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2003年 6月
インターネット法話
テレホン法話
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熊本県長洲町安正寺 住職 隈部 壽春 |
6月6日は清沢満之師の御命日ですが、亡くなられて100年になりますね。昨年からいろいろな行事が行われて、満之師の生涯とその心を尋ねさせて頂いて、あらためて親鸞聖人が示される本願他力のみ教えが、近代自我意識の知識世界に、その根本となり現成する事を鮮明になさった功績を称えずにはおれません。安正寺先代の隈部慈明は満之師に師事し月刊誌精神界に本願と念仏の身証を掲載し、命終後の月の精神界が金子大栄先生の隈部兄逝く。と言う追悼をもって最後となり以後廃刊となった事は、心に残って消えません。しかし、精神界は今に私の上に生きています。私が幼い頃、炉辺で母の兄の慈明と満之先生の事を語り聞かせてくれた事どもは、今の私の命となっています。満之先生のわが信念の言葉は、その頃からの血の流れとなっています。当時信念と言う言葉は、他力回向の真宗教団には異流の感を抱かせた様ですが、帰命無量壽如来、南無不可思議光。と言う正信偈の冒頭の二句の墨跡を目の前に拝する時、信念とは、正信念仏の信念の他にない事は明らかであります。曽我先生が「我は如来なり。されど我は如来にあらず。如来我となりて我を救いたもう」と言う言葉に表される、如来真実の我が、愚痴無能の我を立たしめる願と行こそ、満之師の信念の根本本体であります。歎異抄の中の、「念仏申さんと思い立つ心の起こる時」と言う御言葉こそ、我が信念の根源であると、思わずにおれません。
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