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      2022.1.1  第14願 声聞無数の願(しょうもんむしゅのがん)
   
       

第14願 声聞無数の願
 設い我、仏を得んに、国の中の声聞、能く計量ありて、下、三千大千世界の声聞・縁覚、百千劫において、ことごとく共に計校して、その数を知るに至らば、正覚を取らじ。

[大意]もし、わたしが仏になるとき、浄土の聖者の数に限りがあり、また三千大千世界の声聞・縁覚などの聖者たちの数を、長い年月のうちに、計算しつくすようならば、私は決してさとりを開きません。


 この前の願、第十二、十三願「光寿無量の願」はすでに成就し、救いの大悲のはたらきは隅々まで届けられています。しかし、自我に埋没しきっている私たちは、そのはたらきに気付くことができません。「気付かないでいる自分に必ず気づかせる」という願いがこの十四願の願いです。
 声聞とは、声を聞くもの、つまり仏の教えを聞いてさとる者という意味です。また、縁覚は、独覚とも言って、仏の教えによらないで自らさとり、他人に教えを説かない聖者という意味です。声聞、縁覚いずれも仏道に励む聖者ですが、自己の覚りのみを求める者といわれ、一番救われ難い存在としてあらわされています。それは、声聞・縁覚は個人的に煩悩を超え、たすかったという自己満足に陥り、人間が悩み苦しむ存在であることを忘れてしまっている一番罪深い存在だからです。
 仏法を聞いても、仏さまの光明と寿命の広大さを自分の思慮分別の中に押し込めて満足し、声聞というありかたに陥ってしまう私たちを気遣われ悲しみ、必ず救うと誓われたのです。
 親鸞聖人は、本願の智慧に照らされた浅ましい我が身を「浄土真宗に帰すれども信心の心はありがたし。虚仮不実の我が身にて、清浄の心もさらになし。」と反省され「恥ずべし痛むべし」と懺悔されています。
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御正忌報恩講法要■
 1月15~16日 13時
勤行、法話