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熊本県長洲町安正寺
エコウ6月号第390号
2008年6月1日発行
浄土の真宗
本願一実の大道
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如是我聞一時佛在。お経の始まりのお言葉ですが、真実なるお言葉を聞く事が出来た今のひと時、其処に現実に如来の現前に居所を与えられた身の事実に、真実なるイノチに生かされて居る事実の成就にこそ、生まれた意義、生きる喜びが満たされるのであります。その他に何をもってしても人間誕生の意義は成就しないでありましょう。あったとしても、所詮、自己満足の中に閉じ篭って、ひとり自分の穴の中で寂しく終わって行く他に無いようです。
弥陀の本願に十方衆生よと呼びかけられるのに、十八。十九。二十。の三つの願があります。共に、一心に生きよ、と呼びかけ、一心に生きる世界を成就している我が国に生まれよ、我が国に生まれようと思う心を起こせ。その声に揺り動かされてお念仏の声が湧き出て下さる。そこの心を、歎異抄の第一章に、親鸞様のお言葉として、「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて、往生をば遂ぐるなりと信じて念仏もうさんと思い立つ心の起こる時、即ち、摂取不捨の利益に預けしめたもうなり」とあります。弥陀の誓願は総ての衆生へのイノチのはたらきであります。一人一人、必ず、人生としての生涯を全うせしめる大願業力を成就した念仏の働きで即。如来の願力の世界に目覚めさせて下さるのです。諸善萬行を必要としません。お念仏の中に既に、諸善萬行を成就して私たちに廻施して下さってあります。蓮如上人がその心を、大無量壽経のお言葉を引いて、「令諸衆生功徳成就」と説けり。とお文に述べられます。阿弥陀佛は因位法蔵の修行の中で、一切の行を、清浄真実の一心を貫き通して、南無の行を成就して下さいました。阿弥陀佛となられた時、同時に南無の行も成就して南無阿弥陀仏の如来と成られました。阿弥陀佛はそのまま南無の如来となり、一切の衆生のイノチと一つになって、南無阿弥陀仏と働いて下さってありますから、お念仏申す時、阿弥陀様と私とは南無阿弥陀仏の声で、阿弥陀様の本願力に抱かれて、摂取され、護念され、この不可思議なる願力を成就して今現にお働き下さっている如来は、他にいらっしゃらないと同時に、一切の佛も、諸天も諸神も敬服し、その実現をこそ願うところに、天神地祇の使命である。と言う神意に依って、念仏者を、夜昼常に護って下さるので、「念仏者無碍の一道なり」と歎異抄に述べられました。去る日、NHKの朝の番組。心の時代で、禅宗のお坊さんが「沢木興道師」の指導を得て、禅三昧を得て、宇宙一杯と一つになった境地を得て、よろこびに満たされたが、その時を過ぎれば、また元の妄念に返ってしまう、これではと言う不審から念仏者の世界を訪ね、念仏三昧を得て、宇宙一杯がお念仏となった時、禅三昧も、念仏三昧も同じ境地であったかと目覚め、あるけば念仏、座れば禅のみちを歩いて居ます。と言う事でしたがお念仏は境地を言っているのではありません。境地は心地、観念の世界です。親鸞聖人がお示しになるのは、阿弥陀仏の願と行と誓願をお示しになるのです。境地とか心地とか気持ちとか人間の心の世界を言っているのではないのです。人間の考えを土台にしてあれやこれやと思案する全体を挙げて、帰命し礼拝し賛嘆し尽くさずにおれない如来の智慧、慈悲、願行の真実精神に、遇い得た喜びを信心歓喜と、大無量壽経に弥陀の本願成就のありさまを、お釈迦様自身の体験の事実を審らかに、お弟子に説いていらっしゃるのを、大聖自説の経典として、親鸞聖人は、真実の経。とお示しになったのであります。お念仏のなかには、弥陀の本願(真実の精神)弥陀大悲の行(一切の善根)阿弥陀佛の信(一切を摂取して一心を成就)阿弥陀佛の証(無知無能の身に真実の願心と、真実の願心からなる行心と、真実の願行によるお育ての事実に目覚めさせて下さった)心行に、永遠不滅の闇を照らし破る、不可思議の力溢れる、南無不可思議光如来の、御名こそ、南無阿弥陀仏であります。
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