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      2025.3.1  正信偈の教え③          
               
       

           正信偈の教え③
 本願に救われた喜びを人に勧められた偈文
 
「正信偈」の構成
 「正信偈」は、最初に親鸞聖人の信心の宣言が述べられ(帰敬序)、続いて、その信心の根源となる『無量寿経』の内容が「依経段」として置かれ、その教えを受け伝えた七高僧の教えが「依釈段」として置かれます。
 「依経段」は、阿弥陀仏の本願について述べた《弥陀章》と、お釈迦さまが説かれた内容を述べた《釈迦章》とで構成されます。《弥陀章》では阿弥陀さまの本願の建立と完成が、《釈迦章》では釈尊がこの世に出られた意味(出世本懐)と、本願の利益、本願を信ずることの有難さが示されます。
 「依釈段」では、最初に七高僧すべてを讃えられ、続いて龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信僧都・源空聖人の七高僧の教えが讃えられ、最後に私たちに信心を勧めて「正信偈」を結ばれます。

構成の意味
 「正信偈」は、親鸞聖人が本願に救われている喜びを表現し、その喜びを人々に伝えて恩徳に報いるために著されました。「正信偈」が親鸞聖人の信心の表明で始まり、「唯可信斯高僧説(ただこの高僧の説を信ずべし)」で終わるのは、「正信偈」が、信心を讃え、勧める讃歌であることを意味しています。では、親鸞聖人は「正信偈」をどのような意図をもって構成されたのか。ここでは「正信偈」の構造から、親鸞聖人の真意をたずねてみましょう。
 「正信偈」は、親鸞聖人の信心が表明され、その後に弥陀章・釈迦章、七高僧のことが述べられていきます。それは、親鸞聖人の信心が、阿弥陀さまの本願、釈尊の導き、七高僧のお示しによって起こったものであるからです。つまり、信心とは、自ら起こしたものではなく、弥陀・釈迦・七高僧によって起こさしめられた、他力の信心であるのです。また、弥陀・釈迦・七高僧の順番についても注意すべきでしょう。親鸞聖人は、『歎異抄』第二条において、念仏の教えが真実である根拠を「弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なかるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず」と阿弥陀さまの本願から始められます。これは、阿弥陀さまの本願に触れてその真実性を実感しておられたからこその論理です。親鸞聖人が、常に本願を根拠にしていかれたのは、本願に救われてある身だったからこそ、その喜びを人に勧められたのです。 
法座のご案内
春季彼岸会法要

 3月20日 午後1時~3時
法話 『歎異抄に学ぶ』