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      2025.7.1  正信偈の教え➅
               
       

 正信偈の教え
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓

[読み方] 無上殊勝の願を建立し、稀有の大弘誓を超発せり

[意訳] この上ないすぐれた願いを立てられ、かつてない大いなる誓いを発こされた

この上にない勝れた願い


 この句には、法蔵菩薩が殊のほか勝れた願いを発されたことが述べられています。その願いは、実は、私たちにとってとても大切な願いなのです。『仏説無量寿経』によりますと、世自在王という名の仏が法蔵菩薩の願いを聞き入れられ、あらゆる方角におられる多くの仏さまがたの浄土の成り立ちをお示しになったと説かれています。菩薩は、示されたそれらの浄土の様子、そしてそれぞれの浄土の人びとのありさまをくまなく見届けられたのです。

 諸仏の浄土を見届けた上で、法蔵菩薩は、無上殊勝の願、つまり、この上にない、殊のほか勝れた願いを立てられました。それは、他の諸仏が浄土を建設しようとされた時のお気持ちとは違った、法蔵菩薩だけの志願であったのです。浄土に往生できていないすべての人びとを救いたいという願いでした。
 『仏説無量寿経』に「無上殊勝の願を超発せり」と説かれているところを、親鸞聖人は、「無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり」とくわしく言い換えられました。
 希有というのは、希に有るということ、つまり希にしかないこと、という意味です。法蔵菩薩は、他に例のない大きく広い誓いを発されたということです。ここで誓いといわれているのは、「無上殊勝の願」を願いのままで終わらせることなく、その願いを必ず実現させることを誓われたということなのです。しかも、超発といわれているのは、他の仏より超えて勝れた誓願を発されたということです。この誓願が、実は『仏説無量寿経』に明らかにされている四十八願です。四十八からなる法蔵菩薩の願いのなかで、もっとも注目されてきたのが、第十八の願です。その願文は、「たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く」というものです。これは「至心信楽の願」、もしくは「念仏往生の願」といわれている本願です。法蔵菩薩は、世自在王仏の前で願いを発され、そして誓いを述べられました。「たとえ私か仏に成ることができるとしましても、十方のあらゆる人びとが、心を尽くして、私の浄土に生まれることを信じて楽い、念仏したとしまして、もしもその人びとが浄土に生まれることができないのであれば、私はむしろ仏の覚りを得ることはないでありましょう。ただ、五つの重い逆罪を犯す者と正しい教えを謗る者だけは別です」と。心から念仏して浄土に往生することを楽う人ならば、誰でも往生させてあげたいというのが法蔵菩薩の願いなのです。

 ここに、「唯…をば除く(唯除)」とあります。法蔵菩薩が誰でも往生させたいと願いながら、そこから排除される者があるように見えて、奇異に感じられます。しかし、この文は「抑止の文」といわれていますように、「唯除」というのは、往生から排除することが目的なのではなくて、このような罪を犯さないようにと、あらかじめ、いましめられている慈悲に満ちた教えなのです。
 なお、五つの重い逆罪とは、一般には、父を殺すこと、母を殺すこと、阿羅漢(聖者)を殺すこと、仏のお身体を傷つけ血を流させること、サンガ(教団)の調和を破って分裂させることとされています。 

 これらの重罪を犯した人としてよく知られているのは、マガダ国の阿闇世王と、提婆達多という仏弟子です。阿闇世王は、父の頻婆娑羅王を死にいたらしめて王位を奪いました。そして頻婆娑羅王をたすけようとした母の韋提希夫人をもう少しで殺すところでした。また、仏弟子でありながら釈尊に反逆した提婆達多は、釈尊を害そうとして傷を負わせ、それをたしなめた阿羅漢である比丘尼を殺害し、仲間を引き連れてサンガから去って行ったと伝えられています。

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