2001年flower9月
テレホン法話・インターネット法話
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熊本県長洲町安正寺 住職 隈部 壽春


 秋のお彼岸の月を迎えました。暑さ寒さの厳しさを離れ、穏やかな中にも身を引き締める時でもありますね。彼岸と言う言葉からも、この身を照らす彼の世界が親しく感じられて、静かに手を合わせ拝まずにおれない佛の世界でもありますね。佛の国と心をつぶさに説かれた大無量壽経に、先ず説かれたのが佛の歩みその物でした。曰く「入佛法蔵究竟彼岸」佛の法蔵に入りて彼岸を究竟し、仏法の世界の生命を確認して、その世界は数多の他の世界とは確実に異なり、他の世界からは彼の国と言わずにおれない世界である事は明らかで波を隔てて接する事が出来る事を岸と言う一字で表していますね。しかしその世界は唯離れていると言うばかりではなくて、その国の内容を何処の国にあっても証する事が出来る事をまた経典には「於無量世界現成等覚」と説かれます。彼の世界は全てを越え離れているが、仏力によっていかなる世界にあっても一寸違わず世界の精神と実践を証する事が出来ると説かれます。それを証する為に、釈迦如来はこの世にお出ましになったのでした。彼の国から来た人、光の国から来た人、ライテッドマンと釈尊を称えます。彼岸の世界をこの世界にもたらされた人、それを如来と言います。ここで私たちは彼岸の世界を戴く事が出来るのです。それはつぶさに説かれています。聴聞の外にありません、聞く事一つが開かれています。彼岸の世界に生まれる道は唯聞く一つに委ねられています。聞くと言う事は聞思の外にありません。