椎茸物語

 少女の手のひらは大きい。
 ボクのすべてを包み込むほど大きい。
 少女のパパは、その手を、小さくてかわいい、と言う。だけど、
 ボクのカラダを掴み取るには充分な大きさなんだ。
 ボクのココロを掴み取るためにも充分な大きさなんだ。

 かさりかさりと時折音がして、のののーん、と柔らかい風がボクの世界をそこはかとなく取り巻くときは、 およそ、水を浴びせられたときなんだ。どっと世界は重くなり、ボクはきつくつむっていた目をそっと開けてみた。
 そこに、少女はいた。手のひらの向こうにある少女の顔はほころんでいた。
「ありがとう、パパ」泡みたいな弱々しい声だったが、ぷちぷち弾んではいた。
 ありがとう? 
 ボクがここにきた瞬間を、ありがとう? 
 ボクはパパによって、この家にやってきたのだ。パパがどこかでボクを買ってきた。
 ボクだけじゃない。ボク以外に仲間がいる。薄暗いかたまりの中にボクらしきものがたくさんいる。ボクはその気配を感じる。そんな仲間は皆、水だ! とよろこんで踊ったり、昼間には太陽の光を浴びて背伸びしたりする。そろそろ生まれても、あるいは、そろそろ大人になってもいいかもな、と思っているやつもいる。そんな気配を感じるんだ。
 ボクはいつまでも子供のままで眠っているのが幸せだから、そうして密かに生きていたいけれど、少女もパパも、ボクを大人にさせたがる。
「イヤダネ」ボクは囁ささやいた。
 そうして数日で、意志薄弱な仲間たちは、次々と大人になってむしり取られてゆくけれど、ボクはそんなに脆弱ぜいじゃくじゃないんだ。
 脆弱じゃぁ、ないんだ。

 少女はボクを、木、だと言った。
 パパはボクを、菌、だと言った。
 ボクはボクを、よくわかっていなかったけれど、無価値な存在なんだな、となんとなく思っていた。

 ボクの仲間の三人ばかりが先陣を切って大人になることを試みたとき、少女は、これなに? と三日ほど口を尖らせて考えていた。四日目には、
「シイタケ?」とママに聞いた。パパは仕事をしているから、このママがよく、ボクに水を与える人なんだ。
「そう、シイタケよ」
「嫌い!」少女は泣いた。ボクを、ボクの仲間をなんだと思っていたのかは知らないが、わんわんと泣きだしたのだ。顔が真っ赤になって、水泡を作っては頬を伝わせ、ボクの上に、いくつも落ちてきた。ぽつりぽつり、生ぬるかった。「嫌い、嫌い」少女は何度も繰り返した。そして、ボクの仲間の一人を毟り取り、遠くへ投げた。
  ボクの仲間はでも、大丈夫。ママが拾って、他の仲間とともに豆腐や肉と一緒に煮込んで食べた。
「おいしいわねぇ、パパぁ」と揶揄するようにママ。
「こんなに、おいしいもの、食べないのかぁ?」と追い討ちをかけるパパ。少女は、ふて腐れ、不器用そうに握り締めたフォークで、もくもくとハンバーグを食べていた。
 ボクは少女に嫌われたくないな、と思った。

 同じようなことが、数日後にもあった。そのときの食卓には、オムレツが並んでいた。パパとママのオムレツには、ボクの仲間のバターしょうゆソテー、とやらがちょこんと添えられていた。少女がオムレツを完食したころ、
「オムレツおいしかったぁ?」とママは聞いた。うん、とねながらも頷いた。「オムレツにも、シイタケさん入ってたんだけどなぁ」とママは、したり顔で言った。少女の顔は真っ赤になって、やっぱり泣き出した。
「ちゃんと食べられて、偉い偉い」パパが少女をあやした。
「この間のハンバーグにも入ってたんだよぉ」さらにママが言うから、少女はさらに泣いた。だけど泣き止むとき、鼻をすすりながら、
「おいしかった」と少女は言った。
 ボクは少女に食べられてもいいかな、と思った。

 やがて、ボクの仲間がいなくなった。のののーん、とした空気が、ボクの世界を軽く浮かせるような感覚を与えるようになった。
「もう終わりかしらね。カスカスだわ」とボクの世界を持ち上げながら、ママがパパに相談した。そして、あまり水を与えてくれなくなった。
 ボクは目を閉じていた。
 死んでしまう……
 このままだと死んでしまう……そんな焦燥に駆られながら、眠れずにいた。そんなとき、
「シイタケさん、もうできないの?」がらんどうの世界に、寂しげな少女の声が響いた。ボクは渾身こんしんの力を振り絞って目を開けた。
 ボクは、少女に食べられたいな、と思った。

 少女はボクを、木、だと言っていた。
 パパはボクを、菌、だと言っていた。
 ボクはボクを、よくわかるようになって、無価値な存在じゃない、と思えるようになっていた。

 しかし、ボクの気持ちを伝えるすべはない。水がないと、湿気がないと、ボクは外に出られない。気温もこのごろ低い。ぬくもりが必要だ。
 ママが諦めてボクを捨てようとした。少女は泣いた。
 ボクのために泣いてくれた? 
 そして再び、ボクに水が与えられたのだ。ただの水道水だった。蛇口からたっぷり浴びた。ボクにとっては、愛くるしい少女の生ぬるい涙を浴びるようだった。本当は、それより少し冷たかったけれど、ボクはそんなに脆弱じゃないんだ。
 脆弱じゃぁ、ないんだ。

 いつかの仲間のように、水だ! と悦んで踊ってみた。太陽の光を感じ背伸びだってした。育っていった仲間たちによって、栄養が乏しくなったであろう世界の中で、必死にもがいたんだ。
「マットケ」とボクは囁いた。
 そして、翌日ボクは頭上の壁を破った。少女の小指の先っちょくらいの頭を覗かせた。それに気づいたママは、また水を与えてくれた。四日でボクは成長した。少女の手のひらくらいの頭になったのだ。
「分厚いなぁ」と家族は声を揃えて言った。ボクは分厚いらしい。少女は満面笑顔で喜び、ボクを丁寧に毟った。ボクのすべてを毟った。
「バターしょうゆで食べたい」少女がボクの味付けをリクエストした。最後の1つとして生まれてきたボクは、少女のものとなる。
 おぼつかない手つきでお箸を握り、食卓でボクを待つ少女。ボクはその間、ママにじっくりと焼かれた。パパは少女に正しいお箸の持ち方など教えながら、一緒にボクを待っていた。ボクはなにやら模様の入ったお皿に乗せられ、ベトベトの姿で食卓へと運ばれた。

 ボクを嫌いな少年、少女!
 ボクを、ボクの仲間を、たくさん食べるといい。こんなに一所懸命、生まれてきたんだ。栄養だってある。どうか、たくさん食べるといい。
 育てると、きっと楽しくて大好きになるだろう。だから、君も育ててみるといい。そしてどうか、ちょっと軽くなったって、しばらく芽がでなくったって諦めないで欲しい。ボクみたいな意固地な仲間がいるかもしれないから。

 それじゃあ、さようなら。
         少女の口元から……お箸につままれて。         しい 茸雄たけお              了

(C) Kyo Chidori op.21

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