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熊本県長洲町安正寺
エコウ3月号第375号
2007年3月1日発行
出離の強縁
お彼岸は春麗 慈悲の国
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| 出離と言うのは、生死を離れ出ると言う事ですが、生と死の間には老と病があります。それを一つにして生老病死、「ショウロウビョウシ」四苦とも言って、人生其の物を表します。四苦八苦、人生は苦なり。併しその苦と言っているのは何かと言えば、その人の思いですね。釈尊は苦と言う認識を智恵無き無明に起因すると言う仰せですね。ではその智恵とは何か、これが人生苦を凝視し解明し苦からの脱出と共に人生を喜び生きる道へと導いて下さるのです。阿闍世が良心の呵責に怯えながら、今、自分はまさに、地獄の世界に落ちていると身も世も無く苦しみ悶えている時、教え導かんと人々がやってきますが、どの言葉にも苦痛から開放すものはありませんでした。皆そうなんですよと言われてみても現実の苦痛からは遁れられません。忘れようとしても身が知っている以上身に共なる心が知らないと言ってみても身を離れられない心の自由にはなりません。六師外道と言って、人間の知識の全体を表していますが、何を持って来ても、人間生活の解決には程遠いものがあります。@には善悪といってみても何が善かまた悪か判らないじゃないですか、気にしない方が良いと言いAには、何もかも御縁でそうなったのだから諦めなさいと言いBには、悪かったと言っているけど本当に悪かったのかどうか判らないではないかと言いCには、してしまった事をとやかく悔やんでみてもどうしようも無いじゃないか。と言いDには、善も悪も人間が作ったもの、楽しい方向に心を向けて元気を取り戻しなさいと言い。Eには、悪は悪、罪を遁れる道は無い、悪の報いを離れる為に一心に苦行して身も心も罪を離れた清らかな自身を取り戻しなさい。と言われても、今この苦悩の中にいる身として、どれを取るにしても判断出来るものではない。その時、仏法の御縁が開かれてきました。よき人の声と亡き父の声、今こそ聞きなさい、御仏の教えを。天地自然の法則を。一切世界の動き、自然の動きに、二つ有り。一つには、天地自然の動き。二つには、人間自然の営み。あらゆる生き物と自然界、共に因果の法則の中にあり、法則の外にでる事は出来ない。因と果。その間に縁を教えるところに仏教があります。因がストレートに果になるのではなくて、必ずそこには縁が存在します。併しその縁は因に無関係ではなくて、因が縁を呼び、縁が因に催されて現れますから、最終的に因に責任があることが明らかになってきます。因の因の因。初めに何があったのか。生きんとするイノチの誕生。その動きの流れが連綿として四十五億年の歳月が流れ、現在の地球家族を形成している。それぞれの地域環境に人間の知恵才覚で破壊し生成し、今なお続く人知の経営。温暖化現象と共に、衣食住の変貌。殺すなかれ、殺させるなかれ。の仏陀の叫びは愈愈、激しく聞こえてきます。「天上天下唯我独尊」仏陀誕生の声と伝えられますが、一人一人のイノチに根源からのイノチの声が掛けられています。それが南無阿弥陀仏の声。南無「ナーム」は皆一緒。阿弥陀経の中に「倶会一処」とあります。阿弥陀仏のお働きのなかに共に生かされていると言う事を表しています。阿弥陀仏は無限の智慧と慈悲とのイノチを持って一切を抱き取り、治め取って、正道である大慈悲の心に触れてほしい、精一杯智慧と慈悲とを傾けて、自力我執の扉を開き、春麗らな彼岸の世界に眼を開いてほしいと言う限りなき運動体を、親鸞聖人は本願力回向とお示しになります。本願力は大慈悲のお働きです。まことの智慧と慈悲とを開いて下さる不可思議な働きであります。一声の南無阿弥陀仏のお念仏の声の中に永遠不滅の身と心の生命力が漲って、諸天善神悉く夜昼常にお護りのなか、諸仏は身近に寄り添って、あらゆる悪鬼を近かずけず、護って下さる世界に生きる事をお彼岸と言います。春麗。触光柔軟。優しく、明るく、柔らかく、サラサラと水が流れる様に人生を運んで下さいます。 |
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