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      2025.10.1  正信偈の教え⑩
               
       

 正信偈の教え
   本願名号正定業 至心信楽願為因

[読み方]
 本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。

[意訳] 
 本願の名号は正しく往生を決定するはたらきをする。第十八の至心信楽の願が往生の原因となる。


行ぜしめる願いの成就

 「本願の名号」といいますのは、「南無阿弥陀仏」のことです。法蔵菩薩は、どのような人もすべて救いたいと願われたのです。もし、すべての人びとを救うことができないのであれば、自分は仏には成らないと誓わたのでしか。そして、法蔵菩薩のこの誓願は成就したのです。つまり、「南無阿弥陀仏」という名号を私たちに与えることによって、私たちが苦悩から救いとられて、間違いなく浄土へ往生することが明確になったのです。それで、菩薩は阿弥陀仏に成られたわけです。阿弥陀仏の本願は、私たちが生まれてくるよりも前から、もともと私たちのために立てられている願いなのです。そして、その本願は現に私たちに対してはたらき続けているのです。そのことに気づいていない私たちを目覚めさせるために、「南無阿弥陀仏」が私たちに施し与えられているのです。姿のない本願が「南無阿弥陀仏」という、私たちがいつでも、どこでも称えられる名号として、私たちに差し向けられているというわけです。そのような「南無阿弥陀仏」が、まさしく、私たちの往生を確定させるはたらきとなるのです。それが「正定の業」ということです。与えられている「南無阿弥陀仏」をありがたくいただいて称えることが、自分の力では悩み苦しみから脱け出せないでいる私たちの救いの原因となるということなのです。

 
信ぜしめる願いの成就
 この本願の名号が、私たちの救いをまさしく確定させるためのはたらきとなるのは、実は、法蔵菩薩が立てられた願いが原因となっているからです。すなわち、法蔵菩薩が立てられた四十八の誓願のうち、「至心信楽の願」といわれる第十八願が、私たちの往生の直接の原因となっているのです。
 すべての人びとが、法蔵菩薩の建立しようとされる浄土に生まれることを求め(欲生)、心を尽くして(至心)、そこに生まれることを信じて願い(信楽)、そのことを念じたとして、もしも、その人びとが往生できないのであれば、自分は仏には成らないと、法蔵菩薩は誓われたのです。それが第十八の誓願です。

 本願の名号、つまり「南無阿弥陀仏」によって、私たちが往生することが、まさしく確定しているのは、とりもなおさず、法蔵菩薩の第十八の願いが成就して、阿弥陀仏に成られたからなのです。ありがたいことに、私たちは、何とかして助けたいという深い願いがはたらいている世界に生まれてきているのです。
 しかし、私たちは、そのような願いに応えようとしないのです。また、応えることができないのです。そのような私たちのために、さらにありがたいことに、「南無阿弥陀仏」が届けられているのです。それなのに私たちは、自分の都合にこだわって、「南無阿弥陀仏」を軽んじてしまいます。
 何とも情けない私たちに、親鸞聖人は、これらの偈文によって、「本願のかたじけなさ」を教えておられると思われるのです。
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秋季婦人会法要

 10月19日 午後1時~3時
法話 『正信偈に学ぶ』