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熊本県長洲町安正寺

エコウ6月号第379号
2007年7月1日発行

出離の強縁
お念仏は生活の全体を全うする

 かっての時代は、六月の末から七月にかけて一斉に田植えが行われていましたが近来機械化されてあっと言う間に、済んでしまう様になりましたが、自然の運行には予測が難しいようですね。早く植えたが良いから、一週間程遅らしたが良いに変わって、上手く台風の季節を乗り切れるかどうか定かではありませんね。仏陀は一切の運行を無常、と教え、無我「一切は意識と経験を超えて存在を与えられている」と示して、涅槃の世界をお示しになりました。その涅槃を親鸞聖人は、小、中、でなく大涅槃を開明し、無為涅槃(ムイネハン)界、真如、浄土、如来とお示しになりました。無常無我なる世界にあって仏教究境の涅槃界に至る道として小涅槃へは四諦八聖道が説かれてはありますが、@苦諦A集諦B滅諦C道諦の諦念を凡夫の意識に成就する事は難の中の難であり、実はその四諦こそ仏陀の真諦其の物であり、そこに示される八正道こそ正覚への道であり真実の道であります。@正見=物事を正しく見る。法華経に諸法実相と言う事が説かれます。総ての中に真実あり。と言う事ですが、一切の中に真実が見えるでしょうか。真実は何か、解りませんね。A正思=心の中に正しい思いを持つ。いつも思う事は自分の思いで想像しているに過ぎません。想像はあくまでも化像であって空中に浮かぶ雲のような物に振り回されている事実に目覚める事は甚だ難しい物です。アアそうだったかときずいて見ても、其の事だけの物であって、総てがそうだとは思えないものなんですね。B正語=正しい言葉。人間は言葉によって交わりを結びます。災いは口からと言われて来ましたが、身も心も口から出入りする物によって作られて行きます。其の中で言葉は、人を喜ばせ、悲しませ、悩ませ、苦しみを与え、自殺にまでも追い込ませる元になったりします。正しい言葉って難しい物ですね。C正業=正しい行い。行いと言っても、心と言葉と体が一つになった行い。身口意(シンクイ)の三業と言って人間の行いは二次元三次元を超えて影響を及ぼす行いですから、其の中で正しい行いとは凡夫の思いを超えています。D正命=正しい生活。毎日毎日生きている限り生活を離れる事は出来ませんが、正しい生活をしているでしょうか。裸で生きるわけには行きません。衣、食、住を持って生かされておりますが、刻一刻と移り変わる時にあって、生き活きているでしょうか。生かされている御恩に報いているでしょうか。御恩を蹴散らして御恩を踏みつけて素知らぬ顔の生活になってはいないでしょうか。E正進「正精進」=正しい努力。正しく進む。正しい方向に向かって努力しているでしょうか。五つの欲望に向かっての努力に覆われているようですね。衣食住は勿論、名誉と利欲の山に迷い込んで方向を見失ってニッチモサッチモ行かなくなって、溜め息の中に腰を抜かしているのではありませんか。F正念=正しい心根(ココロネ)。心の根っこを正しい所に置いているでしょうか。大波小波、打ち寄せる社会の動きに翻弄されて自身に与えられた生命の使命。見出されたでしょうか。一人一人の身に特に捧げられた心の根っこ。その人にだけ贈られた身と心。その発見こそ一大事の問題であります。G正定=正しく安定する。身も心も生活も挙げて安定した日常を持つ事こそ仏陀の如来の一貫した願い其の物の道こそ、この八正道のみ教えであります。正道はまた聖道とも言われ、正しく聖なる道であり、この道に立たせたい一心に、この道を行じ尽くして、行の功徳である涅槃。無上大利の清浄安穏なる生活。この一生を如来の心身と共なる歩みとして下さる行こそ、南無阿弥陀仏のお念仏である事を親鸞聖人は御聖教の中に如来の大行として御示し下さったのでありますから、そのみ教えを聞かせて頂く時、生活の全体が尊い如来の行によって支えられている事であって御念仏で私達の全体が全うされて行きます。