第五祖『善導大師』
(ぜんどうだいし)
      
罪悪生死の凡夫である自己が本願の力によって往生することが疑いなく信知され、
往生の一道に立つ


 
 第5祖は中国の善導大師です。善導大師は隋の煬帝大業9年(613)に生まれられました。『法華経』や『維摩経』を学んだ後『観無量寿経』に出遇い、その教えを深く学ばれました。さらに浄土教を学ぶためにはるか玄中寺に道綽禅師(第四祖)を訪ね『観経』の講説を聞き経の深い意味を知って阿弥陀仏の本願に帰依されました。
 当時中国の仏教界では『観経』は仏と浄土の観想を説く経典として広く読まれていて多くの注釈書が生れていました。その中で善導大師はそれまでの解釈を正して経の真意を明らかにし、念仏の教えの持つ真実性を明らかにしようとして『観経疏(かんぎょうしょ)』を著されました。いままでの『観経』の解釈と善導大師のそれが大きく異なるのは、それまで『観経』は聖者のための経典だとされてきたものを、実業の凡夫(現実の苦しみや悩みを持って生きる凡夫)のために往生浄土の道を教えている経典だと領解されたことです。善導大師は、人間存在を凡夫としてとらえ「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)より已来(このかた)、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と信ず、と表されています。自らの力では迷いから永遠に抜け出ることができないという自己の罪障の深さを自覚するものこそ「わが名を称えよ」と呼びかける本願を深く信知することができると明らかにされました。罪悪生死の凡夫である自己が本願の力によって往生することが疑いなく信知され、往生の一道に立つことになると教えられています。

 
七高僧

善導大師