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熊本県長洲町安正寺

エコウ4月号第376号
2007年4月1日発行

出離の強縁
お正信偈は夜明けの勤行

 仏教は主体性を持って生きる事を教えます。釈尊の出家は、求道に始まります。真実義の探求。生きて年齢を重ね、病と共に終わる儚い人生を尊い物として実を結ぶ、生命の結実。たとい誰にも理解出来なかったとしても、悔いる事の無い素晴らしい歩みであったと喜べるものでありたいと言う願いをこそ実現せしめる物こそ仏教であります。もともと仏陀と言う言葉其の物が、覚者(カクシャ)真理に目覚めた人の事を表す言葉であります。佛は如来を表す十号の名の一つであります。十の名の一つ一つはどれを取って見ても真理に生きて自由無碍なる活動体を表します。歎異抄第十条に、念仏には無義をもって義とす。不可称、不可説、不可思議の故に。とあります。自然の真理道理にのっとった生き方でありますから、計らいの無理が無く大らかに一日が送られて行きます。この頃のように天地自然の運行に不自然な雲行きの変化を見ればなんとなく落ち着きを失ってしまいますね。数年前から地震の連続発生。倒壊した家屋の前に佇む老齢の人達。NHK朝の連続ドラマ、芋たこ、なんきん。思い掛けない出来事に、町子おばさんを中心にそれぞれ精一杯の生き方をする中で自分と他人との中を十分に見届けながら人の心の中を推し量りながら人の間柄を崩さないように努力している事は、特に現代に於いて大事な要件に思われます。歎異抄第一章に「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて」と、ありますが、弥陀の誓願は、弥陀の本願と言って老少善悪のひとを簡ばず。人間は自己の思考分別の中で生きて行きます。取捨選択の自由も自己の思考能力の範囲を出る事は出来ません。とすれば、なにを選ぶにしても、自分の穴の中での出来事であって全責任は、自己にあります。この事が納得出来ていないようであります。他に向かっての愚痴と腹立ち、相手にすべき人を間違えているようですね。それぞれ御縁を頂いて生かされて行きます。一心に生きる。尊い事ですね。たくさんの人が一心に生きています。政治、経済、教育、文化、医療。それぞれの分野で本当に身を尽くして働いて下さっています。頭の下がる思いがします。お疲れ様です。御苦労様です。声の掛け合いが生きています。仏教では、「無我」を説きます。人間は生まれた時から、父と母との人の間に生を与えられます。それから一年、夜も昼も隔てない、親の育ての御苦労の中で成長が保障されています。それこそお蔭様のなかでの日常です。段々と能力を育まれて一人前になって見れば、お蔭様を忘れてしまい、自分自身で立って居るかのような錯覚に陥ってしまいますね。御恩をすっかり忘れて、お山の大将に成りきってしまいます。其のころからいろんな出来事に出会って、考え違いであった事にきずかされてゆきます。初めて四つの御恩に眼が覚めますね。@に、親の恩。Aに天地の恩。Bに人々の恩(衆生の恩)。Cに仏様の恩。Cの仏様の恩は、久遠の古から私の魂に寄り添って、諸善万行の根本善である根源的善行「自利利他」の平等清浄の行成就された南無阿弥陀仏の行。この行こそ万人平等に生かされる行。これを、誓願不思議と言い、釈尊は自らこの利益を得て、難信の法と言い切り善く説き終えた事を、阿弥陀仏の一心のお働きであったと証明して八十年の生涯を念仏一つに結んで終えられました。親鸞聖人の生涯も同じく、念仏こそ人間精神の根本を流れる正しい心の世界である事を、正信念仏偈を制作して正しい心と正しい行とが一つになって働いて下さるのがお念仏であると説き終えて今に尚、真実の行はお念仏である事を説き続けていらっしゃいます。何故真実の行であるかと言えば、それは真実の心を表しているからであると述べられます。真実の心は如来のお心、除苦悩の法。一切の苦悩を打ち破って下さる行。如来様直々の行。他力本願直々の心行こそ南無阿弥陀仏のお念仏であります。帰命无量壽如来、南无不可思議光、お正信偈は毎日夜明けの勤行です。