第七祖『法然(源空)上人』
(ほうねんしょうにん)
      
末法濁世の凡夫が凡夫のままで救われる道として、如来の本願に等しく悲引される唯一の仏道を念仏往生として明らかにされました。

 
 第7祖は親鸞聖人が師と仰がれた法然(源空)上人です。法然上人は、長承2年(1133)に現在の岡山県久米町にお生まれになりました。九歳の時、治安警察をしていた父がある者の恨みを受け命を落とします。

 その父の残した「敵を恨むことを捨てて出家し、ともどもに救われる道を求めよ」という遺言に従って、出家し天台の教学を学ばれました。そして、ひたむきに生死を超えて行く道を求められましたが、その求道の願いは満たされませんでした。

 そこで上人は5千巻余りの経典『一切経』を読むことを決意されました。そしてついに43歳の時、善導大師(第5祖)の著書『観経疏』のなかに「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々にすてざるをば、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に順づるがゆえに。」という一文に出遇われ「ただ念仏」の信念を確立されました。

 法然上人の主著である『選択本願念仏集』に出離生死の道は往生浄土のほかになく、また往生浄土のためには、称名念仏のほかに道はないことを明らかにされました。速やかに生死を離れる道として浄土の一門を選びとられたのは、末法濁世の中に生きる凡夫の自覚に立っての仏道の選びでした。

これを親鸞聖人は『正信偈』に、「真宗教証興片州(真宗の教証、片州に興す)」と歌い、法然上人がこの日本という片隅の地に明らかにされた真宗の教えと証(あかし)を歴史的な意味を持つ仏道の興隆として讃嘆されています。 

 こうして法然上人は、末法濁世の凡夫が凡夫のままで救われる道として、如来の本願に等しく悲引される唯一の仏道を念仏往生として明らかにされました。
 
七高僧

法然(源空)上人