|


熊本県長洲町安正寺
エコウ6月号第378号
2007年6月1日発行
出離の強縁
お念仏は慈悲と智慧なる生活の音
|
六月六日は清沢満之師の御命日ですね。親鸞聖人が明らかにして下さった真の仏教、浄土真宗を現代思想の中に身を持って開示して下さった大いなるご恩が仰がれます。浄土真宗は親鸞聖人の教えを頂けば、如来二種の御回向であるとあります。御回向(ゴエコウ)と言えばお分かりの様に如来様の御働きを表しますね。如来様御自身のお働きに二つの方向を持っていらっしゃると言う事です。一つの方向は往相(オウソウ)、浄土への道。二つには還相(ゲンソウ)、浄土から穢土(エド)への道。浄土は真(マコト)の世界真実の世界。真のマコトが形として現れてくださった物を実と言います。真は必ず実となります。もし実とならなかったならば、それは真とは言えません。そして真は総てを生かしきって行きます。人は良く「生かされている」と言う事を言います。それは生理的、肉体的生存状態を言うのではなくて、精神的に満足する状態を表すのですが、なんとなくと言う感覚を表して居るようです。もしも真に生かされていると言う思いが起きたと言えば、必ずそこに報謝の思いが沸き起こって来るでありましょう。往相回向と言う事は、お浄土と言う世界を親鸞聖人は無量光明土と讃えられます。無量と言う事は満ちている事を表します。光明は智慧を表します。智慧は事物を完全に了解する事です。それを佛智と言います。佛智は総てを知り尽くしていますから、人間の知恵ではありません。総てを知り尽くしてある智慧でありますから、真と言うべき物であります。その真は実相を表していますから、其の物に触れればワダカマリを離れて安心の世界に落ち着くと共に、喜びとなり、その智慧に生かされて行く事が出来ます。もしもその智慧に会う事が出来たとすれば、それは凡夫の力では無くて、智慧其の物の働きと言う事は歴然としています。それを往相回向、如来回向、願力回向、佛智回向と言われるもので、それは如来の慈悲の働きに依るものであります。如来の働きは智慧と慈悲、智慧を光で表し、慈悲を壽で表しています。智慧あれば慈悲を生み出し、慈悲あれば智慧を生み出します。慈悲と智慧は離れず一つになって常に働きます。常恒不断、働き通しで絶える事は有りません。だから如来様は常に光のイノチをもって総ての人を護念して下さっています。護られ通しです。にもかかわらず不平不満の自心で生きて真の働きを見向きもせずに、真の働きを黙殺して自分の努力だけで生きているかの如き思いこそ、佛護念(ブツゴネン)の心を踏み躙る罪深き心と言わなければなりません。その報いには、深い慶びから離れ、ヤッタと言う一人善がりの満足に落ち込み、褒めて呉れる者だけに心傾け、思いに適わぬ者への不満と腹立ちに走り、お蔭様と言う、見えぬお守りと護持し止まぬ御働きに眼を向けぬ孤独の世界に沈み込んで折角の大いなる功徳の世界から自ら離れ、これで良いんだと一人の世界に閉じ篭って、周りの功徳の味わいを知る事の無い肩と意地を張った世界に閉じ篭った生活を疑城胎宮(ギジョウタイグウ)と大無量壽経には仏陀の言葉があります。真実の教えは大無量壽経に在り、と親鸞聖人はお示しになりました。真実の精神を弥陀の本願として、それを実証し説き尽くされたのが、釈迦牟尼如来の教え、仏教であります。その仏教のなかに弥陀の本願の行である御名号を身をもって頂きその利益を実証しながら賛嘆し、その教えを素直に受け取れない衆生の心底を大悲しながら、聞いて呉れ、受け取って呉れと言う大いなる願いに今尚生きて下さってある相(スガタ)こそ、今聞こえる、お念仏南無阿弥陀仏であります。南無阿弥陀仏は十方の衆生の一切のイノチの中に一緒になって常に恒に真実心を亡失しないように行じ尽くしていらっしゃいます。「弥陀の本願信ずべし、本願信ずる人は皆、摂取不捨の利益にて、無上覚をば、悟るなり」親鸞和讃は本願の智慧が凡夫の心に入り満ちる喜びをお勧め下さってあります。
| |