第六祖『源信和尚』
(げんしんかしょう)
      
罪煩悩具足の身として絶望するしかなかった民衆の生きて行く原点が、仏によって与えられていることを明らかにされました。

 
 第6祖は日本の源信和尚(恵心僧都)です。源信和尚は、天慶(てんぎょう)5年(943)に現在の奈良県の当麻町にお生まれになりました。7歳で父と死別して、天歴8年(954)13歳で慈慧大師良源を師として出家されました。

 15歳の時天皇の命により宮中での法華経の講師に任ぜられ、そのすぐれた学徳を讃えられました。しかし、母親から地位や名誉を求める心の芽生えをいさめられ、源信和尚は名利の念を絶ちひとえに真の仏道を求めて研鑽に励まれました。

 そして源信和尚は著書『往生要集』に、末法濁世において私たち凡夫が浄土に往生する道は、念仏の一門による外ないことを明らかにされました。「一一の光明は、普く十方を照らし、念仏の衆生をば摂取して捨てたまわず。我またかの摂取の中にあれども煩悩眼を障(さ)えて見たてまつるにあたわずといえども、大悲倦(ものう)きことなくて常に我が身を照らしたもう。」という源信和尚の表白に、
親鸞聖人は感銘され高僧和讃に、
 煩悩にまなこさえられて  摂取の光明みざれども
 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

とうたわれています。称名念仏の一道こそ、釈迦一代の教説の中心であり、本願の仏道の歴史に随順する道であることを源信和尚は自覚されたのです。仏の倦(う)むことのない深く広い大悲に摂め取られる道が、源信和尚によって「唯称仏(ゆいしょうぶつ)」の念仏として開かれ、煩悩具足の身として絶望するしかなかった民衆の生きて行く原点が、仏によって与えられていることを明らかにされました。
 
七高僧

源信和尚