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2003年 5月
インターネット法話
テレホン法話
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熊本県長洲町安正寺 住職 隈部 壽春 |
眼に青葉 山ホトトギス 初鰹。自然の営みの恵みは限りなく大きく働いています。それに比べて人間の営みは小さく限られています。仕方ありませんね、一人一人のしのぎですから。でも自然の働きの中の一人であるならば、その働きの一部分を果たすべきでしょう。自然の心、自然の願いを、釈尊は真実心と教え、それを本願として無量壽経に説かれます。一人一人が生きる場合に自己を守るのは当然の事です。 そこに自己防衛の執心が生まれます。そこに釈尊の心の探求が始まります。自己とはなにか、守るべき自己とはなにか。自然の中に生きるすべての生物のイノチの本体はなにか。生物の根源の出発点に帰ってみれば、一から出発したはず。その原始を忘れて個個の立場にたつとき、一人の身を守る事にのみとらわれて、元の心を失って行くこととなります。ちがいの発見とか、文化の違いとか、お互いを尊敬すると言う事にのみとらわれて、最初の出発点にある心を見失ったところに、人間の迷いがあります。
釈尊の生命の営みを表す物語りに、餓えた虎に身を捧げる話しがありますね。 自然と人間の道を追求して山中に行じていた求道者に聞こえてきた言葉、−諸行は無常なり、これ生滅の法なり。・・そうだ、一切は移り変わる、移り変わればこそ、ものは新たにうまれ変わり、また滅する。生存の歴史がはっきりと頷けて来た。しかしそれだけでは人間として生きるには不充分。どうすれば善いのか。後の言葉を求めて山中に足を踏み入れて出会ったのは、子をもつ餓えた虎の姿であった。行者は尋ねた。先ほどの言葉は貴方だったか。ーそうだー。では尋ねるが後の言葉があるはず、教えてほしい。虎は答える。−−教えてもいいが、今わしはこの子の為に人の肉がほしい。それさえ得られれば答えよう。行者は言った。−わしのこの身をあげよう教えてくれ。教えられた後の言葉=生滅を解し得れば、一切の動乱も消滅する。歴史の根源に帰れ。本来の心の声を聞け。弥陀の本願こそ、一切を生かすいのちの働きである。と釈尊はお示しになりました。
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