2002年flower6月
テレホン法話・インターネット法話
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熊本県長洲町安正寺 住職 隈部 壽春


 6月6日は清沢満之師の百回忌の御命日であります。親鸞聖人が明らかにして下さった浄土の真宗を歎異抄を基本にして、現代の思想史に明るい灯火を掲げて下さった、唯一の師であります。釈尊以来、自他の存在の意義を解明し続けた歴史の中で、真の主体性の確立を如来に定め如来の本願に精神の基盤を置いて、わが信念と表明されたのは、親鸞聖人が、雑行を棄てて本願に帰す。と宣言された、浄土真宗の生命を受け継ぎ、全生命を挙げて開示されたものでした。その中で「我が信念」は病床の中、死を前にして述べられた心底からの遺言であり、全生命の発露でもありました。信念と言えば、自力の世界の事のように受け取られますが、実は正信念仏」を表す実語ですね。同じ言葉であってもその人の表明する内容を受け取る事が大事になって来ます。それを「聞」と言います。   親鸞聖人は、「聞」を「信」と表されます。仏法は無我を表明します。それは『我』の実相を窮めた所からの言説です。我は、主体的、慈悲的、全責任的、実働的、恒動体を表します。それは、本願真実の念仏を置いて他にありません。とすれば、真実の我の前に、招き寄せられたのは、唯念仏して、弥陀に助けられまいらすべし。と言う、法然上人の浄土宗宣言の、弥陀の本願に誓われた如来選択の「眞信念」のほかにありません。清沢先生の「信念」は、如来の「眞信念」でありました。そこに念仏の現行があります。