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      2023.2.1  第27願 万物厳浄の願(まんもつごんじょうのがん)
   
       

第27願 万物厳浄の願
たとい我、、仏を得んに、国の中の人天、一切万物厳浄光麗にして、形色殊特ならん。窮微極妙にして、能く称量することなけん。そのもろもろの衆生、乃至天眼を逮得せん。
よ能く明了にその名数を弁ずることあらば、正覚を取らじ。


[大意]もし私が仏になるとき、私の国の人の用いるものの色や形が、清らかで美しく、その妙なることは、はかりしれないくらいであって、多くの人が天眼通(どこまでも見抜く目)を得ても、そのありさまを知り尽くすことはできないでしょう。
そうでなかったならば、私は決してさとりをひらきません。



  この二十七願には、「一切万物厳浄光麗」とあります。これは、私の国(浄土)にいる人々の用いるものすべてが、みな美しく光り輝いている、という言葉です。 私たちが日常的に用いる、身近な品々が、みなすべて光り輝いている、というのです。たとえば、朝起きて口をすすぐコップでも、洗面器でも、食事の時の一膳の箸でも、そのすべてが、「厳浄光麗(光り輝いている)」でなかったならば、というのです。しかし、私たちはこのようなことに、こころを配ったことがあるでしょうか。すべて当然のこととして、日常生活を営んでいます。使っているものが、光り輝いているなどと思ってみたこともありません。この二十七願は浄土の菩薩方の用いるすべてのものが、おごそかで、浄らかであることを願ったものであるのと同時に、浄土におけるものの豊かさをも誓っていると考えられます。浄土のものの豊かさは、あらゆることを見ぬくことのできる天眼通をもった者でも到底知り尽くすことはできないとあらわされています。私たちの世界では、ものの豊かさは、そのままこころの豊かさということではなく、逆にこころが貧しくなる、というのが実態です。こころの貧しさがものを豊富にし、またものが豊かになればなるほど、人間のこころがやせ細っていく、という私たちの現実を見通しての誓いでもあったのです。

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涅槃会法要■
 2月19日(日) 午後1時 勤行、法話
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