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2007年 9月
インターネット法話
テレホン法話
0968-78-1333(毎月 1日、11日、21日更新)
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電話のお話3分間
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熊本県長洲町安正寺 住職 隈部 壽春 |
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猛暑と言われた8月を過ぎ、秋のお彼岸を迎えましたが、暑さ寒さも彼岸までと言う、恵まれた環境の中の生活を、今あらためて考えさせられる事は、幸いのなかの幸いですね。人は考えるところに人を取り戻します。煩悩具足と言われる凡夫の生活を、親鸞聖人は、具縛の凡衆と示されます。そしてその意味を、よろずの煩悩に縛られたる我等なり、と教えられますが、大経下巻に説かれる釈尊の悲しみは、仏陀の悲しみ、如来の悲しみ、それを如来の大悲と表されますように、これこそ悲しみの中の悲しみと表されます。その悲しみは、道すでに有り。如来まします。千の風に乗って吹き回るのでは無くて、いつも貴方と一緒に大悲の心をもって生き続けていらっしゃいます。如は一如と言って、いつも一緒と言う事です。そして体を一つにして、いつも離れる事はありません。煩悩の雲きりに覆われてニッチモサッチモ行かなくなっても、如来は一緒であればこそ、そこに必ず道を開いて下さいます。不思議に開かれる道なればこそ、お蔭様と仰ぎ、如来他力の御回向と頂く事が出来ます。これを御彼岸と言います。御彼岸には如来のお働きが隈なく行き届いて、煩悩の雲きりを照らしきって、煩悩の暗闇を通して、輝き照らす智慧の光の尊さから、自然に沸き起こる報謝のお念仏、如来と共に喜びあえる今日の一日こそ、お彼岸の中の生活を表しており、お彼岸はいつも、私達を間違い無き道に立たしめんと働き通していらっしゃいます。 | |