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      2021.9.1  第10願 漏尽智通の願(ろじんちつうのがん)
      2021.9.1  暮らしの仏教語 「世界(せかい)」
      
       

第10願 漏尽智通の願
 たとい我、仏を得んに、国の中の人天、もし想念を起こして、身を貪計せば、正覚をと取らじ。

[大意]もし、わたしが仏になるとき、わたしの国の人々が、いろいろと思いはからい、その身に執着することがあるようなら、わたしは決してさとりを開きません。


 6つの神通力の最後は「漏尽智通」です。この「漏」とは煩悩のことです。漏はもらすとか、もれるということで、宗祖は人間を「有漏の穢身」といわれました。つまり、止むことなく漏らしつづける存在ということです。私たちは肉体的にも精神的にも、さまざまな汚れ穢れたものを漏らしつづけています。身体で、口で、こころで、くる日もくる日も漏らしつづけています。あくなき欲望の追求(貪欲)、すぐに腹を立て自分を見失う(瞑恚)、自分の思い通りになるはずだと思い込んでいるおろかさ(愚痴、無明)この三つを三毒の煩悩といいます。「もし想念をおこして身を貪計せば」は、「この身に執着して、この身の思い通りに生きるようなことしか思えない自分に、目覚めないならば」という意味です。この身を貪る自己愛が、「煩悩」そのものです。親鸞聖人は私たちの真の姿を「煩悩具足の凡夫」とあらわされました。思い通りに生きたいという思いを一生止めることのできない、煩悩に埋もれてしまっている我が身を自覚する名です。「漏尽智通」は煩悩を絶対に捨てることのできない我が身が自覚されるまでに、私を見通し我が身の根源を教えていただく仏さまの智慧なのです。

法座のご案内
秋季彼岸会法要■
9月23日 午後1時~3時
 勤行・法話 『歎異抄』に学ぶ

■宗祖お逮夜法座■
9月27日
 午後1時~3時 勤行・法話[前住職]