正信偈の教え②
「正信偈」の成り立ちと展開
「正信偈」の正式名称である「正信念仏偈」にはどんな意味があるでしょうか。
親鸞聖人が最も重視されたのは阿弥陀さまの四十八願の内の第十八願でした。「正信念仏偈」とは、第十八願に示される「信楽(他力の信心)」と「十念(他力の念仏)」を受けて名付けられたのでしょう。つまり、「お前を救う」と言われた阿弥陀さまの仰せにまかせた「信心」が、口をついて現れ出たのが「念仏」ですから、「正信念仏偈」とは、阿弥陀さまの救いの確かさに、ほれぼれと念仏する身の喜びを歌った讃歌であると言えるでしょう。だからこそ、「正信念仏偈」には、阿弥陀さまの本願の確かめと、七高僧が押さえてくださった阿弥陀さまの法義が凝縮されて歌われているのです。また、親鸞聖人は「正信念仏偈」を「正信偈」と略して呼ばれ、決して「念仏偈」とは呼ばれませんでした。それは、浄土真宗はただ念仏の教えではありますが、それは本願によって救われるという信心を外してはあり得ないからです。「私が念仏したから救われる」ではなく、「お前を救うと願われた如来の本願によって救われる」という信心の喜びが声となった念仏を「正信念仏」と言うのです。そのことを誤らないように、親鸞聖人は「正信偈」と呼んでくださったのではないでしょうか
「正信偈」の選述意図については、親鸞聖人ご自身が「正信偈」の直前(偈前の文)に曇鸞大師の『浄土論註』を引用され、「仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りていはく」と述べておられます。つまり、親鸞聖人が「正信偈」を書かれたのは、阿弥陀さまの本願に救われてあることの喜びを表現し、その喜びを人々に伝えて恩徳に報いるためなのです。だからこそ、親鸞聖人は何度も「正信偈」のご文を推敲(「すいこう)され、人々にも阿弥陀さまの救いと喜びが伝わるように願いを込めていかれたのです。
浄土真宗では、古くは日々のお勤めに『六時礼讃』や『阿弥陀経』などが拝読されていましたが、存如上人の時代に『教行信証』から「正信偈」が別立てされ、蓮如上人によって「正信偈」「和讃」が朝夕の勤行となりました。また、蓮如上人は文明五(1473)年、『三帖和讃』に『正信偈』を加えて開版され(文明本)、「正信偈」のお勤めを一般化していかれました。それ以来、約550年、歴代門主によって『正信偈・和讃』は開版し続けられ、「正信偈」は真宗門徒の生活となって今に伝えられています。
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■涅槃会法要■
2月16日 午後1時~3時
法話 『歎異抄に学ぶ』
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