
ひっくり返りました。しかも、その回は、またしても「ゴンドワナ」。
よほど、この回に縁があるのか、神様がそこだけしか見せてくれないのか、結局、またもやチャンスを逃してしまい、そのショックで呆然でした。


 しかし、その年を最後に、関西では再放送が途絶えました。
以降、十年以上も放送されていません。
トリトンは、私の中で「幻のアニメ」として、欲求不満の塊と化し、そのとき、長年の追っかけ人生の基礎を築いてくれました。


  トリトンとの2度目の再会

 トリトンと出会えるのは、まさにその放送時だけです。
グッズも買ったことはありません。あるのさえ、知らなかったのです。


 その日は塾の帰りでした。
たまたま、本屋で「トリトン」を発見したのです。
それは、「ファンタジーアルバム」でした。
たった1冊、他の雑誌よりも前にあったので、目につきました。
もちろん、飛び上がって喜びました。
だけど、私は「ファンタジーアルバム」という本の名前すら、わかりませんでした。
ただ、トリトンの本を突然見つけて、びっくりするだけでした。
キャラクターさえ忘れてしまっていて、「緑のツンツン髪の少年、こんな絵だったんだ〜。」と、見るのさえ恐かったです。
イメージが崩れるのが、なんとなく、イヤだったというか…。
私は、トリトンというキャラクターに恋をしていたのでしょう。
本当に恥ずかしかったです。でも、立ち読みをして感動にひたりました。
そのまま買えたら、どれだけ嬉しいか…。
ただ、当時の価格は750円。かなり高かったです。親も、そんなこずかいを、すぐにはくれません。
その日は、トボトボと家に帰りました。
「どうせ買ってもらえない。」ということは、身にしみて感じていました。
その翌日、同じ本屋に行きましたが、そこに「ファンタジーアルバム」は、もう、ありませんでした。
一瞬の出会い・・・。
そのときはそれで終わり、私も肩を落としました…。
ちなみに、私が「ファンタジーアルバム」の名前を知ったのは、数年前、古本屋で、偶然見つけて購入することができたからです。
その本そのものも、私にとっては、ずっと“幻の一冊”だったのです。


 さらに、月日が流れて1年後くらい…。
ようやく、ヤマトの人気に火がつきかけて、ブームが訪れようとしていた頃です。
ある新聞記事が目に止まりました。
「海のトリトン」ドラマ編レコード発売。
狂喜乱舞です。さっそく切り抜き、きっちりと、しまいこんでしまいました。
ヤマトとひっついていたけど、まあいいか。当時は、ヤマトも好きになりかけていました。
「ファンタジーアルバム」のようなことは、経験したくない。
親と交渉して、やっとLPもゲットできました。
念願がかない、それだけでも、私には大きな成果でした。
レコードを聞くだけでも、私はワクワクしました。
そう。これが長年、追いかけていたストーリー。トリトンの主題歌。トリトンとピピとルカーの声。
初めて鈴木宏昌さんのBGMがおしゃれだと気づけたこの感動…。
ただ、ストーリーが最終回を迎えた時、首をひねりました。
「どういうこと? トリトンが悪い、なんていってるけど、どうしてそうなるの?」
レコードのセリフだけでは、その意味は、すぐにピンときませんでした。
「ようやく最終回が聞けたのに。なぜよ。」、という感じでした。
この最終回のどんでん返しというのは、アニメ誌の情報で、その後から、私は理解できたのでした。
この頃だったと思います。
プロデューサーの西崎氏があのヤマトのプロデューサーだということを知ったのは。
一方で、ヤマトばかり再放送されるものだから、ついに、アカデミーの西崎氏あてに、「再放送要求の手紙」を出してしまいました…;;


 さて、中学になる頃、まさに、アニメブームの全盛でした。
「ヤマト」をはじめとする、松本零士作品に盛り上がり、すぐ後に、オンエアされた「ガンダム」に、私も、一緒になって燃えました。
周囲の友人も、アニメ好きが多かったから、堂々と、アニメの話で盛り上がれたのです。
でも、純粋なトリトンファンは、周囲にいてくれませんでした。
だけど、みんなは、私がトリトン好きだと知ってくれていて、話はあわせてくれました。
学校に持ち込んだ、「振り返りトリトン」ポスターも好評でした。 そんなとき、いきなり話題となった「トリトン」の映画化
それまで知らなかったのですが、「アニメージュ創刊1周年記念」の表紙が、トリトンだったのに、私は飛びついて買いました。
そんな雑誌まであったのか…。
私は「トリトン」の映画化よりも、また、「トリトン」がこうして話題になって、実際に、手で触れられることができるようになったことのほうが、嬉しかったのです。
映画は見に行けませんでした。
その後に公開される、「999」の予定があったためです。
見に行く相手もいなかったので、諦めるしかありませんでした。
それに、新作を期待しましたが、「前半の編集版」だということで、期待が半減してしまったのでした;; 
はっきりいって、浮気してしまってます…;;
ただ、このときも待っていました。再放送を。
他の地区は頻繁にやってるのに、なぜ、関西だけがこんなにないのだろう。
新聞に掲載されるテレビ欄を、いつも、恨めしげに見ていました。
今年はやってくれる。
その期待だけをもっていたのですが、結局、その年も再放送がなく、また、がっかりしてしまいました。


 一方で、メディアの方は、盛んにグッズを販売してくれたので、そちらを買いに走りました。
といっても「テーマ音楽集」と「ロマンアルバム」の2種類くらいですが…。
そのとき、また、新たな事実を発見!
「トリトン」に、ファンクラブが存在したというのです。
しかも、放映当時から結成され、私よりも数歳年上のお兄さん、お姉さん達で盛り上がっている。
その事実にびっくりしました。
そのうえ、自主制作レコードまで販売されたというではないですか。
それは、ゲットできなかったので、またショックが大きくなっちゃいました。
だけど、「トリトンファンは私一人だ。」と思っていたのに、こんなに多くの同胞がいて、しかも、全国に支部があって活動している。
再放送の要求から、自主制作レコードへの携わり、また上映会や新作要求へと、その幅広い活動に、ただただ感動し、「私は間違っていなかったんだ。」と、本当に安心できました。
でも、私はファンクラブには入りませんでした。
活動を見ていたら、みんなすごく「トリトン」の作品のことに詳しくて、絵もうまいし、文章もうまい。
それに、会費を払うお金など、とうてい手に入らないし…。
さらに、受験をひかえていました。
その状況上、断念するしかなかったのでした。


 ただ、アニメ誌のおかげで、情報にはついていくことができました。
トリトンファンクラブのように、「トリトン」に関した貴重な情報や資料が見れたわけではありませんが、他に、情報が手に入らないので、それだけでも、ありがたかったです。
しかも、今まで音声だけしか聞くことができなかった「トリトンの最終回」も、高校のときに手にした「アニメディア2月号」で、フィルムストーリーという形で目にすることができました
小説も買いました。
それで、初めて全ストーリーの流れを掴むことができ、確かに小説の出来は誉められませんが、大きな成果になりました。
それまで、描けなかったキャラクターをまねて描きだしたのも、この頃からです。
この頃は、おおっぴらにアニメが商業ベースの対象の一つになり、業界も、こぞって売り込みに乗り出したので、容易に、個人でも欲しい情報が、手に入るようになったのです。
それはそれでありがたかったのですが、私個人の考えや感想は、メディアの情報に影響されすぎたところがありました。
まだまだ、「トリトン」という作品を受けとめるばかりで、自分の中で、消化できていなかったのだと思います。
その原因の一つに、「映像を一度も見れなかった」というのが、大きな穴だったような気がしてしまいます。


  LDボックス獲得奮闘記

 中学、高校時代に盛り上がりを見せたアニメ熱ですが、短大に入る頃、少しずつ内容も散漫になって、おもしろみが減ってきました。
社会人になった私は、アニメからも、一時、遠のきました。
でも、好きなアニメは好きでいられたし、もちろん、「トリトン」も“第一候補”として、あげることができます。
「トリトンの世界」で視野が広がりました。
ギリシャ神話や、イルカの生態に、興味がいきました。
行ける水族館にはあちこち行きまくり、イルカグッズを買いあさり、人からいただけるおみやげも、イルカグッズづくしです。
ギリシャ神話も読みあさりました。
それと、やはりアニメでしょうか。
「トリトン」と接してから、アニメの見方が変わったのです。
というより、一つの流れで、「私は、富野監督のアニメにはまってきたのだ」と自覚しています。
もちろん、すべての富野アニメを見たわけではありませんが、無意識のうちに、「トリトン」、「ライディーン」に、はまりました。
「ガンダム」や、その頃のアニメを意識的に見る前、真剣に見ていたのは、この2つの作品だったのです。


 「トリトン」の映像が見られるのかどうか、社会人以後の気持ちは、そっちのほうが大きかったです。
一方で、ビデオが発売され、高値ではありましたが、お金を出せば、念願の映像が手に入るところまで、メディアの売り込みが広がったからです。
でも、さすがに、当時10万近くのお金をはたく勇気は、ありませんでした。
ただ、テレビの特集とかで部分的に映像を流していたので、それをビデオにとって満足していたのですが、「テレビ探偵団」が引き金になってしまいました。
ちょうど、手塚治虫氏が出演された時、1話のサラマンドラの戦いのシーンで、猪の首岬に飛び上がるルカーとトリトンを見たとき、「見たい!」という衝動にかられました。
一瞬でも、その躍動するトリトンとルカーに、心が動かされたのです。
そこで、私が買ったのは劇場版のビデオでした。
1万をはたくだけでも勇気を必要としましたが、見たい衝動が勝ってしまいました。
映画放映時には、カットされたという後半部分をくっつけての構成です。
ダイジェストとはいえ、じっちゃんの別れと、最終回の「ポセイドンが悪いんだ!」というトリトンの悲痛な叫びは、胸にグッと迫りました。
思っていた以上に、絵が美しかったのも感動です。
でも、先に買った「ドラマ編」には、27話分のあらすじが紹介されていました。
一番、見たかったのは、「ロレンス親子」の回でした。
まだまだ、見れていない話がいっぱいあるし、やはり、映画版ではそれを満たすことができません。
「このまま、見れないのかな〜。」なんて思っていた時、突然、またもや波がやってきました。


 たまたま買った「TVピア」という雑誌に、西崎プロデューサーのインタビューが、掲載されていました。
「トリトン」と「ヤマト」のLDを発売するという告知です。
最初、LDに興味はなかったのですが、なんと関西地区で、しかも、系列がまったく違う読売テレビで、突然の再放送が始まったのでした。
あ〜、「TVピア」を買っておいてよかったよ〜! そのおかげで全話録画に成功しました。
仕事の都合で、見るのはかなり遅れましたが、それでも、本放送から数えて十八年を経て、ようやく、子供時代からの念願がかないました。
今、見てみると、作画の面できつい部分があります。
でも、羽根さん入魂のトリトンのアップがあったときは、アイドル気分で、きゃ〜きゃ〜いってました。
やっぱり、じっちゃんがいいキャラだ〜。
実際に見てみないとわからない、細かい部分がいっぱい出てきて、再発見が多かったです。
でも、このせいで、その年の末に出た、LD購入を見送りました。
本編が見れたのだから、お金をはたく必要はない、と判断したのです。
ただ、それから四年後に、このときの判断に悩まされるとは、思いもよりませんでした。
ちなみに、この再放送も裏でファンクラブの人達が動いたということを、私は、最近になって聞くことができました。


 その間に結婚がありまして、私は関東に出てきました。
しばらくは、趣味もおあずけにしていましたが、たまたま池袋の本屋で積まれている古澤さんの評論、 「海のトリトンの彼方へ」を手にとって読みました。
古澤さんの内容と私の考えは、若干見方が違うものの、この本との出会いは、本当に嬉しかったです。
ファンの人による、一般の人達へ訴える「トリトン」という作品への思いが、丁寧に綴られてあったからです。
私のトリトン熱も、また沸々と蘇ってきました。
その中で、しきりに説明されているLD解説書の内容
それで思ったことは、資料性が高い、ということでした。
本体はないけど、ソフトを買ってみるか。このときに、そう軽い気持ちで思いました。
でも、いざ量販店に行ってみたら、もう、トリトンのボックスは限定販売になっていて、入手不可能であることを知りました。
「えっ? 限定販売? いや、そんなはずはない。ピアの記事や直後のアニメージュの記事に、そんな表示はなかったはず!」
そう確信して、ならば中古店にもと足を運びましたが、トリトンのボックスはどこもありません。
勢いあまって、まだそのときにあった「ウエスト・ケープ」と「バンダイ」に、直接電話で問い合わせてしまいました。
それでわかったことは、「発売中止」になっていたという現実でした。


ひえ〜〜っでした! 


 今までショックはいろいろあったけど、これだけ、大きな打撃はなかったです。
だって、ほんの2年前までは、山のように店頭に積まれてあったのを見かけたのに。
しかも、同時期にリリースされた「999」の方は、いまだに店頭に並んでいるというのに。
私の予想をはるかに超えた意外な展開でした。
発売されてそれは四年目のこと。
甘かった…。
やはり、買っておくべきだった…。
マジに後悔しました。


 それからヒマがあると、都内中の中古ショップを練り歩いて、ボックスを探し歩きました。
そんな中で、「ファンタジーアルバム」が手に入ってしまいました。
それは、それで嬉しかったですが…。


 それから1年間はすべてからぶりでした。
でも、ある日、主人から連絡がきました。
「秋葉原の中古店にボックスがある。」というのです。
価格はプレミアつきで6万以上。
でも、さらに上昇傾向にあったため、そこで決断しました。
主人に買ってきてもらい、やっと、ボックスが我が手元にやってきました。
一番に見たのは、やはり解説書でした。
ただし、私は、まだその時は、ハ−ドを持っていません。
それから、さらに二年ほどそのままの状態で置いてあったのですが、コンパチプレーヤーを買ったことで、ソフトそのものを、やっと、目にすることができました。
買ったことについては、後悔はまったくありません。
むしろ、一番安心しているのは、それで振り回されることがなくなった、主人の方かもしれません…;;


  そして世界は広がっていく

 今まで、「トリトン」のファンを、一人で細々とやってきましたが、主人につられて、PCを触るようになってから、私の環境も、がらりと変化しました。
最初は、鳥の病気の情報を調べていました。
そして、たまたま「トリトン」で検索をかけてみたら、「トリトン」のサイトに行き当たったのです。
嬉しくなって、まず、そこのサイトの管理人さんに、メールを出してみました。
それがご縁で、その方のサイトの掲示板に書き込みをするようになり、そこから、新しく友人ができ始めました。
それまで、LDボックス以上に入手できないと思っていた「ホワイト」がオークションで入手できたり、友人の好意で、いろいろな資料をみせていただける機会も増えました。
なんと、PCの素晴らしいことか…。


 私は、ひたすら、トリトンの27話の作品内容を追いかけてきましたが、ふと、思うことがあります。
「こんなにトリトンのことを好きになったのはどうしてだろう?」
今までは、追うばっかりで一生懸命になってしまい、それを聞かれたとき、言葉にできない自分に、気がついてしまいました。
確かに、「ファンタジーだ。」「トリトンというキャラクターが魅力的で、その世界が素晴らしいんだ。」などと、つきなみの言葉を並べてきました。
けれども、その本質が、ずっと、わからないままでした。
私は、いつのまにか、トリトンというキャラクターを、アニメの世界とは切り離して、独自の世界で動かすことを楽しみにしてきました。
本来、27話で終わってしまった作品ですが、おそらく長い間、放送を見られなかったせいでしょう。
その動機は、テレビの放送にフラストレーションがあり、その不満な部分を補い、自分なりに、トリトンの世界を理解しようとしていることなのだと、最近になって、思うようになりました。
しかし、それは私だけではなく、多くのファンの方がやってきたことで、私も、無意識のうちに、そんなことをしていたのです。


 私は、少年キャラが好きです。それは、他の作品を見ても、共通しています。
一つの見方ですが、“未完成なもの。しかし、日々の環境の変化や、自身の成長によって大きくよりよい方向に変化していく人”として、少年を捉えています。
なぜなら、それに、憧れを感じるからです。
私自身が未完成であり、存分に、心の成長ができなかったかわりに、少年達がその思いを実現してくれます。
そこに、私個人の感情が移入してしまうのでしょう。
そして、一番の原因は、異性として見てしまうからだと思います。
少女に目が向かないのは、私自身の生き写しに見えてしまうからです。
同性として、「未完成な部分」が、欠点として映ってしまうのです。
あまりに、個人の勝手な思い込みなのですが…。
トリトンは、一番初めに出会った“少年キャラクター”として、そんな、私の心を掴んで離さない、確固たる存在になったのでした。
しかし、トリトンというキャラクターにも、自分の理想を追い求めてしまいます。
そのせいで、私の中には「テレビのトリトン」ともう一人、自分が理想像として膨らませてきた「私の中のトリトン」が存在します。
それらは別物ですが、一つは、想像のきっかけを与えてくれた、憧れの原点としての存在として、もう一つは、本当の理想像として、ともに、愛したいキャラクター達なのです。
テレビのトリトンはもう動いてはくれません。
彼は、27話のストーリーの中にだけ存在するのです。
私は、自分のトリトンを動かすことで、それで自分の本質ともう一度向き合い、私なりのトリトンに対するアプローチができればいいなと思っています。


 先の話題に返りますが、PCで知り合った友人達は、まさに、純粋なトリトンファンの方達です。
私は、PCの世界で、初めてその方達と、ナマの会話をすることができました。
当時は、断念するしかなかったファンクラブの方達との交流が、今、ようやくできるようになりました。
その方達を通じて、トリトンの思いを語ることができるのです。
その影響たるや、すさまじいものがあります。
昨日までは、こう思っていたことが、ある些細なことがきっかけで、どんどんと、価値観や見方が変えられていくのです。
そのひとつが、「原作トリトン」のことでしょうか。
私は、ずっと「アニメのトリトン」が好きでした。
原作が、手塚先生であることを知ったのは中学の時。
でも、内容が違うと知って、結婚後に原作を読むまで、一回も原作を見ようとはしませんでした。
けれども、多くの方々の意見や考えに接していくうちに、「原作トリトン」のもつ素晴らしさ、その重要さを改めて認識することができました。
それは、好き嫌いという感情を超えて、客観的な物の見方ができるように教えてもらったからです。


 今、私の「トリトン」の認識はさらに大きく広がりつつあります。
それまで気にもとめなかったこと。
たとえば、1話でのじっちゃんの村の世界から、日本の漁村についても、詳しく知りたいと思うようになりました。
それこそ、テレビの27話は基本の世界で、そこから見えてこなかった世界を、もっともっと、表現したいと欲ぱりになってきています。
まだまだ私の「トリトン探し」は、はじまったばかりです。
表面的なものが、ようやく見えてきたにすぎません。
そこから、自分の中に隠れている、「トリトン」の本当の思いが、見つかりそうな気がします。
それは、まだまだ先のことでしょうが、その答えを探して、これからも、「トリトンおっかけ人生」が続くと、私は確信しています。


2002年2月2日 執筆ー
2003年10月25日 改訂ー